2008年11月 6日 (木)

秋の夜長に

就寝前に何か本が読みたい。

小説を読むと、おもしろければ読みいってしまう。

キリのいいところまで、と思っても、一体どこでキリがいいと思えるのか。

眠る前は、気軽に読めるものがいい。

だから、リラックスして読めるものを選ぶようにしています。

ここ数日は、何年も前に古本屋で買った、

「名言名句の辞典」をふと思い出し、読み返し中。

辞典だから、順を追って読む必要はないし、

パラパラと気ままに読みたい箇所を遊べるところがいい。

この辞典では、作家、詩人、思想家、哲学者、歌人、俳人など、

様々な人の言葉、作品中の言葉が解釈・解説付きで紹介されています。

辞典中の「人生というもの」というくくりの章にあった言葉。

人生を幸福にするためには、日常の瑣事を愛さなければならぬ

芥川龍之介「侏儒の言葉」より引用。

日常の何気ないこと。些細なこと。日々過ごす時間。

それが大切! だと思っているので、嬉しくなってリラックス度が増し、

やや眠気がやってくる。

その後2ページ読んだところで、そろそろ眠るかなと思いながら、

次のページをめくったところで、目に入った言葉。

人生は、どうせ一幕のお芝居なんだから。

あたしは、その中でできるだけいい役を演じたいの

寺山修司「毛皮のマリー」より引用。

眠気が訪れていた頭で、なるほどなぁとぼんやり思う。

なにも世の中でいい位置にいきたいのではなく、人より優位ということでもない。

自分の人生のなかで。自分の“人生という劇場”での話。

できるだけいい人生を生きたいと願う気持ちは、誰のなかにもあるはず。

私の人生のなかで、できるだけいい“役”を演じたいと願います。

例えばお芝居が5幕構成だとしたら、1幕2幕が悲しい役や辛い役だとしても、

5幕が寂しいものだとしても、3幕4幕をいい役で、いいものにしたい。

なんていう風に。

日常が、些細なことが大切

人生の芝居でいい役を演じたい

どちらも真理だなぁ。

おもしろいなぁ……なんて考えながら、ウトウトと眠りについた秋の夜長でした。

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2008年6月13日 (金)

ベルダ

オーガニックコットンで作られたタオル地のポーチと洗面用具入れ。

カゴバッグ、夏用の手編みのバッグ。

2年前の春にフェアトレードのお店で購入したもの。

どれもみな、とても気に入っていて活躍中。

それまで何度か耳にして、なんとなく「そういうものがあるのか」と、

ボンヤリ認識していたフェアトレード。

2年前に買い物をしたときが、はじめて関心を持ったときでした。

しっかり知りたいと思いながらも、なかなか実際に知ろうと動かないまま2年が過ぎて。

2ヶ月ほど前、本屋で偶然見つけた1冊の本。

「Ⅴerda(ベルダ)」というフェアトレードマガジン。

内容は、

☆ネパールで生産されている商品を紹介し、掲載されている商品が通販で購入できる。

☆生産者のもとをスタッフが訪れた際に撮った写真が掲載され、

 生産者の人たちの顔を見ることが出来る。

☆ネパールの歴史、産業を発展させていくための努力の歴史。

 生産者の取材で、手作りの産業の現状を知ることが出来る。

☆使われている素材の話、説明を読むことが出来る。

☆フェアトレードの活動報告

など。

掲載されている商品の写真。

どれもやさしくあたたかい印象を受けます。

さらに、生産者の人々の表情、笑顔がいい!

皆さん瞳がとてもきれい。

生産者だけではなく、ネパールの子供たちも同じく。

写真を見て、記事を読んで、

“生きる”、“暮らす”、“社会”、“働く”、“活きる”、“生活”、

そして、“人と人とのつながり”、“共生”それらのことを考えます。

もうひとつ、とても当たり前のことですが、

生活に必要なたくさんのものは、人の手によって作られている。

丁寧に、大切に使っていきたい。改めてそう感じました。

この本を発見できたことに感謝。

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2008年5月26日 (月)

食を思って本を読む

今、食育の勉強をしています。

食べることが大好きで、食いしん坊。

だから、食についていろいろ知りたい。

そして何より、食は生きる上で欠かせない、重要、大切。

これまでも、栄養バランスには気を配っていたつもりではあります。

が、食についてしっかり学び、よりよい食生活を送りたい。

そう思って勉強していると、不思議なもので(いえ、必然?)、

食に関する情報が入ってくるようになる。

『「ナチュラル&オルタナティブ」ヘルスブック』(ほんの木出版)

という本に出合いました。

自然治癒力を高めることを考えるシリーズの本で、その中の1冊、

『「なぜ病気になるのか?」を食べることから考える』を読みました。

健康のための食事、免疫力を高める食事、症状別の食材の摂り方や、

食材の解毒・除毒の知恵などを知ることができました。

本の中で、食に関する本が紹介されており、

それらを読んでさらに食を学ぶ、という楽しみができました。

食いしん坊としては、紹介されている、

村井弦斎著『食道楽』(岩波文庫の復刻版)が気になる。

春夏秋冬の4巻に分かれた小説で、

600種以上の四季折々の料理や食材の話題が盛り込まれているそう。

600種以上の四季折々の料理……知りたい!

四季折々といえば、もう10年以上前に読んだ、水上勉さんの

『土を喰う日々―わが精進十二ヶ月―』も、大好きな“料理本”、“食本”。

昨日、久しぶりに手にとりました。

かなりのページにドッグ・イヤーでしるしをして、線が引かれており、

ざっとしるし部分を辿って読みました。

その中で好きな言葉を2つほど。

貧しいものでも、小さなものでも、まごころがあれば、

大きな、ゆたかな喰いものになる。これが人の行だ。

精進の極意は季節を喰うところにある

「まごころ」と「季節(旬・自然)と共にあること」

食育を勉強していく上で、自分の中にしっかり刻んでおきたい。

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2008年5月 9日 (金)

十を聞いて一を知る

心地好いカルチャーショック。

「一を聞いて十を知る」しか考えたことがなかった。

何もかも聞こうとせず、要求せず、「察する」。

それを身につけることが大切だと思って生きてきた。

十を聞いて一を知る

雑誌『クロワッサン』のインタビュー記事。

憧れの岸恵子さんのお話の中に出てきた言葉です。

フランスのインテリ階級の人たちは、ちゃんと理解するまで何度でも説明を受ける。

豊富な語彙を駆使し、議論をする。

その姿勢を岸さんは謙虚だと仰る。

謙虚に、

十を聞いてもやっと一くらいしか分からないのだという精神を持ったほうがいいと。

一を聞いて十を知るというのは、早合点で軽率だとも仰っていました。

“察しの美学”というものがありますから、

一を聞いて十を知ることは大切なのだと思ってきました。

でも察するには、たくさんの思考が必要。

そのためには、一を聞いてパッと判断するよりも、

しっかりと十を聞いて、考えて答えを出すほうがいい。

そのほうが、“物事の本質を察する”ことができるのではないか。

察した上で、十を聞いてもそれはまだ一なのだとわきまえる。

これからは、それを大切にしたい。

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2008年2月 6日 (水)

人生ノートの原点

寺山修司さんの未発表歌集が2月28日に刊行。

という記事が夕刊に載っていました。

10代の頃に読み始めた寺山作品。

その中の「ポケットに名言を」という本。

寺山さんが映画などで出合った言葉をまとめたもの。

「名言」とか「格言」とか、そういうものを読みたいとほっしていた時期に見つけた本。

くり返しくり返し読みました。

言葉を知り、いくつもの考え方を知り、ヒントを得られました。

そして、この本からのいちばんの贈り物。

言葉をメモすること。

映画、ドラマ、本、マンガ、ニュース、新聞、雑誌、出逢った人の話の中。

どこからでもいい。

何か、感じた言葉をメモする。

続けていたら、かなりの数になり、ノートにまとめてみると。

いつでも読み返せていい。

落ち込んだらノートを開く。

考えが煮詰まったらノートを開く。

気分転換にノートを開く。

「人生ノート」と名づけた大事なものになっています。

最近、メモを怠っている。メモしたものも、ノートに整理していないものが多々ある。

新たなページが埋まっていない。

今日、寺山さんの記事を目にしたことを機に、再開しようと思います。

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2007年8月 3日 (金)

「それいゆ」の名のように、あたたかく

 もしこの世の中に、風にゆれる『花』がなかったら、

人の心はもっともっと、荒んでいたかもしれない。

 もしこの世の中に『色』がなかったら、

人々の人生観まで変わっていたかもしれない。

 もしこの世の中に『信じる』ことがなかったら、一日として安心していられない。

 もしこの世の中に『思いやり』がなかったら、淋しくて、

とても生きてはいられない。

 もしこの世の中に『小鳥』が歌わなかったら、

人は微笑むことを知らなかったかもしれない。

 もしこの世の中に『音楽』がなかったら、

このけわしい現実から逃れられる時間がなかっただろう。

 もしこの世の中に『詩』がなかったら、

人は美しい言葉も知らないままで死んでゆく。

 もしこの世の中に『愛する心』がなかったら、人間はだれもが孤独です。

大好きな中原淳一さんのお言葉です。

別冊太陽の「美しく生きる 中原淳一 その美学と仕事」という本で出合いました。

美しく語られているこれらのことは、とてもシンプルで力強い。

且つ、中原さんが、少女たちにたくさんのことを伝え導いていらしたという雑誌、

「それいゆ」の名のように、太陽のあたたかさを感じます。

語られていることは、どれも“生きる”のに欠かせないものばかり。

久しぶりに思い出して読み返したら、じんわり沁みる。

なんだか嬉しくなり、書かれている大切なことへの感謝の気持ちで載せました。

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2007年7月20日 (金)

しぐさも口ほどにものを言う

またまた江戸しぐさからの話。

読めば読むほど、素晴らしい世界で、

この文化を失くしてはいけない! 今、取り戻さなければ!

という思いが強くなります。

江戸しぐさの「しぐさ」は、「思草」と書くそうです。

越川禮子さん、林田明大さん著『「江戸しぐさ」完全理解』に、

「思草」とは、その人が培ってきた考え方や思いが、その場、その時に、

反射的に形になって外に出たものです。

(略)考え方や思いが、そのまましぐさに出てしまうのです。

とあります。

心と身体は影響し合う。

心が沈み、ストレスが強ければ身体に影響して体調を崩すように、

攻撃的な言葉を用いたり攻撃的な話し方をしていると、心に険が出る。

イライラが動作に影響して雑になる。

乱暴な言葉を使えば気持ちが荒れ、行動に連鎖する。

マナーは形だけ学んでもまだ半分。

思想が、思考がマナーとリンクしなければ身につかない。

特別なことではなく習慣ですから、咄嗟に出る行動が答え。

口ほどにものを言うのは、目だけではないのですね。

日常の大切さを改めて思いました。

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2007年3月 2日 (金)

縁の神様

根拠はありませんが、信じていること。

授業をあまりまじめに聞かない学生だった私。

中2のとき、国語の教科書に載っていた話がおもしろくて、

その授業は夢中になって聞きました。

しかしその後、作者の名前を忘れ、授業のことも忘れました。

7年後、

古本屋の店先のワゴン内を何気なく覗くと、何十冊ある中の1冊が目にとまる。

瞬間的に「これを読まないと!」と思い即購入。

読んでみてどっぷりハマリました。

この人の本をもっと読んでみたい!

翌日、本屋で作者の本を何冊か購入。

その中の1冊『夜中の薔薇』を読んで「あっ」と声を上げました。

中学のとき授業で読んだ「時計なんか恐くない」が載っている。

14歳の私がワクワクして読んだ話を書いたのは、向田邦子さんだったのです。

以来、今でも尊敬する憧れの人。

何かを欲しているとする。

しかしそのときは、どれだけ探しても望んでも出逢えない、掴めない。

悔しかったり、寂しかったり。

月日が流れ、あるとき不意に目の前に現れる。

そういう「縁」ってあると思います。

人・物・事柄。

人生の中を通り過ぎるだけのものがある。

道ですれ違った人。

入ったお店で目にとまったもの。

お店の店員とお客。

そんなわずかの接触、かすっただけの短い間に、

わずかでも何かを感じたなら、忘れたころに何らかの形で関わる日が来るかもしれない。

また、目の前に現れたのに、別のところを見ていてニアミスってことも。

でも、自分の人生に必要なら、意味があるなら、必ずまた現れる。

出逢って時間をあけない縁もある。

それはその「縁」に対して自分の準備が出来ていたから。

「そのとき」必要だったから。

向田邦子という作家の本を読み出すのが14歳のときではなく、

21歳の私だったのも、21歳の私が読む意味があったと思う。

縁の神様が向田邦子という作家の本に出逢わせてくれた。

向田さんからたくさんの私淑を得られた。それは計り知れない。

必要なものとは必ず「縁」があり、出逢える。

ただし、適したときに巡ってきても、気づかずに縁が去ってしまうと哀しい。

キャッチできるよう、五感のアンテナはしっかり働かせていたい。

そうすれば、時々顔を出す不安や寂しさ、

空を掴むような切なさ・もどかしさは、恐くなんかない。

大切で必要なもの。

これが「時計なんか恐くない」との縁への、今の私の答え。

……都合のいい考えかしら?

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2007年2月23日 (金)

30年後も林檎の種子を

今日でブログを始めて丁度1年経つと、昨日気づきました。

人の誕生日やお祝い事は大好きで、お祝いするのが楽しい。

けれど、あまり自分のことは○○記念日とか考えない。

まあ、さすがに自分の誕生日は大事に考えます(自分好き)。

でも時々自分の歳、忘れます。

「あれ? 私いま、いくつ?」と人に聞いて「はい?」と言われてしまうくらい。

人は死ぬときまで未完成だと思うので、まだまだ若輩者。

素敵になりたいとジタバタ。かっこいい大人を探し、

お手本にしてキョロキョロしているうちに、フッと忘れてしまう。

で、「あれ? いま、いくつ?」になってしまう。一瞬ですけどね。

そんなノンキな自分のために目印(?)として、役者や芸人で同じ年の人、

何人か覚えています。活躍を目にすれば、「頑張ってるなぁ、私ももっと頑張ろう!」

と励みになりますし。

今日でブログを始めて1年ということで、初心に戻ってみました。

いくつになっても好奇心に溢れ、チャレンジ精神旺盛。

社会への関心と使命感は強くなるばかり。

毎年毎年いろいろなスタートラインを持つ。

自分の親や、たくさんの先輩たちのそういう姿を見ては、

まだまだ生きる甲斐が山ほどあるなぁ! と元気を貰っています。

どなたの言葉か忘れましたが、高校生の頃に読んだ寺山修司さんの、

『ポケットに名言を』に書かれていた言葉。

もし世界の終りが明日だとしても、私は今日、林檎の種子をまくだろう

スーパー・ポジティブ・シンキング!

20年後、30年後もいろいろな林檎の種子をまきながら、

自分を味わって笑っているよう、20年、30年と1歳1歳しっかり歳を纏っていかないと。

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2007年2月 9日 (金)

東大寺を建てたのは、大工さんです

タイトルの言葉は、水上勉さんの著書『女ごころ風景』の中の一文です。

詳しくは、

「東大寺は誰が建てましたか」という宿題が出て、「大工さんが建てました」

と答案用紙に書く子供を歓迎する。(略)大工や左官や木挽きが、延べ何万人

の労働者と共に狩りだされて、大きな大仏殿が建立された(以下略)

教育について述べられた話の一節。

この箇所が好きで、「うんうん」頷きながら読みました。また同書の別ページでは、

金閣寺の鳳凰堂を建てたのは誰かと尋ねられたら、「大工さんです」という答えが

好きだと語り、義満が手を汚して堂を建てたわけではない。無名の大工や左官や

瓦師の力で国宝級の建物が今尚残存している、というようなことが書かれています。

確かに子供の頃、教科書でピラミッドを見たとき、

いったいどれくらいの人で造ったのかな。昔は便利な機械もないよね、大変だな

と思いました。まあ、子供でしたから単純に、重いものを担いで必死にがんばって、

結局「ファラオが建てました」と片づけられるのは悲しいね、と思っただけですが。

水上さんの本を読んで、子供の頃感じたことの補足をもらった気がしました。

水上さんは、鳳凰堂の話を「そういう凡庸の智識を社会から学んだ」と述べています。

しっかりと「おとな」になるための、自分に即した「おとな」を磨いていくための、

ヒントを見つけたように思います。

物事を平面だけではなく、立体で見ることが、自分を人として躾け、成長させてくれる。

そういえば1年前の日本アカデミー賞のとき、

吉永小百合さんも、薬師丸ひろ子さんも受賞スピーチで、

一緒に映画をつくり上げたスタッフの人たちに思いを馳せていらっしゃいました。

私の映画、俺の番組というニュアンスの発言をする役者やタレントもいます。

「誰々の映画」とひとは捉える。すると、役者だけのもののようですが、

大勢のひとでつくっている。

吉永さんも、薬師丸さんもそのことを心から感じているからこそのスピーチだった、

そう思います。だからこそ、あんなに素敵なのだろうと思います。

「素敵なおとな」への道に、「謙虚」も不可欠な大切なものですね。

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