2008年8月23日 (土)

現代の大和撫子

木曜日、見事に金メダルを手にしたソフトボールチーム。

連日の試合で疲労は極限ではないかと思うも、試合中の選手たちの顔は、

力強い目が光りを放つ。最後まで全身全霊で戦った彼女たちの勇姿は、

男前ならぬ女前!

テレビの前で勝利を祈りながら観戦。

おおいに楽しませてもらい、感動。

昨晩の「報道ステーション」を見て、再び感動。

ソフトボールチームの特集の中で、“16人目の選手”の存在を取り上げていました。

16人目というのは、アキレス腱のケガで北京を断念せざるを得なかった、内藤恵美選手。

彼女は、スタンドで試合に“参加”。選手たちに声援を送ります。

決勝当日、同じポジションの西山選手に声をかけ、カードに書き込んだメッセージを渡す。

カードが映っていましたが、実に細やかで力強く、あたたかいメッセージ。

彼女の人柄が伝わります。

いざ、決戦。

選手たちの手首には、内藤選手の背番号「6」のリストバンド。

そして全員、内藤選手がデザインして作ったというお守りを身につけて試合に臨みます。

「内藤さんのために」、「内藤さんと一緒に」そういう思いで。

そして、勝利。

選手たちはスタンドの内藤選手に駆け寄り、

お守りを握りしめながら、「内藤さんのおかげです!」と笑顔で呼びかけます。

記念撮影時、選手たちの手には首にかけた金メダルと内藤選手のお守り。

そして、内藤選手のユニフォームを掲げることで、

彼女と共に勝利チームとして写真に納まっていました。

その表情は、試合中の女前な勇姿とは違う、女性らしいやわらかな笑顔。

選手全員が信じ合い助け合い、チームメイトのためにがんばった。

16人目の選手のために、16人目の選手と共に戦った。

大和撫子だわ、と感動。

もはや大和撫子という言葉が死語のようになっている感があります。

しかし、じゃあ大和撫子ってどういう女性のあり方なのか。

極端に考えすぎず、昔ながらの女性のいいところと、

今の女性の持ついいところを合わせた、

「現代の大和撫子」のあり方があってもいいのでは。

それを構築していけたらいいのでは。

彼女たちを見ていて、改めてそれを考えました。

現代の大和撫子は、

強くて思いやりがあって、愛情深い「for you」な女性でなきゃ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年8月11日 (月)

理想の暮らし

理想の暮らし、清貧。

ずっと以前、水上勉さんの本の中で“清貧”という言葉と出合いました。

(あ、いいな)と感じ、背筋がピーンとなった記憶があります。

清貧。

最初は、モノクロ時代の映画に出てくる暮らしをイメージ。

イメージには、原節子さんをはじめ、当時の女優さんの品のいい立ち居振る舞い、

美しい言葉遣いがセットになって浮かびます。

現代に欠けているけれど、必要なものでは。

そう思い、いつしか、清貧は私の中で理想となっていきました。

高度経済成長前の日本社会を映す映像、ニュース、書物。

それらに触れて気づいたこと。

品格とは、暮らしの中から生まれるもの。

贅を望むのではなく、質を求める暮らし。

審美眼を鍛えて、シンプルに質素に暮らす。

丁寧に日常を紡ぎ、文化を大事にして心豊かに生きる。

そのためには工夫がいる。

自分なりの考えがいる。手間ひまもいる。

それこそが、現代に必要であり、最も品格ある生き方ではないでしょうか。

頭を使い、感覚を鍛え、清貧で上質な暮らしに辿り着きたい。

1週間、ブログを休み、来週の月曜日にまた更新する予定です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 4日 (水)

品格の在り処

女性はなぜ「品格」を磨く

4月に朝日新聞で掲載されていた記事のタイトル。

「女性たちは何を求めて、品格の向上にいそしんでいるのだろうか」

ということをテーマに書かれています。

記事は、女性たちが通うマナー教室の話、

ベストセラーになった本を読んだ女性たちの感想を紹介。

それから、現代女性が求めるものは何なのかが書かれています。

記事の中で気になったのは、女性たちが憧れるところはどこか。

マナーなどをなぜ学ぶのか分析したコメント。

経済のグローバル化が進み、欧米の上流社会のイメージが、

手が届くかもしれない世界として、ファッション誌や女性誌を通じて

日本に輸入されてきた。

女性たちは、そんな世界に上っていきたいという思いが強くある。

そのための手近な方法が講座や本なのではないか

これは1つの分析で、皆がみんな、そうではないと思いますが。

上流、中流、下流。

上下優劣、勝ち負けバトル。

こういうこと自体、品格がないのでは。

そもそもなぜ、品格は上流にあると思うのでしょう。

品格は、人の中で育まれていく“質”をいうのだと思います。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年2月27日 (水)

夢物語? ①

どうしても受け入れられない言葉の1つ。

「世の中こういう(そういう)ものだから」

大概、よくない物事に対し、ネガティブなニュアンスで使う。

好ましくないことなら、変えようとはしないのか。

絶対に無理だというところまでトライしての言葉とは思えない。

言葉の続きに、「だから考えてもしょうがない、無駄」

という気持ちが含まれているような気がする。

世の中といっても、知っている“世の中”は極一部にすぎないはず。

なのに、全世界を掌握しているように、“世の中はこういうもの”とは思えない。

以前、地球温暖化について話していて、

「考えても所詮どうにもならない。誰も何もできやしない」

と知人が発言したことで大喧嘩になりました。

今の子供たちはどうなるの? 大人になったらなんとかする?

壊されつくした場所で? ひどい……。

自分が世の中を“よく知っている”とは思っていない。

でも、情報が瞬時に入ってくる現代。現実として、何が起こっているかはキャッチできる。

目をつむって気づかないフリをして、先送りにしてきたことが山積みで、

全世界的に今、変えていかなければ、動かなければギリギリにあることはわかる。

先日、病院の待合室で2歳くらいの男の子が走り寄ってきて、

満面の笑顔でしがみついてきました。

愛おしいと感じながら、知人の「所詮どうにもならない」という言葉がよぎります。

冗談じゃない。

何十年先の世では、今の大人は生きていなくても、

この小さな子や甥っ子たち、たくさんの子供たちが生きている。

無関係ではない。それに、今が未来へ続くのだから、やはり無関係ではない。

所詮どうにもならない。誰も何もできやしない。しょうがない。

なんて絶対に思えない。

何かできることがあるはずだと考えることを、

理想を持つのはいいけれど、夢物語だという人もいます。

決してそうは思いません。

何か問題がある。それをどうにか解決しようと策を考えることは、

夢物語ではなく、現実主義。

物事がいい方へ向かうよう願うのですから、夢・希望、理想ではある。

けれど、夢物語・絵空事ではない。

夢は持たないより持ったほうがいい。

夢を見ないよりは見たほうがいい。

現実を見て、現実を踏まえた上で大人が見る夢。

個人的なものではなく、大人全体で見る夢があってもいいのでは。

それでも夢物語と言われるなら、現実主義的夢物語に乗りたい。

ブログの更新、2週間ほど休みます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月18日 (月)

イチローさんに学ぶ

満足はしていい。

現状に満足しない。満足してはいけない。

と、よくみんな言いますけれど、満足はしていいと思います。

一生懸命頑張ってやったことがうまくいったら、嬉しいでしょう。

僕は満足しますよ。

だってそれがなかったら、つまらないじゃないですか。楽しくない。

満足したら終わるなんてことはない。

そしたらまた、次(目標なり、課題だと思われる)が出てくるんですよ。

というようなことを、昨日見たテレビで、野球のイチロー選手が仰っていました。

こういう考え方、大好きです。

筋が通っていて、ポジティブで、力が湧く。

「現状に満足してはいけない。もっと先へ。もっともっと先へ」

飽くなき向上心というと、大抵こういう表現が多い。

すると、そう考えるのがストイックで立派に感じたり、

それが正しいんだ。それがいいんだと思うことも。

でも、頑張ったことに答えが出れば嬉しい。

そういうときは達成感を感じ、自分は頑張れたと自負もある。

喜びがエネルギーになるから、また頑張ろう、もっと頑張ろうと自分が活気付く。

素敵な連鎖。

やっぱりイチローさんはかっこいいなぁ。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008年1月30日 (水)

人生真っ最中

全力中年。

前回、ドラマ「フルスイング」を観た感想を書いた中で、

中年という言葉を使いました。

中年。

一般的に、ネガティブに捉えられることが気に入らない。

良いことばかりじゃないから、夢物語に捉えることはない。

としても、大人が自ら“中年”に対してネガティブキャンペーンすることないのでは。

中年の「ちゅう」を使った言葉。○○中という表現。

成長中、勉強中、道の途中、最中……、

人生真っ最中!

それから、中途半端という言葉。

若くはない。でも達観するまで熟していない位置。

道の途中。半ば。

コップで考えたら、水位は中程。

それなのに、もう若くないとか、もう中年とか、

モウモウ、モウモウと牛のように連呼してどうする。

ネガティブキャンペーンしてどうするのでしょう。

注いでいない水はどうするのでしょう。

せっかく空白があるのに。もったいない。

「もう」なんて締めくくっていないで注がなきゃ。

真っ最中なのですから。

ところで、そうなると、高年者はどうなるのかというと。

満タンになったら、おしまい? いいえ。

満タンになったコップの活かし方、というものがあるのだと思います。

満ちなければ成し得ない役割を担っていらっしゃるのだと思います。

ただ、中年の入口に立つ私は、まだ口を開く域ではない。

今は口を閉じたまま、前を行く方々の背をみつめ、歩いていきたいと思います。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年1月25日 (金)

薔薇色の人生

小さな頃から大好きな花。

バラ。

ここ2年ほどで、ますます好きになっています。

フラワーコンシェルジュの麻生さとみさんのブログを拝見して、

数々の新たなバラを知りました。

これまで漠然と好きだったバラ。

白、赤、ピンク、黄色…と色だけではなく、とても多くの種類がある。

香りもいろいろ。

現在出逢えているのも、ごく一部でしかない。

気高く、凛としていて、優雅。

これまで持っていたイメージだけではなく、

可憐なもの、ふんわりやわらかな印象のもの、華やか、愛くるしい、

神秘的、親しみやすい。

釣り合うよう、シャンと背伸びしたくなるもの。

力をくれる魔法になったり、そっと寄り添ってくれたり。

バラは100の顔、1000の顔があるようです。

先日、さとみさんのブログで、

バラ自身が、人生ならぬ“薔薇生”をしっかり生きているから美しい。

という話をお読みして、ハッとしました。

薔薇色の人生。

物事が順風満帆で、ロマンティックで心躍るような、満ち足りた状態。

それが薔薇色の人生のイメージ。

しかし、それだけではないのだと気づきました。

薔薇は膨大な種類があり、姿、香りも皆違う。

最初から満開に咲いてなどいない。

芽が出て蕾が開き、咲き誇って散っていく。

人も同じ。すべての人が違う。

芽を出す場所が違う。時期が違う。色も姿も、育つプロセスが違う。咲き方も違う。

誰にでも、その人だけの“薔薇”がある。

その人なりの、その人だけの“薔薇の人生”がある。

どんな“薔薇色の人生”を送るかは、その人次第。

ありがたいことに、人は考え方や生き方次第で、色も姿も香りも変化できる。

自分なりの薔薇を作ることが可能。

年齢でも、違う薔薇に変化でき味わうことができる。

最終的にどんな人生の薔薇になるのか。簡単には答えが出ない。

思いっきり生きてみなければわからない。

思いっきり生きて、生ききったとき、自分が作った薔薇の色を知ることができる。

それを誇って散る。

それだけでも、生きる甲斐になるのではないでしょうか。

生ききらなきゃ、自分だけの薔薇には出逢えない。

もったいない。生ききらなきゃ。

ただ、1つ気になること。身に備えた棘。

自分を守ることもできれば、人を傷つけてしまうことにもなる。

取扱いに気をつけなければ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年1月18日 (金)

幸せ満タンの種

2ヶ月くらい前、友達が「今年の風邪はしつこい!」と言っていましたが、

年が明けても風邪の威力は強いようで。

昨年末にひいた風邪がぶり返し、ダウン。更新が遅れました。

皆さま、お身体をお大事に、お気をつけくださいませ。

先日、新聞の投稿欄を読んでやさしい元気をもらえました。

10歳の男の子が投稿した記事。

彼が母親に手紙を書き、返事に、

これからも家族で協力して、がんばって生きていこうね

と書かれており、それを読んだ彼は、

ぼくの心は幸せで満タンになりました

と感じた思いを新聞に寄せていました。

嬉しいということを、“幸せで満タン”だという。

家庭で、職場で、学校で、または道ですれ違った人と挨拶する。

「おはよう」、「こんにちは」、「さようなら」、「また明日」。

心を交換する。

「ありがとう」、「ごめんなさい」、「お疲れ様」、「がんばろう」。

そういう、人と人との繋がりをくり返す。

コツコツ、コツコツ。

馴染んでも、慣れてしまわず、嬉しいことだと大事に思う。

コツコツ、コツコツ。

嬉しいを自分の中に蓄積していく。

自分個人の嬉しいこと、誰かの嬉しいことを喜ぶ嬉しさ、

そして誰かと一緒に嬉しいこと。

みんな自分の中に蓄積していく。

そうして自分の中に積もっていく幸せ満タンの種。

積もりに積もって満タンになったら、種を失くした誰かにそっと注いであげる。

幸せ満タンを分け合う。

自分が失くしたときは、誰かが注いでくれる。

人心荒廃が言われて久しく、悲しい事件ばかりが連日報道されている。

思わず未来に不安を覚えてしまう。

けれど、10歳の男の子の、“幸せ満タン”という言葉に灯りをもらう。

幸せ満タンを分け合う時代を願って。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2007年10月22日 (月)

答え

おとなの定義はなんですか?

先日お会いした方に、こう問われました。

ブログの副題で「大人時間」と申し上げています。

当たり前のように「おとな」という言葉を多用しています。

「おとな、とはどういうこと? どういう人?」

その方には、

「答えへの対応」だとお返事しました。

すべてのことに、数式のようにきっちり答えがあると思わない。

答えが1つと決めてかからない。

自分と違う答えをダメだと切り捨てない。

様々な答えに、臨機応変に向き合える、など。

「答えへの対応」というのも、

“答え”の1つでしかないのだと思います。

“おとな”は、もっとたくさんの要素から成るもの。

年齢的に子供ではなく、大人になる。

若者ではなく、大人になる。

そこからの時間の方が圧倒的に長い。

ただ年齢的なことだけでなく、「大人時間」を生きられたら。

わが身を省みたとき、時間をかけて考えてもいいことに、

すぐ答えを出そうとすることがある。

きっちり答えをほしがることがある。

う~ん、充実した大人時間にしていきたい!

「答えへの対応」を身につけていきたいと思います。

次回、水曜日の更新はお休みします。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年10月17日 (水)

連想ゲーム

海、という言葉から思いつく単語。1分間、紙に書いてみて。

ある方から出された連想ゲーム。

ハタチになる少し前、言葉に対しての興味を強めた頃のことです。

戸惑いながら、1分間、思いついたことを書きました。

私の答えを見たその人は、

「陸から見た海しかない。空から見た海、海上で感じる海、潜って見る海、

思い出の海、リアルタイムで見ている海、夏の海、冬の海、晴れた日の海、

雨の日の海、穏やかな海、荒れ狂った海。」

「ちょっと言うだけでもこれだけあるでしょう。まだまだいくらでもあるんですよ」

なるほど! という発見と、自分の視野の狭さにショックで言葉が出ません。

押し黙る私に、

1つの物事にも、たくさんの見方がある。

だから表面だけじゃなく、もっと掘って掘り下げて見る。

そうして選択肢を増やす。

TPO、立場、年齢、経験なども加わって、最も相応しい言葉(形)を選択する。

それが大切なのだという話をしてくださいました。

まだ若いから難しいと思う。

ただ、頭の片隅に記憶して、意識を持っておくといい、とも。

立場が変われば考えが変わることもある。

季節が巡れば、歳月の分だけ思いが増える。

色々な思いの人がいる。色々な立場の人がいる。

たくさんの世界がある。

多角的に見る。

可能性を探る。

選択肢を増やす。

選ぶ判断力。

すべての軸として、イマジネーションが重要、大切。

それは、社会のルール、マナー、仕事、人間関係、日常と、あらゆる場面で必要。

それを教えてもらえた連想ゲームでした。感謝。

と言って、多角的に見て可能性を探り、判断できているかというと…、

掘り下げも角度も足りない。迷うことも多い…。

せっかくの教えが活かせていません。

もっとやわらか頭を目指します。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2007年10月 3日 (水)

やっぱり姿勢は基本!

ああ、そういうことなのね!

スペイン国立バレエ団の公演で感じたこと。

男女ともに、洗練・美しいとは、どういうことなのか。

内面世界は簡単にわかるものではなく、人間関係を紡いでいく中で、

感じ取っていくものだと思うので、雰囲気、外観、形に関しての話です。

ダンサーがみな美しい。

容姿端麗、モデルのようなスタイル、というわけではありません。

女性は、あまり細~い人はおらず、肉感的。

男性は、とても背が高いとか、足が特別長いわけではない。

「それがどうした、そんなことは瑣末なこと」と教えられるほど、

在りようがなんとも魅力的。

豊かな表情。

指先・足先までしっかり行き届いた神経。

体の中心にしっかり芯を据えた上での、しなやかな動作。

“生きた”瞳、生きる強さの輝きを全身から放っている。

そして、衣装をきちんと着こなし、場に見合ったきちんとした髪型。

自分に誇りを持った紳士淑女の立ち居振る舞い。

大事なのはそういうことなのだと思います。

健康・立ち居振る舞い第一。

スタンダードを丁寧に身につけた上で、感性豊かに生きること。

それが洗練・美しさをもたらし輝くのだと。

男の子。

髪型を気にしすぎたり、ジーパンを地面にひきずって歩くより、

スタンダードを粋に着こなすほうが男前。

今すぐナナメ立ちをやめるほうがかっこいい。

女の子。

過剰なダイエットをしたり、若さに固執することなどない。

体に負担をかけすぎる靴で無理な歩き方をしないで、

活き活き動ける方がきれい。

いろいろな意味での“姿勢”の大切さ。

改めて教えられた公演でした。

ほぼ2年ごとに来日しているらしいので、また2年後、絶対みたい!

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年9月28日 (金)

私日和

事後承諾になります。

ブロ友、寝起きのパンダさんのブログをお訪ねしたとき、

“私日和”という言葉を目にして、

「あ、いいなぁ。素敵な言葉だなぁ」

と思ったので、使わせていただきます。

江戸しぐさを学んでいると、すべての軸は、要は、

「ひと在りき主義」。

高校生の頃に読んだ、灰谷健次郎さんや小池真理子さんの本が教えてくれたこと。

「ひとは生きているのではなく、たくさんのひとに生かされている」

一緒に過ごすことができなかった祖父の生き方。

「ひとに望むのではなく、ひとにできる事をする。私欲に走らない」

まだまだですが、そうありたいと。

“ひと在りき”

という軸を持てば、人間関係、良識、常識、マナーなどにあまり身構える必要はない。

今、クローズアップされている“品格”も、特別なことではない。

敷居は高くない。

時に失敗したり、誤解があったとしても、大丈夫。

で、

ひとを大切にする自分であるためには。

自分を愛することも大切。

甘やかすのではなく、自分づくりというか、自分を楽しむ。

それによって自分に余白を持つ。

「いかなるときでも、ひとを大切に」と言うのは簡単。

でも、心や体が悲鳴を上げていたら、やはりどこかにゆがみが生じる。

心と体にエネルギーを持っていたい。余白をつくっておきたい。

そこで、スペースづくりとエネルギーを貯めるために“私日和”。

私による、私のための1日。

思いっきり、出し惜しみせず、自分のために時間を使う。

そういう1日を過ごして眠り、朝が来たら。

“まずひと在りきで”、に戻る。

そうやって生きたいから、存分に私日和を過ごす。

私日和を持っていたい。

いよいよ楽しみにしていた「スペイン国立バレエ団」の公演。

存分に私日和を味わいたいと思います♪

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年9月26日 (水)

“あがりかまち、クリア”の法則

幸せが訪れますように。一緒に楽しく暮らそうね。

そんな願いをこめて“ハッピー”と名づけた犬。

CMで小雪さんが抱いている犬を見ると、思い出す。

子どもの頃のこと。

生後2ヶ月の白い仔犬。

知り合いから飼わないかと言われ、大喜びでもらいました。

まだ幼いので、庭の犬小屋ではなく、玄関に仮の住みかを用意。

学校から帰り鍵を開けるとき、玄関の中からク~ンと鳴き声が聞こえる。

パタパタと飛び跳ねる音がする。

かぎっ子としては、自分の帰りを喜んで迎えてくれることが、

無垢に甘えてくる小さな存在が、愛おしくて幸せでした。

が、1ヵ月後に発病。懸命に看病するも、ひと月後に亡くなりました。

後でわかったのですが、ハッピーを産んだ母犬が病気だったらしく、

出産後に亡くなり、生まれた仔犬も全員同じ病気で亡くなったとのこと。

幸せにと思って、ハッピーと名づけたのに…。

生まれたときから病気だったなんて! と、ハッピーの運命を思うと、

悲しさと悔しさを噛みしめました。

愛おしい仔犬が残してくれたもの。

今は室内で飼うのも、ごく普通ですが、昔は犬は犬小屋が多かった。

まだ幼いので部屋で飼いたかったのですが、許可が出ず。

母の言い分としては、日中誰も家にいない。

誰もいないのに、家の中につないでおくとかわいそう。

つながないでおいて、走り回って物が落ちてきたら危ない。

外で自然を感じながら過ごすのが、いちばんいい。

……ハッピーのためならと納得。

ということで、幼いハッピーは、ある程度大きくなるまでは、

と玄関の特設スペースが住みかになっていました。

玄関のあがりかまちは、仔犬にとって高い段差。

グンと立ち上がると、かろうじて前足が乗るくらい。

ハッピーはチョンと前足を乗せると、そのまま横歩きで移動。

玄関の角へ来ると、お尻を壁にトンと当て、反動で体を持ち上げ、

見事に上るのです。

そして、トコトコと駆け、愛くるしい笑顔で居間へやってくる。

上れないはずなのに、いったいどうやって? と不思議だったので、

決定的瞬間を見たときは感動でした。

かまちを上るのに、背が届かない→どうする→反動を利用する。

素晴らしい工夫の力。

時間がないなら、時間がないなりの。

お金がないなら、お金がないなりの。

今あるもので、今の自分で、というように、工夫する大切さ。

工夫がうまくいったときの達成感、楽しさ、充足。

小さなハッピーが教えてくれた、残してくれた工夫の力。

私の財産です。(活かせているかは、時々怪しい…)

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007年9月15日 (土)

しがみつく相手

昨夜は、貧血でダウンしてしまい、更新が遅れました。

不届き者かもしれませんが。

特に何の信仰もありません。

お寺や神社が大好きです。

仏像に惚れ惚れします。

教会の建物や雰囲気も好きです。

十字架のアクセサリーが好きでよく身につけます。

日本文化は仏教と関連が深い。

西洋文化はキリスト教と関連が深い。

その他にも世界中、様々な文化は宗教的なものと関わりが深い。

そういう中で知る考え方や言葉は興味深く、心に残るものもあります。

ただ、そこから信仰しようとは思いません。

先月、新聞に興味深い記事がありました。

生まれたばかりの赤ちゃんは、本能的に母親の愛を信じ、乳房にしがみつく。

人間、こういう本能は一生続くのだろう、と書かれています。

さらに、「だから人はどうしても何かを信じる」と書かれており、

この先は、仏教について語られていました。

結びには「何かを信じて生きるなら、心の底から納得できるものを信じたい」

「無垢な赤ん坊だって、50年もたてば、しがみつく相手を自分で選ぶ」とありました。

人はどうしても何かを信じる。

……何?……何かあるかしら?……特にない…。

人を信じてはいます。人の言葉を信じます。力をもらえます。

それは“しがみつくもの”ではない。

記事にあったもので考える。

神、ピンとこない(私が“神”と思えるのは、すべての“自然”なので)。

社会、それは、ひとが紡いでいくもの。

地位・肩書き、興味なし。

その他は、何だろう。

仕事・夢は、信じるって話ではない。

お金、違う。

恋、これも信じる信じないとは違う。

考えてみると、結構難しい問題。

強いて信じていると言えば、「現実」と「時間」かな、と。

現実には嘘が潜んでいることが多々ある。

嘘の隠れた事実。手探りで掴まなければならない真実。

自分の考え・感覚が変われば、現実がガラッと違うものになることもある。

幸でも不幸でも、楽しくても厳しくても、一切関係なく進み続ける時間。

こちらには嘘がない。

決して時間が平等だとは思わない。

恵まれて時間を過ごす人もいれば、絶望の中で過ごす人もいる。

長く時を刻む人もいれば、志半ばで亡くなる人もいる。

不平等なものだと感じます。

嘘のない“時間”の中で、嘘を含んだ“現実”にしがみつく。

そのためには、自分が感じること・考え判断すること・選択することに頼るしかない。

ちょっと強引な結論。

強くもないし、欠点はどっさり。自信があるわけではありません。

それでも結局、信じてしがみつく相手は、私自身なのだと。

物事によって、歳月で考えは変わりますが、

きっとしがみつく相手は一生変わらないのだろうなぁ、という気がします。

と、本来はここまでだったのですが、昨夜の貧血で1つ追加。

しがみつく相手。健康!

アントニオ猪木さんがよく、「元気ですか~! 元気があればなんでもできる!!」

と、仰っていますが、あれ、真理ですね。

何をやるにもまず、元気がなくちゃ。

元気がなければ、頑張りたいことも頑張れない。

健康第一!

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2007年7月25日 (水)

心はいつも本当で

ピアス。

たくさんの人がしています。

20年以上前は、今ほど見かけなかったと記憶しています。

もう25年くらい前からピアスを素敵に身につけていた人。

樋口可南子さんばりのベリーショートに、シンプルなオシャレをしていた人。

いつ会っても、「あら~、元気?」と聞き心地の好いきれいな声と笑顔を向けてくれる。

喜怒哀楽がはっきりしていて、ダメなものはダメ。

感情を前面に出すのではなく、生き様と話の端々にポリシーとして、

喜怒哀楽がある人。

詳しくは知りませんが、いろいろと波乱万丈の人生だったらしい。

そこから逃げず、スックと立ち、来る嵐来る嵐を受けとめて生きていたようです。

約ふた周り年上のお姉さんのような存在だった人の話。

“自分らしさ”ってなんだろう。

このひと月ほど考えています。

答えはまだ出ない。

何が私らしいのだろう。ぼんやり掴めそうでまだ見えない。

そんな中で、ふと彼女のことを思い出しました。

面倒見がよくて、ひとのためにサッと動ける人。

働き者で寂しがり。

余計なことは聞かず、踏み込まず。ひとにも踏み込ませず。

愛想はいいけれど、媚びずおもねらず、心はいつも本当だけ。

チビッ子の頃から3年前に亡くなるまでの彼女の印象。

改めて書くと、かっこいいなぁ。

“らしさ”の答えがまだ掴めない中、ひとつだけわかったこと。

グラグラ揺れたり、迷ったり、あっちにゴツン、こっちにゴツン。

時に間違ったりしても、心はいつも本当だけ、でいたい。

| | コメント (3) | トラックバック (1)

2007年7月20日 (金)

しぐさも口ほどにものを言う

またまた江戸しぐさからの話。

読めば読むほど、素晴らしい世界で、

この文化を失くしてはいけない! 今、取り戻さなければ!

という思いが強くなります。

江戸しぐさの「しぐさ」は、「思草」と書くそうです。

越川禮子さん、林田明大さん著『「江戸しぐさ」完全理解』に、

「思草」とは、その人が培ってきた考え方や思いが、その場、その時に、

反射的に形になって外に出たものです。

(略)考え方や思いが、そのまましぐさに出てしまうのです。

とあります。

心と身体は影響し合う。

心が沈み、ストレスが強ければ身体に影響して体調を崩すように、

攻撃的な言葉を用いたり攻撃的な話し方をしていると、心に険が出る。

イライラが動作に影響して雑になる。

乱暴な言葉を使えば気持ちが荒れ、行動に連鎖する。

マナーは形だけ学んでもまだ半分。

思想が、思考がマナーとリンクしなければ身につかない。

特別なことではなく習慣ですから、咄嗟に出る行動が答え。

口ほどにものを言うのは、目だけではないのですね。

日常の大切さを改めて思いました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年7月 6日 (金)

ルールはこころ!

マナーにはいろいろあります。

ビジネスマナー。冠婚葬祭のマナー。

テーブルマナー。国際マナー。

人づき合いにおけるマナーあれこれ。

日常の立ち居振る舞いをはじめとした、各個人をつくるマナー。

儀礼的なかしこまったもの、非日常的なもの、

そして、日々の生活に沿ったもの。

特にごく日常の生活・暮らしに沿ったマナー。

これを大切にしたい。

それにはやはり、イチにもニにも心!

どのマナーも、心と切り離しては成り立たない。

心を伴って紡いでいかなければ、身につかない。

マナーの根幹は“真心”。だから、

マナーは人の魅力をつくる。人を素敵にする。そう信じています。

“江戸しぐさ”についての本が好きです。

とても素敵です。

“江戸しぐさ”の本には、ひとを第一に考える、

最優先すべきは人であるという“心”が溢れています。

越川禮子さん著『身につけよう! 江戸しぐさ』のなかに、

江戸しぐさは、「人にして気持ちいい、してもらって気持ちいい、

はたの目に気持ちいい」もので、人みな気持ち良く笑顔で暮らせる

社会環境をつくるための基盤となるものです。

とあります。

また、本のなかに、

守りあうルール(こころ)

と書かれている。

ルールは窮屈なものでも、面倒なことでもなく、心!

何かを学ぶ、身につけることは、“心得る”という。

心を得る。

教えてくれた人の心を得る。関わった人の心を得る。

学んだ物事の心を得る。

そして、

学んだ物事に対しての、人に対しての新たな心を得る。

それが生きていく上ですべての意義であり、要なのだと、しみじみ感じます。

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2007年6月 8日 (金)

生きていく呼吸

別に猫かぶっているわけではないのですが。

「すごく明るいんだ」 「おとなしい人かと思ってた」と言われることがあります。

いえ、おとなしい面もありますよ! 場合によりけりで。人見知りなだけで。

あまり覚えていないのですが、チビッ子の私はひとが大好きで、

とても人懐っこかったらしいです。

その後のプロセスでは、諸事情でそういう自分は封印。

信頼している人以外には、極力おとなしくしていました。

※決して猫かぶりではない!

最近、「もうよかろう」という感じで、カタコトッと音を立て、

封印が解けかけています(ウォーミング・アップ中?)。

となると、ぼんやり幼い頃の自分の感覚を思い出す。

すると考えます。「アレ」いいなぁ。

日本人は、って私も日本人ですが、ハグの習慣がないですよね。

ハグ…。素敵な習慣だと思うのです。

親しい人に会ったときに、「元気だった?」の意味でハグ。

別れ際に「元気でね。幸せでいてね」の意味でハグ。

喜びや悲しみを分け合うハグ。

ポンポン、と。

家族、友達、仕事仲間、スポーツ観戦で隣り合わせた人、恋人と。

時には、100の言葉より、1つのハグが強い力になることもあるのでは。

生きていくのに、ひととのコミュニケーションは欠かせない。

やはり人はひととの関わり・つながりのあたたかさで、活力をもてるから。

自分の中から幸せをつくりだせると思うから。

ハグ以外にも、肩をポンとたたかれてリラックスしたり、

「よっ」の一言でホッとしたり。

だれかの笑顔が自分の中に素敵を流し込んでくれる。

おかげでそのあと、活き活きした時間を過ごせたり。

頭でわかっているつもりでも、どんな言葉を使っても、うらはらに現代人は、

全体的に刹那的で生き急いでいるように思えてならない。

以前、お世話になった東洋医学の先生が、

「深呼吸、深呼吸」

「呼吸は健康」

と教えてくださいました。

ひととのささやかな呼応は、自分の足で歩いていくために、

自分を守ってくれる大切な呼吸ではないでしょうか。

習慣がない中で、始める勇気がまだないですが、素敵だと思うんですよね、ハグ。

いいなぁ。

ウォーミング・アップが満ちたら、思い切って始めたいな。

楽しいことの伝染。

……、ちょっとまだ思案中。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2007年6月 6日 (水)

堂々と輝いて!

男性もウェルカムエイジング。

と、時々その辺りも書きたいと思っています。

ヨーロッパの“おとな”な国では、年輪を重ねた女性たちを尊重します。

日本は、女性の年齢が上がっていくことに対して、非常に幼稚なスタンス。

男性には、ロマンスグレーという表現があり、女性ほどは年齢による呪縛や、

よくないイメージはない気がしていました。

しかし、そうでもないことを発見。

3,4年前、渋谷の交差点で信号待ちをしているときのこと。

通りの向こうのビルボードに某俳優さんのポスター。

友達と一緒だったので、その方が出演されていたドラマの話に。

出演者を思い出しながら話していたので、

「かっこよかったな~、児玉清♪」と、児玉さんのシーンを思い浮かべて言いました。

すると、友達の横に立っているサラリーマン風のお兄さん(推定年齢25,6歳)が、

グイッと勢いよくこちらを向きます。「えっ!?」という顔で私を見ます。

ビックリしたのとムッとしたのとで、「え? 何か?」という顔をしてしまいました。

(きっとお兄さんは、かっこいいというのが某俳優さんだと思ったから

意外だったのでしょうが)

そのとき、男性もある程度の年齢になると、どんなに素敵なひとも、

若い男性に比べ、男としての魅力がなくなるとされてしまうのか、と知りました。

文化も低年齢化していて、映画、ドラマ、小説、歌など、圧倒的に若者主体。

“おとな”をしっかり描いたものが少ないこと、スポットがあたっていないことも、

好ましくない風潮をつくっていると思います。

歳を重ねた素敵な男性、たくさんらっしゃるのに。

驚き顔をしたサラリーマン風のお兄さんも、必ず年齢は上がっていくのに。

そのときどうする気なのか。

知人が興味深い話を聞かせてくれました。

50代の女性が会社で同僚の男性に、「おい、おばさん」と呼ばれたので、

「なんだい、おじさん」と返したら、烈火のごとく怒り出し、

「俺はおじさんじゃない!」と怒鳴ったそう。

男性は男性で、若さの焦りや背伸びとは、

違う焦燥感や切なさを抱えていらっしゃるのですね。

もうそろそろ日本も、成熟へ向かうことを考え始めてもいいのではないでしょうか。

男女ともに、若さとは別の素晴らしい魅力がたくさんあるのでは。

貶めあったりしないで、お互いの紡いできた時間、

それゆえにある“今の姿(内外ともに)”を愛しみあう。

そういう素敵な方々が増えて、美しさを魅せつけてほしい!

示してほしい! 目標とさせてほしい!

魅力的なおとなの男性・女性は、自分が歩いていく道を照らしてくれる

ありがたい道しるべです。

堂々と輝いていてほしい!!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年6月 4日 (月)

コインの匙加減

物事の良いところ、悪いところ。

コインの表裏のように、1つのことには、良い面と悪い面がある。

私は大雑把なところがあります。

物事によってはそれでは困る、きちっとしなければいけない。

反面、精神的にはいいことも。

考え込みやすく、悩むと、ど~んと落ち込む。

落ち込みすぎると大雑把が顔を出す。

問題が解決していなくても、一旦、考え悩むのをやめます。

「知らな~い!」と言って自分を解放します。

※投げ出すわけではない。

風邪を引いて弱った身体は、休めて免疫力をあげるが如く、

考え込んでいることから気持ちを離し、休ませる。

これがなかなか難しいですが、考え込んでいる内容より、

悩んで弱気な自分でいることが嫌だと感じる。

で、ビバ! 大雑把。

「も~知らな~い!」と言って、違うことに気持ちをもっていく。

そうして時間をあけると、気持ちの免疫力が上がり、

かえって考えるべきことと、しっかり向き合うパワーがもてる。

元気になったところで、どうにかできるわけではないことであっても、

切なさを受けとめたうえで、ポジティブに進んでいく力をもてる。

それからポーカーフェイス。

何を考えているかわからない。

表現によっては、ずるいイメージがありがちですが、

素直に顔(態度)に表わすことがいいとは限らない。

時には正直であることで、ひとを傷つけたり、追い込むこともある。

ポーカーフェイスであることが強さであり、最も優しいこともある。

そのほかにも、「合理的」、「自然体」、「純粋」、「フットワークのよさ」など、

まだまだいろいろ。

良いところ悪いところの表裏。

その場に応じてどちらであるべきか。

その匙加減をうまくできるようになりたい。

そう思うこの頃です。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2007年5月 2日 (水)

心をわしづかみに、かっこいい!

実はこんないいことをしていたらしい。

ひとに見えないところでいいことをしている。

ひけらかさないで、さらっと自然体で。

“いいことをしていた”が知れると、その人は「素敵」「かっこいい」と評される。

確かに個人的なことをひけらかすのは、いいと思わないけれど。

なんとなく違和感。

何か、ひとのために動き、言葉を発し、人々に呼びかける人がいる。

時として偽善者と言われたりする。立場によっては売名行為だと言われたりもする。

前者と後者。どちらに心が動くかと言えば、後者を支持します。

前者はその人だけの話。先へ続く連鎖が見えない。

ので、「いいことなら教えてくれてもすり減らないし。

ひとが知ることができるように、伝えてくれてもいいのに」と思う。

有名な人でも、無名な日常で出会う人でも、

“目的”や、いい意味での“利”を選び、批判されること、

悪く言われることを甘んじて受け入れる人のほうに、

本物のプライドと品格を感じます。ガシッと心をわしづかみにされます。

こういうときに伝えやすい、有名人の話で言いますと。

U2のボノは自分が行っている慈善活動を、非難されても売名だと言われても、

“目的”を達成する為ならば悪魔に魂を売ってもいいと言い、

本当に必要な尊いことを選んだ。

スーザン・サランドンはホームレス問題をはじめ、

様々な社会問題へ積極的に取り組んでいる。そのためにバッシングも受けた。

けれど彼女は「子どもたちの未来に関わりあること。黙ってはいられない」

と、やはり優先事項を選んで腹をくくっている。

雲仙普賢岳の災害時、泉谷しげるさんは都内の街頭で支援を呼びかけた。

さらりとではなく、汗を流してフォークギターをかき鳴らして。

もともと好きでしたが、その姿をテレビで見て、大好きになりました。

それとは別に、例えば誰かが何か考えて発言し行動したとき、

それがもし売名だったとしても、それによって1人、2人、10人…と触発されて、

次の行動に繋がったら、とても尊い売名って気がします。

この際、その人の動機なんて小さい。

触発されたからには、支持したひとたちが守っていけばいい。

いいぞ! ついていくぞ! がんばれ! って。

司馬遼太郎氏の『竜馬がゆく』に描かれている坂本竜馬も、

細かなことはすっとばし、ひとは“利”で動くと語り、

ひとの血が流れない方法を考え出し、鮮やかに幕末の混沌を収めていった。

同じように“目的”とそれに付随する“利”を選んだ

ボノやスーザンや泉谷さんをかっこいいと思います。

坂本龍一さん、桜井和寿さん、藤田まことさん、渡辺えり子さん、

渡辺謙さん、川原亜矢子さん、マドンナ、ジュリア・ロバーツ、ディカプリオなどなど、

素敵な「おとな」がそれぞれの思うところで言葉を発していらっしゃる。尊敬しています。

社会的なことに限らず、ちょっとしたことでも、

熱い話や調和的な話を知ると、心にとまります。

もう何年も前ですが、どこかで読んだ、俳優の勝地涼さんのインタビュー記事で、

「小学生の頃、アトピーの友達が上級生にからかわれて傷ついたことに腹を立て、

上級生の教室へ行って猛抗議した」と読んで、「いい人だな」と思いました。

その人が何を大切に感じるのか、優先事項が見える話は印象に残ります。

また、女優の肘井美佳さんのブログで以前、「美の連鎖」という言葉を発見。

ひとの素敵だなと思う行動や仕草に気をとめ、自分を磨く。

それがまた別の誰かに。そうして美しさが連鎖するのは楽しい。

ということを話していらした。

ひとが見ていないところでの努力はとても大切で素敵なこと。

それだけじゃなくて、

「素敵なことなら、どんどん人から人へ伝染していくのって楽しい」という感覚。

私もそういう感覚を大切にしたいなと思います。

と、社会的な大きなことから、日常のありふれたことまで。

本物のプライド、信念、品格、やさしさ、素敵。

かっこいい! と心をつかまれた話を綴ったら、えらく長くなってしまいました。

失礼いたしました。

金曜日は更新お休みします。

また月曜日、ご覧いただけたら嬉しいです。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007年4月27日 (金)

使いどころ、安心どころ

別に貧乏披露をするわけではないですが。

子どもの頃、家に車はなく、バスは贅沢品(?)で、常に自分の足頼り。

真夏は扇風機がないので、自然の風と家族全員マイうちわ。

家族旅行という言葉も知らなかった、……ここらへんでやめときます。

それはかまわないのですが、唯一の不満は、服。

従姉や母のお友達の娘さんのおさがり。

私は小型な子だったので、スカートは詰め直さないとはけないし、

可愛い服でも全体的にブカブカしていました。

自分で選んだフィットした服が着たかった。

ありがたかったのは祖母の家。

孫のために、とテレビゲームが揃えられており、行ったときだけテレビゲームができる。

普段は飲めないジュースもダース買いで完備。飲み放題。お菓子食べ放題。

真夏・お盆直前。寿司ネタの鮮度を気にしつつも、誕生日だからと、

私の大好きなお寿司を特上でとってくれる。

叔父が遊園地へ連れて行ってくれたり目一杯可愛がってくれたので、

チビッ子の私には天国でした。

さて、バブルには一切縁のない我が家。子どもの頃の贅沢どころ(?)は。

どこかへ遊びに出かけると、少々高めのランチを食べたり羽振りがよくなる母。

お金は大丈夫なの? と心配する私に、子どもはそんなこと心配するなと笑い、さらに、

「な~に、明日から1週間、めざし食べて生きればいいのよ」

「中途半端はしない。楽しむときは徹底的に楽しむ! 今日は楽しく遊ぶ!」

「1度きりの人生よ。楽しまずして何のための人生ぞ?」

と言ってケセラ・セラを歌いだします。

母曰く、お金には“使いどころ”があると。

自分にとって価値があると思ったところに使う。他は切り詰める!

思い返してみると、見たいもの、素敵なものはみなくっちゃ! と、

舞台や美術館・映画館へ連れて行ってくれたり、かなり早い段階で結構無理して、

「好きな音楽を聴きなさい」とステレオを買い与えてくれました。

素敵なものに触れておくと、心に潤いをもたらし、辛いことがあっても、

その向こうに希望はあると信じられる力になる! が理由。

母のその考えは、祖母からきているらしい。

祖母は贅沢をしない人だったけれど、母が若い頃、友達と出かけるときには、

多めにお金を持っていくように促したそうで。

必要ないという母に、

「使え、ということではなくて、ギリギリのお金しか持っていないと思うと、

どこか心からは楽しめない。お財布に余裕を持たせておけば安心して楽しめる」

と言ったそう。

また、何着かは多少値の張る服、それにあわせた小物を持っておく。

普段は安いものを身につけていても、私は素敵なものを持っていると思えば安心。

それなりのところへ行くときにも、みじめにならずにすむから。

心にみじめさをもたなければいけないことほど、苦しく辛いことはないという考え。

“誇り”をとても大切にしていた祖母らしい話だなぁ、と思いながら聞きました。

使いどころ、安心どころの法則のおかげで、

お金に余裕がないことでみじめになることなく、生きてこられました。

今でも、人に「そのワンピースかわいいね」といわれると、

「うん、セールで見つけたの。1980(イチキュッパ)よ♪」と答えます。

すると、聞いた人が「あっ、安物…」って顔をしても全然へっちゃら。

好きで買ったものですから、アントワネットのドレス並みの気持ちで愛して着ます。

ということで、観たかった舞台のS席のチケット購入予定(とれればですが)。

近々、目をつけておいた靴とバッグのショッピング予定♪♪

これで当分、他はひたすら切り詰めです。はぁ。

いえいえ、ケセラ・セラで楽しく!

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2007年4月11日 (水)

ジェネレーションギャップを越えた6文字

道ですれ違った小さな男の子。

満面の笑みで三輪車を漕いでいてかわいい。

後ろ姿を見送りながら思い出したこと。

去年のお盆、横浜にて。

従姉のところのチビちゃん(以下Kくん)と母のやりとり。

Kくんの手にウルトラマンの人形を発見した母。

「あっ、ウルトラマンだ!」となぜかテンションが上る。

対してKくん。嬉しそうに「うん、メビウス」。

へぇ、今のウルトラマンはメビウスって言うのかと思っていると、

「おばちゃんもウルトラマン知ってるよ」と母。

Kくん、お友達発見。母を見る目が輝きます。

次の瞬間、

母がウルトラマンセブンのうたを歌いだします。

今、Kくんメビウスって言ったのに、なぜセブン?

数あるウルトラマンの中から、なぜセブン?

と心の中でツッコミ。

案の定、Kくんは一瞬「はい?」と眉間にシワを寄せて不思議顔。

しかし、母が歌うセブンのうたをノッテ聴く。

その後、Kくんがメビウスについて何か言います。

母、気づかずにセブンだ、太郎だとウルトラマン一族の話をします。

ウルトラマン世界のことをほとんど知らない私でも、話がかみ合っていないとわかる。

が、なぜか盛り上がっています。

たった6文字だけの共通言語「ウルトラマン」だけで、コミュニケーションがとれている。

見ていておかしくて、笑ってしまいました。

コミュニケーション。

人間関係にはいろいろな間柄がある。

コミュニケーションをとるとき、よくあるために、わかりあうために、

最良の方法を考える。手探りで掴もうとする。

試行錯誤して、年齢が上るにつれ選択肢を増やし、

それプラス・失敗を恐れ、ときに必要以上に言葉が多くなったり。

これを否定しません。大切にしたいです。

ただ、その一方で、

理屈じゃない。頭で考えすぎるな。まず感じる! 感覚で掴め!!

ということも大切な気がします。

五感で受けて、よりよくするために考える。

違う国の人同士が互いの言葉がわからなくても、例えばそこに音楽があれば、

ハミングで一緒に歌う。フィーリングで繋がる。

THE BOOMの『島唄』がはるかアルゼンチンで日本語のまま歌われてヒットしたのは、

アルゼンチンの人たちが、島唄を「感覚」で好み、欲したのではないでしょうか。

思考は大切。おおらかにフィーリングで繋がることも大切。

人間関係だけではなく、いろいろなことに対して、

ゴチャゴチャと考えるぎるかと思えば、大雑把が顔を出し、フィーリングで行動。

はたまた、散々考えておいて思考を裏切り、直感最優先に生きてきました。

これからは、コミュニケーションも含め、2つのバランスをしっかりとり、活かしていきたい。

余談ですが、帰宅後、母に、

「メビウスとセブンでよくあれだけ盛り上がったね」と言うと、

「? メビウスって何?」

え~っ!?

フィーリングにもほどがあります…。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年3月16日 (金)

ああ、身の程

「人は身の程を知らなければダメだ。身の程を知ってナンボ」

という知り合いの発言を耳にして、違和感。

違う気がする。なんかもっとこう……、違う。

そもそも身の程って、なんだ?

武家社会、公家社会、士農工商時代じゃあるまいし。

人が人を「身の程~」って考えるのがバカバカしい。

やんごとなき家のお方なんて今の時代、そうそういない。

貧富の差はある。しかし現代、能力は各ジャンル、うなるようなプロは少ないのでは。

みんなどっこいどっこいなら、身の程がしっくりあてはまる事柄は少ないのでは。

「自分をわきまえる」ということだとすると、知るべき・知っておくべきは、

「身の程」ではなく自分の「性質」ではないかと。

自分の中の善悪、誇る部分、恥じる部分、守る部分、直すべき部分、そして業。

自分の性質から目を逸らさず、時々じっくり向き合い続けること。

必要なのはそれではないか。

それが違和感の正体でした。

そして思い出しました。6年か7年前に書いた詩。笑いました。

もっとずっと先。天寿をまっとうするときに、

「はい、よく生きました。これで完成」

そう思って笑いたい。

という目標があるので、書いたときの自分の気持ち、わかります。

書いてあること、今でもそう思います。

ただ、キツイ。言い方にやわらかさがなくてノン・ポエジー。

そんな過去の自分に共感したので。

「身の程は知りません」

身の程は知るべき? 知ったらつまらない

人間なんて皆 ちっぽけ それでも

どの命もかけがいのない たったひとつ

結構大切じゃないかしら

「プライド」「つまらない意地」

いくつになっても結局

わからないことだらけ

「確かなもの」なんてそんなにない

てのひらに乗るくらいあればいい方

割り切れないなら  割り切らない

譲れないことは 譲らない

「ダメな人」 そう ダメでしょう

いたらないこと 失敗の数々

これまでのすべて なかったことにはできない

だから 自信勝手といこう

雑誌の占いに書いてあった

「物事こだわり過ぎずにおおらかに」

「直感と好奇心を大切に」

「あなたは自分を曲げない人です」

そうですか ではそうしましょう

立派な人生じゃなくてもいい

褒めてもらうために生きるわけじゃない

そう言ってられないことが

これからたくさんあるでしょう

でも 身の程なんて知りません

いつかくるエンディング

きっと叶う

納得してると信じてる

きっと笑って死ねるって

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年3月 9日 (金)

流浪の民

慣れし故郷を放たれて~、夢に楽土求めたり~♪

『流浪の民』という曲の歌詞。

先日、母が口ずさんでいるのを聴いてから、ここ数日、

ふとした拍子に頭の中で『流浪の民』が流れます。

気を抜くと、電車内や道で口ずさみそうになります。

中学の合唱コンクールで自分のクラスが歌った歌。

とても好きな歌でした。

実際の流浪の民の生活、歴史をきっちり知らないので、うかつなことは言えない。

ですが、「慣れし故郷を放たれて、夢に楽土求めたり」

という言葉に憧れを覚えたことがあります。

もし、あのときこうだったら…、あのときこうしていたら…。

もし~と考えてもキリがないので、まず考えません。

が、1度考えたことがありました。

もし、ものすごく丈夫で、風邪ひとつひかず、

学校は皆勤賞というような健康優良児だったら。

最低限の語学を身につけ、お金を貯め、世界中を旅して生きたい。

観光地を回るのではなく現地の人と触れ合い、生活を知り、文化を学ぶ。

生半可ではなく大変であっても、その土地で仕事を探して働いて、

別の土地へ移動して。

自分の細胞すべてで、たくさんのことを感じていくために、時間を活かして生きていく。

不安定ではあっても、そんな人生があってもいいのではないか。

という、かなり現実味のない夢物語を想像してみました。

そんな無鉄砲をしないために、屈強な健康優良児ではなかったのかもしれない。

今の私であることに意味があるはず。

きっと一生飽きることがなく、もっともっと考え、

学び続けたい、自分と切り離せない大好きなことがある。

それをまっとうしたい。

しばしば揺れて迷走しますが。

「楽土」は自分の中にある。どこにいても、どんな人生でも。

以上、ちょっとした空想話でした。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2007年2月28日 (水)

上げ、落とし

悪口はよくない。

同様に、いえ、場合によって以上にえげつないと思うこと。

上げて、落とす。

特に有名な方々はこの犠牲になる。

素敵、キレイ、かっこいい、オシャレ、才能がある。

あんな風になりたい、と憧れの眼差しをおくる。

そういう人が1人増え、2人増え、たくさんの人に持ち上げられる。

月日が流れ、気づくとバッシングが増えている。

しかも、なぜかその人の仕事ぶりと関係ないところをつつき、けなしてかかる。

ホントかウソか、大きなお世話ではないかと思うような話を探してきて、

(たぶん)大仰に書き立てる。

いやらしい。

特にファンではない人でも、あまりえげつなく上げて落とされていると、

「ここから! 頑張りなよ~、意地みせてやりなよ!」

と応援したくなる。

人の人生を狂わせたり、社会的影響の大きな事件を起こすとなると話は変わりますが、

そうでないなら、いいと思った人を応援し続けたい。本人が頑張り続ける限り。

これは有名人に限った話ではなく、すべての人にあてはまる。

人に欠点があるのは当たり前。それも1つや2つじゃない。

誰にだってゴロゴロ、ゴロゴロある。失敗もしかり。

私にもたくさんある。挙げていったら……落ち込んで1日2日笑えなくなるかも。

歳月を重ねれば重ねるだけ、人として美しい部分は増やすことができるけれど、

欠点や失敗も増える。

誰だってそう。なのに、誉めそやしてから、貶める部分を探して傷つける。

・・・・・・・・・・・・・・誇りを持たないと。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年2月 9日 (金)

東大寺を建てたのは、大工さんです

タイトルの言葉は、水上勉さんの著書『女ごころ風景』の中の一文です。

詳しくは、

「東大寺は誰が建てましたか」という宿題が出て、「大工さんが建てました」

と答案用紙に書く子供を歓迎する。(略)大工や左官や木挽きが、延べ何万人

の労働者と共に狩りだされて、大きな大仏殿が建立された(以下略)

教育について述べられた話の一節。

この箇所が好きで、「うんうん」頷きながら読みました。また同書の別ページでは、

金閣寺の鳳凰堂を建てたのは誰かと尋ねられたら、「大工さんです」という答えが

好きだと語り、義満が手を汚して堂を建てたわけではない。無名の大工や左官や

瓦師の力で国宝級の建物が今尚残存している、というようなことが書かれています。

確かに子供の頃、教科書でピラミッドを見たとき、

いったいどれくらいの人で造ったのかな。昔は便利な機械もないよね、大変だな

と思いました。まあ、子供でしたから単純に、重いものを担いで必死にがんばって、

結局「ファラオが建てました」と片づけられるのは悲しいね、と思っただけですが。

水上さんの本を読んで、子供の頃感じたことの補足をもらった気がしました。

水上さんは、鳳凰堂の話を「そういう凡庸の智識を社会から学んだ」と述べています。

しっかりと「おとな」になるための、自分に即した「おとな」を磨いていくための、

ヒントを見つけたように思います。

物事を平面だけではなく、立体で見ることが、自分を人として躾け、成長させてくれる。

そういえば1年前の日本アカデミー賞のとき、

吉永小百合さんも、薬師丸ひろ子さんも受賞スピーチで、

一緒に映画をつくり上げたスタッフの人たちに思いを馳せていらっしゃいました。

私の映画、俺の番組というニュアンスの発言をする役者やタレントもいます。

「誰々の映画」とひとは捉える。すると、役者だけのもののようですが、

大勢のひとでつくっている。

吉永さんも、薬師丸さんもそのことを心から感じているからこそのスピーチだった、

そう思います。だからこそ、あんなに素敵なのだろうと思います。

「素敵なおとな」への道に、「謙虚」も不可欠な大切なものですね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年1月24日 (水)

ケンカは、断る!

もう、いいです。

私が悪者でいいよ。だから、

ケンカは、断る!

嫌です、ケンカ。意味がないから。

テレビを見ていて、あるタレントさんが、ケンカはとことんする。

身のまわりのひとで、大切であればあるほど、とことんする。

相手をわかりたいし、わかってもらいたいから。

そう言っているのを聞いて、怖いと思いました。

「大切だから」という言葉を使えば、何を言ってもいいと思うことが怖い。

大切だからこそ、言えないこと、言わないこともある。

年齢が上るほど、見極めて距離感を持たないと怖い。

良識、常識のほかに、しっかり相手のバックボーンをふまえて発言する責任がある。

話し合いは、相手を尊重しつつ、自分の意見を述べること。

この人とは、○○は同じだけれど、△△は考え方が違うのだと受け入れること。

それでもうまくやっていける道を持てるように、考えあうことではないでしょうか。

良識の範囲であれば、ひとつの物事に対して、

意見が、考え方が違っても構わないと考えます。

すべて同じなんて不可能ですし。

重要な部分が相容れないならば、ケンカしなくても、いずれ袂を分かつことになるのでは。

ケンカは感情的なもの。違う意見を認めず、自分と同じ意見にしようとするもの。

エゴの押し付けな気がします。ある種の支配欲?

あくまで私の経験上ですが、嫌な思いをするだけで、いいことは何ひとつないのがケンカ。

そのときは、痛いところをつかれても、反省材料になり、自分を、磨くきかっけにもなり、

ありがたいものが話し合い。

感情論ではない冷静な目で話してくれるほうが、愛情を感じます。

ということで、最初に書いたように、ケンカ主義のひとには、

「ケンカは、断る!」という意思表示に、貝になります。

乗る気はない! と。

白状しますと、10代の頃はすごく短気だったのです。

カチン! ときやすかった。自分で言うのもなんですが、口も達者でしたし。

でも、段々意味のない、よくないことだと気づき、ケンカは断る主義に変わりました。

知り合いの中に、「勝つか負けるか」が生き甲斐で、人生のすべてという人がいまして。

ケンカがこの上なく好きで、言葉の攻撃がすごい。

それが苦手で違和感があり、その人を反面教師に「人の振りみて~」ということで、

ケンカ拒否へ。

徹底的に、「ケンカは、断る!」

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年12月30日 (土)

遠い道のり、自分のペースで

言うべきは言う。

その上で、あたたかく、やわらかく。

そんな風に話がしたい。文を書きたい。それが理想。

でも、未熟ゆえ、「怖い」「言い方がキツイ」と言われてしまうことも。

伝えたいことがあり、熱が入ると、ついきっぱり言いすぎてしまう。

伝えることを、やわらかく、しかも凛と表現できたら。

中尊寺で拝見した仏像の数々(すみません、また例えが趣味)。

たおやかで、慈愛に満ちていて。包み込むようなあたたかさを放っていらした。

お美しい。

少しでもそんな風に話ができたら、文が書けたら、と思います。

女性としても、大好きな白いバラや、白木蓮のように、いつかなれたら。

「基本、熱い女だからね」と、まわりに言われるような人間。

道のりは遠いですが、来年もカメの歩みで、自分のペースで、

揺れたり迷ったり、悩みながら、もがきながら成長できるよう、がんばりたい。

年明けの更新は、5日。もしくは8日から、の予定です。

来年もご覧いただけたら、嬉しいです。

皆様、よいお年をお迎えくださいませ!

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2006年12月20日 (水)

変わり続けることは、いいことだ

極自然なことだと思うのです。

心や身体が変わっていくこと。

ひとそれぞれ、自分の中の基本軸はあると思うので、そこは持ち続けて変わらない。

もしくは、変われない部分だとしても。

望む望まないにかかわらず、ひとは変わっていく、そう思います。

内面では、環境、出会う人との関わり、起こる出来事などで、

いろいろなことを感じ、知り、思考して、変わっていく(成長していく)。

10代の私が、今の私の考えを聞いたら、おそらく「え~」とブーイングする部分も

多々あると思います。

時を経ての自然な変化ですし、今の自分のほうが好きなので、

昔の私に返すのは、「まあまあ。いいんじゃない。今はブーイングで」

と、余裕の笑みです。

身体も、歳ごとに変化する。

現代人は、自然体という言葉が好きなのに、なぜ心身、

特に身体の自然な変化は拒絶するのか。悪しきものとするのか。

例えば、20歳と40歳で、変化がなかったら、怖いです。ホラーチックで。

元々、若さ=美しさと考えていなかったので、ハタチくらいときも、

同年代のひとより、年配の女性が脅威でした。

横に並びたくない。絶対見劣りする。

女として、まだまだ未熟だと思い知らされる、そう思って。

今もそうです。自分より若い女の子より、自分の倍の年齢の女性のほうが怖い。

変化にのまれず、変化を楽しんで血肉にしていった、魅力を放つひと。

太刀打ちできるはずないですから。

最近、鼻の頭にうっすらソバカスができているのを発見。

ハタチのときにはなかった。

以前は疲れても、目の下にクマができることはなかった。

今は、体調が悪いと出るようになったと気づく。

10歳くらいから、いつも目の前の問題にアップアップだったのが、

そういう変化を楽しめる状態が愛おしくて、自分が嬉しくて。

鏡のソバカスを見てニコニコ。

あ~、私、それだけ歩いてきたんだな、がんばったんだな、と。

(すみません、自分好きで)

さて、これからも歳を重ねていく。まず、目指せ、素敵な充実した30代。

そして、この先、以前私が感じたように、私が40代、50代になったとき、

ハタチの女の子が、気後れするくらいの女になりたい!

というのは、夢の1つです。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2006年12月14日 (木)

当たり前、ではない

最近、つくづく思うことです。

当たり前はない。

映画『暗いところで待ち合わせ』の主人公・ミチルは、事故で視力を失う。

そのことで怖い思いをする。傷つく。

家でひっそり暮らし、外の世界と自分を遮断している。

周囲に迷惑をかけることを恐れている。1歩が出せないでいる。

映画を観ていて、共感する部分がありました。

今は、人並みに元気ですが、これまであまり身体が丈夫ではありませんでした。

無理がきかない。

元々はやんちゃで、じっとしていることがない子でした。

15歳までは、部活で毎日テニスもしていました。が、

高校生になって、段々身体が弱っていくのを感じる。

すごく焦りを感じる毎日でした。

やろうと思うことがある。やりたいことがある。もう溢れんばかりに山ほど。

身体がブレーキ。無理がきかない。

友達と同じことをしても、友達は平気なのに、私は帰宅してから、

頭痛に七転八倒、洗面器抱えてぜぇぜぇ。

うんざりして、1度、ブチッと切れたことがありました(「そのとき何してた?」参照)。

また、母や兄をはじめ、周りに心配をかけていること、

負担をかけ、迷惑をかけていることが申し訳なくて、苦しくて。

比較はいけませんが、「つまらない」「おもしろくない」「やりたいことがない」という若者。

10代、ハタチくらいのころは、腹立たしく思っていました。

じゃあ、代わって、身体。

私はやりたいことたくさんあるの!

丈夫に動き回れるなら、どんな辛いことでもやる。

がむしゃらにやりたいの! と何十回も思いました。

今は、失礼なこと、決して考えてはいけないことだとわかりますが、

まだハタチくらいのころは、

「もし今すぐ丈夫な身体になれるなら、寿命が40歳くらいまででいい。

その間にがむしゃらにがんばって生きる! このまま死んだように長く生きてたって

意味がない!」なんて発言をしました。とんでもない不届き者ですね、私。

しかも、他に当たる人がいないから、母に向かって言いました。

娘にそんなことを言われた母がどんな気持ちだったか考えると、

もう愚か者過ぎて、謝っても謝りきれない。

その後、悪くなるだけなったら、ゆるやか~に、健康を取り戻していき、

少しずつ丈夫になってきました。

今は、「人生に『もう遅い』はない!」をモットーに、1歩ずつ、1つずつ、

自分のペースでいろいろなことをやっていこう。人生を味わっていこう。

そして、元気に夢見る70歳を目指そう、と思っています。

自分の持っている、感じている「当たり前」は、絶対ではない。

というより、当たり前ってないのでは。

映画を観た後でそんなことを考え、母に幼き非礼を詫びたら、言われました。

うん。確かに当たり前はないかもしれないね。

例えば、あなたはダイエットをしたことがないけれど、やせたいひとには嫌味だし、

童顔でハタチくらいに間違われるのが嫌って言うけれど、

少しでも若くいようとしているひとが多いんだから、感じ悪いだろうね。

と。

なるほど。反省です。

悩みはひとそれぞれで、みんな一生懸命なのだと。

ひとつ学びました。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006年11月17日 (金)

幸せ貯金

最近のくせです。

日常の極ちいさなことですが、嫌なことがあると、気分がよくない。

そのとき思うのです。

はい、今1つ幸せ貯金♪

単に、1つ嫌なことがあったら、1つ良いことがあるはずだ。

なんて都合よく考えているだけなのですが。

このくせをつけてから、イラッとしかけても、

「いやいや、今貯金したから、良いことあるさ~」と思う。

嫌な気分をひきずらない→身体にいい。

身体にいいからなのか、心がぬくぬくすることが多くなった気がします。

心がぬくぬくすると、嬉しいことを発見することが多くなる。

ありがたいことに、この貯金、減らないのです。

使うと、預け先である私の資本(エネルギー)に変わります。

その資本を元手に日常が回る。また、チャリ~ンと貯まる。

場合によっては、ジャラジャラ貯まり、また、資本に変わります。

なんだか運気も上っているような、いないような。

さて、現実のお金は使えばなくなる…。

幸せ貯金のようにはいかない。

でも、節約、やりくりには自信あり。

私の財布の紐は、しっかり締まっています。

これからも「お金をかけず手間をかけ、心豊かな生活を送ろう」

のモットー通りにいきたいと思います。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年11月10日 (金)

石橋の渡り方

なかなか行動しないかと思うと、いきなり大胆なことするよね。

こう友達に言われたことがあります。

う~ん。

考えて考えて、考えてから行動するので、スタートは遅いです。

ただ、大胆な行動はしていませんが。

慎重ではありますが、大雑把な性格が顔を出し、慎重さが持続しない。

石橋を叩いて渡るようで、そうでもない。

今までの自分を振り返ってみる。

石橋の渡り方、私はどっちかしらと考える。

そこで見えた自分を詩にしてみました。

今後の課題でもあります。

「しょうがないので」

石橋は叩いて渡りますか

それとも 即行動ですか

トントン トントン

悩みに悩んで 考えすぎて

叩きすぎて うっかり壊してしまいます

渡れない

仕様がないので

思いっきり助走をつけて

飛んでみます

失敗と成功 五分五分

さらりと橋を渡りたい

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2006年11月 1日 (水)

味、でしょうか

色気ってなんだろう。

ユーミンが奥田民生さんを「色っぽい」、と言っているのを雑誌で読んでから、

考えるようになりました。

5、6年以上前に読んで、最初の2年くらいは、うっすら見えてきそう、

と思うものの、何でこんなこと考えているんだろうと思う。

気になり始めてから2年ほどで中断。

2年近く前に、はたと思い出し、感じたこと。

出会った人や街で見かけた人、役者やミュージシャンなど。

どのような形で存在を感じた人でも、色気があるな~と自然に思うことが増えている。

その人の何を色気と思ったのだろう。

その人の持つ性質。魅力を上手く出せる人。表現できる人。

意識的にでも無意識にでも、自分の持つ「味」を活かせている人。

そういうときに放つ輝きが「色気」なのではないかと。

自分の「味」。しかも活かす。

一朝一夕には習得できない。積み重ねて積み重ねて、

自分なりの艶をつくり出す。

数式のように、これっていう正確な答えはない。

人によっても、年齢によっても、生き方によっても違う。

人の数だけ色気がある。

誰にでもあるし、その人が自分を大切に活かそうとする限り、一生あるもの。

自分がこれからどのような色気を持つことが出来るか、ワクワク。

いろんな人の色っぽさを感じたい、発見したい、とウキウキ。

こんなことを言っておいて、3年くらい経ったら、

色っぽさの定義が自分の中で、違うものになっているかも知れません。

楽しみ。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年10月31日 (火)

実るほど

秩序として「立場」をわけて、上下関係があるのはわかります。

それがないと、混乱して差し障りがでることもありますから。

ただ、それは社会をうまく循環させるための「くくり」的なものであって、

人としての上下ではない。

年上を敬う意味での、敬愛を込めた上下はありますが、やはり人としての上下ではない。

年上でも尊敬できない人もいれば、年下でも尊敬する人はいますから。

相手のことを思って導く意味で、アドバイスをいただけるのはありがたい。

やさしさ、思いやりを感じます。

よかれと思っての発言と、そうでないものって、なんとなくわかりますよね。

人として上に立っている意識でものを言う。

「あっ、今バカにされてるな」と言われた人がわかるような態度。

社会とはこういうもの、という理屈は通らないマナー違反だと思います。

私が2歳のときに他界して、会うことができなかった祖父。

母が子供時代に見たという、祖父の話をしてくれたことがあります。

仕事が忙しくて毎晩帰りの遅い祖父。

会社の運転手さんが自宅へ送ってくださっていたらしく、

家の前に車が止まるとすぐ、祖父が祖母を呼ぶ。祖母は車の音がするとスタンバイ。

母が子供の頃は、バナナが高価なものだったらしく、

形として表わせるのは、時々しかできなかったようですが、

祖母は、バナナやらお菓子やらを手に玄関の外へ。

いつも深々と頭を下げて、当時出来る精一杯で、

夫婦揃って運転手さんに感謝していたそうです。

この話を幼い頃に聞き、会うことが出来なかった祖父を尊敬しました。

「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」ということわざ。

謙虚さと感謝は、最上級のマナーだという教えかな、と認識しています。

そういえば、3月に見た日本アカデミー賞のとき、

憧れの吉永小百合さんも、薬師丸ひろ子さんも、

スピーチがとても謙虚で美しかった。

大好きなジョニー・デップも傲慢さがない。

ビートたけしさんも、あれだけすごい人なのに、芸人さんが語るたけしさんは、

シャイでやさしさの溢れる人柄だそうで。

そう! タモリさんも偉ぶったところがないですよね。

これまで出会った人の中でも、素敵な方はみなさん謙虚。

魅力的な人はマナーに適っていらっしゃるんですね。

よし、がんばろう。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年10月26日 (木)

今井美樹発

今さっき、録画しておいた「スタジオパークからこんにちは」という番組を見ました。

今井美樹さんがゲストだったので。

小学生の頃からファンなのです。

歌手としても女優としても大好き。

女性としても、歳を重ねるごとに美しさを増す姿に憧れています。

雑誌インタビューなどは拝見していましたが、長いことファンなのに、

じっくりと語られているのを聴くのは初めて。

いろいろ発見。

司会の方の問いかけにひとつひとつ、丁寧に、きっちり答える。

音楽がとても好きなのだろうということは感じていましたが、

熱い思いを語っていらっしゃいました。ファンとしては嬉しいところ。

そして、番組を見て思ったこと。

なんて真摯に、全力で生きている人なのだろう。

きっと1日の終りはヘトヘトなんじゃないかしら、と心配になってしまうほど。

はたと、自分を省みて考えてみました。

高校を卒業したばかりの頃、ズドーンと気持ちが落ち込んでいて、

何もかもどうしたらいいのか、わからなくなっていたときがありました。

そのとき、ありがたい出会いが。

人生のターニングポイントといいますか、その人がくれた言葉の数々は、

私を変えてくれましたし、自信と希望を与えてくれました。

それらの言葉がなければ、今日までがんばれたかどうか。

きっと人生の方向が全然違っていた…かもしれません。

お会いしたのは数回だけですが、大きな出会いでした。

今、お会いする機会はありませんが、感謝感謝です。

お元気でいらっしゃるといいな。

美樹さんの真摯な在り方を見て、言われた言葉の数々を思い出しています。

言われたことのひとつ、

「自分自身と向き合って生きなさい。嫌ってくらい徹底して自分を見つめるといい」。

自分が定まらないお年頃。ともすれば人と比較してしまいがち。

お言葉を信じて、自分と格闘していたおかげで、潰れないでいられました。

久しく「自分と嫌ってほど向き合う」ことを忘れていましたが、

もう1度、向き合ってみようと思います。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2006年10月20日 (金)

キーワード

「言葉遊び、大好きでしょう」

知人に言われたことです。はい、大好きです。

文字は「あ」から始まり、50音しかないのに、

言葉はすべてを網羅することはできない。無限大!

覚えた言葉を理解したつもりになっていても、時が経つと、違う解釈を発見。

新しい感覚で向き合っていたりする。

飽きることがない。

19歳くらいの頃、「キーワード」という詩を書きました。

今、読み直してみると、物足りない。

19の自分は尊重しつつ、書き直したくてウズウズ。

考え直しながら、今の自分の心境、感覚を楽しみました。

「キーワード」

好きな言葉

温かさ 強さ 潔さ 図太さ

笑顔 真心 良識 感謝 聡明

一期一会 大胆素敵 楽天性

粋 愛 美 大人 祈り 誇り 貫く

思いやり しなやか 凛々しい かっこつける

信じる 足掻く ありがとう プロセス

切ない 自律 美学 未完成 距離感

I love my life     to you

嫌いな言葉

戦争 権力 暴力 束縛 優劣 強制

常識 迎合 主従 徒党 傲慢 見返り

マニュアル ノリ ヤバイ カリスマ

勝ち負け 易しさ 事なかれ主義

勝てば官軍 だから(例…世の中そういうものだから)

give me  決めつけ 唯我独尊 無関心

好きでこうありたいと願う言葉

どれだけ近づくことができているだろう

どれだけ大切にできているだろう

嫌いでこうありたくないと思う言葉

うっかり受けとめたりしていないだろうか

どちらも時々再確認して

私が私らしく生きていられるよう

心に留めて自覚していたい

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2006年9月29日 (金)

合図

適齢期。

適した年齢の時期。

結婚適齢期という言葉がありますが、結婚に限ったことではなく、

人それぞれ、たくさんの適齢期があるような気がします。

かけっこの速い遅いがあるように、生きるスピードが違うことだってある。

朝の身支度を、短時間でうまく問題なく整えられるひとがいる。

余裕をもって、時間をかけて準備しないとならないひともいる。

身支度に1時間かけて丁度いいひとが、10分で済むひとと同じ時間で出かけたら、

準備不足で不都合が生じる。

社会の中の時計、常識は持ちつつ、自分だけの人生時計もあっていいのでは。

それが今の答えですが、そう思うようになるまで、長いこともがきました。

で、ふと思ったことです。

「合図」

何か やりたいこと 望むことがある

なんらかの事情で 断念せざるを得なかったとする

そこで「何か」を捨て去らず 自分の片隅に残しておく

幾月も 幾年も 日々を紡いだある日

そのときが来る

片隅に残しておいた「何か」

始められるときが来る

再び希望に向かって 

今度こそ希望に向かって

歩み始められるときが

ひとによって いつなのかは違うから

比較して焦っちゃいけない

流されて 本当の「時期」 逃しちゃいけない

自分の準備が出来たら

きっとある日 合図が来る

本当に適した時期に

自分にだけわかる「合図」が来る

もどかしい時は 準備期間

自分だけの人生時計 片隅に

合図が来るのを待って

自分磨きに精を出す

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年9月13日 (水)

静かなひと

大声を出すひと。怒鳴るひと。

わめくひと。ドスのきいた声のひと。

そういう人は、とくに怖いと思いません。

突然大声を出されて驚くことはありますが、「怖い!」よりは、カチン。

無理むり押さえつけようとしている感じに、カチン。

ビクつかせて、反論できない心理状態にもっていこうとするアンフェアさに、カチン。

10代の頃は短気だったので、大声を出されると、きつく言い返してしまっていました。

最近は、大人になって、ひと呼吸おくことを覚えましたが、

さらに憧れて目指している「かたち」。

「静かなひと」

静かなひとが実は、いちばん強いのではないか、という気がします。

理不尽な物事にも、危機的状況にも、日常の中でも、

まず、ひと呼吸おける。

そして、毅然として、淡々と対応できるひと。

凛と涼やかで、必要に応じて微笑むことすらできるひと。

それは男女の別なくです。

そういうひとに、自分の間違いやよくない部分を、静かにたしなめられたり、

諭されると反論できません。反抗できません。

指摘されたときは、図星なので「痛い」ですが、心にやさしく残ります。

静かなあり方で、説得力もあって……、そんなおとなの領域。

目指していきたいと思っています。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2006年9月 6日 (水)

ゆっくり奮闘中

ちょっと立ちどまって。

岸恵子さん、吉永小百合さん、向田邦子さん。

スーザン・サランドン、山口百恵さん、小林聡美さん。

風吹ジュンさん、シャーリズ・セロン、今井美樹さん。

オードリー・ヘップバーン、鶴見和子さん、薬師丸ひろ子さん。

澤地久枝さん、東ちづるさん、橋田幸子さん。

夏川結衣さん、川原亜矢子さん、木村多江さん。

中村喜春さん、緒方貞子さん。

長々とお名前を羅列してしまいまして、すみません。

これまで、素敵だなと憧れ、あり方、考え、美しさ、生きる姿勢など、

私淑を受けた方々。尊敬する方々です。

ちょっとめげたときや、投げやりなときなど、この方々を思いだし、

「いいの? こんな風になりたいんじゃないの?」

と、自分に問いかけ、気持ちを立て直します。

先にあげた方々のように歳を纏って、素敵な女性になれるように、

ゆっくり奮闘していきたい。

また明日からがんばります。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006年8月23日 (水)

流さない美学

涙は女の武器じゃない!

女性が仕事を持つのが当たり前な現代。

昔ほど、泣けば許されると思っている、と言われなくなったと思います。

実際、そう言われたくない、そう思われたくないとふんばり、

こらえて流さない人が多いのでは。

が、現実とは逆に、映画、ドラマでは、昔の作品より最近のものの方が、

男女共に安易に泣く場面が多い。

人前ではなく、ひっそり泣くならわかるのですが、躊躇せず、どこででも

堂々と泣かれると。

美学がほしいな、と思ってしまいます。

決して涙を流してはいけないとは思いません。

どうにも堪えられずに泣いてしまうことはありますから。

人の死に直面する、愛、友情などで流す涙は当然ですし、尊い。

しかし、日常の中では流せる涙より、とどめるもののほうが、重く深い気がします。

内出血してしまうから。

あっ、この人、今泣きたいだろうな、堪えているんだろうな、と伝わったとき、

その人を愛おしく感じ、大切に思えます。

その人のために何か出来ることをしたい! 出来ないだろうかと考えます。

取り立てて関心のなかった人が、必死に涙をとどめているのを見て、

たちまち好感をもつこともしばしば。

余談ですが、先日の高校野球。

早実の斎藤くんの流した涙。苫小牧の田中くんが流さなかった涙。

どちらも美しかった。

スポーツで流す涙はいい! OK。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年8月22日 (火)

自己防衛

子どものうちは大人が守ってくれます。

大人になれば、自分で自分を守らないといけない。

「大丈夫?」

会うたびに開口一番、そう言って何かと心配してくれる友達が、

夜道の歩き方を伝授してくれました。

胸を張り、ちょっといかり肩にする。

冬場なら、コートのポケットに手を突っ込んで、大またでガツガツ歩く。

とにかく女らしくせず、早歩きで!

今は夏なのでコートはありませんが、夜道では勇ましく歩くようにしています。

また、電車では「痴漢」という問題が。

冤罪があったり、女子高生が気に入らない相手を、

わざと痴漢だと騒いで陥れるという話を聞いたことがあります。

こうなると、痴漢被害は男性も女性もということになります。

本物の痴漢に触れられるのは嫌だし、冤罪被害者をつくってもいけない。

モラルハザードによるひずみのひとつと言えるのではないでしょうか。

安易なもの言いはできない問題ですが、男女共に自己防衛が必要なことだと思います。

最後に1つ。

「痴漢はおとなしそうな人を狙うと思う」

「一見おとなしく見えるから、ボーッとしてたらダメだよ!」

以前、友達にアドバイスを受けました。

ずっと気を張っているわけでも、ピリピリするわけでもないですが、

「触ったらひっぱたく!」くらいの気構えをもち、シャンとするようになってからは、

不愉快な思いはしなくなりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月 3日 (木)

コンプレックスは!

チャームポイントにしてしまいなさい!

以前、ドーンと落ち込んでいたときに、ある方からいただいたお手紙に

書かれていた言葉です。

このコンプレックスとは見た目の話ではなく、気持ちの問題などいろいろですが。

とってもありがたいのですが、当時はそう言われても、と素直に受け取れませんでした。

ああ、もったいない!

その手紙には、「コンプレックスをチャームポイントにできたとき、コンプレックス

が幸せを教えてくれるはず」とも書かれていました。

さて、これは見た目の話ですが、私の両手の小指は生まれつきギューンと

カーブしています。絶対まっすぐにならない。

コップを持つとき、立てたくもないのに勝手に小指が立つ。

人にそれを指摘されるのも嫌でした。

また、正式に調べていませんが、神経がうまく伝わっていないようで、

手話の勉強をしようとしたときも、思うように動かない。

手話の基礎もうまく動かせない。

手自体は平均的なサイズだと思いますが、カーブした小指だけはちいさい。

手を好きになれない。コンプレックスでした。

それも悔しいので、少しでも好きになろうと、ピンキーリングを買って

小指と仲良くしようと考えました。

商品棚の1番小さいサイズが3号。ゆるい。

店員さんにお願いして倉庫から1号を出してもらう。

少しゆるい気がするけれど振ってみても落ちない。

これ以上だと0号を特注しかないとのこと。1号購入。

お店で試したときは大丈夫でしたが、ときどきスルッと落ちるのは

困りますが、今もつけています。

そんな努力あってか、今は手紙の言葉を受け入れられるようになりました。

以前は指を人に見られたくなくて、手を引っ込めがちだったので、

懺悔を込めて、お風呂でセッセとマッサージして可愛がっています。

今のところ、指から幸せを教えられてはいませんが、何を発見できるのか、

ワクワクしています。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年7月27日 (木)

こんなにたくさんあるじゃない!

だだっ広い関東平野で、生まれ育ったので。

自然はあり放題。

おもちゃの広告を見て、お盆に従姉のところのチビちゃんズに

何かあるかなと眺める。

最近のおもちゃは華やかですね。

子供の頃どんなもので遊んでいたかしら。

……。

おもちゃを買ってもらった記憶があまりない。

ねだったこともない。

なぜ?

うまく母に誘導されていたからだと気づく。

田んぼが続く畦道を散歩。

道々、草花を見つけては「これかわいいね~」

「ほら、見て、おもしろいよ」とオジギ草を触ると葉が閉じる。

おお~っと感動してオジギ草連打。

哀れオジギ草。全員ぐったりうなだれる。

土手に着く。

「何もないよ? どうやって遊ぶの?」と聞くと、

バーンと両手を広げて「こんなにたくさんあるじゃない!」

??

まず、四葉のクローバー探し。ムキになりますね。なかなかない。

それからシロツメクサで冠やらブレスレットやらを作る。

雲の名前も子供の頃に覚えました。

ウロコ雲、入道雲、ひつじ雲、おぼろ雲、わた雲、うす雲。

クローバーを探すのに夢中になっていて、不意に空を見ると、

さっき見たのと全然違う姿になっている。

見るたび違う。

はまっていきました。

お正月には凧を作って凧揚げ。

もはや趣味というより散歩シンドロームといえる歩きまわりぐせは、

完全に母の影響。

母と歩いていると、どこを歩いていても発見するものがてんこもり。

気づくと隣町まで歩いていることもしばしば。

「うちはあまりおもちゃなかったよね」と言うと、

「いやだった?」と母。

そんなことはなかったと答えると、

「外に出ればいたるところに遊びがある。壊れることも失くすこともない。

自然はいいね~」

母は強し。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年7月20日 (木)

フレンドリーの達人に

最近はそうでもないですが、人見知りです。

猫の警戒心が強いように。

友だちいわく

「初対面とか、馴れてない人に見えるよ」

「なんかね、私を放っておいて。近寄らないで、ってオーラを放ってる」

放ってないよ~、思ってないよ!?

と言っても、身近な人が傍で見てそう思うなら、善処しよう。

ということで、考えてみる。

子供の頃、母と出かけて誰かに会うと、仲よさそうに話し出す。

「じゃあ、どうも…」と別れる。

見たことない人。近所の人じゃない。絵画教室の人、でもない。

「今の人、だれ?」

「ん? 知らない」

なんですと?

そんなことが日常茶飯事。

ふと思い出したので母に、なぜそんなにフレンドリーになれるの? 

と尋ねてみると、

「あなたもそういう子だったわよ」

「ニコニコ笑って、誰にでもすぐなついて」

「小さいときは、知らない人が『私がママよ』って言ったら、

信じてついていくんじゃないかって、みんな心配するくらい」

記憶にございません。

「じゃあ、なんで今、人見知りなの?」

(聞いてどうする)

案の定、

「さあ…、成長していく過程で警戒心を持つようになったんでしょう。

いいじゃない。用心深いほうが」

用心深すぎも、どうかと。

「大丈夫よ、元が元だし。何かの拍子に変わると思うよ」

元が元…。何かの拍子。

何か? それはどこ?

考えるのが面倒なので、自然に任せることにしました。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年7月19日 (水)

1から出直しです

月曜日の朝日新聞に若槻千夏さんのインタビュー記事。

「知らないことはきちんと学びたい。

専門用語のバリケードをつくらず、理解できるように教えてほしい。

笑われたっていい。空っぽの知識を埋めたい。わかったらうれしい。

責任を担いたい。仲間に入れて!」

というようなことが書かれている。

率直に語られる記事を読んでカッコイイと思いました。

そして、わが身を省みる。

「これは何?」

「どういう意味?」

「なんで?」

「どうやるの?」

いつからあっさり聞くことをしなくなったのだろう。

なんとなくやり過ごし、自分で調べ、先回りして恥をかかないようにしたり。

これはプライドではなく弱さ。

無自覚にバリケードをつくっていたと思い知る。

まっすぐな人は強い。

本物のプライドは尊い。

1から出直します。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年7月10日 (月)

だわ

痛恨のミス。

今年の初めに憧れの岸恵子さんが岡本健一さんとフランスを巡り、

案内する番組が放映されました。

その日、朝から忙しくしており、見はぐりました。

ビデオに撮ることも忘れるという失態。

その番組がありがたいことに昨夜、BS朝日にて再放送!

岸さん素敵!

洗練されていて、オシャレで知的でしなやかな貫禄。

それでいて、キュートでチャーミングさも感じられる。

ホォーとため息をつきながら見入り、あっという間の1時間半。

フランスの歴史や街のひとコマ、人びと。岸さんの思い出。

みな興味深くおもしろい。

その中で、とても印象に残るのは岸さんの立ち居振る舞い。

美しい。

背筋が伸びていて優雅で力強く、かろやか。

もうひとつは言葉。

正しい日本語とか、丁寧に話す日本語というだけではなく、

声の表情、トーン、テンポ、間、速度などを含めトータルに美しい言葉。

岡本さんと森の中をサイクリングしている場面での

「あら、ここ坂になってるんだわ」のひと言。

「~だわ」

最近あまり聞かない語尾。

私も使いませんが、響きがきれいで聞き心地がいい。

また、岡本さんがフランス語を覚えるコツは? と問うと、

日本語を学ぶこと、美しく話すこと、母国語を愛することに尽きるそう。

言葉の世界は奥が深いですね。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年7月 5日 (水)

気持ちよく伝えたい

ドラマを見ていて気になることがあります。

家に宅配便が来る。

家人はハンコを押して荷を受け取る。そして、ひと言。

「ごくろうさま」

子供の頃、ドラマの印象でそれを当たり前だと思っていました。

ある日、家に宅配便が来て、母が応対。配達員の人を送り出すとき、

笑顔で「お世話様でございます」と言う。

また別の日に宅配便が来たときは「お世話様、雨の中お疲れ様です」

??

「ねえ、ご苦労様じゃないの? ドラマでそう言ってるよ?」と尋ねると母は、

「ご苦労様よりお世話様のほうが気持ちいいじゃない。感謝の気持ち

気持ちよく伝えた方がいいでしょう」。

それから来る宅配便のお兄さん、来るお兄さんを観察。

なるほど、母が「お世話様…」と言うと笑みがこぼれる。

決して「ご苦労様」が間違いではないけれど、感謝は気持ちよく伝わるほうが

いいなと考えるようになりました。

立場に関係なく、いちばん気持ちよく感じるように伝えたい。

職場、友人、知人、家族などだけではなく、例えば食事に入ったお店から

出るときに笑顔で「ごちそうさまでした」「美味しかったです」と言う。

買い物をしたときは会計の後「お世話様です」という意味でお辞儀をして出るなど、

自分なりに伝えていたつもりでした。

反省です。

塩月弥栄子さんの著書に記されていました。

買い物をしたとき、「ありがとう」のひと言を、と。

「ありがとう」。

いちばん美しく、気持ちのいい言葉ですものね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年7月 3日 (月)

禍転じて 福戻る?

まずい! 乗り遅れる!

必死に走ってバッと手を伸ばし乗り込みました。

手だけ。

電車のドアに挟まっています。

「うわっ、どうしよう」と焦っていると、中からサラリーマンのおじさんが引っ張って

くれます。しかし、とても乗り込めそうにない。

ここは諦めようと中の方に「ありがとうございます。次にします」とお礼を言い、

手を引っ込めて電車を見送りました。

久々に自分が運動オンチであることを痛感。

人並みにこなせるのは根性でなんとかなるマラソンと部活でやっていたテニスだけ。

体育の成績は5段階でいつも2。苦い思い出。

嬉しいことも思い出しました。

中学のときのこと。体育の授業でマット運動。

前転、後転、開脚前転などなど。その中の「後転」がうまくできない。

後転は回転すると正面に戻るはずなのに、なぜか着地が真横。

それを見た先生が「おまえ、特訓!」と言い出し、先生の補助で20回はまわった

でしょうか。真横がやや斜めくらいまで改善。

私はフラフラ。先生は私の鈍さにクラクラ。

ひと言「うん、おまえはそれでいい」。

テスト本番。

やっぱり体は斜め向き。「ごめんなさい」という気持ちで先生を見ると、

大きくウンと頷いてくれていました。

その学期の通知表、なんと体育が2ではなく3になっている!

先生はテストの結果ではなく、なんとかできるようになろうとした私を

認めてくれたのだと思います。

苦手なことでも、うまくできなくても、がんばれば認めてもられることもある。

このことはその後の人生にも励ましになっていったのです。

とはいえ、大人はそうはいかない。「結果」が出ないとダメ!! なことがたくさん。

ただそれ以外のプライベートな領域は、おおらかであってもいいのではないかと

思います。

「オンとオフ」 「おおらかさ」

身につけたいと、しみじみ思う日々です。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年6月30日 (金)

リベンジのすすめ

すごく言い方は悪いですが、心からの思いです。

モノは考えよう、ということで。

ふてぶてしくて、自分好き。

かわいげないですが、時には役立ちます。

中学3年のときのこと。

15歳の女の子が抱えるにはしんどい問題に向き合っていました。

それでも、幸い友達には恵まれていて、笑って過ごす毎日。

自分なりに精一杯生きていました。

ところがある日、心無い同級生に意地悪なことをされ、目の前が真っ暗。

人生でただ1度だけ「死のう」と思いました。

がっ!

ふてぶてしさ発揮。

号泣した後、気づいたんです。

なんで死ぬの? 悪いことしてないよ? 幸せにならないままで?

まだ恋もしてないよ!

私の気持ちを傷つけた子、私が死んだ後も生きて恋したり、青春するんだよね。

……。

死ねない。

幸せにならないと!!

復活。

自分好きバンザイ。

そんな体験から生まれた詩です。

「リベンジのすすめ」

何か悪いことをしたわけでなく

理不尽な攻撃を受けてしまったなら

傷つき絶望したのなら

決して死んではいけません

苦しんだだけで人生を終わらせては

絶望した意味ありません

リベンジしなくちゃなりません

傷つけるのではありません

陥れてはなりません

暴力 殺人などとんでもありません

平気で人を踏みにじる人は阿呆です

たいした人ではありません

輝いてやるのです

幸せになるのです

そう心に決めたとき

あなたはその人たちがなれない

素敵な人になるのです

強い人になるのです

最高のリベンジを始めましょう

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2006年6月29日 (木)

菩薩のようなひと

女としてこうありたい、こうなりたい。

イメージで描いているものもありますし、実際にお手本にしている人もいます。

小学1年生のとき、風邪をひいたのか、学校で具合が悪くなりました。

できるだけ我慢したのですが、ついに限界が。

ウッ!

トイレに駆け込もうと廊下に出たところでリバース。

……。

ちょうど休み時間で、教室も廊下もにぎわっています。

チビッ子大騒ぎ。

体は苦しい。床には汚物。服も汚れた。

それをたくさんの人が見ている。

もう頭の中は真っ白。

騒ぎに気づき、隣のクラスの先生がやってきました。

20代後半くらいの女の先生です。

先生が真っ先にしたのは、私に笑顔を向けたこと。

「大丈夫だよ」と言って。

「汚ね~」という男の子に

「汚くないよ」とやわらかい口調と笑顔で言います。

子供たちを教室に戻し、バケツと雑巾を用意してテキパキと片付ける。

その間も私に「大丈夫だよ」「がんばったんだね」とやさしく声をかけてくれます。

その後、曇った表情をまったくせず、笑顔のままで汚物を片し、カーディガンの

汚れを拭い、私を保健室に連れていくまでピリピリした感じは一切なし。

最後まで微笑み続けてくれました。

救われました。

先生の菩薩様のようなそのあり方は、今でも私の指針です。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年6月28日 (水)

居たい場所探しゲーム

電車の中吊りを見るのが好きです。

特に広告のキャッチコピー。

「うわっ、うまいこと言う!」と思うものを見つけると、その言葉との出合いが

嬉しくてジーッと広告に見入ったりします。

最近のお気に入りは住宅の広告のコピー。

「これから 居たい場所」

なんとなくいいな、と感じました。

居たくない場所。居なきゃならない場所。居るべき場所も居場所。

現実にはこれらの場所は多いし、付き合わないわけにはいかない。

居たい場所、心地いい場所だけにいることはできない。ありえない。

そう考えながら広告を見ていて、ふと思いだしたこと。

「人間その気になれば世界中どこへだって行ける。どこでだって

生きることができる。言ってみれば世界中が居場所

昔、知り合いが言っていた言葉。

世界中が居場所。居たい場所。居なきゃならない場所。

居るべき場所。今、居る場所。

居場所。居場所。

しばらくの間、自分の中で「プチ居場所ブーム」

雨上がりのビル街を歩いていて、空を見たら虹がかかっているのを見つける。

そこはたちまち心地いい場所になる。

気持ちが塞いでいるとき、たまたま出会ったちいさな子に満面の笑みで

手を振られ、空気の悪い雑踏も素敵な場所になる。

居なきゃならない場所で、1杯のお茶を飲んで深呼吸すると、

居られる場所に気持ちが切り替わる。

ささやかな「居たい場所探しゲーム」

結構楽しい。

今は意識的にやっていますが、そのうち自然に習慣にまでなり、

特技にしたいと思っています。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006年6月27日 (火)

思わず嫉妬するくらい

しばらく映画館に行っていなかったので、1本だけでは収まらず、もう1本観ました。

「海猿」です。

前作とテレビドラマを観ていたので、完結を観ないわけにはいかない!

この作品が好きな理由はたくさんありますが、いちばんの理由は

主人公に惹かれたこと。

日常生活が紡がれているときは誰でもそれなりに「いいひと」

良くないことが起こる。アクシデントに遭う。

自分が望まない状況に置かれたとき、どうしようもなく人の本質が出る。

主人公・仙崎大輔は

決してカッコイイ完全無欠のヒーローじゃない。

スマートにためらいなくなんでもやってのけるわけじゃない。

戸惑って、迷って、苦悩して。

まっすぐで、正直で、熱い。

そして行動力!

人のために行動できるというか、行動で人を大切にできるひと。

仙崎くんは望まない状況、アクシデントの中で、ひたすらポジティブに動く。

人を思うことができる。本能的に人を思う。

信じることのできるひと!! と感じました。

思わずヒロインに嫉妬するくらい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年6月26日 (月)

したたかに

あっ、好きな俳優がたくさん出てる。

それが動機で映画「花よりもなほ」を観てきました。

じっくりスクリーンとのデートを堪能。

クスッと笑い、えっ、おおっ、と驚いたり発見したり、

ちょっぴりツキン、ズキンと痛みを感じる。

そして、目からウロコの考えや言葉。

約2時間、いろんな感覚を積み重ねて、観終わったときには、

ほんわかした気持ちでこの映画を好きになっていました。

「したたか」という言葉。

よくないものとして使われますが、実は結構好き。

なぜ好きなのか自分でもうまく理由が掴めていませんでしたが、

この映画を観てはっきりしました。

「したたか」には「良いしたたか」「悪いしたたか」があるのだと思います。

人を傷つける、バカにする。

人を貶める、踏みにじる。

人の人生を狂わせる、潰す。

そんな要素を含んだものは「悪いしたたか」。

生きていく、生き抜くため。

自分や人の人生を守るために。

良い方向へ向けていくためのポジティブなものなら、それは

「良いしたたか」であり、「強さ」「あたたかさ」ではないかと感じます。

「花よりもなほ」の軸に「良いしたたか」があるように思え、

それ故に、じんわりあたたかさが沁みた気がします。

あ~、観てよかった!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月23日 (金)

マニュアル

モノによっては必要。

ただ、マニュアルの前に人ありきではないかと思います。

「マニュアル」

幾年月も時が流れて

この世に歴史がある

「今」はいつでも新しい

何もかも

誰も彼も

その時にしか存在しない

分類なんて無駄なこと

すべて正確になど当てはまらない

マニュアルに頼り過ぎると本能は退化する

アテになるのは

自分が感じて

学んだことだけ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月22日 (木)

ストレスがたまると

泣くのは嫌。

買い物。

がんばって貯めて「エイッ」と使うとスカッとするけど、めったにできない。

さて、どうやってストレス解消するか。

発散の仕方はレベルによって変わります。

レベル1

自分なり癒しのアイテム。

音楽、映画、本、写真集、画集。それから散歩。

レベル2

食べる。食べる。

普段からよく食べますが、さらに「育ち盛り」に帰ります。

レベル3

磨く。

ティーポット、ティーカップ、お皿、グラスなどの食器。

お鍋、フライパン、オタマ、裏ごし器などの調理器具。

一心不乱に磨きます

イラッ、モヤッとした気分も洗い流したようで、ピッカピカになると、

スカーッとします。

レベル4

最終段階になると、ひたすら寝る。

時間の許す限り寝る。

隙をみては寝る。

電車内で立ったままでも爆睡します。

眠っている間にエネルギーが蓄積されるのでしょうか。

寝れるだけ寝ると、驚くほどポジティブシンキングが甦ります。

食べて眠って、文化に触れてエネルギーが循環する。

人間ってうまくできているものですね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年6月20日 (火)

実栄心

「虚栄心は身を滅ぼす」

母の若い頃に祖父が言っていた言葉だそうです。

子供の頃によく聞かされました。

身の丈に合わないもので取り繕っても、そこにあるのは「よさ」ではなく

「むなさしさ」だよ、と。

子供の私は、単純に「よくみえない」ならやらない、と思いました。

この教えには感謝しています。

見栄をはらないと楽ですね。

お金や物など物理的なもの、立場や自分の状態など現象的、心理的なものも、

「今の自分だと、どう?」で判断すればいい。

ダメだと判断すれば、「現時点では、縁がないいうことで!」と引き下がれる。

くやしいけれど、

現象的なものなら「ふさわしいところまでいってやる!」とモチベーションになる。

物理的なものなら「ふさわしい私になったときにまた合おうね~」と思える。

そのときは「せつない」ですが、「むなしく」はならない。

人間、よく思われたい、見られたいのは当然の願い。

そこに実が伴っていないと、「虚栄」だとよくない。

「実栄」ならいいということですよね。

現実の自分を誇る気持ち。

実栄心。ということでしょうか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年6月19日 (月)

浅草発、愛情

頭が痛い。

昨日のことです。

朝から頭痛プラス貧血でぐったり寝込んでいました。

暇だな…。

テレビをつけると、ドキュメントを放送している。

なんと三社祭じゃないですか!

三社祭に情熱を燃やすふたりの女性を取り上げた番組。

ひとりは、ダンナさんとふたりの子供と浅草に暮らす女性。

息子さんが初めて青年部での参加となり、ダンナさんは50歳。今年で

青年部を引退。家族そろって神輿を担ぐのが夢だったそうで、叶うのは

今年が最初で最後。

祭りのひと月くらい前から番組でその様子を追っていた。

「素敵だな、江戸っ子一家」と思いながら見ました。

もうひとり。生粋の江戸っ子の女性。

幼いときから祭りに参加してきた彼女は、三社祭に対して熱い思いを語る。

4月に出産し、三社祭には間に合うと喜ぶも、間近になって産後の状態が

思わしくなく、無理をすると歩行困難になるかもしれない、と医師に絶対安静

言い渡される。

すし職人の弟さんは幼い頃から一緒に担いできたから、誰よりも担ぎたい姉の

気持ちがわかる。だから止めるのは自分の役目と言う。

担ぎたい気持ちと葛藤しながら当日を迎える彼女。

半纏に身を包む。

葛藤は続く。

神輿が近づく。

苦渋の決断。

体は大事。

半纏を脱ぐ。

切なそうな彼女。

娘の気持ちが痛いほどわかる父親はせめて代わりに自分が!

神輿の担ぎ手の中に入っていき、必死に担ぐ。

それはわずかな時間だったようですが、お父さんは64歳。

50歳の人が今年で引退を決めるほどハードな神輿。

どれだけ大変なのか、想像に難くない。

それでも担いだ親心。

テレビの前で思わず涙。

人が人を思う心、愛情。それに伴う行動。

尊くて美しい。

グッときますね、あったかい人の心。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年6月16日 (金)

常識?

生意気!

なんですが、「○○だから」という感覚が好きじゃないんです。

今、これが流行っているんだから

そういう時代だから

世の中そういうものだから

どうも腑に落ちない。

大事なことが抜け落ちている。

「世の中そういうものだから」という理由で、何かをしたり、選ぶなら

「人はいらない」

何かをするのが

「その人じゃなくても、私じゃなくてもいい」

「誰でもいい」

ということになってしまう。

それじゃ、企業優先、経済優先で、人を二の次、ながしろにしてきた

社会構造と同じ。

私は、弱さ、自分かわいさから、時には日常の中であれこれ言い訳を

してしまいます。

でも、「世の中そういうものだから」という言い訳だけはしない!

という思いから書いた詩です。

「常識」

世の常とされていること

必ず正しいとは限らない

世の常を積み重ね続け

気づくと重くて1歩も動けない

そんなことにならぬよう

世の常1枚拾うたび

持つか破くか考える

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年6月15日 (木)

大人の器

去年、念願の着付けを習いにいきました。

先生も、生徒さんたちも、いい方ばかり。

毎回、着付けや帯結びを覚えていく充実感。

週1度のお稽古が楽しくて楽しくて!

半年があっという間でした。

ひとまず基本科を卒業し、お免状をいただきに伺ったとき、ちょうどお稽古が

なく、先生ひとり。

ちょっとお茶でも飲みましょうか、ということで近況や他愛のない話をしました。

私は少々頑固なところがあり、人に悩みを打ち明けたり、弱音を吐くことが

ヘタで、苦手なのですが。

その日はめずらしく弱音が出て、流れでシリアスな話をしました。

先生は特に解決策を促すわけでも、喝を入れるでもなく、絶妙な相槌で

話を聞いてくださいます。

なんだか安心して思う存分話していくうちに気持ちが楽になり、

言うだけいったらスッキリ。

話を聞き終わった先生が言ってくださった言葉。

「弱音でも愚痴でもなんでも、ここに来て言いなさい。何がしてあげられる

わけじゃないけど、言っちゃうことでスッキリするでしょう」

さらに

「何十年、たくさん人に会ってきたけど、いろんな人がいるから。

 みんなあれこれ、ここで話していくわよ。私も生徒さんに『聞いてちょうだい!』

 って話したりするし。お教室はずっとここにあるから、いつでもいらっしゃい!」

嬉しかったです。

本当に愚痴を言いに行ってはいませんが…。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年6月 9日 (金)

三つ子の魂、恐るべし

遅い。

何をやるのも遅いのです。

それはもう、小さいときから。

「何かやり出すと最後まできっちりやるんですけどね…その…始めるまでが

遅いんです。じーっと考えて納得してから始めるので」

小学生のとき、母が担任の先生から言われた私の評価です。

そういえば、給食を食べるのも遅かった。

「比較はしない!!」が我が家の家訓(?)なので、ゆっくり自分と

向き合っているうちに人生もゆっくりスローテンポになっちゃいまして。

世間的には、いろいろとせっつかれ出す20代半ばに感じたことを書いた詩を。

「カメの主張」

多角的にモノを考えられたらいいのに

どこをどう見たらいいのか

どこに何があるのか

どうすればいいのか

判らない 見えない

三つ子の魂百まで

納得して行動に移すまで

すべての成長と適齢期

人よりずっと遅いんです

のろまなカメのくせに

よそ見をしたり休んだり

道草なんかも食らうけど

なるべく首を引っ込めず

必ず歩いて行きますから

急かさず 突かず

長い眼を持っちゃくれませんか

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年6月 8日 (木)

笑顔の交換、好感

人ってやっぱり人が好きなんだ。

今回の旅でなんとなくそんな気がしました。

人との関わりっていいことばかりじゃない。嫌な思いもたくさんする。

それでも、人は人を嫌いになりきれないのではないか、という思いを強めました。

旅での出会い。

まず、いちばんインパクトがあったのは、お世話になったホテルの

フロントマネージャーさん。

ロビーでウェルカムドリンクを運んできてくれたあたりで、既にユーモア溢れる

キャラクターを見せる。

ドリンクがゆずのジュースで、お肌にいいらしく、隣のテーブルの女性たちに

「飲んだら今よりもっと美人になっちゃう。楊貴妃もびっくり!」と全力でサービス。

部屋へ荷物を運んでくださるとき、浴衣やトイレの説明、お風呂の説明、

湯ノ湖の説明と、どれも普通には説明しない。

とにかく楽しく盛り上げよう、人を笑顔にしようという気持ち満載

ずっと年上の方でしたが、その人柄はなんてチャーミング! 

と思わずにはいられない。

楽しい気分にさせていただいたことに感謝、感謝! でした。

2つ目の出会い。

夕食のときに1回だけ廻ってこられた着物姿の年配の女性。

女将さんでしょうか。

物腰がやわらかく、静かな微笑みは、懐石料理と同じく気品に満ちている。

しっかり歳月を重ねてきたことを表すように歳を纏った素敵な人でした。

またひとり、ウェルカムエイジングのお手本発見!

最後は、特定の人ではありませんが、湯ノ湖と小田代ガ原を散策中、

たくさんの方とすれ違いました。

そういうとき、「こんにちは」とあいさつを交わすのがならわしですよね。

もう楽しくて楽しくて、会う人会う人と「こんにちは~」と笑顔を交わしました。

こちらが笑い顔だということもあるかもしれませんが、ほとんどの方は笑顔。

「形式だから」というだけのものではない気がしました。

2度と会わないかもしれないけれど、ほんの一瞬、自然の中にいることを

共有している感覚が嬉しくて、心から気持ちよくあいさつし合えるのでは

ないかと思いました。

ひとつ改めて感じたことが。

すれ違った人の中に、何人も海外からいらした方がいました。

私は思いっきり日本語で「こんにちは!」。

日本語で返してくる人、お国の言葉で返してくる人と様々。

そこに笑顔がセットであればそれで十分でした。

笑顔って強い。偉大。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年6月 7日 (水)

散歩セラピー 旅先編

6月2日。暑からず寒からずの気候。散策日和。

最初のポイントは、いろは坂。

いろは坂といえば、ひたすら続くカーブが有名で、小学生のときはクラス中が

カーブにはしゃいで周りの景色が目に入っていませんでした。

今回はしっかり見ました。

右も左も青々とした木々が輝いている。

「昔は気づかなくてごめんね~」と思いながら堪能。

次のポイントは華厳の滝。

エレベーターで100メートルほど降りて展望。水の流れ落ちる音が心地好い!

私は滝、海、湖、川と、水が大好き。水のある場所なら安心するくらい好きです。

泳げないけど。

水好きにはたまらない滝の迫力。荘厳でどこか寄せつけないような迫力

感じました。

エレベーターのお兄さんの話では、普段、流れ落ちる量は毎秒2トンほど。

6月2日は3トンだったらしいです。これが台風の翌日には毎秒100トン!に

なることもあるのだとか。3トンでも迫力なのに、100トンって一体!?

お兄さんは「勇気のある方は台風の後にまたお越しください」

と言ってエレベーター内を笑いに変える。お見事。

勇気、出さなきゃいけないんですね…。

1日目は中善寺湖を少し眺めたあたりで日も暮れ始めたのでホテルへ移動。

中禅寺湖は、ポツリポツリと釣り人がいる程度。腰まで浸かった釣り人に一瞬

ビックリ。

2日目はチェックアウトが11時とゆっくりなので、荷物を置いて目の前の

湯ノ湖を一周散策。

木の根っこで転ばないように足元に気をつけつつ、鳥のさえずりや黄緑、

深緑の中、森林浴気分で歩くのは、なんとも気持ちのいいものでした。

途中に湯滝があり、滝下まで降りて滝を堪能。

前日の華厳の滝とは違い、光が降り注ぎ、左右に新緑を従えた湯滝は

親しみやすく清々しい迫力の滝でした。

秋の紅葉もいいだろうな~と想像膨らむ湯ノ湖廻りは1時間半ほどで味わう

ことができました。

その後、とっても人のいいフロントマネージャーのいるホテルを後にして

すぐそばの湯ノ平湿原へ。

ここがよかった!!

湿原の横に湯元温泉源泉があり、硫黄の匂いが立ち込め、そこここで

ポコポコとお湯が沸いている。

見上げれば静かな山に色々な木が青々と生きずき、目の前の湿原には

鴨が遊び、大地では温泉が沸き続けている。

なんだかホッとする組み合わせで、穴場というか、すごく期待していたわけでは

なかった分、いいところを発見! と嬉しくなりました。

さて、今回は母娘ふたり旅。

母の希望は新緑を満喫したい! 新緑の中を歩きたい! というもの。

いよいよ今回のメイン。戦場ヶ原~小田代ガ原の散策。

バスで三本松下車。昼食をとっていざスタート。戦場ヶ原展望台で湿原を

見渡した後、三本松から赤沼まで20分弱歩く。途中振り返ると

広がる戦場ヶ原と後ろにそびえる山々が壮大で「あ~今旅してるんだ~」

と実感。

赤沼から小田代ガ原の散策コースへ。

木々に光が差し込み、鳥のさえずる道が果てしなく続いて、どれほど歩いても

全然疲れない。まさに森林浴効果!

途中、すれ違う人とあいさつを交わしたり、花と一緒に活けられそうな小枝を

拾ったりと楽しむ。ゆうに2時間以上は歩きましたが、疲れるよりどんどん

元気になっていったくらいでした。

その後、竜頭の滝方面へ歩いていきましたが、霧が出てきたので滝上で少し

滝を眺めて帰路につきました。

余談ですが、小田代ガ原の散策コースで、母が「熊が出たりするんじゃない?

鈴持ってないわよ」というので「怖がりだね~、大丈夫、出ないから」と根拠なく

断言したものの、途中、

「熊出没 多発 注意」

とご丁寧に口を開けて吠える熊さんのイラストつき看板が!!

ちょっと怯えました。自然の中へ行くのに鈴は必需品のようです。

| | コメント (2) | トラックバック (3)

2006年6月 1日 (木)

優しい女

10代の頃は作詞家になりたかったんです。

最近はアーティスト自身が詞を書くことが多いですが、私が子供の頃は

作詞家の作品が多かったのです。

10歳くらいからだったと思います。歌を聴くときに詞が好きかどうかが

重要なポイントになりました。

大人になってからなぜそんなに詞にこだわるのか考えて出た答え。

憧れです。こういう女性になりたいという。

確か鶴田真由さんだったと思いますが、以前、インタビュー記事の中で

女優という字は「優しい女」と書く。そうなりたいと語っていました(違って

いたらごめんなさい)。

そのとき、「優しい女」ってどんな女?と考え、

「あたたかい」「懐が深い」「信じる強さがある」「しなやか」「自律してる」

とイメージ。

結論を出して、子供の頃からずっと好きであり続けている歌を改めて聴いてみる。

歌の中の女性は「優しい女」ばかり。こういう人になりたい。こう在りたいという

具体的なものがそこにありました。

今も、ものを書くときや、自分の生き方、在り方を考えるときの軸は子供の頃から

現在までに出合った詞にあるような気がします。

それらの歌を集めてMDをつくり、聴いては「こうなりたい。こう在りたい」

と思っています。

お守りですね。

お知らせ

明日は都合により、お休みします。では来週、月曜日に。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年5月26日 (金)

プロだ!

旅に出たい。

かれこれ半年以上どこにも行っていない。

行く予定も行ける余裕もないけれど、これからの季節ならどこに行くのが

いいかなぁ、と勝手に想像して楽しんでみる。

去年は箱根の登山鉄道で紫陽花を堪能。

また、なんとなく立ち寄った「箱根美術館」がとてもよかったことを思い出す。

庭内全体が静けさの中にあり、青々とした竹庭、日本画の中に迷い込んだような

苔庭の趣。森林浴のように心身を癒されて満足。

そして、旅に出ると景色はもちろん、「人との出会いが宝物」だと聞いたことが

ありますが、まさにそんな出会いが。

苔庭に癒されて館内へ入り、2階の展示室へ。

そこには縄文時代や弥生時代の土器、カメやツボがたくさん展示されています。

そこにひとり、50代後半くらいの男性が。

どうやら展示室の係りの方のようです。

バチッと目が合ったので「縄文時代のものがこんなにハッキリ形を残しているって

すごいですね」と言うと、キランと彼の目が光ります。

土器の説明や昔の人がどんな風に使っていたのか、説明会スタート。

カメもツボも、食料の保存に使われていたこと。

カメは大きくて、そのまま使うと下の方のものが取れないから、土にある程度まで

埋めていた。

夏は腐らないように冷蔵になり、冬は保温のためにと、万能な器であること。

入れていたものは、水、味噌、酒、雑穀、豆類などであることを教えてくれました。

その詳しさに、ここでの案内が長いのかと思いきや1年も経っていないらしいのです。

マニュアルにあるのかなと思うとそれも違う(いや、あるにはあるでしょうが)。

ただ展示室に来た人にあいさつしたり、多少の説明をするだけでは味気ない。

少しでも楽しくおもしろい解説ができたらと、自主的に歴史の勉強をしたのだそう。

わぁ、プロだ!

仕事のプロだと思い「素敵!」と拍手。

新たに展示室に現れた観光客の方から質問をされると、

またまたキランと目を輝かせて小走りで去っていく。

その後ろ姿は、人柄が表れていて、とても美しいものでした。

ああ、また旅がしたい!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年5月25日 (木)

複雑でシンプルだから、余白!

だんだんと自分がわかるようになってきた。

というか、趣味嗜好が整理されてきたということでしょうか。

物事をシンプルに考えるようになってきました。

また、先日、21、2歳のころに書いた詩を読み返してみました。

その当時はなんとなくそう思って書いただけだと思いますが、

改めて思ったことが。

余白、隙間って必要だな、と。

「心の隙間」

幸せはほんの些細なことにある

ひとつひとつを大切に感じていたい

人生は難しく複雑

幸せはとてもシンプル

ほんのちいさなひと粒ひと粒だから

見落とさないように

見つけられるに

心にいつでも受けられるように

隙間を持っていたい

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2006年5月24日 (水)

ディズニーランドの親戚?

ちょっと恥ずかしいので今まで人には言わなかったことが。

今は多少知っていると思いますが、外食の習慣のない家庭で育ったため、

10代の頃、全然店の名前を知りませんでした。高校生のとき「デニーズ」を

「ディズニーランドの親戚みたいなもの?」と聞いて友達に笑われたくらい

疎かったのです。

基本的に今でもご飯は家で、というスタンス。あまり外食しないので慣れていません。

たしなみとしてスマートでありたいと思うのですが、どうも…。

なんとなくぎこちない行動。疲れを感じていたのですが、最近いくらか外食を

楽しめるようになってきました。

当たり前と言えば当たり前ですが、好きなものを注文すればつくって運んで

きてくれる。食べ終われば片付けてくれる。

後片付けしないでいいなんて

いつもは節約しながら買い物。栄養バランスを考えながら食事。

食べたら後片付けがあるのに。

上げ膳据膳なんて「お金持ちのお嬢様になったみたい」

とひそかに幸せを感じます。

まあ、小さな喜びはいいとして、お店にくわしくはないので、一緒に食事に

行く人任せで、申し訳ないなと思います。

たしなみとして少しは覚えようと店の名前をメモにとるようになりました。

ひとつ発見。

ドラマでメニューがなかなか決まらず「どれにしようかな~」と迷うシーンを

見ていて気づきました。

私はメニューを決めるのが早いです。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年5月22日 (月)

年に1度の大事な日

大好きな浅草

大好きなお祭り

三社祭最高!

ということで、浅草の三社祭に行ってきました。

年に1度、心から日本人であること、日本をいいなと改めて思う日です。

今年も神輿! 神輿! と胸を高鳴らせて浅草寺へ。

ものすごい人だかりの中、到着したときは、ちょうど一番大きな神輿が社殿前に。

神輿の上で強面のお兄さんたちがふんどし姿で笛を吹いたり掛け声を出しています。

神輿が移動して眼前に迫ってきたときは、その迫力で一気にテンションが上がる。

その後も次々と神輿が現れ「エッサァ! エッサァ!」「ソイヤァ! ソイヤァ!」

掛け声が響き続く。私の興奮も続く。

毎年しみじみ思うこと。

担ぎ手の男も女もみんなカッコイイ!

男衆はふんどし姿に法被、ねじり鉢巻やらタオルを頭に巻く。

女衆はふんどしとはいきませんが法被にねじり鉢巻。

キリッとして粋でいなせ!

個人的な見解ですが、若者の担ぎ手はキラキラしていて素敵です。大好きです。

しかし、見ていて最もいいなぁと思うのは、「中高年」の担ぎ手

生き生きと輝く目。活気と迫力のある掛け声。担ぐ姿も貫禄ものです。

皆、美しい! ホントに美しい! 

違いはなんなのかと考えてみると

「味」でしょうか。

若者と中高年が同じように担いでいても、刻んできた時の長さが、

味わい深く感じられる。伝わるのではないかと思います。

今年も存分に神輿を堪能し、エネルギーを注入。

「兄貴、姐さん、カッコイイです!」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月19日 (金)

ああ、情けない

一度身についたことってなかなか変わらないらしい。

小学校へ上がる前、電車に乗ると母に「お金払っていないんだから座らない!」

と言われ、立っていました。手すり、届かないけど…。

小学校に上がると今度は「子供は遊ぶのが仕事。疲れたらいつでも休める。

大人は違う。働いているの。どんなに疲れても仕事があるの。大人が優先!」

ということで、やっぱり立たされていました。座ってもいいのは、よほど具合の悪い

ときに母の膝の上に座るか、すいているときのみ。混んでくれば疲れた社会人に

譲るのが決まりでした。

やっぱりまだ、手すり、届かないんですけど…。

今、もう十分大人です。疲れもします。

具合が悪いとか、よっぽど疲れていると、堂々と座りますが、そうでない場合、

一瞬ためらってしまう。つい挙動不審にキョロキョロ。私より年上の人はいないか、

疲れてそうな人は? と確認してしまう。

染みついた習慣を憎らしいと思います。スンナリ座ればいいのに。

さて、そんな要領の悪い私。いつものように電車で立っていると

「お譲ちゃん、ここ座りな」と声をかけられました。

目の前に座っている70代とおぼしき女性です。

??? と驚く私に

「私はもう次で降りるから」とおっしゃる。

「なら次まで座っていらしてください」とお断りすると、

「無理しなくていいから!」と立ち上がろうとなさる。

どうやら具合が悪いと思われたらしいのです。

結局、降車駅まで座ってもらい、それから座らせていただきました。

ハァ、情けない。元気なのに!

一体、どう人の目に映っているのか。黙って考え事をしていると「大丈夫?」

と病人扱いされることが多い。

それにしても年配の方に席を譲られるなんて!

確かに昔は体が弱かったけど、今は元気です!

こんな誤解を受けないためにも、空いていれば座ればいい。

絶対立っていなきゃいけないことはないわけで。

もっと柔軟な対応をしようと思いました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年5月18日 (木)

とりあえず言っちゃえ

大嫌いだったんです。

とりあえずって言葉が。

なんだかその場しのぎな気がするというか、誠実じゃない! 感じがして。

またまたガッチガチな考え方なんですが。

しかし、今年に入ってからでしょうか。

違う使い方があるのでは? だとすれば、ありかな、と思い始めました。

どうも私は時間に追われるとか、自分を追いつめてバタバタしていないと

がんばれない。

本来は暇があればフラフラ散歩に出たり、ボーッと空を眺めて過ごす

のんびり屋なのです。

オンとオフを切り替えて、やるべきことをやるときに、のんびり屋では

成り立たない。

だから自分を追いつめてバタバタ、というパターンをくり返していました。

なんだか忙しなく、スマートではないですよね。

そこで「とりあえず」くん、登場です。

やるべきこと、やろうと思っていることを周りに宣言してしまう。

とりあえず言ってしまう。

不思議と「言ったからにはやろう」ということで、バタバタしなくても、

無理なく淡々と行動できるんです。

「とりあえず」を解禁したおかげで、オンとオフの切り替えがうまくなり、

ストレスも軽減してきたような気がします。

願わくば、いちいち「とりあえず」言わなくても、スマートに生活できる

ド~ンと構えた人になりたい。

……。

「とりあえず」一歩ずつ、ということで。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年5月17日 (水)

手も口ほどにものを言う

人と会うとき、最初は目を見ます。

「目は心の入口」なのでしょうか。

その人が何を感じているか、思っているかがいちばんわかると思うので。

人との関わりの中で、コミュニケーションをとるために目を見るのは普通ですよね。

私はさらに、出逢った人で興味をもったり、好感をもつと相手の手が気になります。

手フェチってわけじゃないですが。

指が長いとか、キレイに手入れしてあるとか、爪がどうとか、そういうことはどうで

もいいんです。

例えば、テレビのニュースやドキュメンタリーで農家のおじいさん、おばあさんが

インタビューを受けている。

手をじっと見てしまう。

その手は、たくさん生きてきたことを、がんばってきたことを物語っている。

年月の分だけ、なんというか人を受け止める、受け入る懐のあたたかさ

感じます。

また、職人さんの手も好きです。

何かをつくっている手。紡いでいる手。

なんだか、やさしい感じがして好きです。

ちなみに赤ちゃんの手は、まだスタート地点なので歴史は物語っていませんが、

よく宙に向かって手を掲げてバタバタしているのは、何かをつかもうとしている

ようにも見えませんか。これはこれで、始まる「人生」を表しているようで、かわい

いなぁと思います。

余談ですが、男性の手は、大きくてゴツゴツした「無骨」って言葉の似合う手が

好きです。

やっぱり手フェチ?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月16日 (火)

接客美人

ハァ、お見事!

そう思う店員さんっていませんか。

巧みな話術で買う気にさせるのが上手な人。

「商売のプロだわ」と感心させられます。

私は強固なまでに財布の紐が固いので、つい買ってしまうということがありません。

そういう人間のことは嗅覚鋭く勘が働くのか、はたまた私が「ほっといてバリア」

放っているのでしょうか。放置されることが多いです。

そこで、他のお客と店員のやり取りを見て、日常生活に活かせる部分を吸収しよう

と、そのコミュニケーション能力の高さをじっくり観察してしまいます。

また先日、喫茶店に入ったときのこと。

店はこじんまりとしており、テーブルとテーブルの間が狭い。

ほぼ満員の状態。

応対してくれたのは背の高いウェイターさん。

ケーキと紅茶を注文すると、人のよさそうな笑顔を向けてくれました。

その後も大きな体をかがめて店内を忙しく動き回ります。大きな体では狭い

テーブルの間を移動するのは大変そうで必死という感じです。

スマートな接客ではありません。

しかし、動きはせわしなくとも、お客に向き合うときは「誠心誠意もてなす!」

という気持ちが伝わるような一生懸命さ全開の感じのよさ。

ついついその動きに注目。

すると、彼の接客を受けている人はどの方も優しい目で彼を見ている。

うっかりコーヒースプーンを落としてしまうハプニングに必死のウェイターさん。

お客は嫌な顔をせず、微笑む。

なんとなく店全体がなごやかであたたかく、居心地がいい。

また来ようと思わさせられました。

ウェイターさんの人柄とそれを受ける人々のほのぼのとした空間。

これは接客美人の力によるところが大きいのでは、と感じました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月10日 (水)

まずい、気をつけないと!

「おおっ!」という話を知りました。

草柳大蔵氏の本で知ったことです。

「ぶす」という言葉。

女性に対して使われるよくない言葉ですが、「ぶすっとしている」

「不機嫌そうにしている」「無愛想にしている」という意味もあるのだそう。

また「ぶす」は「附子」と書き、トリカブトからとった猛毒のことなのだとか。

これが黒砂糖とそっくりなので、このことを題材にした狂言の演目があるそう。

トリカブトのぶすをなめて「苦り切った顔をすることを、ぶすっとしている」

表現していて、またひとつ意味が加わっている。

ものすごく納得。「ぶす」って表情のことなんですね。表れる、表される情。

顔だけじゃなく、声の表情、動作の表情

考えてみると、人に会ったとき好感を持つか持たないか、表情によることが

大きいような。

ということは、人にもそう思われるわけで…。

いい出会いばかりではないので、気をつけているつもりでいます。

でもわかる人にはわかってしまうかも。気づかないうちに油断して

「ぶす」っとした表情になっていることがあるかも、と冷や汗でした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年5月 9日 (火)

ほんのささいなことだけど

連休中に、祖父母のお墓参りに行ってきました。

お墓参りの後、親戚の家へ移動。昔話に花を咲かせました。

家には、鏡台や桐の箪笥などが、祖母が生きていたときのままになっています。

それらを見ていると、生前の記憶が甦る。

子供の頃「将来はおばあちゃんのようなおばあちゃんになりたい!」が口癖で

お手本でした。

ちょっと近所へ出るだけでも鏡台の前に座り、さっと髪に櫛を入れる。

特別よそいきにするわけではありませんが、家にいるときとは別のものに

着替える。

晩年は腰が曲がってしまいましたが、姿勢のよい楚々とした佇まいは

昔の女性ならではでしょうか。

内面も、とても愛情深い人だけど、腹八分で接し、入り込まないし、

入り込ませない。人との関わりに絶妙な距離感を持っている。確かな

プライドがあり、好奇心旺盛で社会への関心も高い。それでいて最後

まで奥ゆかしさや恥じらいなど、女性特有の可愛らしさも保っていました。

なんだか思いきり身内を褒めてしまいましたが、以前、昔の日本映画の

女性たちのあり方、たしなみについて書きました。

今思うと、祖父母を通して、実際にそれらを感じることができたのだと思います。

マナー、教養、たしなみ、女性らしさ。何ひとつ仰々しいことではなく、

ほんのささいなことにあるのだと気づかされた休日でした。

一歩ずつ祖母や昔の女性たちに近づきたいと、とりあえず、

まずは形から

ということで、箪笥から少々いただいてきた着物を纏ってみるのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月 8日 (月)

いいかげんでダイタンステキ

占いを都合よく使っています。

以前、そう書きました。そのとき手相観の方について書きましたが、その方に

考えすぎて悩みやすい性格を見透かされました。そして

「お気楽主義でいきましょう!」そう言われ、自己改善。

しばらくして雑誌だったか、どなたかの本か、お助けアイテムとなる言葉に2つ

も出合いました!

①「いい加減は良い加減」

こう変換すると、なんて素敵な言葉! と感動。また「手加減」も手の加減で

物事を調節すること。とすると、2つとも本来あまりいい意味では使われないけれど

別口でバランス感覚を表すものだと解釈。

②「大胆不敵→大胆素敵」

カッコイイ! たった一文字換えるだけでなんてオシャレ! とこれまた感動。

ハタチになったくらいの私に、2つの言葉は大人を連想させました。

「目指せ、良い加減のバランス感覚を持った大胆素敵な大人」が頭の片隅に

いつもある。また、そのためにも、「日常を楽しんで観る、楽観主義」を心がけ

少しずつ自己改善していくようになりました。

現在、相変わらず考えに考えますが、「割り切る」ことを覚え、かなり肩の力は

抜けてきました。

まだまだ「大胆素敵な大人」とはいきませんが。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年5月 1日 (月)

脱・方向オンチ

人には向き不向きがある。

だからまあ、しょうがないかな。いいかな。

そう思っていたことがあります。

私は極度の方向オンチなのです。

人に道を説明するのも苦手。

自覚はあるので慣れない場所では気を引き締めます。

それでも入ったお店から出るとき、来たのと逆方向へ歩き出すので、

一緒にいる人に、そっちじゃないと止められます。

もう少し若いときは、それもご愛嬌と軽く考えていました。

しかし、最近、ある程度は方向感覚をしっかりしておくのも、

大人の「たしなみ」「マナー」では? と改心(?)。

通りすがりのご婦人やサラリーマンのお兄さんに「どこに行きたいの?」と

声をかけられるほどの、迷い人から脱出を決意。

その矢先…

上野をプラプラ散歩中、幼稚園くらいの男の子とその母親に駅への行き方を

尋ねられました。

ちゃんと説明せねば!

現在地は、しのばず口と公園口の真ん中辺り。

確か、しのばず口付近に成人映画を上映している場所があったはず。

ちいさな子がその前を通るのはどうかと思ったので、公園口を説明し始めるものの、

ダメですね。

方向オンチゆえ、普段、道を尋ねられても

「ごめんなさい、わかりません」で通してきたツケが…。

「あー、えーっと…」と、つかえる。

すると、その母親は「すみません、どこかお店で聞いてみます」と立ち去る。

去り際、子供が母親に一言「使えないね」。母親は慌てて「しっ!」。

うまく説明できなかったことへの申し訳なさと、情けなさで反省。

ちいさな子が人を「使えるか、使えないか」で判断することへの恐怖。

ドーンと落ち込み、お気に入りのお店で「やけ酒」ならぬ「やけあんみつ」

ほおばりながら、「脱・方向オンチ」を誓いました。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年4月27日 (木)

本当にごめんなさい!

ピッカピッカの~1年生♪

真新しい制服の学生を見ていると、自分の学生時代を思い出します。

特に中学1年生のときのこと。苦い、恥ずかしい思い出です。

すごくいけないことをしました。

担任の先生がなぜか好きではなく、露骨に避けていたのです。

そのことは先生もわかっていたらしく、1学期の終わりの二者面談で

「なんだか、あなたは僕を避けていますね。ハッキリ言って不愉快です」

と言われました。

その場はしどろもどろ、言い訳をして謝ったことは覚えています。

ただ何を言ったかは忘れてしまうくらい、慌てていたのだと思います。

いけないことをしたなと反省しました。ただ本当に心からなんてひどい

ことをしたのだろうと省みたのは、ひと月くらい経ってから。

なぜ好きではなかったのか。理由がない。

きっと年頃の女の子が、思春期に父親を嫌うよなものだったと思います。

先生に叱られてから避けるのをやめると、今まで見えていなかった先生が見える。

とてもいい先生です。

私はその先生を傷つけたわけです。

そして、自分のしたことを悔いました。

思春期ゆえとか、幼さの過ち。そんな言葉は通用しない。

人を傷つける罪に大人も子供もない。

そう知る出来事でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月25日 (火)

三十路って

いろいろと楽しみ方がわかってくるときだと思うんですが…。

日曜日、ゆる体操をしながら「笑っていいとも! 増刊号」を見ていたときのこと。

坂下千里子ちゃんが30歳になったことから、三十路話が展開される。

本人は三十路に抵抗があるのかすごく嫌そうでした(でも、どうやら散々番組で

「みそじ、みそじ」とからかわれたようなので、そのせいかも)。

「あ~三十路、拒絶されてるな~、なんでだろう?」と思っていると、他の出演者は

30歳いいだろう、楽しいだろうと口々に語る。

おっ。よくぞいってくれた! テレビの前でパチパチと拍手。

本編では歳をからかっていたらしいですが、増刊号では、本番終了後のトーク

ということで、こちらがホンネだと思いたい。

確かに30歳以上の女性に対して一般的にされる表現。見聞きしていると、

ズーンと暗い気分になることがあります。

でも、実際には年々素敵になっていく女性の方が多いと思います。

ということは、なんとな~く世間的にそういう意見だから。ただそれだけのこと。

若い方がいいという決まりになってしまっているだけでは?

単に自分好き? 私はハタチくらいの頃より今の自分のほうが好きです。

去年、ようやく30になった~と感慨深いものがあったくらいで。

ただ、手相観の方にいわれた通り、ちょっと寂しがりなところもあります。

歳を重ねていくことをウェルカム、ウェルカムエイジング!と言い続けて

いますが、まだまだ若さ至上主義が強い。たまにショゲルことがあります。

そんなとき、フッと思い出すこと。

去年、友達に「ハッピーバースデー♪ 楽しい30代にしようね☆」とメールを

送ったら「おうよ!!」と返ってきたときは、とても嬉しくなりました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年4月21日 (金)

何かないですかね?

女は進化していく。

誰もが花。

歳はとるのではなく纏うもの。

だからアンチしないでウェルカムエイジングでいきましょう。

そう言ってきてふと思ったことが。

素敵な年配男性を「ロマンスグレー」という言い方がある。

「若さイコール美しい」というのがこの国の昔からの考え方。

素敵な年配女性を表す言葉。あまり聞きませんね。

ロマンスグレー…の女性版

何かないですかね?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月20日 (木)

ありがとう、吉田くん

電車の出発待ちをしているときのこと。

乗ってきた男子高校生が、ホームにいる友達と大声で話している。

まあ、出発するまでだからと思うが、あまりに大声で話し笑うので、

少々うるさいなと思い、イラッ。

「マナーがなってない!」

ホームにいた友達が帰り、やっと静かになったとき、電車に大きな鞄を持った

年配のご婦人が入っていらした。

私は立っていたので、空いている席はないかしらと見回しました。

すると例の高校生が自分の前の席を指差し、

「ここ空いてますよ!」と彼女を手招き。

さらに「網棚に載せましょうか」とたずね、サッと鞄を受け取る。

網棚に載せながら、鞄についていた名札をみて、

「あっ、吉田さんっていうんですか。僕も吉田なんですよ」

とニコニコと話しかけている。

その後しばらく、ふたりとも嬉しそうに話をしていました。

この光景を見て、あったかい気持ちになりました。

少年をとてもキレイだな、とも思いました。

そして考えさせられました。

大声を出していたのはマナー違反です。

ただ、彼は大切なものを持っている。

こちらは一朝一夕には身につかないもの。

作法とは別のマナーがとても重要だと、改めて感じる出来事でした。

吉田くん、素敵な時間をありがとう!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年4月19日 (水)

懐かしき、がんばれ自分

10代の頃、体を悪くしていたとき、自分へのエールとして書いたものです。

コイン

今 絶望しているなら

逆の希望があるということ

なら間に合う

幸せに間に合う

生きているのだから

人生のコイン 裏表

私の中の力

ありったけ掻き集め

明るい明日へ裏返す

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年4月18日 (火)

覚悟は

10年近い前に書いたもので、読み返して苦笑…。

昔の私へ伝言。

覚悟が決まるのは、まだまだ先のようです。

では。

覚悟

「誰かと生きる」のは覚悟がいるだろう

負の部分も見つめ 受けとめると

本気で覚悟を決めなければ

相手も自分も壊してしまう

例えば今の私にできるか

自信がない

「若さ」の非力を思い知る

時の重みが突き刺さる

焦らせ苦しめるのは時間

味方してくれるのもまた 時間

「季節は待つもの」と聴いたことがある

結論は急ぐな

時はそう語る

覚悟は人の歴史の中で

生まれ育まれる産物

何かを 誰かを大切にするために

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年4月17日 (月)

切ない

いつか詩集を出したいと思っています。

今週は書き溜めたものの中から、ウェルカムエイジングに通じるかと

思われるものをいくつか載せたいと思います。

「切ない」

幾度も季節が巡ることで

自然と知っていくことがある

歳を重ねていくということは

「切ない」が増えていくこと

「切ない」すべてを

受けとめられるように もがく

もがいて もがいて 覚悟を決める

そのとき 人は

深く大人に成れるのだろう

「切ない」を覚悟して

抱きしめることができたとき

幸せに抱きしめてもらえるのだろう

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年4月14日 (金)

幻のお菓子

エレベーターが開く。

左右をキョロキョロして文字を探す。

六花亭、六花亭

ようやく探し当て、お目当てのバターサンドホワイトチョコレートを手にする

瞬間に幸せを感じます。

年に2度。運がよければ3度。デパートで「北海道物産展」があるときにだけ

食べられるからこその楽しみ。

「お取り寄せ」という方法を使えば食べたいときにいつでも食べられるけれど、

自分でそれは禁じ手にしています。

なぜか、それは…

子供の頃、父が北海道に出張したときに買ってきた六花亭のホワイトチョコレート。

この世にこんなに美味しいものがあるのかと思うほど感動。

また子供の頃、我が家では普段あまりお菓子を食べてはいけない、

ケーキはクリスマスと家族の誕生日だけ。ジュースは祖母の家に行った

ときだけと決まっていたのです。誰かが誕生日でケーキが食べられる日

が近づくとソワソワ。待ちに待って食べるケーキは、たまらなく美味しい

ものでした。

今は特に決まった日でなくてもケーキを食べるし、ティータイムに合わせた

スイーツを食べる。雑誌で評判と聞けば食べてみる、という感じでいろいろ

と美味しいものを食べています。

しかし、8年前に北海道へ行ったとき、六花亭に再会して子供の頃の感動

を思い出す。反省しました。

食べられるのを待つ間のワクワクした気分。消えてしまうのが惜しくて

一口一口しっかり味わいながら食べていた感触。満足感。

美味しいものを食べ慣れてしまった今とは有難みが違うんですね。

当たり前と捉えてしまうと、そういう幸せにそっぽ向かれてしまう。

大好きなものが幻のお菓子になってしまう。

そう思い、「年に2、3度だけ」と飢餓感を自分に課すことにしたのです。

物が溢れ、便利すぎるくらい、便利な時代。

これは食べるものに限りませんね。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006年4月10日 (月)

きっかけは、映画

なぜ、マナーアドバイザーになったのか。

今思うと、マナーに関心を持ち出したきっかけは映画。

小学生の頃、俳優の石原裕次郎さんが亡くなり、追悼番組として

主演映画がたくさん放映されました。

そこに映し出される世界に釘付け。

俳優さんたちの品のよさ。立ち居振る舞い、言葉の美しさ。

作品によって裕次郎さんをはじめ、若者のやんちゃな言動もあるけれど、

全体に流れる雰囲気は上品に思えました。

目上の人に敬意を払った応対。

歩き方、座り方、立ち姿。どれをとっても姿勢がよく、シルエットが美しい。

視線や指先にまで神経の行き届いた仕草がさらに美しくみせる。

特別お金持ちの話ではない。セレブなわけでもない。

ごく庶民の話。

見たのがまだ小学生だったので、そのときは、映し出される美しくシャレた世界を、

ぼんやりと「昔の人って素敵だなぁ」と思うだけにとどまりました。

大人になり、映画を見たときに感じたことがマナーと結びついていると気づきました。

日本が創ってきた文化、日常生活、マナーはつながっている。

そう思い、マナーの勉強、日本文化へと誘われていきました。(続く)

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006年3月31日 (金)

強さと弱さのとらえ方

人に助けを求めるのも強さ

『セントラル・ステーション』という映画の中で、母を亡くした少年ジョズエに、

代筆屋の女性ドーラが言ったセリフです。

すごく新鮮な驚きでした。そういう考え方もあるのか、と。

私にはとても苦手なことで、SOSはできないし、弱音を吐くこともできない。

ましてや泣いたりしたら、その人の負担になりはしないかと思うと、絶対できない。

だから、ドーラの言葉を聞いたとき、ドキッ!

ハタチのとき、母に

「お母さんにくらい泣きごと言いなさい。辛いときはつらいって言って!」

そう言われたことが頭をよぎる。

私のあり方はガッチガチなのかな。

時には弱さなのかも知れないと考えさせられ、逆の場合ならどうか、

という簡単なことを忘れていたと気づきました。

人に助けを求められたら、できることはするし、何ができるか考える。

弱音だって聞く。それは負担ではない。

それなら、相手もそう思ってくれるかも知れない。

頼りすぎてはいけないけれど、

「お互いさまでいいんだな」「少し肩の力を抜かないと」

そう思って楽になりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月30日 (木)

モットー実行、食編

「食」という字は「人」を「良く」すると書く。

この間、テレビを見ていたら、誰だったか、こう言っている方がいて、

「ああ、なるほど!」と納得。

人間、食べないと生きていけないし、楽しく食事をすることは心にもいい。

となると、「人」を「良く」する「事」が「食事」なんだなぁ、

とテレビを見ながらさらに納得。

私は食べることが大好きです(食いしん坊とも言いますが)。

どんなことがあっても「食事がのどを通らない」ということがない。

むしろ、食事をすることでグワーッと体に力が戻り、

「まあ、がんばりますか!」と思えます。

とにかく食べること、楽しく食べることに対する思い入れが強い。

なるべくあれこれと食べたいので、メイン料理のほかに、

小鉢3,4個はつくって、ちょこちょこ食べると落ち着きます。

モットーが「お金をかけず、手間をかけ、心豊かな生活を送ろう」なので、

お金をかけずにたくさんつくる工夫に精を出しています。

たとえばダシをとった昆布や鰹節の再利用。

昆布はラップに包んで冷凍しておいて、何枚かたまると、大豆と一緒に佃煮に。

鰹節もラップに包んで、ある程度の量になったら常温で戻してみじん切りにし、

カラ炒り。カラッとしたら、塩とゴマをまぶしてふりかけにします。

友人が遊びに来るときにも、リサイクル品を出します。

特別なものはつくらず、いつもどおりの料理。

ただ、器はお気に入りのものを出して、自分なりに楽しい食事を演出します。

人と食事をすると、嬉しくて食が進みますよね。

まあ、体のためには、品数は多くとも、量は…考えないといけませんね。

なるべく腹八分と思いつつ、ガッツリ食べたら、体操したり、柔軟したり、

時間をつくって散歩セラピーをしながらウォーキングで体重、体形を維持しています。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年3月18日 (土)

ティータイム

子供の頃からの習慣。

どんなに忙しいときでも、1日、最低2回はティータイムを持つ。

そのときの気分で、紅茶、日本茶、ハーブティーを選んで。

好きなティーカップや湯のみ。

お気に入りのお皿に、ちょっとしたお茶菓子をのせる。

ポットへお湯を注ぐ音。カップに注ぐときに漂う香りが非日常へ誘う。

お茶に様々な効能があって、いいのはもちろん、

ティータイムを持つこと自体、リラックス効果があるように思う。

嫌なことがあっても、辛いときでも、ほんのつかの間でいい

お茶を飲みながら、のほほんとする時間に身を置く。

不思議と気持ちをリセットできる。

「まあ、がんばりますか」とか「なんとかやってみますか」と。

最近は、毎日の習慣に加えて週に1日くらい、

お茶を点てる日を持ちたいと思い、お稽古を始めようかと計画中。

これで、リラックス、リセットの他に、優雅さも、と期待しつつ。

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2006年3月17日 (金)

まだまだ未熟で

もう何年も前のこと。頭がガッチガチに固くなっていた。

あらゆることに対して、きちんとしなきゃ、がんばらなきゃと焦る。

自分にダメ出しばかりして、余裕がなく、精神的にひどくまいっていた。

そんなとき、知り合いの女性が話してくれた言葉が、ありがたかった。

心配りと気配りは違うのよ

「一生懸命なのも、やさしさも、いいこと。

 でも、あなたのしているのは、気配り」

彼女が言うには

気配りは、ああしなきゃ、こうしなきゃ。

こうすべき、こうした方がいいはずという、自分の気持ち。

それは少し、傲慢な心。

一方、心配りは、相手の気持ちや立場、自分のことも考えた上で、

最善のことは何かを判断して行動すること。

だから、できないことはきちんと、できないと伝え、割り切ることも大切だと。

「せっかくがんばるなら、心配りでいきましょう」

スーッと肩の力が抜ける気がした。

やわらかい、大きな考え方。

心配りと気配り。

辞書を引くと、同じ意味。

しかし、彼女の言うように、紙一重なんだと思う。

ゆとりというか、大人というか。

このときから少しずつ、頭をやわらかくしていけるようになった、たぶん…。

「せっかくなら、心配りで」

と思っているけれど、まだまだ未熟で。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月13日 (月)

マナーの心

先週、「オーラの泉」を観ていて、背筋がピシーンとなった。

美輪明宏さんの「どれだけお経を唱えても、心がこもっていなければ、鼻歌と同じ」

という言葉を聴いてのこと。

「心をこめる」ことが大切!

マナーアドバイザーの資格を取ったときに学んではいたが、

改めて、どんなことにも絶対に必要なことだと実感。

マナー礼儀作法ということで、堅苦しいイメージがあるようですが、

その意味は実にシンプル。核になっているのは2つ。

1.人が思い合いながら、快く生活する。そのために身につける術・知恵

2.美しさの表現

ということは、人も自分も大切にするためのものであり、

マナーと心は一対、切り離しては成り立たないということですね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年3月 9日 (木)

唯一です

「いったい自分は何者?」「自分の価値は?」

よく雑誌の特集で見かける言葉。

じゃあ、私にはどういう価値があるのかな? と考えたことがある。

何者かと言われても、親が生んでくれて、名前をもらったひとりの女。

それ以上でも以下でもない。

価値と言っても、ささいなことから、少し大きいことまで、

いろんなを持つ。社会に目を向ける。自分にできることを考え行動する

それで十分。

それ以上でも以下でもない。

人の評価にはグラグラ揺れます。

ダメ出しされれば、ガーンと落ち込みます。

でも、それで価値が決められるわけではないんですよね。

誰も誰かの価値を決めたりなんて、できないのだから。

何をしている何者でも、私はこの世に、私ただひとり。

何か特殊な秀でた人間ではなく、普通の人。

だけどただひとり。

それってすごいなぁ、嬉しいことだなぁ。

すべての人がそうですよね。この世でただひとりの人。

そう思って、何者かも、価値も、考えるのをやめました。

自信勝手ということで。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年3月 8日 (水)

未完成

中島みゆきさんの書く詞が大好き。

ちょっと恐いものもあるけど、カッコイイ女像も多い。

初めて出会った歌詞は、薬師丸ひろ子さんに提供した『未完成』という曲。

哀しい失恋の歌。内容もさることながら、ガッと心をつかまれたのはタイトル。

未完成って、言葉の通りだと、「まだ完成していないこと」だけど、

建築物が未完成、作品が未完成というのと、人生の中で使うのとは

少しニュアンスが違う。完成していないという他に、なにか

もどかしい、切ない感じがしませんか?

子供なりに、そんなことを感じて「未完成」という言葉に惹かれ、

時々、不意に思い出す。

「なんでこんなに気になるんだろう」と。

そこで考えてみて、気づいたこと。

子供の頃は、ドラマの途中の回を飛ばしても、最終回だけは見ないと

気がすまない。本を読めば、結末が待ちきれずに最後のページを読んでしまう。

そんな子でした。

それがいつしか、ドラマも本も、日常も生きること自体も、

プロセスがいちばん大切で楽しいと知りました。

そう思い出して出た結論。

「未完成」って人生そのものだから、惹かれのではないか、と。

先々のことは、考える必要があるし、大事なこと。

だからといって生き急ぐことはないし、結果ばかり求めて焦ったり

生きる意味を探しすぎると、かえって何も見えないもの。

そのとき、そのとき、自分にできること、すべきことをする。

たくさん考えて、悩む。そして

日々感じることを大切にして、しっかり味わう。

ただそれでいいんだな、と。

人生が完成するのは、きっと死ぬとき。

それまでは、いくつになろうと未完のまま。

だから生きるのはオモシロイということでしょうね。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年3月 3日 (金)

歩き方の恐怖!

目の前を歩く女子高生を見ていて、気がついたこと。

歩き姿は危険です。

彼女たちを見ていて、何かに似ている、と考えました。

そう、淑女とは言いがたい人たち。

共通しているのは、気を抜いていて、油断していること。

重心がやや後ろにあり、足が外股に開いているので、

ふんぞり返っているように見える。

もったいない!

シャンと背筋を伸ばして、一本線を歩くように歩くだけで、

グッとキレイな雰囲気になるのに。

ふんぞり返って見えるくらいなら、モデルを意識して

気取って歩く方がカッコイイんじゃないだろうか。

まあ、そういう私も、ひどい内股を友人に

「遠くからでも分かるくらい変だよ」と言われて以来、

歩き姿がしなやかでカッコイイ女性を見かけると、

参考にして、歩き方を改善中です。

| | コメント (2) | トラックバック (0)