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2008年11月28日 (金)

マナー小話

☆マナーとジェントルマン

ジェントルマン(教養ある立派な男性)は、ジェントリー(大地主)が語源。

イギリス貴族の条件は、大きな都市を所有していることで、

大地主でなければ貴族にはなれませんでした。

それからもう1つ、その地域の人々に対しての功績があること。

そのため多くの地主は、教会・病院・学校・図書館などの施設を居城の周りに建てた。

地域貢献と博愛精神、周囲の尊敬を集めるマナーを身につけている人に、

「ジェントルマン」の資格があるとされたそうです。

ゆとりのある人は、余裕をもってひとを思いやることができるはず。

また、ゆとりのある人でなければできないこと、

ゆとりのある人だからこそできること、というものがたくさんある。

ゆとりのある人、というのはひとに憧れられやすい。

そういう人の“影響力”というものは、良くも悪くも強い。

何かひとのため、社会に貢献するようなことなどをしたら、

いいことなのだから、ひとに見せていいのでは。

日本はどうも、偽善、売名などせっかくの機会を、

ネガティブに封じる傾向があり、もったいない!

服装や習慣など、西洋的なものが当たり前の現代。

紳士淑女の資格も、取り入れる時期ではないかしら、と思うのです。

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2008年11月24日 (月)

コタツの主

小雪を過ぎ、冬らしく本格的に寒くなってきました。

日本の冬にはやはりコタツ!

コタツに入ってお茶を飲む、という暖のとり方がいちばん落ち着きます。

毎年、コタツを出す頃になると思い出すことがあります。

小学生の頃、友達の家へ遊びに行ったときのこと。

「寒かったでしょう、コタツ入って温まって」と言ってくれたので、

では、足も寒いしちょっとだけ。

行儀はひとまず置いておいて温まろうと、コタツに足を入れたら、

トスッ!

何かが足に当たります。

???

もう一度トスッと当たり、そっと中をのぞくと、猫が6,7匹。

トスッ、の正体は仔猫の猫パンチでした。

♪ね~こはコタツで丸くなる~♪

という歌は本当ね、と思うような猫ちゃんたち。

完全なくつろぎ体勢で私を見ます。

猫ちゃんたちにしてみれば、くつろいでいるところに突然ひとの足!

そりゃ驚いて猫パンチを繰り出すのも無理はない。

(すみません、ちょっと寒いので、温まらせていただきます。お邪魔します)

と心の中で主殿たちへご挨拶。

ぶつからないように、そっと足を入れて暖をとりました。

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2008年11月20日 (木)

ミニミニ行楽

ショッピングカートを引いて歩く年配の女性を見かけると、祖母を思い出す。

子供の頃、祖母の家へ遊びに行くたび、

スーパーに買い物に行く祖母についていくのが楽しみでした。

孫の中で一番末っ子の私。

私が小学校に入った頃、祖母は大病をし、以来遠出ができなくなりました。

そのため、私だけ祖母とどこかへ遊びに行くということができませんでした。

なので、近所のスーパーでも、一緒に出かけられることが嬉しかったのです。

買い物の道中、祖母はショッピングカートを引いて歩きます。

小柄で華奢な祖母とカート。

なんだかとても重たそうに見え、大変ではと思い、

「おばあちゃん、私が持とうか?」と聞くと、「大丈夫」との返事。

でもやはり重く見え、「やっぱり持つよ」と再度問います。

すると、重心をカートにかけて歩くと負担が少なくて済むということを説明してくれました。

納得。

ということで、祖母が引くカートの、コロコロという小さな音を聴きながら、

トコトコと一緒に歩く買い物は、子供の私には、小さな小さな行楽でした。

そんなことをふと思い出した祖母の命日でした。

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2008年11月17日 (月)

欲との付き合い方

「若い人は、もっと欲をもったほうがいい」

日曜の朝、見ていたニュースのコメンテーターの発言。

夢を持て、がんばれという意味の言葉なのだとは思います。

が、紙一重な気がしました。

欲、とひと言でいっても、いろいろある。

欲は誰にでもある。

だから、一概に欲が悪いとは言えないし、

かといって良いものだとも言い切れない。

望むことは人によって違うので、どういう欲が良くて、悪いとは決められない。

良識の範囲なら人それぞれで、いいもの。

ようは、欲との付き合い方の問題なのではないでしょうか。

コントロールや取捨選択。折り合いのつけ方。

すべて望む青天井は危険。どの辺りで納得するのか。

上手に取捨選択し、得たもの、掴んだもので満足して幸せにいられる方法。

その辺りを会得できるかどうか。

なんとなく、プロセスやおとな度が問われる、試される怖いリトマス試験紙かもしれない。

私はどうなのか。

欲との付き合い方、まだリトマス試験紙は「おとな」とは出てくれないでしょう。

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2008年11月14日 (金)

哀悼

えっ!!!

と言ったまま、絶句しました。

先週金曜日、ジャーナリストの筑紫哲也さんがお亡くなりになったニュースを聞いたとき、

ショックと衝撃で、しばし動けませんでした。

肺がんで闘病なさっていたのは存じていました。

夏前の「ニュース23」で、京都の学生との会話中、あまり状態はよくないと仰っていて、

ドキッとしたことを覚えています。

でも、筑紫さんは絶対に死なない。お元気になって、23に戻っていらっしゃるんだ!

そう思っていました。

毎日聞いていた「多事争論」を聞けなくなってからも、

世の中のあれこれ。筑紫さんはどう感じていらっしゃるのか。

どう見ていらっしゃるのか。なんて仰るのだろう。

ことある毎に、そう思ってきました。これから先も、きっとそう考えます。

昨年、小田実さんが亡くなり、今年は筑紫さんが亡くなり…。

ひとに対してあたたかい眼をもつ良心の人、善たる人。

群衆が思考する上において、礎のような人がいなくなっていくことが怖いなと感じます。

各著名人の方のコメントの中で、

もう2度と筑紫さんのような人は現れないとの言葉がありました。

そう思います。でも、筑紫さんを素晴らしいジャーナリストだったと讃え、

時代が不穏な今、なぜいなくなってしまうのだと嘆いていた幾人もの著名人、

ジャーナリストの方々。

その人たちが、今度は自分が獅子奮迅! と思ってがんばったら…。

筑紫さんのジャーナリズムを大きな球体と捉えているなら、

幾人ものジャーナリストが持つ球体をひとつひとつフル回転させると、

筑紫さんの球体と同じでは。

そんな風に感じます。

それは、ジャーナリストではない人、1人ひとりも同じ。

「世の中はこういうもの(そういうもの)」というしたり顔が大嫌いです。

世の中は人の集合体なわけで、在りようはひと次第ですから。

1人ひとりが持つ“世の中”に対する考え、という小さな球体。

どのように使うか。どうするのか。

今、試されているような気がして。

そして、間に合うかどうか問われている気がします。

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2008年11月10日 (月)

確信

週末、友達の結婚披露宴に出席。

とっても素敵な祝宴で、参加できたことが嬉しかったです。

年末も近づきつつありますが、この披露宴は間違いなく、今年一番の感動。

「本当に出席したいと思ってくれる人に来てもらいたい」

夏前、彼女の家へ遊びに行ったときにそう言っていました。

披露宴の間中、会場の雰囲気はあたたかいもので、彼女が願う通り、

心から祝福している人たちが集まっていることがわかりました。

スポーツ・ウーマンである彼女のスポーツ仲間のスピーチ。

両親への感謝の手紙、彼女のお父様の挨拶、新郎さんの挨拶。

と、何度もウルウルウルウル…。

飾らない人柄で、正義感が強く、行動派。

なお且つ、聡明で細やかな心遣いのある女性らしさをもった人。

その彼女が選んだダンナ様は、初めてお会いしたのですが、

なんとも優しく微笑む方で、あたたかいオーラ全開。

絶対にいいひとだ! とヒシヒシと伝わってきます。

彼女は絶対に幸せになる、と確信!

そして、彼女のご両親は、こんなに素敵な夫婦って実在するんだなぁ、

と知って驚いたほど素敵なご夫婦。

お色直しの間、おふたりで一生懸命、各テーブルをまわられて、

丁寧にご挨拶をされていました。

どのテーブルでも、列席者と和やかにお話をされていて、

その細やかさが会場をより一層あたたかなものにしていた気がします。

ご両親のもとに生まれ、おふたりを見て育った彼女。

これ以上はないだろうという見本が、彼女の中に沁み込んでいるはず。

彼女はダンナ様と素敵な夫婦になって、あったかい家庭を築いていく、と確信!

余談ですが、私は彼女の実家にお邪魔するのが大好きです。

可愛げのない頑固者も、人前で決して泣かない主義がつい破れ、

弱音を吐いて泣いてしまったこともあるくらい、私にとってオアシスのような家庭。

彼女の友達、ダンナ様の友達、そして子供が生まれて子供の友達が遊びに来るように

なったときも、やはり訪れた人たちがあたたかさに居心地の良さを感じる家庭を築くことでしょう。

と、確信!

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2008年11月 6日 (木)

秋の夜長に

就寝前に何か本が読みたい。

小説を読むと、おもしろければ読みいってしまう。

キリのいいところまで、と思っても、一体どこでキリがいいと思えるのか。

眠る前は、気軽に読めるものがいい。

だから、リラックスして読めるものを選ぶようにしています。

ここ数日は、何年も前に古本屋で買った、

「名言名句の辞典」をふと思い出し、読み返し中。

辞典だから、順を追って読む必要はないし、

パラパラと気ままに読みたい箇所を遊べるところがいい。

この辞典では、作家、詩人、思想家、哲学者、歌人、俳人など、

様々な人の言葉、作品中の言葉が解釈・解説付きで紹介されています。

辞典中の「人生というもの」というくくりの章にあった言葉。

人生を幸福にするためには、日常の瑣事を愛さなければならぬ

芥川龍之介「侏儒の言葉」より引用。

日常の何気ないこと。些細なこと。日々過ごす時間。

それが大切! だと思っているので、嬉しくなってリラックス度が増し、

やや眠気がやってくる。

その後2ページ読んだところで、そろそろ眠るかなと思いながら、

次のページをめくったところで、目に入った言葉。

人生は、どうせ一幕のお芝居なんだから。

あたしは、その中でできるだけいい役を演じたいの

寺山修司「毛皮のマリー」より引用。

眠気が訪れていた頭で、なるほどなぁとぼんやり思う。

なにも世の中でいい位置にいきたいのではなく、人より優位ということでもない。

自分の人生のなかで。自分の“人生という劇場”での話。

できるだけいい人生を生きたいと願う気持ちは、誰のなかにもあるはず。

私の人生のなかで、できるだけいい“役”を演じたいと願います。

例えばお芝居が5幕構成だとしたら、1幕2幕が悲しい役や辛い役だとしても、

5幕が寂しいものだとしても、3幕4幕をいい役で、いいものにしたい。

なんていう風に。

日常が、些細なことが大切

人生の芝居でいい役を演じたい

どちらも真理だなぁ。

おもしろいなぁ……なんて考えながら、ウトウトと眠りについた秋の夜長でした。

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2008年11月 3日 (月)

坂本龍馬

昨日放送された『篤姫』で、坂本龍馬が暗殺されました。

歴史上の話。幕末に起こってしまった事実。

変わることはありません。

しかし!

わかっていても、龍馬が死ぬのは辛い…。

夜8時の放送開始時、

「ああ、嫌だな。龍馬が死ぬよ」

ポツリと嘆くと、母に、

「当たり前でしょう、史実なんだから」

あっさりと言われてしまいました。

わかっていますよ母上。わかっていて辛いのですよ。

再来年の大河ドラマは『龍馬伝』らしい。

龍馬ファン、時代劇好きとしては、

龍馬を大河でやるとしたら、誰が龍馬を演じるのか。

誰の龍馬を見たいか、しばしば考えてきました。

考えるたび、結局ピタリとした答えが出ず。

もう10年以上前に、上川隆也さんが演じていらした龍馬は、楽しめました。

今度の龍馬は、一体誰が演じるのか。気になるところ。

誰になるか存じませんが、あまりツルリときれいな顔立ち過ぎる人が龍馬は違う気が。

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