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2008年10月 2日 (木)

野次

テレビで政治、経済そのほか各種討論、国会中継などを見るたびに、

「それはいかがなものか」と思うこと。

“話の割り込み”と“野次”。

議論なんてそういうものだという人もいますが、

そうではないやり方でも話し合い、議論はできると考えます。

「世の中そういうもの」という言葉と同じで、

“そういうこと”にしておくほうが楽だから。という言い訳に思える。

「人が話をしているときに、口を挟まない」

「話は最後まで聞く」

「話に割り込まない」

と子供の頃、大人に注意された経験。

覚えのある人は多いと思います。

たしなめられて、会話を覚えていく。

言葉を覚え、話し方を覚え、会話の仕方を覚え、

そして議論の仕方も覚えていく。

だいたい、そのようなプロセスを辿るものだと思います。

それがいつの間にか「そういうもの」のほうに流れると、

話の横取り、妨害、自己表現優先になり、ひいては相手を負かす勝負色が

強くなるのではないでしょうか。

話し合いは勝つか負けるかのためにするのではなく、

人と人との間をよくするために必要なのでは。

いい話ばかりではない。そういうときは、妥協点を探したり、

○○は折れるが、△△は譲れないというように、双方の間で決めていくものでは。

そのためには、割り込み、妨害はマイナスだと思えるし、

まして野次にはマイナスしかない。

野次からいいことが生まれたり、いい流れになるとは思えない。

話し合いは理性的にすべきだと聞いたことがあります。

感情的に物事を進めず、理性的に行うべきだと。

割り込みや野次はまさに、感情的なもの。

やはりすべきではないもの。

にもかかわらず、討論に多い2点セット。

本来、国の舵取りを任されている人たちが集まり話し合いをするべき場である国会。

恐ろしく野次の嵐。

テレビでその様子を見るたびに、ため息が出る。

本当は重要なことを話し合っているのに、国民の幸せ一切なしだとさえ思える、

ただの争いは勘弁してほしい。

という他に、国の舵取りの場で稚拙な感情的会議はいい加減終りにしてほしい。

汚い言葉の野次の応酬。

公人のすることではない。

国のトップの人たちにマナーがないと、若者にしめしがつかないのでは。

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コメント

蓮さんの言われる事、私もよく感じます。
どうして大人って・・・と子供たちは思っている事でしょう・・・お手本となるべき、私たち、日頃から気をつけていかなくてはいけませんね。
でも、女性は子宮で物を考える・・・と言われるように、私もついつい感情的になってしまうのです。頭に血が上るタイプ。修行が足りないグッピーです。スマートな女性になりたいなぁ・・・。

投稿: グッピーちゃん | 2008年10月 7日 (火) 12時16分

グッピーちゃん、こんばんは☆
小さな子がエエッ!と思うような乱暴な言葉を使っているのを耳にするとき、確実に大人(親、先生、近所の人、道行く人やテレビに映る人たちなど)の影響なんだなぁと思います。無関係な大人はいないことを自覚してお手本であろうとしていたいです。

10代の昔に比べ、気は長くなったつもりですが、まだまだ短気なところがある私です。グワーッと感情が溢れても理知的でいられる。そんな女性を目指して修行していきたいです。

投稿: 蓮 | 2008年10月 8日 (水) 23時10分

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