2008年8月23日 (土)

現代の大和撫子

木曜日、見事に金メダルを手にしたソフトボールチーム。

連日の試合で疲労は極限ではないかと思うも、試合中の選手たちの顔は、

力強い目が光りを放つ。最後まで全身全霊で戦った彼女たちの勇姿は、

男前ならぬ女前!

テレビの前で勝利を祈りながら観戦。

おおいに楽しませてもらい、感動。

昨晩の「報道ステーション」を見て、再び感動。

ソフトボールチームの特集の中で、“16人目の選手”の存在を取り上げていました。

16人目というのは、アキレス腱のケガで北京を断念せざるを得なかった、内藤恵美選手。

彼女は、スタンドで試合に“参加”。選手たちに声援を送ります。

決勝当日、同じポジションの西山選手に声をかけ、カードに書き込んだメッセージを渡す。

カードが映っていましたが、実に細やかで力強く、あたたかいメッセージ。

彼女の人柄が伝わります。

いざ、決戦。

選手たちの手首には、内藤選手の背番号「6」のリストバンド。

そして全員、内藤選手がデザインして作ったというお守りを身につけて試合に臨みます。

「内藤さんのために」、「内藤さんと一緒に」そういう思いで。

そして、勝利。

選手たちはスタンドの内藤選手に駆け寄り、

お守りを握りしめながら、「内藤さんのおかげです!」と笑顔で呼びかけます。

記念撮影時、選手たちの手には首にかけた金メダルと内藤選手のお守り。

そして、内藤選手のユニフォームを掲げることで、

彼女と共に勝利チームとして写真に納まっていました。

その表情は、試合中の女前な勇姿とは違う、女性らしいやわらかな笑顔。

選手全員が信じ合い助け合い、チームメイトのためにがんばった。

16人目の選手のために、16人目の選手と共に戦った。

大和撫子だわ、と感動。

もはや大和撫子という言葉が死語のようになっている感があります。

しかし、じゃあ大和撫子ってどういう女性のあり方なのか。

極端に考えすぎず、昔ながらの女性のいいところと、

今の女性の持ついいところを合わせた、

「現代の大和撫子」のあり方があってもいいのでは。

それを構築していけたらいいのでは。

彼女たちを見ていて、改めてそれを考えました。

現代の大和撫子は、

強くて思いやりがあって、愛情深い「for you」な女性でなきゃ。

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2008年8月11日 (月)

理想の暮らし

理想の暮らし、清貧。

ずっと以前、水上勉さんの本の中で“清貧”という言葉と出合いました。

(あ、いいな)と感じ、背筋がピーンとなった記憶があります。

清貧。

最初は、モノクロ時代の映画に出てくる暮らしをイメージ。

イメージには、原節子さんをはじめ、当時の女優さんの品のいい立ち居振る舞い、

美しい言葉遣いがセットになって浮かびます。

現代に欠けているけれど、必要なものでは。

そう思い、いつしか、清貧は私の中で理想となっていきました。

高度経済成長前の日本社会を映す映像、ニュース、書物。

それらに触れて気づいたこと。

品格とは、暮らしの中から生まれるもの。

贅を望むのではなく、質を求める暮らし。

審美眼を鍛えて、シンプルに質素に暮らす。

丁寧に日常を紡ぎ、文化を大事にして心豊かに生きる。

そのためには工夫がいる。

自分なりの考えがいる。手間ひまもいる。

それこそが、現代に必要であり、最も品格ある生き方ではないでしょうか。

頭を使い、感覚を鍛え、清貧で上質な暮らしに辿り着きたい。

1週間、ブログを休み、来週の月曜日にまた更新する予定です。

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2008年6月 4日 (水)

品格の在り処

女性はなぜ「品格」を磨く

4月に朝日新聞で掲載されていた記事のタイトル。

「女性たちは何を求めて、品格の向上にいそしんでいるのだろうか」

ということをテーマに書かれています。

記事は、女性たちが通うマナー教室の話、

ベストセラーになった本を読んだ女性たちの感想を紹介。

それから、現代女性が求めるものは何なのかが書かれています。

記事の中で気になったのは、女性たちが憧れるところはどこか。

マナーなどをなぜ学ぶのか分析したコメント。

経済のグローバル化が進み、欧米の上流社会のイメージが、

手が届くかもしれない世界として、ファッション誌や女性誌を通じて

日本に輸入されてきた。

女性たちは、そんな世界に上っていきたいという思いが強くある。

そのための手近な方法が講座や本なのではないか

これは1つの分析で、皆がみんな、そうではないと思いますが。

上流、中流、下流。

上下優劣、勝ち負けバトル。

こういうこと自体、品格がないのでは。

そもそもなぜ、品格は上流にあると思うのでしょう。

品格は、人の中で育まれていく“質”をいうのだと思います。

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2008年2月27日 (水)

夢物語? ①

どうしても受け入れられない言葉の1つ。

「世の中こういう(そういう)ものだから」

大概、よくない物事に対し、ネガティブなニュアンスで使う。

好ましくないことなら、変えようとはしないのか。

絶対に無理だというところまでトライしての言葉とは思えない。

言葉の続きに、「だから考えてもしょうがない、無駄」

という気持ちが含まれているような気がする。

世の中といっても、知っている“世の中”は極一部にすぎないはず。

なのに、全世界を掌握しているように、“世の中はこういうもの”とは思えない。

以前、地球温暖化について話していて、

「考えても所詮どうにもならない。誰も何もできやしない」

と知人が発言したことで大喧嘩になりました。

今の子供たちはどうなるの? 大人になったらなんとかする?

壊されつくした場所で? ひどい……。

自分が世の中を“よく知っている”とは思っていない。

でも、情報が瞬時に入ってくる現代。現実として、何が起こっているかはキャッチできる。

目をつむって気づかないフリをして、先送りにしてきたことが山積みで、

全世界的に今、変えていかなければ、動かなければギリギリにあることはわかる。

先日、病院の待合室で2歳くらいの男の子が走り寄ってきて、

満面の笑顔でしがみついてきました。

愛おしいと感じながら、知人の「所詮どうにもならない」という言葉がよぎります。

冗談じゃない。

何十年先の世では、今の大人は生きていなくても、

この小さな子や甥っ子たち、たくさんの子供たちが生きている。

無関係ではない。それに、今が未来へ続くのだから、やはり無関係ではない。

所詮どうにもならない。誰も何もできやしない。しょうがない。

なんて絶対に思えない。

何かできることがあるはずだと考えることを、

理想を持つのはいいけれど、夢物語だという人もいます。

決してそうは思いません。

何か問題がある。それをどうにか解決しようと策を考えることは、

夢物語ではなく、現実主義。

物事がいい方へ向かうよう願うのですから、夢・希望、理想ではある。

けれど、夢物語・絵空事ではない。

夢は持たないより持ったほうがいい。

夢を見ないよりは見たほうがいい。

現実を見て、現実を踏まえた上で大人が見る夢。

個人的なものではなく、大人全体で見る夢があってもいいのでは。

それでも夢物語と言われるなら、現実主義的夢物語に乗りたい。

ブログの更新、2週間ほど休みます。

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2008年2月18日 (月)

イチローさんに学ぶ

満足はしていい。

現状に満足しない。満足してはいけない。

と、よくみんな言いますけれど、満足はしていいと思います。

一生懸命頑張ってやったことがうまくいったら、嬉しいでしょう。

僕は満足しますよ。

だってそれがなかったら、つまらないじゃないですか。楽しくない。

満足したら終わるなんてことはない。

そしたらまた、次(目標なり、課題だと思われる)が出てくるんですよ。

というようなことを、昨日見たテレビで、野球のイチロー選手が仰っていました。

こういう考え方、大好きです。

筋が通っていて、ポジティブで、力が湧く。

「現状に満足してはいけない。もっと先へ。もっともっと先へ」

飽くなき向上心というと、大抵こういう表現が多い。

すると、そう考えるのがストイックで立派に感じたり、

それが正しいんだ。それがいいんだと思うことも。

でも、頑張ったことに答えが出れば嬉しい。

そういうときは達成感を感じ、自分は頑張れたと自負もある。

喜びがエネルギーになるから、また頑張ろう、もっと頑張ろうと自分が活気付く。

素敵な連鎖。

やっぱりイチローさんはかっこいいなぁ。

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2008年1月30日 (水)

人生真っ最中

全力中年。

前回、ドラマ「フルスイング」を観た感想を書いた中で、

中年という言葉を使いました。

中年。

一般的に、ネガティブに捉えられることが気に入らない。

良いことばかりじゃないから、夢物語に捉えることはない。

としても、大人が自ら“中年”に対してネガティブキャンペーンすることないのでは。

中年の「ちゅう」を使った言葉。○○中という表現。

成長中、勉強中、道の途中、最中……、

人生真っ最中!

それから、中途半端という言葉。

若くはない。でも達観するまで熟していない位置。

道の途中。半ば。

コップで考えたら、水位は中程。

それなのに、もう若くないとか、もう中年とか、

モウモウ、モウモウと牛のように連呼してどうする。

ネガティブキャンペーンしてどうするのでしょう。

注いでいない水はどうするのでしょう。

せっかく空白があるのに。もったいない。

「もう」なんて締めくくっていないで注がなきゃ。

真っ最中なのですから。

ところで、そうなると、高年者はどうなるのかというと。

満タンになったら、おしまい? いいえ。

満タンになったコップの活かし方、というものがあるのだと思います。

満ちなければ成し得ない役割を担っていらっしゃるのだと思います。

ただ、中年の入口に立つ私は、まだ口を開く域ではない。

今は口を閉じたまま、前を行く方々の背をみつめ、歩いていきたいと思います。

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2008年1月25日 (金)

薔薇色の人生

小さな頃から大好きな花。

バラ。

ここ2年ほどで、ますます好きになっています。

フラワーコンシェルジュの麻生さとみさんのブログを拝見して、

数々の新たなバラを知りました。

これまで漠然と好きだったバラ。

白、赤、ピンク、黄色…と色だけではなく、とても多くの種類がある。

香りもいろいろ。

現在出逢えているのも、ごく一部でしかない。

気高く、凛としていて、優雅。

これまで持っていたイメージだけではなく、

可憐なもの、ふんわりやわらかな印象のもの、華やか、愛くるしい、

神秘的、親しみやすい。

釣り合うよう、シャンと背伸びしたくなるもの。

力をくれる魔法になったり、そっと寄り添ってくれたり。

バラは100の顔、1000の顔があるようです。

先日、さとみさんのブログで、

バラ自身が、人生ならぬ“薔薇生”をしっかり生きているから美しい。

という話をお読みして、ハッとしました。

薔薇色の人生。

物事が順風満帆で、ロマンティックで心躍るような、満ち足りた状態。

それが薔薇色の人生のイメージ。

しかし、それだけではないのだと気づきました。

薔薇は膨大な種類があり、姿、香りも皆違う。

最初から満開に咲いてなどいない。

芽が出て蕾が開き、咲き誇って散っていく。

人も同じ。すべての人が違う。

芽を出す場所が違う。時期が違う。色も姿も、育つプロセスが違う。咲き方も違う。

誰にでも、その人だけの“薔薇”がある。

その人なりの、その人だけの“薔薇の人生”がある。

どんな“薔薇色の人生”を送るかは、その人次第。

ありがたいことに、人は考え方や生き方次第で、色も姿も香りも変化できる。

自分なりの薔薇を作ることが可能。

年齢でも、違う薔薇に変化でき味わうことができる。

最終的にどんな人生の薔薇になるのか。簡単には答えが出ない。

思いっきり生きてみなければわからない。

思いっきり生きて、生ききったとき、自分が作った薔薇の色を知ることができる。

それを誇って散る。

それだけでも、生きる甲斐になるのではないでしょうか。

生ききらなきゃ、自分だけの薔薇には出逢えない。

もったいない。生ききらなきゃ。

ただ、1つ気になること。身に備えた棘。

自分を守ることもできれば、人を傷つけてしまうことにもなる。

取扱いに気をつけなければ。

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2008年1月18日 (金)

幸せ満タンの種

2ヶ月くらい前、友達が「今年の風邪はしつこい!」と言っていましたが、

年が明けても風邪の威力は強いようで。

昨年末にひいた風邪がぶり返し、ダウン。更新が遅れました。

皆さま、お身体をお大事に、お気をつけくださいませ。

先日、新聞の投稿欄を読んでやさしい元気をもらえました。

10歳の男の子が投稿した記事。

彼が母親に手紙を書き、返事に、

これからも家族で協力して、がんばって生きていこうね

と書かれており、それを読んだ彼は、

ぼくの心は幸せで満タンになりました

と感じた思いを新聞に寄せていました。

嬉しいということを、“幸せで満タン”だという。

家庭で、職場で、学校で、または道ですれ違った人と挨拶する。

「おはよう」、「こんにちは」、「さようなら」、「また明日」。

心を交換する。

「ありがとう」、「ごめんなさい」、「お疲れ様」、「がんばろう」。

そういう、人と人との繋がりをくり返す。

コツコツ、コツコツ。

馴染んでも、慣れてしまわず、嬉しいことだと大事に思う。

コツコツ、コツコツ。

嬉しいを自分の中に蓄積していく。

自分個人の嬉しいこと、誰かの嬉しいことを喜ぶ嬉しさ、

そして誰かと一緒に嬉しいこと。

みんな自分の中に蓄積していく。

そうして自分の中に積もっていく幸せ満タンの種。

積もりに積もって満タンになったら、種を失くした誰かにそっと注いであげる。

幸せ満タンを分け合う。

自分が失くしたときは、誰かが注いでくれる。

人心荒廃が言われて久しく、悲しい事件ばかりが連日報道されている。

思わず未来に不安を覚えてしまう。

けれど、10歳の男の子の、“幸せ満タン”という言葉に灯りをもらう。

幸せ満タンを分け合う時代を願って。

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2007年10月22日 (月)

答え

おとなの定義はなんですか?

先日お会いした方に、こう問われました。

ブログの副題で「大人時間」と申し上げています。

当たり前のように「おとな」という言葉を多用しています。

「おとな、とはどういうこと? どういう人?」

その方には、

「答えへの対応」だとお返事しました。

すべてのことに、数式のようにきっちり答えがあると思わない。

答えが1つと決めてかからない。

自分と違う答えをダメだと切り捨てない。

様々な答えに、臨機応変に向き合える、など。

「答えへの対応」というのも、

“答え”の1つでしかないのだと思います。

“おとな”は、もっとたくさんの要素から成るもの。

年齢的に子供ではなく、大人になる。

若者ではなく、大人になる。

そこからの時間の方が圧倒的に長い。

ただ年齢的なことだけでなく、「大人時間」を生きられたら。

わが身を省みたとき、時間をかけて考えてもいいことに、

すぐ答えを出そうとすることがある。

きっちり答えをほしがることがある。

う~ん、充実した大人時間にしていきたい!

「答えへの対応」を身につけていきたいと思います。

次回、水曜日の更新はお休みします。

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2007年10月17日 (水)

連想ゲーム

海、という言葉から思いつく単語。1分間、紙に書いてみて。

ある方から出された連想ゲーム。

ハタチになる少し前、言葉に対しての興味を強めた頃のことです。

戸惑いながら、1分間、思いついたことを書きました。

私の答えを見たその人は、

「陸から見た海しかない。空から見た海、海上で感じる海、潜って見る海、

思い出の海、リアルタイムで見ている海、夏の海、冬の海、晴れた日の海、

雨の日の海、穏やかな海、荒れ狂った海。」

「ちょっと言うだけでもこれだけあるでしょう。まだまだいくらでもあるんですよ」

なるほど! という発見と、自分の視野の狭さにショックで言葉が出ません。

押し黙る私に、

1つの物事にも、たくさんの見方がある。

だから表面だけじゃなく、もっと掘って掘り下げて見る。

そうして選択肢を増やす。

TPO、立場、年齢、経験なども加わって、最も相応しい言葉(形)を選択する。

それが大切なのだという話をしてくださいました。

まだ若いから難しいと思う。

ただ、頭の片隅に記憶して、意識を持っておくといい、とも。

立場が変われば考えが変わることもある。

季節が巡れば、歳月の分だけ思いが増える。

色々な思いの人がいる。色々な立場の人がいる。

たくさんの世界がある。

多角的に見る。

可能性を探る。

選択肢を増やす。

選ぶ判断力。

すべての軸として、イマジネーションが重要、大切。

それは、社会のルール、マナー、仕事、人間関係、日常と、あらゆる場面で必要。

それを教えてもらえた連想ゲームでした。感謝。

と言って、多角的に見て可能性を探り、判断できているかというと…、

掘り下げも角度も足りない。迷うことも多い…。

せっかくの教えが活かせていません。

もっとやわらか頭を目指します。

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