2010年11月30日 (火)

まずは心に栄養を

ネガティブな言葉をポジティブな言葉に。

使う言葉ひとつが心に与える影響はバカにならない。

少し前にお話しましたが、アンチエイジングを否定し、

対極としてのウェルカムエイジングではないです。

対決的な意識はありません。

ひとの魅力の選択肢を増やすために、毎年積み重ねる歳を「ウェルカム」するのも、

ひとつのあり方だと思うのです。

歳月により失うものがいくつもある裏側には、

歳月により生まれ育まれるものがいくつもある。

それを活用しないのは、もったいない。

歳月がもたらしてくれるものを活かすために、

進歩し続けるエイジングケアで、健康を大切にする。

それと共に、身体へのエイジングケアと並行して、心にも栄養を注ぎたい。

そのひとつとして、言葉を使いたい。

どうするのか→エイジングケアを楽しい表現にしてみる。

しなやかに軽やかに身体を動かすためには、柔軟な身体のほうがいい。

身体は冷えていると動きが硬くなるので、身体を温めてやわらかくする。

心も同じでは。

そう思い、エイジングケアに関しても、身構える言い方で硬くせず、

楽しい表現で心を温め、やわらかくしたい。

そうすれば、エイジングケアにもよい効果が出やすいのではないかと。

心に栄養を注いで行なうエイジングケアは、

日々の暮らし、ひいては人生を豊かなものにできる力があると考えます。

ならば、エイジングケアも、歳を積み重ねていくことも、歓迎したい!

ということで、ウェルカムエイジングと呼ぶようになりました。

次回は、ウェルカムエイジングとした意味を、もう少し具体的にお話します。

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2010年11月22日 (月)

たかが言葉、されど言葉

歳をとる→歳を重ねる、歳を纏う

もう○○歳→やっと○○歳

など、ネガティブな言葉はポジティブな表現にしてみる。

マナーでも、人を傷つけない表現をすることが大切。

背が低い人→小柄な人

ケチ→倹約家

太っている人→恰幅のよい人

などの言い方が印象を和らげます。

たかが言葉、されど言葉。

あれやこれやと言い方を変えてみる。

ただそれだけのことが心に与える影響は、意外に強いように思います。

ひとは言語を使って生きている。

たかが言葉ひとつで、気力を削ぐこともあれば、やる気にもなる。

悲しくもなれば、明るくもなる。

怒りを覚えることもあれば、嬉しいこともある。

心がすり減ることもあれば、心が満たされることもある。

使う言葉によって、ひとを致命的に追い込むこともあれば、救うこともある。

せっかくなら、活力ある言葉を使うほうがいい。

例えば10キロ先まで歩くとき、「まだ5キロもある」と言うか、

「もう5キロ歩いてきた」と言うかで、心への影響は違うと思います。

まだ5キロもあると考えるのと、もう5キロは歩いた(5キロは終了している)と考えるかで、

足取りの軽やかさに違いが出るのでは。

心に効果的な表現のほうが絶対にいい!

活力を生む言葉を使って自分を活かしたい。そして、

ひとは人と人の間で生きている以上、コミュニケーションは重要。

ひとに対して、思いやりを持ち、活力ある言葉、あたたかい表現が出来れば。

みんなが実行すれば、よいコミュニケーションの輪が広がるのではないでしょうか。

思いやりやコミュニケーションなど、話がマナーとfor you楽のほうへ流れました。

次回、ウェルカムエイジングでの言葉に話を戻します。

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2010年10月17日 (日)

学んで、心得て、好いコミュニケーション希望

これからお話していくなかで、「心得」という言葉をたびたび使用します。

心得→辞書によると、

☆技術・技芸などを習い修得していること。たしなみ。

☆何か事に当たる場合に、わきまえておくべき事柄。

☆気持ち、考え方。

また、心得るは、

☆ある物事について、こうであると理解する。わかる。

☆事情を十分知った上で、引き受ける。承知する。

☆すっかり身についている。

☆気をつける。用心する。

とあります。

もちろん、これらの意味で使うのですが、

「心得」という漢字から私が感じたことを含めての使用です。

ということで、心得という言葉について私が感じ、考えたことは。

以前、「ルールはこころ!」という記事で書いたのですが、改めて。

何かを学ぶ、身につけることは“心得る”という。

心を得る。

何かを教えてくれた人の心を得る。関わった人の心を得る。

学んだ物事に対しての、自分の新たな心を得る。

それが生きていく上で、すべてにおいての意義であり、要なのではと書きました。

理解する、身につけるなど学び修めることの裏側に、

心という字を使っている理由があるように思うのです。

自分の心。関わる人の心。

知る物事・自分に起こる物事など現象の心(意味)。

それらの心を得ることの大事。

また、人の心は、相手をよく見て気持ちや状況を察し考えなければ得られない。

相手のことを考え、察する努力をする。

これは辞書にあるとおり、理解すること、わきまえることを示しており、

コミュニケーションにおいて大事な基本。人間関係のたしなみ。

つまり、心得には、

①コミュニケーションにおいて“察する”ことの大事。

②どんなことにも“心”があり、それを得ていく面白さ、味わい。

という意味があるのでは、と解釈。

ということで、このブログで使う心得という言葉は、

通常の意味に、「察すること」「心を得ること」の2つの意味を含みます。

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2008年11月 6日 (木)

秋の夜長に

就寝前に何か本が読みたい。

小説を読むと、おもしろければ読みいってしまう。

キリのいいところまで、と思っても、一体どこでキリがいいと思えるのか。

眠る前は、気軽に読めるものがいい。

だから、リラックスして読めるものを選ぶようにしています。

ここ数日は、何年も前に古本屋で買った、

「名言名句の辞典」をふと思い出し、読み返し中。

辞典だから、順を追って読む必要はないし、

パラパラと気ままに読みたい箇所を遊べるところがいい。

この辞典では、作家、詩人、思想家、哲学者、歌人、俳人など、

様々な人の言葉、作品中の言葉が解釈・解説付きで紹介されています。

辞典中の「人生というもの」というくくりの章にあった言葉。

人生を幸福にするためには、日常の瑣事を愛さなければならぬ

芥川龍之介「侏儒の言葉」より引用。

日常の何気ないこと。些細なこと。日々過ごす時間。

それが大切! だと思っているので、嬉しくなってリラックス度が増し、

やや眠気がやってくる。

その後2ページ読んだところで、そろそろ眠るかなと思いながら、

次のページをめくったところで、目に入った言葉。

人生は、どうせ一幕のお芝居なんだから。

あたしは、その中でできるだけいい役を演じたいの

寺山修司「毛皮のマリー」より引用。

眠気が訪れていた頭で、なるほどなぁとぼんやり思う。

なにも世の中でいい位置にいきたいのではなく、人より優位ということでもない。

自分の人生のなかで。自分の“人生という劇場”での話。

できるだけいい人生を生きたいと願う気持ちは、誰のなかにもあるはず。

私の人生のなかで、できるだけいい“役”を演じたいと願います。

例えばお芝居が5幕構成だとしたら、1幕2幕が悲しい役や辛い役だとしても、

5幕が寂しいものだとしても、3幕4幕をいい役で、いいものにしたい。

なんていう風に。

日常が、些細なことが大切

人生の芝居でいい役を演じたい

どちらも真理だなぁ。

おもしろいなぁ……なんて考えながら、ウトウトと眠りについた秋の夜長でした。

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2008年10月 6日 (月)

時々

野菜や果物は時期を問わずに口に入る昨今だが、

あの芳香は季節の記憶をよびさます。

キンモクセイの香りを味わったときのことを綴った、新聞記者の言葉です。

この記事を読んで、キンモクセイの香りを思うと同時に、

「あの芳香は季節の記憶をよびさます」という言葉に共感。

四季折々の自然は、季節を感じさせてくれる。

時が経てば姿を消してしまう、時季限定で出合える自然。

また次の“時季”を待たなければならない。

だからこそ、また出合いたくなるし、再会したときの喜び、幸せを得られる。

梅、ミモザ、白木蓮、桜、紫陽花、ひまわりなどの花。

清々しい気持ちをくれる新緑。

寒さ厳しい冬に佇む裸木が醸し出す潔さと寂寥は、

気持ちの居住まいを正してくれる。

改めてそんなことを考え、季節の偉大さ、四季がある幸せを思います。

そして、“時季”を“時々”という言葉に置き換えてみる。

「時々」は、生きる中で、メリハリを利かす大事なことかもしれない。

時々出合える舞台、映画、絵画、写真などなど。

時々行ける旅行。

時々できる、ちょっとフンパツした外食。

時々(極まれに?)できる思いきった買い物。

それから、時々より難しい(なかなかめぐり逢えない)ご縁。

みな、時々だからいい。

容易くないからいい。容易くないほどいい、のかもしれない。

時々があるから、てんこ盛りのままならないことも、受けとめることができる。

物には必ず“裏”がある。

時々があるから、裏側の毎日にいろいろなことを発見できる。

大切にしなければと気づける。

小さな幸せで笑うことができる、気がする。

表と裏の両方に、生きている喜びがある。

そう思えば、時々さまさま。

目下、時々の紅葉が見たい。どこかで見られるかしら。

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2008年9月23日 (火)

実りの秋に向けて

二十四節気。

中国から伝わった季節を分ける太陽暦の暦上の点。

1年の暦を24に分けており、その時々の時候にあわせて名前がつけられている。

例えば立春も二十四節気の1つで、2月4日頃をさす。

しかし、春とついていても、まだまだ凍てつくような寒さ。

春は遠い…、というように、今の季節で考えればずれてしまっている。

それでも、四季を感じる言葉は趣があって好きです。

春の二十四節気の、

雨水…水がぬるみ、草木の芽が出始める。立春から15日目。

清明…万物清く陽気になる時期。4月5日頃。

春らしく温かみがあっていい。

秋の二十四節気には、

白露…草木の露が白珠のように輝き、秋らしい気配がしてくる。9月7日頃。

秋分…彼岸の中日。昼と夜の長さが同じである。この日を境に夜が長くなる。

    9月23日頃。

などがある。夏の暑さが薄らいでいき、秋が深まっていく移ろいを感じられて好きです。

明日は秋分の日。秋本番といったところでしょうか。

大好きな秋を充実させ、しっかり満喫したい。実り多きときにしたい。

まずはまだきっちりできていない衣替えをして、秋準備万端にしたいと思います。

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2008年9月10日 (水)

連想ゲーム

電車に揺られ、ぼんやり見た中吊り広告。

パッと目にとまった文字、「上昇志向」。

好きではない言葉。

なんとなく、じーっと見つめる。

上昇志向、上昇志向、上昇……。

一文字換えて、「上質志向」だったらわかるなぁ。

上昇志向→上質志向。

頭の中の連想ゲームに納得。

再びぼんやり電車に揺られる。

窓の外を眺めながら、しばらくして再び連想。

上質より、良質のほうがいいなぁ。

意味は同じ。あとは気分の問題だけれど、良質のほうがいいなぁ。

上昇志向→上質志向→良質志向。

連想ゲームが完結。気分がすっきりしたところで、

……、そもそも一体何が上昇志向だったのか。

パッと中吊り広告へ視線を戻す。

政治家の話でした。

フーッ。

良質政治が行われることを願います。

金曜日の更新は休みます。

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2008年9月 6日 (土)

いただきます

自分でお金を払って食べるのに、「いただきます」、「ごちそうさま」って。

あれは間違ってる。

という発言を聞いてあっ気にとられたことがあります。

その人の言い分だと、自分で作る食事も、

「いただきます」、「ごちそうさま」は不必要ということになる。

食事の「いただきます」、「ごちそうさま」は、

別にご馳走になったときだけのことではなく、もっと根本的なこと。

いただきますは、生命の命をいただいて生きていることへの感謝。

ごちそうさまは、料理を作ってくれた人への感謝の気持ちを表すもの。

どちらも感謝の気持ちを持つ大切な言葉。

自分で作る食事でも、食材があるからこそ、料理をして食べることが出来る。

そうして生きている日々に感謝をこめて「いただきます」、「ごちそうさま」。

食文化に欠かせない基本軸の1つ。

大切にしたい習慣です。

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2008年8月 8日 (金)

残暑お見舞い申し上げます

昨日が立秋。

夏の便りが立秋を境に、

「暑中お見舞い」から「残暑お見舞い」になる。

暦の上では立秋を過ぎて残暑。

残っている暑さというより、今がピークのような気がする。

夏が終りに近づいているというより、真っ盛りのような気がする。

立秋と言われてもピンとこない。

昔の暦だから今に合っていない。

子供の頃、いえ、つい最近までそう思っていました。

7月、暑い季節になったから、

「暑い中、お見舞い申し上げます」だから、暑中お見舞い。

まだまだ暑さのスタートだから、暑い中、元気で過ごしてほしい。

どうぞお身体を大切に。

という相手への気遣いの心を込めて「暑中お見舞い」。

8月、暑さの勢いが増す。まだまだ暑い日が続く。

ということは、暑中ということになる。

けれど、最も暑いからこそ、“暑中”とするより、“残暑”としたほうが、

「暑さ寒さも彼岸までって言うし、暑さも残り少しかな。

もうすぐ秋の声も聞こえてくるかな」

便りを見てそんな風に感じられて、一時の涼を得られるような気がする。

昔の人は、もしかしたら、そういう願いを込めて、立秋を過ぎたら、

残暑、としたのかもしれない。

季節の便りはよくできているものですね。

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2008年7月16日 (水)

言葉遣い

丁寧に表現したつもりで、間違えやすい言葉。

「とんでもない」

褒められたときに、謙遜して使われます。

「褒められたから謙遜して、“とんでもございません”って言ったら、

一瞬微妙な顔されたんだけど、何か変?」

と、知人に尋ねられました。

「とんでもない」で、1つの言葉なので、

「とんでもございません」としてしまうのは間違い。

この場合、「とんでもないことでございます」が正しい表現。

ただ、「とんでもないことでございます」と言えば間違いなくて、

それでOKというより、伝え方が重要だと考えます。

正しくは言っていても、心がこもっていなくて、

相手が「ぞんざいだな」など、感じが悪いと受け取れば、正しいとは言えない。

相手との関係性にもよりますが、「とんでもないことでございます」まで丁寧でなく、

「とんでもないです」や「とんでもない…」と、やわらかな物言いで、

相手が感じよく受け取ってくれるなら、丁寧な応対ということになる。

正しい言葉遣いのほかに、表情や声のトーン、ニュアンスなど、

表現プラス態度全般で、“言葉遣い”なのだと思います。

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