2008年11月 6日 (木)

秋の夜長に

就寝前に何か本が読みたい。

小説を読むと、おもしろければ読みいってしまう。

キリのいいところまで、と思っても、一体どこでキリがいいと思えるのか。

眠る前は、気軽に読めるものがいい。

だから、リラックスして読めるものを選ぶようにしています。

ここ数日は、何年も前に古本屋で買った、

「名言名句の辞典」をふと思い出し、読み返し中。

辞典だから、順を追って読む必要はないし、

パラパラと気ままに読みたい箇所を遊べるところがいい。

この辞典では、作家、詩人、思想家、哲学者、歌人、俳人など、

様々な人の言葉、作品中の言葉が解釈・解説付きで紹介されています。

辞典中の「人生というもの」というくくりの章にあった言葉。

人生を幸福にするためには、日常の瑣事を愛さなければならぬ

芥川龍之介「侏儒の言葉」より引用。

日常の何気ないこと。些細なこと。日々過ごす時間。

それが大切! だと思っているので、嬉しくなってリラックス度が増し、

やや眠気がやってくる。

その後2ページ読んだところで、そろそろ眠るかなと思いながら、

次のページをめくったところで、目に入った言葉。

人生は、どうせ一幕のお芝居なんだから。

あたしは、その中でできるだけいい役を演じたいの

寺山修司「毛皮のマリー」より引用。

眠気が訪れていた頭で、なるほどなぁとぼんやり思う。

なにも世の中でいい位置にいきたいのではなく、人より優位ということでもない。

自分の人生のなかで。自分の“人生という劇場”での話。

できるだけいい人生を生きたいと願う気持ちは、誰のなかにもあるはず。

私の人生のなかで、できるだけいい“役”を演じたいと願います。

例えばお芝居が5幕構成だとしたら、1幕2幕が悲しい役や辛い役だとしても、

5幕が寂しいものだとしても、3幕4幕をいい役で、いいものにしたい。

なんていう風に。

日常が、些細なことが大切

人生の芝居でいい役を演じたい

どちらも真理だなぁ。

おもしろいなぁ……なんて考えながら、ウトウトと眠りについた秋の夜長でした。

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2008年10月 6日 (月)

時々

野菜や果物は時期を問わずに口に入る昨今だが、

あの芳香は季節の記憶をよびさます。

キンモクセイの香りを味わったときのことを綴った、新聞記者の言葉です。

この記事を読んで、キンモクセイの香りを思うと同時に、

「あの芳香は季節の記憶をよびさます」という言葉に共感。

四季折々の自然は、季節を感じさせてくれる。

時が経てば姿を消してしまう、時季限定で出合える自然。

また次の“時季”を待たなければならない。

だからこそ、また出合いたくなるし、再会したときの喜び、幸せを得られる。

梅、ミモザ、白木蓮、桜、紫陽花、ひまわりなどの花。

清々しい気持ちをくれる新緑。

寒さ厳しい冬に佇む裸木が醸し出す潔さと寂寥は、

気持ちの居住まいを正してくれる。

改めてそんなことを考え、季節の偉大さ、四季がある幸せを思います。

そして、“時季”を“時々”という言葉に置き換えてみる。

「時々」は、生きる中で、メリハリを利かす大事なことかもしれない。

時々出合える舞台、映画、絵画、写真などなど。

時々行ける旅行。

時々できる、ちょっとフンパツした外食。

時々(極まれに?)できる思いきった買い物。

それから、時々より難しい(なかなかめぐり逢えない)ご縁。

みな、時々だからいい。

容易くないからいい。容易くないほどいい、のかもしれない。

時々があるから、てんこ盛りのままならないことも、受けとめることができる。

物には必ず“裏”がある。

時々があるから、裏側の毎日にいろいろなことを発見できる。

大切にしなければと気づける。

小さな幸せで笑うことができる、気がする。

表と裏の両方に、生きている喜びがある。

そう思えば、時々さまさま。

目下、時々の紅葉が見たい。どこかで見られるかしら。

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2008年9月23日 (火)

実りの秋に向けて

二十四節気。

中国から伝わった季節を分ける太陽暦の暦上の点。

1年の暦を24に分けており、その時々の時候にあわせて名前がつけられている。

例えば立春も二十四節気の1つで、2月4日頃をさす。

しかし、春とついていても、まだまだ凍てつくような寒さ。

春は遠い…、というように、今の季節で考えればずれてしまっている。

それでも、四季を感じる言葉は趣があって好きです。

春の二十四節気の、

雨水…水がぬるみ、草木の芽が出始める。立春から15日目。

清明…万物清く陽気になる時期。4月5日頃。

春らしく温かみがあっていい。

秋の二十四節気には、

白露…草木の露が白珠のように輝き、秋らしい気配がしてくる。9月7日頃。

秋分…彼岸の中日。昼と夜の長さが同じである。この日を境に夜が長くなる。

    9月23日頃。

などがある。夏の暑さが薄らいでいき、秋が深まっていく移ろいを感じられて好きです。

明日は秋分の日。秋本番といったところでしょうか。

大好きな秋を充実させ、しっかり満喫したい。実り多きときにしたい。

まずはまだきっちりできていない衣替えをして、秋準備万端にしたいと思います。

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2008年9月10日 (水)

連想ゲーム

電車に揺られ、ぼんやり見た中吊り広告。

パッと目にとまった文字、「上昇志向」。

好きではない言葉。

なんとなく、じーっと見つめる。

上昇志向、上昇志向、上昇……。

一文字換えて、「上質志向」だったらわかるなぁ。

上昇志向→上質志向。

頭の中の連想ゲームに納得。

再びぼんやり電車に揺られる。

窓の外を眺めながら、しばらくして再び連想。

上質より、良質のほうがいいなぁ。

意味は同じ。あとは気分の問題だけれど、良質のほうがいいなぁ。

上昇志向→上質志向→良質志向。

連想ゲームが完結。気分がすっきりしたところで、

……、そもそも一体何が上昇志向だったのか。

パッと中吊り広告へ視線を戻す。

政治家の話でした。

フーッ。

良質政治が行われることを願います。

金曜日の更新は休みます。

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2008年9月 6日 (土)

いただきます

自分でお金を払って食べるのに、「いただきます」、「ごちそうさま」って。

あれは間違ってる。

という発言を聞いてあっ気にとられたことがあります。

その人の言い分だと、自分で作る食事も、

「いただきます」、「ごちそうさま」は不必要ということになる。

食事の「いただきます」、「ごちそうさま」は、

別にご馳走になったときだけのことではなく、もっと根本的なこと。

いただきますは、生命の命をいただいて生きていることへの感謝。

ごちそうさまは、料理を作ってくれた人への感謝の気持ちを表すもの。

どちらも感謝の気持ちを持つ大切な言葉。

自分で作る食事でも、食材があるからこそ、料理をして食べることが出来る。

そうして生きている日々に感謝をこめて「いただきます」、「ごちそうさま」。

食文化に欠かせない基本軸の1つ。

大切にしたい習慣です。

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2008年8月 8日 (金)

残暑お見舞い申し上げます

昨日が立秋。

夏の便りが立秋を境に、

「暑中お見舞い」から「残暑お見舞い」になる。

暦の上では立秋を過ぎて残暑。

残っている暑さというより、今がピークのような気がする。

夏が終りに近づいているというより、真っ盛りのような気がする。

立秋と言われてもピンとこない。

昔の暦だから今に合っていない。

子供の頃、いえ、つい最近までそう思っていました。

7月、暑い季節になったから、

「暑い中、お見舞い申し上げます」だから、暑中お見舞い。

まだまだ暑さのスタートだから、暑い中、元気で過ごしてほしい。

どうぞお身体を大切に。

という相手への気遣いの心を込めて「暑中お見舞い」。

8月、暑さの勢いが増す。まだまだ暑い日が続く。

ということは、暑中ということになる。

けれど、最も暑いからこそ、“暑中”とするより、“残暑”としたほうが、

「暑さ寒さも彼岸までって言うし、暑さも残り少しかな。

もうすぐ秋の声も聞こえてくるかな」

便りを見てそんな風に感じられて、一時の涼を得られるような気がする。

昔の人は、もしかしたら、そういう願いを込めて、立秋を過ぎたら、

残暑、としたのかもしれない。

季節の便りはよくできているものですね。

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2008年7月16日 (水)

言葉遣い

丁寧に表現したつもりで、間違えやすい言葉。

「とんでもない」

褒められたときに、謙遜して使われます。

「褒められたから謙遜して、“とんでもございません”って言ったら、

一瞬微妙な顔されたんだけど、何か変?」

と、知人に尋ねられました。

「とんでもない」で、1つの言葉なので、

「とんでもございません」としてしまうのは間違い。

この場合、「とんでもないことでございます」が正しい表現。

ただ、「とんでもないことでございます」と言えば間違いなくて、

それでOKというより、伝え方が重要だと考えます。

正しくは言っていても、心がこもっていなくて、

相手が「ぞんざいだな」など、感じが悪いと受け取れば、正しいとは言えない。

相手との関係性にもよりますが、「とんでもないことでございます」まで丁寧でなく、

「とんでもないです」や「とんでもない…」と、やわらかな物言いで、

相手が感じよく受け取ってくれるなら、丁寧な応対ということになる。

正しい言葉遣いのほかに、表情や声のトーン、ニュアンスなど、

表現プラス態度全般で、“言葉遣い”なのだと思います。

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2008年6月20日 (金)

困った癖

よくカタカナを読み間違えます。

文字が目に入った瞬間に、パッとシャッフルして、違う言葉として脳が認識してしまう。

で、恥ずかしい思いをする…。

自分のシャッフル癖を知っているから、気をつけているつもりなのですが、

なぜかシャッフルしてしまう。

何かに似ている。

方向オンチなので、勘で「こっち!」と思ったほうを選ぶと、

反対方向だったということが多い。

だから、「こっち!」と思ったほうと逆へ行けばいい。

そう思って選んだ道が逆方向だった……そんなことが度々あるのに似ている。

困ったシャッフル癖と方向オンチの思い込み。

結局は早とちりが問題なのでしょうね。

早とちり、そそっかしさを改善せねば。

思い込みといえば、子供の頃、

耳にした歌の詞を勘違いして捉えたことがありました。

雨降りの日にふいに口ずさむ歌。

「雨、雨、降れ、降れ母さんが~、蛇の目でお迎え嬉しいな~note

蛇の目と聞いてジャノメミシンを連想。

ジャノメだと思い込む。

どういう意味だろうと想像。

園児の私が描いたシナリオは、

きっとお母さんがミシンで何かを手作りしたんだ。

カバンかな?帽子かな?

幼稚園のお迎えのときに、早く見せようと思って持ってきたんだ。

で、それを見て嬉しくて、

「ピッチピッチ、チャップチャップ、ランランランnote

なんだろうなぁと、頭の中で勝手にストーリーを展開させていました。

子供のうちは笑えるけれど、大人は困る。

早とちり、気をつけなければ。

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2008年6月 6日 (金)

6月を遊ぶ

梅雨に突入。

湿度が高くなる。

天気が不安定。

梅雨寒かと思えば、急に暑くなる。

しかも、湿気でモワッとした気持ちの悪い暑さ。

どうにも心地好くない時期。

まあ、梅雨どきの不快感が免疫となって、夏を過ごす心身を鍛え、

真夏を乗り切れるような気もする。

ならば、大事な時期かもしれない。

梅雨どきのネガティブな面を嫌だと思うだけではなく、

いいところも頭に入れておきたい。

いいところ……、

紫陽花がきれい。菖蒲もきれい。薔薇も楽しませてくれる季節。

あとは・・・・・・・・・・・・・。

パッと浮かばないので、歳時記を開いてみる。

6月の異称が書かれている。

水無月、水月、季月、涼暮月、松風月、風待月、鳴雷月。

炎陽、陽氷、林鐘、長夏、三伏之秋、則旦、小暑などなど。

雨降りの季節なのに、水無月、水月。

山があっても山梨県、みたい。

炎陽、陽氷。

炎と氷。同じ月を表わすのに、両極端なのはなぜかしら。

涼暮月、松風月、風待月。

趣があってきれい。

6月の別名を覚えておくと、ふと異称の意味を感じる瞬間があるかもしれない。

今年の梅雨は、それを楽しめたらいいなぁ。

でも、風待月を感じるということは、風の恵を待つ状態か…。

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2008年5月28日 (水)

よい明日を

電車内。

考えてみると、不思議な空間。

見知らぬ人たちが、動く密室に乗り合わせている。

ラッシュ時は、身動きもとれない状態。

黙っておとなしく運ばれていく。

疲れて眠る人。

おしゃべりに興じる人。

窓の外を眺める人。

本を読む人。

暇を持て余し、キョロキョロする人。

仕事の資料に目を通したり、勉強をする人。

音漏れさせながら音楽を聴く人や、携帯に向き合う人。

お化粧をする人まで…。

この不思議な空間では、聞こうと思ったわけではなくても、様々な話が聞こえる。

聞きたくない悪口、噂話。

心があたたかくなるような話、会話。

こちらの想像を超えた発想で話を展開する女子高生の会話。

時々、ハッとするような気づきもある。

先日もありました。

読んでいる本が一区切りついたとき、

「よい明日を」

という言葉が聞こえました。

落ち着いたトーンのやわらかい口調。

素敵な表現だなと思い、顔を上げると、

少し離れた席に座る60代くらいの女性と、

電車を降りるらしい20代~30代くらいの男女の会社員らしきふたりが、

軽くお辞儀をし合っています。

「よい明日を」は、座席に座る女性がふたりにかけた言葉のようです。

たぶん別れ際の挨拶なのでしょう。

別れ際の挨拶にはいろいろありますが、

相手の明日がよい一日になるように、と願う言葉を渡せるって素敵。

3人は、面識があるのか、今乗り合わせで会っただけなのか。

間柄はわかりません。

いずれにせよ、耳にした別れ際の言葉は、

たまたま居合わせて聞こえただけの私にも、

一瞬、一日の疲れを忘れ、心地好い気分をもたらしてくれました。

「よい明日を」

なんてあたたかい心をサッと言葉にできる。

人として、女性としてそうありたいです。

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2008年5月 9日 (金)

十を聞いて一を知る

心地好いカルチャーショック。

「一を聞いて十を知る」しか考えたことがなかった。

何もかも聞こうとせず、要求せず、「察する」。

それを身につけることが大切だと思って生きてきた。

十を聞いて一を知る

雑誌『クロワッサン』のインタビュー記事。

憧れの岸恵子さんのお話の中に出てきた言葉です。

フランスのインテリ階級の人たちは、ちゃんと理解するまで何度でも説明を受ける。

豊富な語彙を駆使し、議論をする。

その姿勢を岸さんは謙虚だと仰る。

謙虚に、

十を聞いてもやっと一くらいしか分からないのだという精神を持ったほうがいいと。

一を聞いて十を知るというのは、早合点で軽率だとも仰っていました。

“察しの美学”というものがありますから、

一を聞いて十を知ることは大切なのだと思ってきました。

でも察するには、たくさんの思考が必要。

そのためには、一を聞いてパッと判断するよりも、

しっかりと十を聞いて、考えて答えを出すほうがいい。

そのほうが、“物事の本質を察する”ことができるのではないか。

察した上で、十を聞いてもそれはまだ一なのだとわきまえる。

これからは、それを大切にしたい。

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2008年2月 6日 (水)

人生ノートの原点

寺山修司さんの未発表歌集が2月28日に刊行。

という記事が夕刊に載っていました。

10代の頃に読み始めた寺山作品。

その中の「ポケットに名言を」という本。

寺山さんが映画などで出合った言葉をまとめたもの。

「名言」とか「格言」とか、そういうものを読みたいとほっしていた時期に見つけた本。

くり返しくり返し読みました。

言葉を知り、いくつもの考え方を知り、ヒントを得られました。

そして、この本からのいちばんの贈り物。

言葉をメモすること。

映画、ドラマ、本、マンガ、ニュース、新聞、雑誌、出逢った人の話の中。

どこからでもいい。

何か、感じた言葉をメモする。

続けていたら、かなりの数になり、ノートにまとめてみると。

いつでも読み返せていい。

落ち込んだらノートを開く。

考えが煮詰まったらノートを開く。

気分転換にノートを開く。

「人生ノート」と名づけた大事なものになっています。

最近、メモを怠っている。メモしたものも、ノートに整理していないものが多々ある。

新たなページが埋まっていない。

今日、寺山さんの記事を目にしたことを機に、再開しようと思います。

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2008年1月30日 (水)

人生真っ最中

全力中年。

前回、ドラマ「フルスイング」を観た感想を書いた中で、

中年という言葉を使いました。

中年。

一般的に、ネガティブに捉えられることが気に入らない。

良いことばかりじゃないから、夢物語に捉えることはない。

としても、大人が自ら“中年”に対してネガティブキャンペーンすることないのでは。

中年の「ちゅう」を使った言葉。○○中という表現。

成長中、勉強中、道の途中、最中……、

人生真っ最中!

それから、中途半端という言葉。

若くはない。でも達観するまで熟していない位置。

道の途中。半ば。

コップで考えたら、水位は中程。

それなのに、もう若くないとか、もう中年とか、

モウモウ、モウモウと牛のように連呼してどうする。

ネガティブキャンペーンしてどうするのでしょう。

注いでいない水はどうするのでしょう。

せっかく空白があるのに。もったいない。

「もう」なんて締めくくっていないで注がなきゃ。

真っ最中なのですから。

ところで、そうなると、高年者はどうなるのかというと。

満タンになったら、おしまい? いいえ。

満タンになったコップの活かし方、というものがあるのだと思います。

満ちなければ成し得ない役割を担っていらっしゃるのだと思います。

ただ、中年の入口に立つ私は、まだ口を開く域ではない。

今は口を閉じたまま、前を行く方々の背をみつめ、歩いていきたいと思います。

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2007年11月28日 (水)

“まねぶ”と“らしさ”

“学ぶことは、まねぶ(真似して行う)こと”。

以前読んだ本の中に書かれていた言葉です。

「学ぶ」は辞書によると、

①教えを受けて、知識や技芸を身につける。

②勉強する。学問をする。

③経験を通じて知識や知恵を得る。わかる。

④まねる。

お稽古を始めると、まずは基本の形を覚える。

お手本に沿って身につけようとする。

そのためには、お手本を真似する。

モノマネ。真似事。

「モノマネ(ヒトマネ)じゃなく、オリジナルじゃなきゃ」

というように、まねることはあまりよく使われない。

真似ではないオリジナル……何か引っ掛り、違和感を持っていました。

はるか昔から人が存在している。仕事も生活も娯楽も、基本の型、

スタンダードなものはとっくに出来上がっている。

新しいファッションデザインは、服飾の歴史をヒントに生み出されるように、

確立した定番を軸に、いろいろなものが創作される。

大抵のことはそこにあてはまり、ヒントなし、

まったくの無から有の完全オリジナルは少ないのではないでしょうか。

オリジナルとしてはっきりしているのは、自分という人間は唯一無二であること。

自分が存在しているということは、既に“自分にとって”特別なこと。それ以上はない。

だから、大勢の中で平凡であることは、つまらないことでもなんでもない。

個性がなきゃと言われても、個人の性質はちゃんと持っています。

それで充分ですと、生意気なことを20代前半から考え出し、現在進行形。

価値観の問題かもしれませんが、個性的より、

様々なことのスタンダードをしっかり身につけたい。

平凡でも、いいものはいい。上質な平凡にしたらいい。

それに、真似るといっても、例えばお料理。

レシピが同じでも作る人によって微妙に味が違うもの。

お手本を見ながらお習字をしても、やはり人によって違う。

伝統芸能の歌舞伎。

市川海老蔵、中村勘三郎、市川染五郎など、歌舞伎役者は江戸の昔から、

何代目~と受け継がれている。

演目は同じでも、先代、先々代と現在の市川団十郎は違う。

そういうものだと思うのです。

自分というフィルターを通せば、真似てやってみたことでも、

手本にした人(こと)とは違うものなのだと思うのです。

完全に無から有のオリジナルではないけれど、“自分なり”。

“らしさ”って何だろうと、わからずにいましたが、

お手本を「自分」が真似てみて成った形が答えなのかもしれない。

成った形が私らしさ。

学ぶことは、らしさを知ることだと考えていたら、

学生時代もちゃんと勉強したかもしれない、惜しい。

……やっぱりしなかっただろうなぁ。

まあ、これからということで。

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2007年11月 7日 (水)

メッセージカード

ありがとう、という気持ちをさりげなく伝えたいとき。

とても便利なアイテム。

メッセージカードや一筆箋。

季節もの、動物もの、和の情緒漂うもの。

ロマンティックでエレガントなもの。

ホッと和む、かわいらしいものと様々あって、選ぶのも楽しい。

楽しい時間を過ごした最後に、

「楽しかったです、ありがとう」と気持ちを。

本やCDなど、借りたものを返すときのお礼に。

ほんの一言二言の言葉を伝えるのに最適。

季節に添ったご挨拶、用件、余韻ある言葉を味わう手紙とは、

また違うよさ、おもしろさ。

旅館で仲居さんへ心づけをお渡しするときにも使います。

ポチ袋もデザインが色々あり、

「ほんの気持ちです」、 「心ばかり」など、

印刷されているものを活用するのもいいと思います。

私はメッセージカードに

「心ばかりですが ご笑納くださいませ」と書いて、

メッセージカード用の封筒に入れてお渡しします。

気軽に使えるメッセージカードと一筆箋。

そろそろ冬らしい、ほんわかとしたものが出ていると思うので、

チェックしにいかなくては。

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2007年10月17日 (水)

連想ゲーム

海、という言葉から思いつく単語。1分間、紙に書いてみて。

ある方から出された連想ゲーム。

ハタチになる少し前、言葉に対しての興味を強めた頃のことです。

戸惑いながら、1分間、思いついたことを書きました。

私の答えを見たその人は、

「陸から見た海しかない。空から見た海、海上で感じる海、潜って見る海、

思い出の海、リアルタイムで見ている海、夏の海、冬の海、晴れた日の海、

雨の日の海、穏やかな海、荒れ狂った海。」

「ちょっと言うだけでもこれだけあるでしょう。まだまだいくらでもあるんですよ」

なるほど! という発見と、自分の視野の狭さにショックで言葉が出ません。

押し黙る私に、

1つの物事にも、たくさんの見方がある。

だから表面だけじゃなく、もっと掘って掘り下げて見る。

そうして選択肢を増やす。

TPO、立場、年齢、経験なども加わって、最も相応しい言葉(形)を選択する。

それが大切なのだという話をしてくださいました。

まだ若いから難しいと思う。

ただ、頭の片隅に記憶して、意識を持っておくといい、とも。

立場が変われば考えが変わることもある。

季節が巡れば、歳月の分だけ思いが増える。

色々な思いの人がいる。色々な立場の人がいる。

たくさんの世界がある。

多角的に見る。

可能性を探る。

選択肢を増やす。

選ぶ判断力。

すべての軸として、イマジネーションが重要、大切。

それは、社会のルール、マナー、仕事、人間関係、日常と、あらゆる場面で必要。

それを教えてもらえた連想ゲームでした。感謝。

と言って、多角的に見て可能性を探り、判断できているかというと…、

掘り下げも角度も足りない。迷うことも多い…。

せっかくの教えが活かせていません。

もっとやわらか頭を目指します。

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2007年9月28日 (金)

私日和

事後承諾になります。

ブロ友、寝起きのパンダさんのブログをお訪ねしたとき、

“私日和”という言葉を目にして、

「あ、いいなぁ。素敵な言葉だなぁ」

と思ったので、使わせていただきます。

江戸しぐさを学んでいると、すべての軸は、要は、

「ひと在りき主義」。

高校生の頃に読んだ、灰谷健次郎さんや小池真理子さんの本が教えてくれたこと。

「ひとは生きているのではなく、たくさんのひとに生かされている」

一緒に過ごすことができなかった祖父の生き方。

「ひとに望むのではなく、ひとにできる事をする。私欲に走らない」

まだまだですが、そうありたいと。

“ひと在りき”

という軸を持てば、人間関係、良識、常識、マナーなどにあまり身構える必要はない。

今、クローズアップされている“品格”も、特別なことではない。

敷居は高くない。

時に失敗したり、誤解があったとしても、大丈夫。

で、

ひとを大切にする自分であるためには。

自分を愛することも大切。

甘やかすのではなく、自分づくりというか、自分を楽しむ。

それによって自分に余白を持つ。

「いかなるときでも、ひとを大切に」と言うのは簡単。

でも、心や体が悲鳴を上げていたら、やはりどこかにゆがみが生じる。

心と体にエネルギーを持っていたい。余白をつくっておきたい。

そこで、スペースづくりとエネルギーを貯めるために“私日和”。

私による、私のための1日。

思いっきり、出し惜しみせず、自分のために時間を使う。

そういう1日を過ごして眠り、朝が来たら。

“まずひと在りきで”、に戻る。

そうやって生きたいから、存分に私日和を過ごす。

私日和を持っていたい。

いよいよ楽しみにしていた「スペイン国立バレエ団」の公演。

存分に私日和を味わいたいと思います♪

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2007年8月 3日 (金)

「それいゆ」の名のように、あたたかく

 もしこの世の中に、風にゆれる『花』がなかったら、

人の心はもっともっと、荒んでいたかもしれない。

 もしこの世の中に『色』がなかったら、

人々の人生観まで変わっていたかもしれない。

 もしこの世の中に『信じる』ことがなかったら、一日として安心していられない。

 もしこの世の中に『思いやり』がなかったら、淋しくて、

とても生きてはいられない。

 もしこの世の中に『小鳥』が歌わなかったら、

人は微笑むことを知らなかったかもしれない。

 もしこの世の中に『音楽』がなかったら、

このけわしい現実から逃れられる時間がなかっただろう。

 もしこの世の中に『詩』がなかったら、

人は美しい言葉も知らないままで死んでゆく。

 もしこの世の中に『愛する心』がなかったら、人間はだれもが孤独です。

大好きな中原淳一さんのお言葉です。

別冊太陽の「美しく生きる 中原淳一 その美学と仕事」という本で出合いました。

美しく語られているこれらのことは、とてもシンプルで力強い。

且つ、中原さんが、少女たちにたくさんのことを伝え導いていらしたという雑誌、

「それいゆ」の名のように、太陽のあたたかさを感じます。

語られていることは、どれも“生きる”のに欠かせないものばかり。

久しぶりに思い出して読み返したら、じんわり沁みる。

なんだか嬉しくなり、書かれている大切なことへの感謝の気持ちで載せました。

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2007年7月 6日 (金)

ルールはこころ!

マナーにはいろいろあります。

ビジネスマナー。冠婚葬祭のマナー。

テーブルマナー。国際マナー。

人づき合いにおけるマナーあれこれ。

日常の立ち居振る舞いをはじめとした、各個人をつくるマナー。

儀礼的なかしこまったもの、非日常的なもの、

そして、日々の生活に沿ったもの。

特にごく日常の生活・暮らしに沿ったマナー。

これを大切にしたい。

それにはやはり、イチにもニにも心!

どのマナーも、心と切り離しては成り立たない。

心を伴って紡いでいかなければ、身につかない。

マナーの根幹は“真心”。だから、

マナーは人の魅力をつくる。人を素敵にする。そう信じています。

“江戸しぐさ”についての本が好きです。

とても素敵です。

“江戸しぐさ”の本には、ひとを第一に考える、

最優先すべきは人であるという“心”が溢れています。

越川禮子さん著『身につけよう! 江戸しぐさ』のなかに、

江戸しぐさは、「人にして気持ちいい、してもらって気持ちいい、

はたの目に気持ちいい」もので、人みな気持ち良く笑顔で暮らせる

社会環境をつくるための基盤となるものです。

とあります。

また、本のなかに、

守りあうルール(こころ)

と書かれている。

ルールは窮屈なものでも、面倒なことでもなく、心!

何かを学ぶ、身につけることは、“心得る”という。

心を得る。

教えてくれた人の心を得る。関わった人の心を得る。

学んだ物事の心を得る。

そして、

学んだ物事に対しての、人に対しての新たな心を得る。

それが生きていく上ですべての意義であり、要なのだと、しみじみ感じます。

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2007年6月29日 (金)

言葉と意識と目

書いても話しても、使う言葉はきれいなものがいい。

まったく無自覚でしたが、もう何年も前、

「うっとうしい」という言葉をよく使っていたらしい。

あるとき、人に、

「うっとうしいってよく使っているけど、聞いていて気分がよくない。使わないほうがいい」

と注意されました。

確かに。いい言葉ではない。いえ、いい感覚ではない。

反省して、使わないよう心がける。

すると、“うっとうしい”とあまり思わなくなる。

使う言葉は意識に影響することを実感。

乱暴な言葉を使っていると、感覚、動作も雑なものになる。

省略言葉も、同じく動作が雑になることが多いので、省略しない。

語尾をのばすのは、だらしのない印象になる。

よく使われる「ヤバイ」。

いろいろな意味で使われるようですが。

美しい、素晴らしい、素敵、美味しい、かっこいいなど、

いいものを表現する言葉はたくさんある。

使うにも聞くにも、響きのいい、印象のいいもののほうが気持ちがいい。

“言葉には意識がつきまとう”と言いますが、

プラス“言葉は意識をつくる”でもあるように思います。

人の欠点をつついたり、けなしてばかりいたら、

人の素敵部分が見えなくなり、攻撃的な人相になった人。

好んでひとと争う人がいました。

相手と違う意見を述べるとき、言葉を選ぶ。

○○はよくないと言うときも、

○○より、△△というのはどうか。☆☆という考えもあると思う。

というように、単に否定せず、その先を提案する人がいました。

前者は、批判的な言葉を使い続けていたら、攻撃的な意識を強くした。

後者は、お会いするたび、キリッとしたなかにもやわらかさがあり、

聡明さを増していらした。

使う言葉が自分を紡ぐ。良くないものでも紡いでしまう。

怖いです。

気持ちに余裕がないとき、頭にきたとき、つい言葉が批判的になったり、

攻撃的になったり。

そういう自分にハッと気づいて、自己嫌悪。

確認できる状況なら鏡を見てみる。

目がよくない。険が出ている。

目はすごい。

怒りや驕り、偽り、思いやりの欠如など、人の負の部分を、

隠しようもなく証明してしまう。どんなに言葉巧みな人も、物事の対処の上手な人も、

どこかで出てしまう。決して取り繕えない。

これも怖い。

言葉と意識。そして心が映し出される目。

考えるほど、怖いなと感じます。

だからこそ、大切にしたい。大切につき合って生きたい。

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2007年5月 9日 (水)

ありがとうの言霊

「大好き」って言葉と同じく、大好きな言葉。

ありがとう。

よく、最も美しい日本語だと言われます。

ひとに感謝を伝えるにも、マナーとしても大切。

もともと好きな言葉ですが、2,3年前に知り合いから聞いた話が印象的で。

「“ありがとう”っていうのは本当に好い言葉で、いろいろなことに“ありがとう”と

口にしていると、言霊で心の流れがよくなるよ」

さらに、

「一日の終りに、“今日も無事に過ごせたこと、ありがとう”って思ってみるといいよ」

これを聞いて、なるほど~、と寝る前に実行してみると、気分がいい!!

習慣にしていくうちに、取りこぼしてしまっていた“ありがとう”の発見があったりして、

ますます“ありがとう”という言葉を好きになっていく。

本当は買い物のときなども、品物を受け取るときに、

「ありがとうございます」というのが理想的。

ですが、お店側はもちろん「ありがとうございました」と言いますが、

なんだかすんなり「ありがとう」が出てこない。

「お世話様です」は出てくるのですが。

売った側は“買ってくれてありがとう”だけれど、

(なんで買った側が?)と思われるかしら、とつまらないことを考えて、

「ありがとう」と言いたいのに、出てこないダメな私。

“素敵な商品をありがとう”。何もおかしくないのに。

「ありがとう」は伝えたいので、せめてもと、ご飯を食べに入ったお店では、

帰り際に「ご馳走様でした。美味しかったです」と店員さんに笑顔で言う。

買い物をしたお店では、品物やお釣を受け取るときに心を込めて笑顔でお辞儀、

ということだけは守っています。

まあ、もういい加減、子どもっぽいことを考えていないで、素直に言わないと。

ありがとう。

声に出して伝えるのは、発する側にも、受け取る側にも快い素敵な言霊ですから。

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2007年4月25日 (水)

風ことば

時々、気分転換に酔ってみる。言葉に。

風ことば。

風流・風情・風味・風雅・風格・風懐・風鑑・風姿

風薫る・風光る・風林火山・花鳥風月・風光明媚・風姿花伝

などなど。

風は、感覚でいろいろなものをもたらす。

暖かさや寒さを肌に伝える。

花の香り、磯の香り、新緑の中の独特の香りを乗せてくる。

波を起こし、葉を揺らし、自らを鳴らし、音を作り出す。

雲を動かし、花や木々を揺らし、水を揺らし、動きを見せる。

けれど、風自体には姿がない。

不思議な存在。

風鑑とは物事を見分ける力を指し、

風姿とは“うるわしい姿”という意味だと辞書にある。

実体のないうるわしいもの。

この辺りに風ことばが伝える“粋”のヒントがありそう。

和歌や俳句、詩はすべてを述べない。

行間にある深い心を自分の感覚で汲みとり、

そこにあるものにそっと心を添わせる。

そういう行間・曖昧を愛し楽しむ日本文化が、風ことばを生んだのでしょうか。

とすると、そういうことばの生まれた時代のひとは“粋なおとな”!

話好きでついつい多弁になる私は、まだまだ野暮で子どもだな、

と痛感しつつ、未熟ついでに。

能に興味を持ち出して、風姿花伝に行き当たりました。

なんとなく耳にしたことはありましたが、

世阿弥が書いた能楽論だとは知りませんでした。

風姿花伝。

風の姿、花の言伝。

うるわしい花のこころ?

風に乗せた花の伝言?

キャァ~素敵!! と能楽論に関係なく、勝手に考えて大喜び。

完全に酔いきりました……失礼いたしました。

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2007年4月13日 (金)

それで、ええねん

関西の方がご覧になっていたら、関東の人間が関西弁。

不快だったらごめんなさい。

人間関係に欠かせないもの。

言葉。

TPO、話す相手で言葉遣いや話し方を使い分ける。

近年は敬語を使えない人が多いと言われ、本がたくさん出ている。

敬語は苦手、という人が敬語を使うとき、力が入っているような気がします。

あってるかな? きちんと話さないと。

そう思うから力が入るのではないかと思います。

私も時々、「あっ、しまった」と思うような失敗をします。

しっかりとした言葉・話し方の基礎を身につけるのは大切。

ある程度の土台作りは必要。

その後のテクニックは「門前の小僧習わぬ経を読む」の感じで、

自分の中に沁みこませていくのが一番!

私は小さい頃に耳にした、

人を攻撃する言葉・汚い言葉・傷つける言葉に対する嫌悪感から、

キレイな言葉、美しい話し方に憧れを持つようになりました。

小学生になった頃から、母の電話での話し方を真似てみたり、

大人の話し方を興味津々に聞き耳を立て、使ってみました。

使い方を間違えたり、緊張しておかしな言い回しをしたり、

慌てて話して雑になったりをくり返し続けました。

挨拶や言葉遣い。

人には心があり、理屈よりまず、心で生きている生きもの。

人と人の関わりは「心を込める」ことが最大のマナー。

敬語を「難しい!」と思ってしまうのも、

まず、ああしましょう、こうしましょう。

と理論を見て、ノウハウを考えるところからスタートするから、

ややこしくなるのではないでしょうか。

伝えたいことがあるから話をする。なら、伝わるように話す。

素敵な話し方をしたい、という気持ちで話す。

向き合う相手に思いやりをもって話す。

この3つので門前の小僧を続けていく。

失敗しても「ええねん」。

緊張して、たどたどしくなっても「ええねん」。

素敵になろうと励めば「ええねん」。

真心あれば「ええねん」。

以上、不安なとき、自信が揺らぐとき、励ましがほしいときに聴く、

ウルフルズの『ええねん』方式の、

「身構えずに、敬語は楽しむのがいい」という小話でした。

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2007年3月30日 (金)

自然体に匹敵。すてき

素敵、という言葉。よく使います。

使いながら気になったこと。

すてき。漢字では素敵。素・敵。

敵?

素が敵? 素の敵?

あっ、素に匹敵!

赤ちゃんの姿。ありのままの存在、美しいですよね。

“自然体”賛歌をするなら、赤ちゃん以上はない気がします。

従姉の家の赤ちゃんに初めて会ったとき、

そこにそのまま存在しているだけで力強い命。その輝き、尊さに感動しました。

街中で見かける赤ちゃんにも同じことを感じます。

赤ちゃんが自然体の最高峰なら、あとは下がっていくのか。

そうではなく、そこから人として素敵への道がスタートするのでは。

誰もが、我良くあらんとして頑張る。

混沌と切なさを伴いながら考え悩み模索し、

たくさんの感情と出来事を重ね紡いでいく。

そのジタバタ感がいい。

誰もが自分のプロデューサーで、輝くために考えて演出する。

その姿、その人だけがつくりあげていくものが、

素に匹敵する美しさであり、尊いのではないか。

人を賞賛するとき、あまり自然体という形容はピンとこない。

一見さらりと自然体に見えても、その人なりのさまざまな気持ち、

出来事を練って練って汗をかいているはず。

人が時を重ね、歳を纏いながら生み出していくもの。

素に匹敵する美しいもの、素敵。

これからもたくさんの素敵を見つけたい。

自分でも素敵になっていきたい、と思います。

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2007年3月14日 (水)

辞書は友達?

「ボールは友達」

昔、アニメのセリフにありましたが。

今でこそ辞書、好きです。

疑問を解決してくれる。便利で頼りになる。

しかし、子供の頃は友達どころか、姿を見るのも嫌でした。

幼稚園ぐらいから大人の輪の中で、じっと話を聞いているのが好き。

“じっと”がポイントです。

話を聞いていて思ったことを言うと、「大人の話に口を挟むな」を意味する母の睨み。

無言の威嚇がくるので、黙って聞く。

そうしていろいろな言葉、いいまわしを知っていく。

すると、使ってみたい。

で、使い方を間違えると、登場します。辞書。

言葉に対する認識を曖昧にしているのが嫌な母は、小さなことでも逃さない。

小さいうちは引いて読んで聞かせ、ある程度からは辞書を差し出し、

引いて読めと促される。

他愛のない話をしているときに、ちょくちょく辞書を出されると、うっとうしい。

別に軽口をたたいているだけなのに、いちいち辞書を出さなくてもと不満を述べると、

「間違ったときこそ、覚えられる」と返される。

正しいですけどね……、度々失敗を指摘されるとおもしろくなくて…。

本棚の一番下で、ド~ンと構えている姿が憎たらしく見える。

幼稚なことに、「嫌い!」とバコッ。蹴ってみる。

分厚くて固くて、痛い思いをしただけでした。

やがて成長過程で辞書の必要性が増え、調べた言葉のページで、

他の言葉も読んでみる。

へぇという発見や、知らないことを知る楽しさがあり、バコッとしたけれど、

「辞書、いい奴だ!」と考えが変わる。

分厚い大辞林、漢和辞典、(あまり活動しない)和英・英和辞書。

今は電子辞書も。

「友達」ではなく、ブレーン? 先生?

シャーペン・メモ帳と同じく、日々に欠かせない存在となっています。

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2007年1月26日 (金)

現実的で、ストレートにスパーン…ノンポエジー

しばらく詩を書いていない。

詩と言っても「ポエジーがない」と指摘されてしまうくらい、叙情性がありません。

指摘されたのが確か22のとき。

言われて自分の書き溜めたものを読み返すと、見事なくらい叙情性がない。

ひとの意見が聞きたくて、ある編集者に読んでいただいたところ、

「硬派ですね」「女性が書く感じではないですね」とのお言葉。

私、女性ですから。どう捉えたらいいのか、考えました。

私が書く詩には乙女チックな感じがない。

載せてはいませんが、恋愛の詩もあります。

間違いなく恋する女の子の、かわいらしい詩、ではないです。

北原白秋や室生犀星のような素晴らしい叙情詩は書けない。

夢のようなかわいらしい世界も書けない。なら、

私はどんなものが書きたい?

考えて考えて出した答え。

「ひと」「人生」「生きる」ということを軸にしたものが書きたい。

女ですから、「女らしい」と感じてもらえるような女性になりたい。

よく聴く女性アーティストたちが歌うような、

「優しく、やわらかく、しなやかで、芯のある凛とした女性」が目標。

文章もそうありたい、と心がけています。

ただ、詩に関しては、

現実的で、ストレートにスパーンと言い切る自分の形が好きなので、

このまま「ノンポエジー」で書こうと思っています。

最近書いていないので、載せるものがない。

ということで、好きな詩を。

井伏鱒二さんが訳詩された漢詩。

『勧酒』

コノサカヅキヲ受ケテクレ

ドウゾナミナミツガシテオクレ

ハナニアラシノタトエモアルゾ

「サヨナラ」ダケガ人生ダ

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2007年1月25日 (木)

かぎっ子日記?

子供の頃、かぎっ子でした。

「ただいま~」と言っても誰もいない。

し~んとした家の中。

音楽をかけて歌ったり、テレビを見ながら突っ込みを入れたり。

よく笑っていた気がするし、思い出してみると、独りの状態で、

なんやかんやと陽気でした。

それでも、お母さん子だったので、夜、母が仕事から帰ってくれば、話がしたい。

小学生のときのこと。

帰宅後、休む間もなく、すぐに夕飯の支度にかかる母の後ろで、おしゃべりを始める。

多少は聞いてくれますが、途中

「うん、今ご飯作ってるから、後で聞く」と当然なります。

晩御飯のときに話をしますが、時間が足りない。でも食後も、大人はやることが多い。

また、母はよく人の相談に乗ったり頼られたりと、いつでも忙しい。

そこで、チビッ子の私が考えたのは、手紙。

といっても大学ノートに話したいことを書くだけ。

毎日ではないですが、夜、手紙を書いたノートを母の枕元に置いておきます。

すると翌朝、私の枕元に返事を書いたノートが置いてあります。

ノートのやりとりなので、手紙というより交換日記。

返事が書かれていると嬉しくて、また書きます。

小学生のときは、そのやりとりが何年も続きました。

かぎっ子ならではの母娘コミュニケーション。

自分が思っていることや考えたことを、文字にして伝える「おもしろさ」の原点は、

ここかなぁという気がします。

何年か前に母が「お母さんの宝物なのよ」とノートを出してきました。

うわっ恥ずかしい!

「なんでそんなものとっとくのよ~」と言うと、

「いいじゃない。お母さんがもらったんだから、お母さんの自由でしょう」と言う。

もらった? 自分がとっておいだだけでは?

「読む?」と聞くので「読まないよ」とお断り。

学生時代の文集や卒論も、読み返すと書き直したくてしょうがないのに、

小学生のときの文は、勘弁して!!

母は他にも、私がプレゼントしたものはみんなとってあるらしい。

みんなって、子供の頃から母の日と誕生日と、クリスマスとを毎年ですよ。

・・・・・・・・・・・・。

嬉しいといえば嬉しいですが、服などは、着なくなったら捨ててもいいのに。

親ってそういうものなのでしょうか。

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2007年1月19日 (金)

からすの勝手でしょ~?

昨日、真剣に「教養」について思うことを書いたのに。

なんだかふざけたタイトル。

おぼろげな記憶ですが、小さい頃、テレビで志村けんさんが、

「か~ら~すぅ~、なぜ鳴くの~、からすの勝手でしょ~」と歌っているのを

聴いたことがあり、「うん、確かにからすの勝手だよなぁ」と納得した覚えが。

チビッ子の私は、本当にそういう歌があるのだと思っていました。

小学生時分のある日、母が『七つの子』を歌っているのを聴いて、

別バージョンの歌があるのか。あるいは、よく即興で歌を作って歌ってくれていたので、

その類かと思い、尋ねてみました。

母は衝撃のようでした。

この子は童謡を知らないの?! と。

『赤とんぼ』『しゃぼん玉』『小さい秋見つけた』『春の小川』などなど、

スタンダードなものは学校で教わった気がする。

でも、それほど数は多くない。

なんて悲しい時代なの! と嘆く母。

童謡は詩が、メロディが素晴らしい。叙情的で情緒があって。

美しさがあって、と力説。

それからは、私に童謡を覚えさせようと思ってか、いや、

他にもシャンソンやビートルズも歌っていたので、たぶん、

単に自分が童謡を好きだからなのでしょう。

家でよく童謡や小学唱歌を歌っていました。

おかげでかなり多くの歌を覚えました。

今まであまり考えたことありませんでしたが、童謡の詩を思い浮かべてみると、

確かに叙情的で情緒に溢れ、言葉が美しい。

母や伯母、叔父の会話から考えると、私が子供の頃は、

すでに童謡を聴く機会も、知っている曲も少ない。

今の小学生はどうなのだろう。

童謡の詩が書かれた時代の美しい風景が減ってきている今、

それが歌われたものまで聴く機会をもてないのは、さみしいかも。

そういえば、東京で育った友達は、家の周りが自然だらけの所で育った私を、

うらやましがっていました。

「いいな~、私、田舎暮らしに憧れてるの~!!」

そう語る表情や口調は、かなり自然に飢えているんだ、と感じるものでした。

童謡の詩。世界。もっと知りたいな、探ってみたいなと思うこの頃。

まずはCDを買って聴いてみようかなぁ。

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2007年1月12日 (金)

魔法はないけれど

時間は凄い。

時間は、ひとを美しくすることができる。

時間は、哀しみを消し去る魔法はないけれど、寄り添ってくれる。

哀しみを受けとめることができるまで、哀しみを自分の一部にできるまで、

黙って時を刻みながら、じっと静かに、寄り添っていてくれる。

決して過去へは戻してくれない頑固さが、凄い。

ただ戻してくれないだけではない。

代わりに、どんな出来事もやわらかく包み、過ぎたことは「思い出」、

笑ってそう思えるようにしてくれる。

そんなやさしさを持っている。

『空と海の境目 朝が映すように

 胸の闇に 陽がさすまで 時がたつのを待ちたい』

薬師丸ひろ子さんのアルバム『LOVER’S CONCERTO』に収められている、

大好きな曲『さみしい人にならないで』の歌詩の一部です。

時間の持つ凄さ、やさしさが、情緒たっぷりに表現されている。

この曲を聴くと、詩に描かれているような女性になりたいと思うと同時に、

先述の歌詩を聴いて、元気になります。

自分の状況が良かろうが悪かろうが、時間は進む。

どっちだろうと、過ぎれば思い出。

ま、とりあえず、お天道様浴びて笑っときますか、もったいないから。

くらいの気分になれます。

時間が脅威になることもありますが、それもひっくるめて、

うまく時間と付き合い、味わって生きたいな、と思います。

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2006年12月30日 (土)

遠い道のり、自分のペースで

言うべきは言う。

その上で、あたたかく、やわらかく。

そんな風に話がしたい。文を書きたい。それが理想。

でも、未熟ゆえ、「怖い」「言い方がキツイ」と言われてしまうことも。

伝えたいことがあり、熱が入ると、ついきっぱり言いすぎてしまう。

伝えることを、やわらかく、しかも凛と表現できたら。

中尊寺で拝見した仏像の数々(すみません、また例えが趣味)。

たおやかで、慈愛に満ちていて。包み込むようなあたたかさを放っていらした。

お美しい。

少しでもそんな風に話ができたら、文が書けたら、と思います。

女性としても、大好きな白いバラや、白木蓮のように、いつかなれたら。

「基本、熱い女だからね」と、まわりに言われるような人間。

道のりは遠いですが、来年もカメの歩みで、自分のペースで、

揺れたり迷ったり、悩みながら、もがきながら成長できるよう、がんばりたい。

年明けの更新は、5日。もしくは8日から、の予定です。

来年もご覧いただけたら、嬉しいです。

皆様、よいお年をお迎えくださいませ!

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2006年12月 8日 (金)

フテブテシク、しぶとく

自分なりのスポットライト。

愛、夢、真心、信じる、思いやり。

などなど、誰もが素敵だと感じる言葉。

私も好きです。

でも、一般的に、あまり良い使われ方をしていない言葉にも、

結構いいのでは? と思う言葉があります。

捉える角度で、大事だなと感じたりします。

「足掻く」

悪足掻き、と「わる」がついて使われることが多い。

おおきなお世話でしょう。いいじゃない。素敵でしょう。

何かを必死にがんばるって。

「しぶとい」

大辞林によると、我慢強くへこたれない。ねばりづよくがんばる。

とあります。

またまた素敵。しぶといことはガッツなこと。

それだけ自分を、人生を大切に捉えていると言えるのでは。

「ふてぶてしい」

またまた大辞林によると、平然と図太く構えている。憎らしいほど、ずうずうしい。

ずうずうしいって、そんな…と思いますが、いいじゃない、図太く構えて、と。

そのほか、「したたかに」で書きましたが、したたか、も好き。

良いしたたかと、悪いしたたかがあると思うので。

良いしたたかは大切。

まあ、人に対してずうずうしくてはいけないけれど、自分と向き合うとき、

人生においては、必要で大切なこともあるのでは。

というわけで、フテブテシク、しぶとく、ジタバタと足掻いて生きていきたいと思っています。

と、言い訳したり。

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2006年11月28日 (火)

とか?

横浜帰り、東急東横線車内にて。

隣に座るハタチ前後とおぼしき青年。

携帯電話の着メロが鳴る。

「もしもしぃ? うん、うん」

話し始めるの?

聞くとはなしに、聞こえてくる会話。

「え?今?…自由が丘とか?」

自由が丘、とか。

とか?

急行との待ち合わせだったか、自由が丘に停車中。

明らかに自由が丘にいるわけです。

とかって、他にどこにいるわけ、と思ったらおかしくなって、

思わず笑いそうになる。失礼になるのでグッと堪えましたが。

日本語は、行間の素晴らしい言葉だと思います。

曖昧表現も好きです。

心豊かに生きるために、日常に文化は不可欠。

でも、きちっとはっきり言うべきものは、断定表現しないと。

メリハリがなくて、文化も活きない。

伝達事項も、曖昧をくせにすると、グダグダになる。

子供の頃、乱暴な言葉を使ったら、ものすごく怒られたので、

「大人で使っている人がいるじゃない」、と反抗したことがあります。

「土台ができていてシャレで使うのと、土台ができていなくて使うのとは意味が違う。

使い分けるって言うけど、土台がグダグダなら、使い分けてるつもりでも、

ごちゃ混ぜになるよ」

さらに、「そんなに使いたいなら、きれいな言葉を覚えることを諦めなさい。

恥をかきなさい」と一喝されました。

きれいな言葉は覚えたいなぁ、恥をかくのは嫌だなぁ。

ということで、土台作りをしようと反省しました。

今、オンとオフで言葉の切り替えをします。くだけた乱暴な言葉も使います。

たまにうっかり、きちんとしなければいけないときに、ポロッと雑な言葉になって、

「しまった!」と冷や汗をかくことも。

現代人が断定的にものを言わないのは、責任を負うことを恐れてのことだ、

と新聞か何かで読んだことがあります。

それが事実かどうかはわかりませんが、そこまで大きな話ではなく、

単純にくせではないかと。

もしくは、はじめからそういう言い方しか知らないのでは、という気がします。

「自由が丘、とか」のお兄さんも、場所くらい断定しようよ。

じゃないと、良い人かもしれないのに、見ず知らずの女に笑い堪えられちゃうよ。

なんて、大きなお世話なことを、車内で考えていました。

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2006年11月24日 (金)

太陽の言葉

夕べ、ニュースを見てショックでした。

作家の灰谷健次郎さんがお亡くなりになった、と。

高校生の頃に灰谷さんの本に出合い、以来ずっと大好きな作家。

尊敬する向田邦子さんも、灰谷さんも、ひとを見つめる眼差し、視点が温かい。

著書を通し、たくさんの私淑を受けました。

ひとは、たくさんのひと、出来事に生かされている。

そう教えてくれたのも、灰谷さんでした。

『太陽の子』という本がありますが、自然を愛し、ひとを愛し、

すべての子供たちを深く愛した灰谷さん。

彼が書き綴った話・言葉の数々は、「北風と太陽」のようなあたたかさをくれました。

太陽の言葉は、私はやっぱりひとが好きだなぁ、と気づかせてくれました。

迷ったり、揺れたり、行き詰ったときに、活力をくれました。

そして、たくさんの課題を与えてくれました。

今尚、課題の答えを探しています。

クリアするため、ジタバタ足掻くのを楽しんでいます。

最後に、以前も載せましたが、灰谷さんの本で出合った大好きな詩を載せておきます。

(この詩は、灰谷さんが書かれたものではなく、灰谷さんが出合った詩だそうです。)

ご冥福をお祈りして。

あなたの知らないところに

いろいろな人生がある

あなたの人生が

かけがえのないように

あなたの知らない人生も

また

かけがえない

人を愛するということは

知らない人生を知るということだ

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2006年11月14日 (火)

「どうぞ~」とお願い

余計なひと言は嫌だけれど。

人柄が表れた素敵なひと言は大歓迎。

わっ、ここでなぜ、こんな素敵なひと言が、気の利いたひと言が出せるの!

さらりと言えるの!

そういう嬉しいことに会えると、疲れていたり、イラッとしているときも、

嫌なことはどうでもよくなる。

ニコニコ口許が緩み、足が弾みます。

あまりに嬉しいと、人目がない場合、小躍りしちゃったり。

気づかないだけで人がいて、怪訝な顔をされて慌てたり。

先週行った中尊寺で、紅葉をバックに写真をと思い、

通りかかった方にシャッターを押してくださいとお願いしました。

撮り終えて、「ありがとうございました」とお礼を言い、カメラを受け取るとき、

撮ってくださった女性は手を合わせて「お願い」のポーズ。

ひと言「どうぞキレイに撮れていますように!」と仰ったのです。

「大丈夫かしら」「うまく撮れてるといいけど」

という言葉はよく聞きます。

私も、人にシャッターを押してと頼まれるたび、

上手に撮れたかな、大丈夫かなと思います。

「どうぞキレイに~」という真心。さらりと気持ちよく言える人柄。

たとえブレていたって構いません!

写真1枚より、キレイな気持ちに触れることができたことが嬉しい。

去っていく後ろ姿に、思わず手を合わせて

「素敵な出来事に出逢ってくださいね」と祈りました。

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2006年10月20日 (金)

キーワード

「言葉遊び、大好きでしょう」

知人に言われたことです。はい、大好きです。

文字は「あ」から始まり、50音しかないのに、

言葉はすべてを網羅することはできない。無限大!

覚えた言葉を理解したつもりになっていても、時が経つと、違う解釈を発見。

新しい感覚で向き合っていたりする。

飽きることがない。

19歳くらいの頃、「キーワード」という詩を書きました。

今、読み直してみると、物足りない。

19の自分は尊重しつつ、書き直したくてウズウズ。

考え直しながら、今の自分の心境、感覚を楽しみました。

「キーワード」

好きな言葉

温かさ 強さ 潔さ 図太さ

笑顔 真心 良識 感謝 聡明

一期一会 大胆素敵 楽天性

粋 愛 美 大人 祈り 誇り 貫く

思いやり しなやか 凛々しい かっこつける

信じる 足掻く ありがとう プロセス

切ない 自律 美学 未完成 距離感

I love my life     to you

嫌いな言葉

戦争 権力 暴力 束縛 優劣 強制

常識 迎合 主従 徒党 傲慢 見返り

マニュアル ノリ ヤバイ カリスマ

勝ち負け 易しさ 事なかれ主義

勝てば官軍 だから(例…世の中そういうものだから)

give me  決めつけ 唯我独尊 無関心

好きでこうありたいと願う言葉

どれだけ近づくことができているだろう

どれだけ大切にできているだろう

嫌いでこうありたくないと思う言葉

うっかり受けとめたりしていないだろうか

どちらも時々再確認して

私が私らしく生きていられるよう

心に留めて自覚していたい

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2006年10月19日 (木)

許せないことと、ひとの可能性

今日は、少々表現がきつくなります。お許しくださいませ。

朝も夜も、ニュースを見れば、殺人事件。

新聞も暴力、殺人。

しかも、ビックリするような動機。

もちろん、どのような動機でも、絶対してはならないことですが。

「ムシャクシャしてたから」 「頭にきたから」

「カッとなって、つい」 「気に入らないから」

というような、わけのわからない動機群。

もはや異常事態。

あまりに殺人が起こりすぎている。

世界では、今尚、「戦争」という決してあってはならないことが、絶えることなく続いている。

日常を破壊されているひとがいる。命を奪われているひとがいる。

罪なき子供たちが、劣化ウラン弾や地雷によって、どんな状態を背負わされているか、

苦しみ続けているか。

映像はニュースで流されている。さまざまな媒体で、情報は得られる。

意識を持てば、知ることは出来る。

「死ね」と言うひとがいる。たくさんいる。

当たり前のように、たやすく使う。

怒りを覚えます。

「死ぬ」ということがどういうことか、いっさいわかっていないとしか思えない。

裏を返せば、「生きる」ということもわかっていないのでは。

「いきる」は、生きると書く他に、「活きる」とも書きます。

自分を、人生の時間を活かして生きたい。

誰もが願うことですよね。

ひとの命を、人生を奪うひと。「死ね」って吐くひとたちは、

世の流れに乗っていれば、なんとなくそれなりに楽しく過ごせる。

特にあれこれ考えなくても、うまくやっていければいいや。

そんな感覚なのではないでしょうか。

病気や貧困に苦しむ。自分の時間を活かして生きることが出来ないことの痛みを、

知らないのでは。

自身のことでも、周りのひとのことでも、絶望というものを感じたことが、

ないのではないでしょうか。

少しでも感じたことがあるなら、「死ね」なんて言えないはず。

しかし、ならば、病気なり貧困なり、その立場にならないと、理解出来ないのか。

そんなことはないはず。

ひとには想像力があります。あとはそれを使おうと思うかどうか。

想像力を使えば、相手の立場に思いを馳せ、考え、理解しようとする。

一人ひとりが少し、ひとに、「命」というものに想像力を使えば、

安易に「死ね」と言えなくなるのでは。

そういう環境を作り出すことが出来るのでは。

暴力や殺人を、減らすことが出来るのでは。

可能性はある。そう信じたいです。

そういう私も、まだまだ未熟な発展途上人。

腹が立つこともあります。思いやりのない、あたたかさのないひとに出くわすと、

「ひっぱたいてやりたい!」と思ってしまうこともあります。

「力という、そんな方法しか見つからない程、幼くありたくない」

なにかの本で読んだ言葉です。

もっとたくさん思考しよう。想像力を磨いて、おとなでありたい。

そう思う日々です。

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2006年10月 6日 (金)

秋の声

いいもの発見。

昨日、パソコンのトラブルを解決していただいてから、本屋に寄りました。

店内を行ったり来たり。あれこれと気になるものをチェック。

そして出合いました。

『季節のことば辞典』という本です。

この本は、四季のあらゆることがわかりやすく分けられており、

読みやすくて、なかなかおもしろそうです。

浮かれ気分で帰宅。昨夜からさっそく読み出しました。

順を追って読みたいところですが、今は秋。

春から読むと……。

秋まで待ちきれないので、秋の章からスタート。

その中に、「秋の声」というものがあります。

秋の声→もの悲しい秋の風情を感じさせる音。風の音など。

という説明。

風の音。

それはたんに、音だけのことではなく、匂いや肌触りを含めたものかもしれない。

秋の声。

空からも、海や川からも、大地からも、風に乗ってきているのかもしれない。

日常は、自然以外の音で溢れている。

時として「ノイズ」と言えるかもしれない。いや、生活音に慣れすぎて、

自然の声を聴くことを遠ざけてしまっているのかもしれない。

味気ないことをしている気になりました。

日本に生まれ、日本で生きているのに、四季について知らないことが多い。

今、五感をしっかり使って、秋の声を聴きたい。

そして、四季折々の日本を感じて生きていけるよう、

じっくりいろんなことを知っていきたいと思います。

まずは『季節のことば辞典』を読みふけります。

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2006年10月 3日 (火)

裾か福か

お裾分け…もらった物や利益の一部をわけて人に与えること。

辞書にはそう書いてあります。

この言葉には、「お福分け」という言い方もあります。

別の言い方ということは、「お裾分け」と「お福分け」は、

同じ意味ということになります。

意味が、「人に分け与えること」ということは、あげる側がいう言葉。

例えば、

「この柿、実家から届いたものなんですけど、たくさんあるので、

お裾分けで…、どうぞ召し上がってください」という感じで。

そのような使い方で、私も覚えていました。

しかし、このような場合に使うのは、「お福分け」。

「お裾分け」は分けてもらった側が使うのが本来のところのようです。

「○○さんからのお裾分けの柿です」という風に。

このことを学んだとき、日本語って素敵だな、としみじみ思いました。

自分に恵まれた「福」を誰かと分け合おうという気持ちで、「お福分け」。

誰かに訪れた「福」。

その福の裾を分けて頂いたことを、「お裾分け」と言うことで、

謙虚な気持ちを表している。

一字違えることで、なんだか気持ちが和らぐ気がしませんか?

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2006年9月28日 (木)

本のお供

「何か本貸して」「おススメない?」

友達にそう言われて、3冊貸したのですが、一瞬ためらいました。

私が読んだ本はキレイじゃないんです。

グシャグシャにしているわけでも、シミをつけているわけでもありません。

本に書き込みをするので、ページを開いたときに、すっきりしていないんです。

何か感じるものがある箇所、気になるフレーズ、ためになる話などの部分に線を引く。

意味のわからない言葉、あいまいに把握している言葉は、グルッと○で囲んでおく。

後で辞書を引いて確かめる。

そういうページは、ここに線か○があるとわかるように、

ページの端をチョコンと折っておく。

それが1冊につきとても多いので、本全体がスマートではなくなり、バサバサしている。

こんな感じでゴチャゴチャしていて、線だの、○だの、折り目だのがあって、

読みにくいかもしれない。うっとうしいかもしれない。

一応、貸す前に本を見せて「汚いでしょう、これでもいい?」と確認。

友達はおおらかな人なので、「全然問題ない。大丈夫、気になんないから」

と言うので貸しました。

そんなアンダーラインマニア? な私の、読書のお供はシャーペン。

いつでもどこでも本とセットのシャーペン。

時々うっかり忘れると、慌てます。

仕方がないので折り目だけつけておく。

後でページを開いたとき、キレイなのですが、

感じることがその瞬間瞬間なので、何に線を引きたかったのか、

わからないことがあります。

そんなときは、「縁」を逃したな、と悔しくなります。

水色が大好きなので、シャーペンは水色で、手にしっくりくるものだけ! 

と、決めているので、お気に入りの1本をどこででも使いまわしています。

あちこちを移動するシャーペン。ちょっと不便。

そろそろもう1本、手に馴染むものを探そうかと思います。

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2006年9月20日 (水)

迷子のカメ子、救いの手

渋谷が苦手です。

必ず、迷うので。

用がないと行きません。

1度、渋谷公会堂へ行くのに迷ったことがあります。

駅で出口を確認。地図も確認、したはずなのに。

考え事をしながら歩いていて、気づくと住宅街。

たぶん、いや間違いなくここに渋谷公会堂はないよね。

6時半開演のライブ。時計を見ると6時10分。

慌てます。

通りかかった女性に道を尋ねます。

「すみません。渋谷公会堂へはどう行ったら…」

と言うと、不思議そうな顔で

「渋谷公会堂? ここ渋谷ではありませんよ」と仰る。

渋谷じゃない? 渋谷で降りましたよ?

あっけにとられる私に、

「わたくし、これから渋谷に参りますから、よかったらご一緒に。駅すぐそこですから」

駅がすぐそこ? 渋谷に行く? ここはどこ?

ありがたいお言葉に、ご一緒させていただきました。

駅までの道すがら、おしゃべり。

私「ありがとうございます。渋谷ってどうしても迷ってしまって…」

女性「渋谷も変わってしまいましたからね。わたくしなどは地元ですから

   わかりますけれど、入り組んでしまいましたから…」

時間が気になり前傾姿勢でしたが、「わたくし」で始まるきれいな語り口。

自然と姿勢を正してしまいました。

ついた駅は井の頭線の神泉駅。ちょっと寄り道がすぎました。

切符を買ってホームへの移動。電車待ちの間や車内で、

「駅に着いたらまっすぐに進んでエスカレーターで降りて……」と、

公会堂までの道順を説明してくださいました。

渋谷に着く直前にお礼を言い、さあ、走るぞ! と準備。

ドアが開きかけたところで、女性はにこやかに、

「楽しい時間を」と言ってくださいました。もう一度ペコッと頭を下げ、

全速力で公会堂へ向かいました。

走りながら、迷いすぎの自分に呆れました。

そして、助けてくださった女性。

あんな素敵な大人になりたいな~と思いました。

到着したのは、6時45分。

幸い、開演が遅れていて、ギリギリセーフでした。

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2006年9月15日 (金)

願い事

すっかり秋ですね。

自然あり放題の家の周りでは、そこここから虫の声。

虫。苦手ですが、秋に聞く声はいいですね。

大好きな秋を満喫する気分が高まってきています。

今日は短めに、五行詩を。

「願い事」

願い事は

願ったら叶うのではなく

そこから始まる

そこから始める

自分への誓い

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2006年8月31日 (木)

ええっ! 阿弥陀如来が?

机の中にしまってある大吉のおみくじ。

なんとなく見ていて「観音」の文字に目がとまり、思いだしたこと。

去年の秋、立山のアルペンルートに紅葉を堪能しに行きました。

車の免許がないので、個人で行くと山は大変。

ということで、ツアーで行きました。

さて、観光バスのガイドさんは、その土地土地のエピソードをお話されますよね。

その日のガイドさんは、立山の歴史を話してくれました。

立山の開山について。

立山には佐伯さんという名字の方が多いそうですが、この地を開拓したのが、

佐伯という方だったからなのだそうです。

その昔、佐伯少年は父の大事な鷹を逃がしてしまい、後を追う。

鷹は逃がしてしまったが、熊に出くわす。

熊に一矢報いたが逃げていく。

さらに後を追っていくと、熊に刺さったのと同じ場所に矢の刺さった阿弥陀如来の姿が。

その阿弥陀様にこの地を開拓するように言われ、実行したのだそう。

おもしろいなぁと興味深く聞いていると、彼女は話の締めに入る。

「え~、こうしてですね、佐伯少年は、熊に化けた阿弥陀如来におびき寄せられ

この地を開拓することになったのです」

!!!

私以外、誰も無反応で笑わない。

大笑いすると失礼なので、身をかがめて声を出さずに笑ってしまいました。

ハタチの女の子の手にかかると、阿弥陀如来様は姿を変えてお導きに

なったのではなく、化けておびき寄せたことになるのですね。

新鮮な衝撃でした。

電車内で聞こえてくる女子高生の会話も、言葉の選択、表現に驚くことが

しばしばですが、「おびき寄せ」はクリーンヒット。

基本的には物事、TPOにあった的確で美しい表現、言葉、話し方をするべき。

その土台をしっかりつくって身につけるべき。そう思います。

しかし、基本さえ踏まえていれば、時にはガイドさんのように(いえ、彼女は

ホントにおびき寄せたという認識なのでしょうが)、外した表現を使ってみるのも、

和むかもしれない。

言葉に関して探究心を少々くすぐられました。

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2006年8月30日 (水)

一生モノのおしゃれ

故・向田邦子さんが、著書の中で仰っていたこと。

ことばのお洒落は、ファッションのように遠目で人を引きつけはしない。

無料で手に入る最高のアクセサリーである。流行もなく、一生使える

お得な「品」である。ただし、どこのブティックをのぞいても売ってはいない

から、身につけるには努力がいる。(夜中の薔薇「ことばのお洒落」より)

子どものころから、ことばに関しては厳しく言われてきました。

ちいさなうちは、いちいち細かく指摘されることをわずらわしく思っていました。

しかし、習慣か、刷り込みか。いつの間にか、ことば、話し方に対して強く

興味を持つ自分に気づく。

美しい話し方の人に出会うと聞き入る。

使うことば。間。話し方。声の表情。トーン。

そして、「ことばのお洒落」に出合い、ズドーンと嬉しい衝撃。

素敵なことばは「おしゃれ」なんだ!

スーパーモデルのようなスタイルにはなれない。

高級品や、山ほどのファッションアイテムを持つことはできない。

でも、自分次第で1級品を持つことができる。

じっくりじっくり自分の中に取り入れて身につければ、

「一生モノ」。

目ではなく、耳で引きつけるおしゃれ。

流行りすたりがない。

一朝一夕には無理でも、誰でもことばのスーパーモデルにはなることが可能。

この事実を知ってから、より一層、ことばの世界が好きになりました。

8月22日は向田邦子さんの命日でした。

久しぶりに本棚の奥から著書を何冊も引っ張り出し、読んでいます。

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2006年8月25日 (金)

近距離!

朝方のこと。

ものすごく近距離で、ツクツクボウシの声。

虫という虫すべて、ものすごく苦手。

あまりに近距離の鳴き声に、ガバッと起きました。

まさか、部屋の中に!?

夜、雨戸を閉めるときにでも侵入した?

いや、だったら夜のうちにわかる。

鳴き声は、どうやら雨戸のついていない小窓付近。

おそるおそる近づいて、そっとカーテンを開けると、

窓の外に張り付いて鳴いていました。

おおっ! とのけぞりましたが、待つだけ待って、

短い命を懸命に生きているのに、邪魔しては悪い。

驚かさないように、そっとカーテンを閉めました。

昨日の話の続きのようになりましたが、

パート2ということで、ゆく夏へと、くる秋へ。

生まれてはじめての俳句。一句ずつ。

温暖化 涼しくなれと 打ち水を

法師蝉 儚きいのち 燃ゆる声

お粗末でした。

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2006年8月 7日 (月)

そろそろ冬眠を終えてもらって

うさぎグッズ、ハンカチ、オルゴール、食器など。

少しずつ集めているコレクション。

考え考え、ゆっくり増やしていけたらと思っています。

ひとつだけ、衝動買いしてしまうコレクションが。

便箋。

手紙が好きなので。

哀しいかな、現代は公私の別なく電話、メールが多い。

便箋たちの出番は少ない。

それでも、何軒かちょこちょこと立ち寄る店があり、新しい便箋が入っているかチェック。

ピンとくるものはパッと買ってしまう。

春夏秋冬。季節のものを買うたびに、四季っていいなぁと感じます。

気軽に書ける葉書にも、素敵なものがたくさんあるし、一筆箋もいい。

数行の短い手紙は、好きな色の折り紙を買ってきて、花形の小皿を模って、

便箋にすることもあります。

買う量に比べて出番が少ないので、長らく冬眠中のものも多い。

手紙文化、復活してほしい。

と、受身でいましたが、自分からコツコツ、手紙キャンペーンをしていこうと思います。

また、いろいろ計画中なので、来年には眠りを覚まして活躍してもらえそう。

手紙は、時候の挨拶、相手との関係や用件によって、前文、末文を考えるのも楽しい。

ちなみに、結語は女性の場合、「かしこ」が多く使われますが、一般的な手紙なら、

やわらかく終えられるように「ごめんくださいませ」を使うのが好きです。

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2006年8月 3日 (木)

コンプレックスは!

チャームポイントにしてしまいなさい!

以前、ドーンと落ち込んでいたときに、ある方からいただいたお手紙に

書かれていた言葉です。

このコンプレックスとは見た目の話ではなく、気持ちの問題などいろいろですが。

とってもありがたいのですが、当時はそう言われても、と素直に受け取れませんでした。

ああ、もったいない!

その手紙には、「コンプレックスをチャームポイントにできたとき、コンプレックス

が幸せを教えてくれるはず」とも書かれていました。

さて、これは見た目の話ですが、私の両手の小指は生まれつきギューンと

カーブしています。絶対まっすぐにならない。

コップを持つとき、立てたくもないのに勝手に小指が立つ。

人にそれを指摘されるのも嫌でした。

また、正式に調べていませんが、神経がうまく伝わっていないようで、

手話の勉強をしようとしたときも、思うように動かない。

手話の基礎もうまく動かせない。

手自体は平均的なサイズだと思いますが、カーブした小指だけはちいさい。

手を好きになれない。コンプレックスでした。

それも悔しいので、少しでも好きになろうと、ピンキーリングを買って

小指と仲良くしようと考えました。

商品棚の1番小さいサイズが3号。ゆるい。

店員さんにお願いして倉庫から1号を出してもらう。

少しゆるい気がするけれど振ってみても落ちない。

これ以上だと0号を特注しかないとのこと。1号購入。

お店で試したときは大丈夫でしたが、ときどきスルッと落ちるのは

困りますが、今もつけています。

そんな努力あってか、今は手紙の言葉を受け入れられるようになりました。

以前は指を人に見られたくなくて、手を引っ込めがちだったので、

懺悔を込めて、お風呂でセッセとマッサージして可愛がっています。

今のところ、指から幸せを教えられてはいませんが、何を発見できるのか、

ワクワクしています。

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2006年8月 2日 (水)

ご冥福をお祈りして

ウェルカムエイジングをテーマに書こうと思っていましたが、予定を変更して。

社会学者の鶴見和子さんがお亡くなりになりました。

去年、母が購入した「クロワッサン」に鶴見さんのインタビューが掲載されていました。

その号は、素敵な大人の女性のインタビュー満載だったので、1冊もらってしまいました。

すばらしい記事なので書きたいことが山とあるのですが、2つほど抜粋。

人間は自然の一部なのだから、人間が自然を破壊することは、人間が

    自分で自分を滅ぼすこと

世界規模であらゆることが危機的状況にある現在。無関係な人は誰もいない。

しっかり担っていかなかればいけないことだと思います。

広島、長崎に緑は戻り、人は生活を始めた。が、それは元とは同じではない。

   違った形で蘇るの。「回生」するんです。回復と回生は違うの

これは戦争があってはならないという話で語られたものです。

とても勉強になりました。

ここから少し話が逸れますが、「回生と回復」と聞いて思ったこと。

人は何度でもやり直すことができる。今の自分を良しとしなければ、

自分次第でいくらでも違う自分へと変えていける。

それは新たな時間を積んでいくこと。

過去がなかったことになるわけではない。

過去から変わっても、過去が変わるわけではない。

嫌なことがあっても、絶望してもエネルギーを貯めて復活して

「さあ、ここからがんばるか!」

というリスタートは大好き。

気に入らないこと(もの)はなかったことに。

最近、ニュースで見るような「リセット」と称してすべてを壊すなんて許せない!

良かろうと悪かろうと、確かに自分の時間は進んでいく。

嫌なことや悲しいことがいっぱいある。

だから、

いいことが光るし、生きていく甲斐がある。そう思います。

最後に鶴見さんのお言葉をもう1つ。

「何事も、それぞれの事例について自分で判断しなきゃだめよ」

もっと見て、聞いて、考えて、判断力を鍛えていきたいです。

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2006年8月 1日 (火)

内緒!

「そんなこと言って誰がハッピーになるわけ?」

田村正和さんがドラマの中でおっしゃった言葉。

テレビの前で拍手。まったくその通り。

言って何の意味があるの? というようなことを言う人が苦手です。

キツイ、厳しい言い方でも、そこに愛情があり、導いてくれる言葉はありがたい。

また、楽しくないことでも、相手のためになることや、自分の誇りを守るためなら

話さなければならない。

でも、そうじゃなければ胸に収めるべきでは。

相手が話したそうだったり、話してきたら聞きますが、言わないなら聞きません。

距離感は人間関係を保つ鉄則だと思うので。

ちいさな子は言っていいことと悪いことの判断力がまだないから、

大人が教えればいい。

大人にそれをやられると辛い。ダメだと言ってもそうそう変えないから。

人を見下す発言。ののしり発言。悪口。噂話などを言う人は、共通して

イキイキと楽しそうに話す。

知り合いに、なんでも知りたがる噂大好きな女性がいました。

バッタリ出くわしたとき、グイグイ迫って立て続けの質問。

私のことだけではなく、誰々はどうしてる? どうなの? 知ってる?

サラリとうまくあしらえたらよかったのですが、当時の私にその技術も

余裕もない。

あと1分もその場にいたら「お願い、黙って」といってしまいそうだったので、

あまりスマートな方法ではありませんが、自分の口に人差し指をあて、

笑顔をつくって「内緒!」とだけ言って走って逃げました。

以来、なんだか吹っ切れて、ハッピーにならない言葉に対しては距離をとり、

無になることを覚えました。

願わくば、アンハッピーな言葉をひとが使わなくなれば、と思います。

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2006年7月28日 (金)

曖昧 あいまい アイマイ

年齢によるものでしょうか。

それとも単に、もともとの性質が出てきたのか。

今年に入ってからとても気持ちが軽い。

日々が楽しい。

何か、特別いいことがあるわけではない。

何もかもがうまくいっているわけではない。

むしろうまく回転していないことの方が多い。

シビアな壁が続々登場。

それでも楽しめているような気がする。

原因は何か。

突き詰める必要はないのですが、なんとなくこれかしら、と思ったことを書きました。

「確信犯」

何にでも答えが欲しかった

答えがないと気がすまない

いつの頃からだろう

驚くほどたくさん 答えのないことがある

答えの出せないことがある

なんとなくそれがわかってきた

「白黒はっきり」と考えていた頃 とても焦っていた

モヤモヤ 消化不良が溜まっていく気持ち悪さ 持て余していた

溜まりに溜まって溢れたとき 

フッとおもしろいと感じた

「曖昧」を楽しめるようになってきた

白 黒 の間に山ほど色がある

曖昧 あいまい アイマイ

確信犯で迷子になり

モヤモヤは フワフワに

消化不良は 引き出しに

気持ち悪さは 切なくも不思議な「充実」に変わる

イライラ悩んだご褒美

このまましばらく迷子を続けたら

もっと しなやかに生きていけるかしら?

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2006年7月26日 (水)

ちょっと分解

聡明。

辞書で引くと、

「理解力、判断力がすぐれていること(さま)。かしこいこと(さま)」

とある。

理知的で、背筋がピンと伸びた頭のキレるクールなひと。

そういうイメージを持っていました。

じーっと、じーっと「聡明」という字を見る。

ちょっと分解。

「聡」→公の下にある心に、耳が寄り添う。

「明」→日(太陽)と月、の明かり。

辞書をもう一度見ると、はじめに

「耳がよく聞こえ、目がよく見える意」とある。

噂が当てにならないように、自分でよく聞いて、よく見て、

感じたことをよく考える。

それを幾年もくり返しながら、理解力や判断力が身につく。

積み重ねた時間が表に出ない部分を汲み取って、光を照らす能力になる

ということでは。

もっとよく聞け、もっとよく見ろ、よく考えろ、と。

段々、クールではなく、スポコンな文字に見えてくる。

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