2008年2月 9日 (土)

彼女の問題?

歌手の倖田來来さんの発言。

新聞を読んで知りました。

公の場で発言することの影響力を考慮すべき。

この話、有名人が軽率な発言をして人を傷つけた。

という彼女だけの問題なのでしょうか?

人を傷つけた、失礼だ、デリカシーがない。その通り。

でもそれだけ?

内容が妊娠・出産という尊いことに対するゆえに、波紋が広がったこの話。

その根底にある「問題」が置き去りでは。

配慮を欠いた発言、軽率な、うかつな…。

言わなければいいのではなく、考えがよくないはず。そして、

それは彼女だけではないはず。

新聞を読んでまず思ったのは、若さ至上主義のシンボリックな話。

そして、品格ブームと言いながら、現代の本性が出た話。

世の中に多く蔓延している感覚、言いたくないけれど“価値観”のシンボリックな話。

彼女の発言に限らず、年齢で女性を貶め傷つける言葉、発言、感覚は溢れています。

某大物芸人は、年中、20代後半以上の女性に暴言を吐いています。

もう人として終りのように、女性として価値がないように。

あれは配慮を欠いた発言にはならないの?

「この人、一生幼稚で薄っぺらいんだろうなぁ」と呆れながら、

30代女性としては一瞬気分が悪い。

バラエティ番組を見ると、「ブサイク、ブサイク」と芸人さんが

容姿を貶められているのを見ることがある。

あれは問題にはならないの?

髪の薄い人を「ハゲ」って言うのは?

他にも枚挙に暇が無いほど、無神経で品性を疑う話はたくさん。

公の場のこととして、テレビを取り上げましたが、

普通の日常の中にもたくさん溢れている。

周囲に、かっこいいとか、素敵と言われている男性や女性が、

さっくり人をけなしていたり、小バカにしているのを見たり、耳にすると、

不愉快さが記憶される。だから誰かに「あの人いいよね」とか「素敵だよね」

と言われても、イエスと言えない。

時に、「最低に醜い」と言ってしまう。

(この辺りの自分の幼さは大人にならねばと反省、課題…)

今回の倖田さんの発言。

世の中を蔓延している感覚“価値観”が生み出した問題。

彼女が叩かれたことで、誰もがしばらくは発言に気をつけるでしょう。

でもそれは言わないだけ。

問題の根っこを考えて変えないと。

決して彼女だけの問題ではない。

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2007年7月27日 (金)

知らない世代だから

戦争のことは怖いから見ずにすませようとしてきた。

でも、私たちが知らなければ、下の世代に伝える人がいなくなる。

そのことの方がずっと怖くないですか

7月20日、朝日新聞の夕刊に掲載された、

女優・麻生久美子さんのインタビュー中の言葉です。

何が怖いか。私も同感です。

戦争を知らない世代です。

それは日本が「戦争を永久にしない」としっかり定めているから、

自国の戦争を知らないということ。

世界では絶えず戦争がある。小さい頃からニュースで見聞きしている。

4歳、5歳でも、間違ったこと、あってはいけないことだとわかる。

以前、10代の若者に、8月15日は何の日か尋ねているテレビを見ました。

満面の笑みで「誰かの誕生日?」と答える少女をみて、「怖い」と感じました。

子どもの頃、8月6日は必ず登校日で、

原爆投下で亡くなった広島の人たちに黙祷を捧げました。

15日の終戦記念日も、家で必ず黙祷。

毎年、夏には戦時中の人々を描いたスペシャルドラマが放送されていた。

ドラマも、ニュースで流れる世界の戦禍を見るのも、

正直、恐ろしいので嫌です。

でも、子ども心に2度とあってはいけないことだから、知らなければいけない。

知らないと、おとなになったとき、戦争をNOだというバトンを受け取れない、

と思って見続けてきました。

麻生さんが仰るように、今、自分の世代はしっかり考えなければいけない。

“NOバトン”をしっかり受け、下の世代へ伝えなければいけない。

という思いを強くするきかっけは、2年前、

TBSで放送された『広島・昭和20年8月6日』というドラマ。

昭和20年7月16日から8月6日に、原爆が投下されるまでを描いたドラマ。

小さいときより、歳月の分、いろいろな角度に思いを馳せながら見ました。

より具体的に感じるからこそ、ショックと憤りが強くなっている。

実際の被爆者の写真が流れるエンドロールを見届けた後、

顔を泣き腫らしながら、しばし呆然。

いつもはグッとのめり込んで見た作品も、

役柄のイメージを引きずって役者を見ることはありません。

が、あのドラマは、松たか子さんと玉山鉄二さんが特に印象に残り、

しばらく引きずりました。

それぞれ別の作品に出ていらしても、ドラマの場面が思い出されてしまう。

洗剤の香りにウットリしているおもしろCMを見てさえ、

涙が出そうになって困りました。

役者の演じたものを引きずる、というはじめての経験。

それだけ、考えるべき年齢なのだと自覚したゆえ、と思います。

大きなターニングポイントになりました。

戦争を知らない世代の弱さは多々あれど、だからこその強さもある。

知らない世代だから。

あってはいけないこと、命が失われることだということ。

想像を絶する悲しみがたくさんあること。

世界中では今尚、続いていることを知ろうとしなければ。

戦争は絶対NOだということを、一人ひとりが思い続けるべきではないかと。

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2006年11月 3日 (金)

再度、リベンジのすすめ

最近、ニュースを見るのが辛いです。

連日、取り上げられているいじめ問題。

命を絶ってしまった子達の遺書。いじめにあっている人、あっていた人から、

番組に寄せられるFAX。

「迷惑かけてごめんなさい」「お荷物はもういなくなるから」

「このまま生きていて、いいのかどうか…」など。

あってはならない理不尽な目に遭ってしまっている状態で、人を気遣う。

そういうやさしい人が、純粋な人がどうして死ななければならないのか。

どれほど辛く、苦しく、絶望していたかを考えると、息をするのも苦しいほど、

辛くて涙が出てきます。

人格は、昨日今日でつくられるものではなく、

長い時間の積み重ねで構成されていくもの。

残念ながら、いじめをする人は長い時間をかけて、

腐った性根をつくりあげてしまっているので、そういう人を100%更生させるのは手遅れ。

それが現実だと思います。だから難しい問題なのではないかと。

以前、『リベンジのすすめ』というものを書いたときに、お話しましたが、

15歳のとき、人生でただ1度だけ、死のうと思ったことがありました。

(詳しくは『リベンジのすすめ』をお読みいただければ。ただ、私の場合、

友達はいい人だらけで、友達にいじめらたりはしていないので、

少しケースが違いますが)

そのとき、私が死ななかったのは「フテブテシクテ自分好きだから」「母娘の絆」

何より大きかったのは、「プライド」と「幸せになりたい」という強い想いです。

小学生になった頃から、母を守れる強い人になりたい。早く大人になりたい、

というのが自分の土台にあり、母娘二人三脚で生きてきたので、

私が今死んだら、母は救えなかったことを一生、悔いながら生きていくことになる。

母の人生を台無しにする。それはでっかいブレーキでした。

(実際は大人になっても全然守れていなくて、心配かけたり、

未だ、守られてしまっていますが…)

そして、バンザイ、自分好き。バンザイ、高飛車なまでのプライド。

そういう性質が私に絶えず、未来を夢見させ、希望を持ち続けさせてくれました。

「絶対幸せになってやる!」と。

その後、15歳のときに私を追い込んだ性質の悪い人たちとは関係無しに、

自分の身のまわりに起こったこと、自分の身に起こったことで何度も絶望しました。

私なりに地獄はありました。

でも、振り返ると、ずっといい友達がいましたし、根が陽気で図太いので、

いっつも笑っていました。幸せな未来を信じきっていましたし。

今もそうです。特に何があるわけでもなく、まだ望んでいて叶っていないこと、たくさん。

年齢的には揺れるお年頃。

しかし、揺れてはいますが、夢いっぱい。希望いっぱい。やる気、溢れまくっています。

きっとこのまま70歳くらいになっても、同じように前だけ見る、

夢見るファンキーな70歳の自分が予想されます。

叶っていないことが多いと、生きる甲斐も多いので、楽しいから、いいかなぁ。

と、自分の実感として、絶望することが起きても、それは永遠じゃない。

もがいて脱出すれば、その先が待っている。

一生その辛い場所で生きなきゃならないなんてことはない。

それでも耐えられないなら、周りにSOSすればいい。その権利あるんです。

その場から逃げたっていい。世界は広いんだから。

死を選択しないで、どうぞ自分をとってほしい。

生きていくことが最優先!

どうぞ、どうぞ、そう思ってほしい、とニュースを見ながら思う日々です。

話が長くなりましたが、19の頃だったと思います。はっきりは覚えていないのですが、

たぶん、自殺のニュースを見て書いた詩です。

ちょっと拙いですが、そのまま載せます。

「あなたを捨てないで」

あなたのハートを捨てないで

何か辛いことがあって 耐えられないのなら

少しの間 やめたらいい 休めばいい

そうできればきっと また何かやろうと思えるでしょう

そこに道が見えてくる だから

あなたのハートを捨てないで

あなたの鼓動を止めないで

迷惑? そんなことない!

頼っていいじゃない 

周りの人 

あなたが消えてしまうより ずっといいと思うはず

感謝の気持ちは 元気になれたとき

できるなにかをすればいい

「ありがとう」と言えばいい

真心 きっと伝わるから

急がないで 焦らないで

笑顔の未来を信じて

自分を選んで

あなたを捨てないで

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2006年10月19日 (木)

許せないことと、ひとの可能性

今日は、少々表現がきつくなります。お許しくださいませ。

朝も夜も、ニュースを見れば、殺人事件。

新聞も暴力、殺人。

しかも、ビックリするような動機。

もちろん、どのような動機でも、絶対してはならないことですが。

「ムシャクシャしてたから」 「頭にきたから」

「カッとなって、つい」 「気に入らないから」

というような、わけのわからない動機群。

もはや異常事態。

あまりに殺人が起こりすぎている。

世界では、今尚、「戦争」という決してあってはならないことが、絶えることなく続いている。

日常を破壊されているひとがいる。命を奪われているひとがいる。

罪なき子供たちが、劣化ウラン弾や地雷によって、どんな状態を背負わされているか、

苦しみ続けているか。

映像はニュースで流されている。さまざまな媒体で、情報は得られる。

意識を持てば、知ることは出来る。

「死ね」と言うひとがいる。たくさんいる。

当たり前のように、たやすく使う。

怒りを覚えます。

「死ぬ」ということがどういうことか、いっさいわかっていないとしか思えない。

裏を返せば、「生きる」ということもわかっていないのでは。

「いきる」は、生きると書く他に、「活きる」とも書きます。

自分を、人生の時間を活かして生きたい。

誰もが願うことですよね。

ひとの命を、人生を奪うひと。「死ね」って吐くひとたちは、

世の流れに乗っていれば、なんとなくそれなりに楽しく過ごせる。

特にあれこれ考えなくても、うまくやっていければいいや。

そんな感覚なのではないでしょうか。

病気や貧困に苦しむ。自分の時間を活かして生きることが出来ないことの痛みを、

知らないのでは。

自身のことでも、周りのひとのことでも、絶望というものを感じたことが、

ないのではないでしょうか。

少しでも感じたことがあるなら、「死ね」なんて言えないはず。

しかし、ならば、病気なり貧困なり、その立場にならないと、理解出来ないのか。

そんなことはないはず。

ひとには想像力があります。あとはそれを使おうと思うかどうか。

想像力を使えば、相手の立場に思いを馳せ、考え、理解しようとする。

一人ひとりが少し、ひとに、「命」というものに想像力を使えば、

安易に「死ね」と言えなくなるのでは。

そういう環境を作り出すことが出来るのでは。

暴力や殺人を、減らすことが出来るのでは。

可能性はある。そう信じたいです。

そういう私も、まだまだ未熟な発展途上人。

腹が立つこともあります。思いやりのない、あたたかさのないひとに出くわすと、

「ひっぱたいてやりたい!」と思ってしまうこともあります。

「力という、そんな方法しか見つからない程、幼くありたくない」

なにかの本で読んだ言葉です。

もっとたくさん思考しよう。想像力を磨いて、おとなでありたい。

そう思う日々です。

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2006年8月 2日 (水)

ご冥福をお祈りして

ウェルカムエイジングをテーマに書こうと思っていましたが、予定を変更して。

社会学者の鶴見和子さんがお亡くなりになりました。

去年、母が購入した「クロワッサン」に鶴見さんのインタビューが掲載されていました。

その号は、素敵な大人の女性のインタビュー満載だったので、1冊もらってしまいました。

すばらしい記事なので書きたいことが山とあるのですが、2つほど抜粋。

人間は自然の一部なのだから、人間が自然を破壊することは、人間が

    自分で自分を滅ぼすこと

世界規模であらゆることが危機的状況にある現在。無関係な人は誰もいない。

しっかり担っていかなかればいけないことだと思います。

広島、長崎に緑は戻り、人は生活を始めた。が、それは元とは同じではない。

   違った形で蘇るの。「回生」するんです。回復と回生は違うの

これは戦争があってはならないという話で語られたものです。

とても勉強になりました。

ここから少し話が逸れますが、「回生と回復」と聞いて思ったこと。

人は何度でもやり直すことができる。今の自分を良しとしなければ、

自分次第でいくらでも違う自分へと変えていける。

それは新たな時間を積んでいくこと。

過去がなかったことになるわけではない。

過去から変わっても、過去が変わるわけではない。

嫌なことがあっても、絶望してもエネルギーを貯めて復活して

「さあ、ここからがんばるか!」

というリスタートは大好き。

気に入らないこと(もの)はなかったことに。

最近、ニュースで見るような「リセット」と称してすべてを壊すなんて許せない!

良かろうと悪かろうと、確かに自分の時間は進んでいく。

嫌なことや悲しいことがいっぱいある。

だから、

いいことが光るし、生きていく甲斐がある。そう思います。

最後に鶴見さんのお言葉をもう1つ。

「何事も、それぞれの事例について自分で判断しなきゃだめよ」

もっと見て、聞いて、考えて、判断力を鍛えていきたいです。

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