2008年11月 6日 (木)

秋の夜長に

就寝前に何か本が読みたい。

小説を読むと、おもしろければ読みいってしまう。

キリのいいところまで、と思っても、一体どこでキリがいいと思えるのか。

眠る前は、気軽に読めるものがいい。

だから、リラックスして読めるものを選ぶようにしています。

ここ数日は、何年も前に古本屋で買った、

「名言名句の辞典」をふと思い出し、読み返し中。

辞典だから、順を追って読む必要はないし、

パラパラと気ままに読みたい箇所を遊べるところがいい。

この辞典では、作家、詩人、思想家、哲学者、歌人、俳人など、

様々な人の言葉、作品中の言葉が解釈・解説付きで紹介されています。

辞典中の「人生というもの」というくくりの章にあった言葉。

人生を幸福にするためには、日常の瑣事を愛さなければならぬ

芥川龍之介「侏儒の言葉」より引用。

日常の何気ないこと。些細なこと。日々過ごす時間。

それが大切! だと思っているので、嬉しくなってリラックス度が増し、

やや眠気がやってくる。

その後2ページ読んだところで、そろそろ眠るかなと思いながら、

次のページをめくったところで、目に入った言葉。

人生は、どうせ一幕のお芝居なんだから。

あたしは、その中でできるだけいい役を演じたいの

寺山修司「毛皮のマリー」より引用。

眠気が訪れていた頭で、なるほどなぁとぼんやり思う。

なにも世の中でいい位置にいきたいのではなく、人より優位ということでもない。

自分の人生のなかで。自分の“人生という劇場”での話。

できるだけいい人生を生きたいと願う気持ちは、誰のなかにもあるはず。

私の人生のなかで、できるだけいい“役”を演じたいと願います。

例えばお芝居が5幕構成だとしたら、1幕2幕が悲しい役や辛い役だとしても、

5幕が寂しいものだとしても、3幕4幕をいい役で、いいものにしたい。

なんていう風に。

日常が、些細なことが大切

人生の芝居でいい役を演じたい

どちらも真理だなぁ。

おもしろいなぁ……なんて考えながら、ウトウトと眠りについた秋の夜長でした。

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2008年6月13日 (金)

ベルダ

オーガニックコットンで作られたタオル地のポーチと洗面用具入れ。

カゴバッグ、夏用の手編みのバッグ。

2年前の春にフェアトレードのお店で購入したもの。

どれもみな、とても気に入っていて活躍中。

それまで何度か耳にして、なんとなく「そういうものがあるのか」と、

ボンヤリ認識していたフェアトレード。

2年前に買い物をしたときが、はじめて関心を持ったときでした。

しっかり知りたいと思いながらも、なかなか実際に知ろうと動かないまま2年が過ぎて。

2ヶ月ほど前、本屋で偶然見つけた1冊の本。

「Ⅴerda(ベルダ)」というフェアトレードマガジン。

内容は、

☆ネパールで生産されている商品を紹介し、掲載されている商品が通販で購入できる。

☆生産者のもとをスタッフが訪れた際に撮った写真が掲載され、

 生産者の人たちの顔を見ることが出来る。

☆ネパールの歴史、産業を発展させていくための努力の歴史。

 生産者の取材で、手作りの産業の現状を知ることが出来る。

☆使われている素材の話、説明を読むことが出来る。

☆フェアトレードの活動報告

など。

掲載されている商品の写真。

どれもやさしくあたたかい印象を受けます。

さらに、生産者の人々の表情、笑顔がいい!

皆さん瞳がとてもきれい。

生産者だけではなく、ネパールの子供たちも同じく。

写真を見て、記事を読んで、

“生きる”、“暮らす”、“社会”、“働く”、“活きる”、“生活”、

そして、“人と人とのつながり”、“共生”それらのことを考えます。

もうひとつ、とても当たり前のことですが、

生活に必要なたくさんのものは、人の手によって作られている。

丁寧に、大切に使っていきたい。改めてそう感じました。

この本を発見できたことに感謝。

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2008年5月26日 (月)

食を思って本を読む

今、食育の勉強をしています。

食べることが大好きで、食いしん坊。

だから、食についていろいろ知りたい。

そして何より、食は生きる上で欠かせない、重要、大切。

これまでも、栄養バランスには気を配っていたつもりではあります。

が、食についてしっかり学び、よりよい食生活を送りたい。

そう思って勉強していると、不思議なもので(いえ、必然?)、

食に関する情報が入ってくるようになる。

『「ナチュラル&オルタナティブ」ヘルスブック』(ほんの木出版)

という本に出合いました。

自然治癒力を高めることを考えるシリーズの本で、その中の1冊、

『「なぜ病気になるのか?」を食べることから考える』を読みました。

健康のための食事、免疫力を高める食事、症状別の食材の摂り方や、

食材の解毒・除毒の知恵などを知ることができました。

本の中で、食に関する本が紹介されており、

それらを読んでさらに食を学ぶ、という楽しみができました。

食いしん坊としては、紹介されている、

村井弦斎著『食道楽』(岩波文庫の復刻版)が気になる。

春夏秋冬の4巻に分かれた小説で、

600種以上の四季折々の料理や食材の話題が盛り込まれているそう。

600種以上の四季折々の料理……知りたい!

四季折々といえば、もう10年以上前に読んだ、水上勉さんの

『土を喰う日々―わが精進十二ヶ月―』も、大好きな“料理本”、“食本”。

昨日、久しぶりに手にとりました。

かなりのページにドッグ・イヤーでしるしをして、線が引かれており、

ざっとしるし部分を辿って読みました。

その中で好きな言葉を2つほど。

貧しいものでも、小さなものでも、まごころがあれば、

大きな、ゆたかな喰いものになる。これが人の行だ。

精進の極意は季節を喰うところにある

「まごころ」と「季節(旬・自然)と共にあること」

食育を勉強していく上で、自分の中にしっかり刻んでおきたい。

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2008年5月 9日 (金)

十を聞いて一を知る

心地好いカルチャーショック。

「一を聞いて十を知る」しか考えたことがなかった。

何もかも聞こうとせず、要求せず、「察する」。

それを身につけることが大切だと思って生きてきた。

十を聞いて一を知る

雑誌『クロワッサン』のインタビュー記事。

憧れの岸恵子さんのお話の中に出てきた言葉です。

フランスのインテリ階級の人たちは、ちゃんと理解するまで何度でも説明を受ける。

豊富な語彙を駆使し、議論をする。

その姿勢を岸さんは謙虚だと仰る。

謙虚に、

十を聞いてもやっと一くらいしか分からないのだという精神を持ったほうがいいと。

一を聞いて十を知るというのは、早合点で軽率だとも仰っていました。

“察しの美学”というものがありますから、

一を聞いて十を知ることは大切なのだと思ってきました。

でも察するには、たくさんの思考が必要。

そのためには、一を聞いてパッと判断するよりも、

しっかりと十を聞いて、考えて答えを出すほうがいい。

そのほうが、“物事の本質を察する”ことができるのではないか。

察した上で、十を聞いてもそれはまだ一なのだとわきまえる。

これからは、それを大切にしたい。

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2008年2月 6日 (水)

人生ノートの原点

寺山修司さんの未発表歌集が2月28日に刊行。

という記事が夕刊に載っていました。

10代の頃に読み始めた寺山作品。

その中の「ポケットに名言を」という本。

寺山さんが映画などで出合った言葉をまとめたもの。

「名言」とか「格言」とか、そういうものを読みたいとほっしていた時期に見つけた本。

くり返しくり返し読みました。

言葉を知り、いくつもの考え方を知り、ヒントを得られました。

そして、この本からのいちばんの贈り物。

言葉をメモすること。

映画、ドラマ、本、マンガ、ニュース、新聞、雑誌、出逢った人の話の中。

どこからでもいい。

何か、感じた言葉をメモする。

続けていたら、かなりの数になり、ノートにまとめてみると。

いつでも読み返せていい。

落ち込んだらノートを開く。

考えが煮詰まったらノートを開く。

気分転換にノートを開く。

「人生ノート」と名づけた大事なものになっています。

最近、メモを怠っている。メモしたものも、ノートに整理していないものが多々ある。

新たなページが埋まっていない。

今日、寺山さんの記事を目にしたことを機に、再開しようと思います。

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2007年8月 3日 (金)

「それいゆ」の名のように、あたたかく

 もしこの世の中に、風にゆれる『花』がなかったら、

人の心はもっともっと、荒んでいたかもしれない。

 もしこの世の中に『色』がなかったら、

人々の人生観まで変わっていたかもしれない。

 もしこの世の中に『信じる』ことがなかったら、一日として安心していられない。

 もしこの世の中に『思いやり』がなかったら、淋しくて、

とても生きてはいられない。

 もしこの世の中に『小鳥』が歌わなかったら、

人は微笑むことを知らなかったかもしれない。

 もしこの世の中に『音楽』がなかったら、

このけわしい現実から逃れられる時間がなかっただろう。

 もしこの世の中に『詩』がなかったら、

人は美しい言葉も知らないままで死んでゆく。

 もしこの世の中に『愛する心』がなかったら、人間はだれもが孤独です。

大好きな中原淳一さんのお言葉です。

別冊太陽の「美しく生きる 中原淳一 その美学と仕事」という本で出合いました。

美しく語られているこれらのことは、とてもシンプルで力強い。

且つ、中原さんが、少女たちにたくさんのことを伝え導いていらしたという雑誌、

「それいゆ」の名のように、太陽のあたたかさを感じます。

語られていることは、どれも“生きる”のに欠かせないものばかり。

久しぶりに思い出して読み返したら、じんわり沁みる。

なんだか嬉しくなり、書かれている大切なことへの感謝の気持ちで載せました。

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2007年7月20日 (金)

しぐさも口ほどにものを言う

またまた江戸しぐさからの話。

読めば読むほど、素晴らしい世界で、

この文化を失くしてはいけない! 今、取り戻さなければ!

という思いが強くなります。

江戸しぐさの「しぐさ」は、「思草」と書くそうです。

越川禮子さん、林田明大さん著『「江戸しぐさ」完全理解』に、

「思草」とは、その人が培ってきた考え方や思いが、その場、その時に、

反射的に形になって外に出たものです。

(略)考え方や思いが、そのまましぐさに出てしまうのです。

とあります。

心と身体は影響し合う。

心が沈み、ストレスが強ければ身体に影響して体調を崩すように、

攻撃的な言葉を用いたり攻撃的な話し方をしていると、心に険が出る。

イライラが動作に影響して雑になる。

乱暴な言葉を使えば気持ちが荒れ、行動に連鎖する。

マナーは形だけ学んでもまだ半分。

思想が、思考がマナーとリンクしなければ身につかない。

特別なことではなく習慣ですから、咄嗟に出る行動が答え。

口ほどにものを言うのは、目だけではないのですね。

日常の大切さを改めて思いました。

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2007年3月 2日 (金)

縁の神様

根拠はありませんが、信じていること。

授業をあまりまじめに聞かない学生だった私。

中2のとき、国語の教科書に載っていた話がおもしろくて、

その授業は夢中になって聞きました。

しかしその後、作者の名前を忘れ、授業のことも忘れました。

7年後、

古本屋の店先のワゴン内を何気なく覗くと、何十冊ある中の1冊が目にとまる。

瞬間的に「これを読まないと!」と思い即購入。

読んでみてどっぷりハマリました。

この人の本をもっと読んでみたい!

翌日、本屋で作者の本を何冊か購入。

その中の1冊『夜中の薔薇』を読んで「あっ」と声を上げました。

中学のとき授業で読んだ「時計なんか恐くない」が載っている。

14歳の私がワクワクして読んだ話を書いたのは、向田邦子さんだったのです。

以来、今でも尊敬する憧れの人。

何かを欲しているとする。

しかしそのときは、どれだけ探しても望んでも出逢えない、掴めない。

悔しかったり、寂しかったり。

月日が流れ、あるとき不意に目の前に現れる。

そういう「縁」ってあると思います。

人・物・事柄。

人生の中を通り過ぎるだけのものがある。

道ですれ違った人。

入ったお店で目にとまったもの。

お店の店員とお客。

そんなわずかの接触、かすっただけの短い間に、

わずかでも何かを感じたなら、忘れたころに何らかの形で関わる日が来るかもしれない。

また、目の前に現れたのに、別のところを見ていてニアミスってことも。

でも、自分の人生に必要なら、意味があるなら、必ずまた現れる。

出逢って時間をあけない縁もある。

それはその「縁」に対して自分の準備が出来ていたから。

「そのとき」必要だったから。

向田邦子という作家の本を読み出すのが14歳のときではなく、

21歳の私だったのも、21歳の私が読む意味があったと思う。

縁の神様が向田邦子という作家の本に出逢わせてくれた。

向田さんからたくさんの私淑を得られた。それは計り知れない。

必要なものとは必ず「縁」があり、出逢える。

ただし、適したときに巡ってきても、気づかずに縁が去ってしまうと哀しい。

キャッチできるよう、五感のアンテナはしっかり働かせていたい。

そうすれば、時々顔を出す不安や寂しさ、

空を掴むような切なさ・もどかしさは、恐くなんかない。

大切で必要なもの。

これが「時計なんか恐くない」との縁への、今の私の答え。

……都合のいい考えかしら?

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2007年2月23日 (金)

30年後も林檎の種子を

今日でブログを始めて丁度1年経つと、昨日気づきました。

人の誕生日やお祝い事は大好きで、お祝いするのが楽しい。

けれど、あまり自分のことは○○記念日とか考えない。

まあ、さすがに自分の誕生日は大事に考えます(自分好き)。

でも時々自分の歳、忘れます。

「あれ? 私いま、いくつ?」と人に聞いて「はい?」と言われてしまうくらい。

人は死ぬときまで未完成だと思うので、まだまだ若輩者。

素敵になりたいとジタバタ。かっこいい大人を探し、

お手本にしてキョロキョロしているうちに、フッと忘れてしまう。

で、「あれ? いま、いくつ?」になってしまう。一瞬ですけどね。

そんなノンキな自分のために目印(?)として、役者や芸人で同じ年の人、

何人か覚えています。活躍を目にすれば、「頑張ってるなぁ、私ももっと頑張ろう!」

と励みになりますし。

今日でブログを始めて1年ということで、初心に戻ってみました。

いくつになっても好奇心に溢れ、チャレンジ精神旺盛。

社会への関心と使命感は強くなるばかり。

毎年毎年いろいろなスタートラインを持つ。

自分の親や、たくさんの先輩たちのそういう姿を見ては、

まだまだ生きる甲斐が山ほどあるなぁ! と元気を貰っています。

どなたの言葉か忘れましたが、高校生の頃に読んだ寺山修司さんの、

『ポケットに名言を』に書かれていた言葉。

もし世界の終りが明日だとしても、私は今日、林檎の種子をまくだろう

スーパー・ポジティブ・シンキング!

20年後、30年後もいろいろな林檎の種子をまきながら、

自分を味わって笑っているよう、20年、30年と1歳1歳しっかり歳を纏っていかないと。

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2007年2月 9日 (金)

東大寺を建てたのは、大工さんです

タイトルの言葉は、水上勉さんの著書『女ごころ風景』の中の一文です。

詳しくは、

「東大寺は誰が建てましたか」という宿題が出て、「大工さんが建てました」

と答案用紙に書く子供を歓迎する。(略)大工や左官や木挽きが、延べ何万人

の労働者と共に狩りだされて、大きな大仏殿が建立された(以下略)

教育について述べられた話の一節。

この箇所が好きで、「うんうん」頷きながら読みました。また同書の別ページでは、

金閣寺の鳳凰堂を建てたのは誰かと尋ねられたら、「大工さんです」という答えが

好きだと語り、義満が手を汚して堂を建てたわけではない。無名の大工や左官や

瓦師の力で国宝級の建物が今尚残存している、というようなことが書かれています。

確かに子供の頃、教科書でピラミッドを見たとき、

いったいどれくらいの人で造ったのかな。昔は便利な機械もないよね、大変だな

と思いました。まあ、子供でしたから単純に、重いものを担いで必死にがんばって、

結局「ファラオが建てました」と片づけられるのは悲しいね、と思っただけですが。

水上さんの本を読んで、子供の頃感じたことの補足をもらった気がしました。

水上さんは、鳳凰堂の話を「そういう凡庸の智識を社会から学んだ」と述べています。

しっかりと「おとな」になるための、自分に即した「おとな」を磨いていくための、

ヒントを見つけたように思います。

物事を平面だけではなく、立体で見ることが、自分を人として躾け、成長させてくれる。

そういえば1年前の日本アカデミー賞のとき、

吉永小百合さんも、薬師丸ひろ子さんも受賞スピーチで、

一緒に映画をつくり上げたスタッフの人たちに思いを馳せていらっしゃいました。

私の映画、俺の番組というニュアンスの発言をする役者やタレントもいます。

「誰々の映画」とひとは捉える。すると、役者だけのもののようですが、

大勢のひとでつくっている。

吉永さんも、薬師丸さんもそのことを心から感じているからこそのスピーチだった、

そう思います。だからこそ、あんなに素敵なのだろうと思います。

「素敵なおとな」への道に、「謙虚」も不可欠な大切なものですね。

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2006年12月 2日 (土)

それでいいじゃん

「武士武士とがみがみいわンすな。耳が鳴るわい」

「されば、おンしゃ、何じゃい」

「坂本竜馬じゃ」ケロリとしている。

これが坂本竜馬の一生を通じての思想だった。

武士であるとか町人であるとか、そういうものはこの世の借り着で

正真正銘なのは人間いっぴきの坂本竜馬だけである。

司馬遼太郎氏の『竜馬がゆく』のなかの1節です。

竜馬はそれで充分なのだそうです。

坂本竜馬は『竜馬がゆく』を読んで興味を持ち、大好きになりました。

描かれている彼が、魅力的で素晴らしくて惹かれるのですが、

特にこの1節は、ズドーンと打ち抜かれました。

強い。器がデカイ。かっこいい。

地位とか、肩書きとか云々かんぬんはいらん。

名前ひとつ、身ひとつで充分だと。

読んでいて、うん、それでいいじゃん、と感じました。

地位、肩書き、お金、勝ち組負け組み、ブランド、学歴など。

比較のしがらみ、決まりごとを挙げだしたら枚挙に暇がない。

なんだか、自分たちの首を絞めることを作り出しすぎて、自分たちで悲鳴をあげている。

みんなでそんなものやめたらいいのに。

なかなか簡単ではないと思いますが。

ちいさな例えですが、私はブランド品を持ちません。興味もない。

高価なものも持っていません。

場所によっては、会う人が明らかに優位に立った目をしてるのがわかります。

どうぞお好きに思って頂戴、と思います。

相手を「ああ、そういう価値基準のなのね」と思うこちらの感覚も、いいとは言えない。

どっこいですね。

こちらも「品定め返し」をしてしまっているので。

でも、楽です。竜馬の教訓があるので。

司馬さんの描いた竜馬に感化されて書いた詩です。

「この身ひとつ 名前ひとつ」

嬉しい記憶

幼い日 母が何度も話してくれた

私は望まれて生まれたんだよ

みんな待っていたんだよ

大好きなんだよ

ただそれだけのことが

この身ひとつ

名前ひとつで

生きていける力になる

確かに私を守ってくれる

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2006年10月 6日 (金)

秋の声

いいもの発見。

昨日、パソコンのトラブルを解決していただいてから、本屋に寄りました。

店内を行ったり来たり。あれこれと気になるものをチェック。

そして出合いました。

『季節のことば辞典』という本です。

この本は、四季のあらゆることがわかりやすく分けられており、

読みやすくて、なかなかおもしろそうです。

浮かれ気分で帰宅。昨夜からさっそく読み出しました。

順を追って読みたいところですが、今は秋。

春から読むと……。

秋まで待ちきれないので、秋の章からスタート。

その中に、「秋の声」というものがあります。

秋の声→もの悲しい秋の風情を感じさせる音。風の音など。

という説明。

風の音。

それはたんに、音だけのことではなく、匂いや肌触りを含めたものかもしれない。

秋の声。

空からも、海や川からも、大地からも、風に乗ってきているのかもしれない。

日常は、自然以外の音で溢れている。

時として「ノイズ」と言えるかもしれない。いや、生活音に慣れすぎて、

自然の声を聴くことを遠ざけてしまっているのかもしれない。

味気ないことをしている気になりました。

日本に生まれ、日本で生きているのに、四季について知らないことが多い。

今、五感をしっかり使って、秋の声を聴きたい。

そして、四季折々の日本を感じて生きていけるよう、

じっくりいろんなことを知っていきたいと思います。

まずは『季節のことば辞典』を読みふけります。

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2006年9月25日 (月)

久しぶりにマンガ三昧

金曜日に風邪をひいて熱を出しました。

土曜日は熱も下がり、回復しましたが、まあ、ゆっくりのんびり過ごそう。

ということで、本を読んだり、録っておいたビデオを見たり。

朝から何も予定を立てず、気ままに過ごしていました。

ぼんやり本棚を眺めていたら、写真集や画集のカテゴリーの中の、

「赤ちゃんと僕」というマンガの画集が目にとまりました。

この画集は、何年も前のことですが、白泉社の方にお会いする機会があり、

このマンガが大好きだということを申し上げたら、

「よかったら、どうぞ」と、いただいたものです。

久しぶりに取り出して見ているうちに、マンガが読みたくなりました。

本棚の収納が足りなくなっているので、ずっと昔に読んだもの、

10年以上前に買ったマンガなどは、押入れに収納しています。

収納している箱から取り出し、全18巻を一気に読みました。

それだけでは済まず、他のマンガも読み出します。

かなりの数を読んで満足し、元通り納めました。

すっかりマンガモードになり、本棚のマンガも読みふけりだしました。

土曜の午後は、音楽をかけ、お茶と紅茶を何杯も飲みながら、

マンガ一色で過ごしました。

たまには、こんな風に過ごすのもいいですね。

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2006年7月19日 (水)

人づき合いのおまじない

あなたの知らないところに

いろいろな人生がある

あなたの人生が

かけがえないように

あなたの知らない人生も

また

かけがえない

人を愛するということは

知らない人生を知るということだ

座右の銘にしている大好きな3つの詩のうちのひとつ。

大好きな灰谷健次郎さんの本で出合った詩。

確か灰谷さんご自身が書いたものではなく、別の方が書いたものを

紹介されていたと記憶しています。

はじめて目にしたときは「懐の深い、あったかい詩だなぁ」とほんわりした

気持ちで受け取り、漠然とおっきな人になりたいと思いました。

今でもこの詩は指針ですが、最近は加えて、人づき合いのおまじない

しています。

どうしてもかみ合わない人。苦手な人に会う。

この詩を思い出す。

私の人生がたったひとつなように、その人の人生はその人のもの。

その人が主役。私は脇役。

そう思うと、一歩ひいたところから、「苦手!」と思うより、

少しやさしい気持ちで向き合うことができます。

できれば、おまじないなしでも、しなやかにあれたらいいのですが、

まだまだ懐、浅っ!

グラグラ揺れながら、掘っています。

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2006年5月12日 (金)

ファッションリーダー

年齢ごとに変わるところもありますが。

自分にとってのファッションリーダーでしょうか。

何人か、素敵だな、と憧れる人がいます。

今日はその中で、子供の頃からおしゃれをするときの軸になっている人。

中森明菜さんについて書きたいと思います。

最近は、ドラマ「プリマダム」に出演されていて、素敵な装い健在。

なんでも着こなす人だ、と思いながら見ています。

17年前に出版された「CRUISE」(出版元・ほんの木)という彼女の本が

あります。写真集とは少し違い、ファッション・ブックとして創られたもの。

上質なファッション雑誌という感じです。

装いが、かわいらしいもの、ワイルドなもの、セクシーなもの、エレガントな

ものと変幻自在。

この本を読んで、服、靴、帽子、アクセサリー、メイク、髪型など、アイテム

だけでなく、雰囲気作りも大切。それを装うのはどんな街か状況か、なども

大切だと知りました。そのトータルで、美しさを作るのだと知りました。

手にした頃は子供で、本の中のエレガントなファッションは似合わないと思い、

「いつかこういうファッションにふさわしい人になりたい」と眺めるだけでした。

今はまだ、ふさわしい人にはなっていませんが、年齢的にはいいお年頃に

なったと思います。

ファッションも「カタチから」ということで、そろそろエレガントな装いをしたい

な~と計画中。

最後に、本に載っていた文章で素敵なものを2つ紹介させていただきます。

「レースに縁どられた服には優しさの余韻がある。その繊細な透かし模様の

合間からデリケートな心が見え隠れする。女が女であることを忘れずに、いつ

までも変わることなく持ち続けるであろうロマンティシズムを、この服に託して」

「恋にも仕事にも前向きで挑み、感情的になることも、媚びることもない。凛と

した表情をその顔にたたえ、通り過ぎた後にも潔い風が吹く。飾りをいっさい

排除したオーソドックスな服には、そんな大人の女の知性が滲み出る」

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2006年5月11日 (木)

純粋でないと大人になれない

今日のタイトルは昨日読んだ阿木燿子さんの本に書かれていた言葉です。

「う~ん、純粋ねぇ」と考え、連休中に従姉妹の子供たちに会い、子供の純粋さ

に触れたことを連想。そしてふと、自分の子供の頃のことを思い出してみると…。

みなさん、サンタクロースを信じていました?

私は3つか4つの頃には正体に気づいてしまっていました。

まず、母は戸締り厳重人なので、完璧な戸締りです。サンタさんの入る隙は

どこにもない! うちには煙突もない!

そして、プレゼントの包装が駅前のおもちゃ屋のもの。決定打です。

外国に住んでいるサンタさんが? うちの近所で買うの?

ダメ押しで、普段は駅前のおもちゃ屋を素通りの母がプレゼントリサーチの

ために私を連れて行きます。

サンタさんにお願いするもの決めておかないとね~」と言って。

ああ、お母さんが何を欲しいか知るためか~」と思いました。

子供を喜ばせようと演出してくれている母をがっかりさせたくない。

そう思い、信じているフリをしていました。またまたかわいくない。

大人になって母にこの話をしたら「うわっ、ショックだわ」と結局がっかり

させてしまいました。友人たちも「いや~、かわいくない! そんな子絶対嫌!」。

ええ、私も同感です。

また、子供の頃、「積み木崩し」をはじめとした非行を問題にしたドラマが

ありました。母がそれらを見せないようにするので、なぜかと問うと、

「影響を受けるといけないから」とのこと。私の返答がまた、かわいくない!

「ないない。何か嫌なことがあるからグレるっていうけど、問題は解決しない

じゃん。手間が増えるだけでしょ。面倒なことは嫌!」

小学生の発言としてどうでしょう。ピュアさがない。

むしろ友人たちに「メルヘンさん」と言われる今の方が、多少純かもしれません。

ああ、順番が逆。今からしっかり大人にならないと。

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2006年5月10日 (水)

まずい、気をつけないと!

「おおっ!」という話を知りました。

草柳大蔵氏の本で知ったことです。

「ぶす」という言葉。

女性に対して使われるよくない言葉ですが、「ぶすっとしている」

「不機嫌そうにしている」「無愛想にしている」という意味もあるのだそう。

また「ぶす」は「附子」と書き、トリカブトからとった猛毒のことなのだとか。

これが黒砂糖とそっくりなので、このことを題材にした狂言の演目があるそう。

トリカブトのぶすをなめて「苦り切った顔をすることを、ぶすっとしている」

表現していて、またひとつ意味が加わっている。

ものすごく納得。「ぶす」って表情のことなんですね。表れる、表される情。

顔だけじゃなく、声の表情、動作の表情

考えてみると、人に会ったとき好感を持つか持たないか、表情によることが

大きいような。

ということは、人にもそう思われるわけで…。

いい出会いばかりではないので、気をつけているつもりでいます。

でもわかる人にはわかってしまうかも。気づかないうちに油断して

「ぶす」っとした表情になっていることがあるかも、と冷や汗でした。

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