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2007年11月28日 (水)

“まねぶ”と“らしさ”

“学ぶことは、まねぶ(真似して行う)こと”。

以前読んだ本の中に書かれていた言葉です。

「学ぶ」は辞書によると、

①教えを受けて、知識や技芸を身につける。

②勉強する。学問をする。

③経験を通じて知識や知恵を得る。わかる。

④まねる。

お稽古を始めると、まずは基本の形を覚える。

お手本に沿って身につけようとする。

そのためには、お手本を真似する。

モノマネ。真似事。

「モノマネ(ヒトマネ)じゃなく、オリジナルじゃなきゃ」

というように、まねることはあまりよく使われない。

真似ではないオリジナル……何か引っ掛り、違和感を持っていました。

はるか昔から人が存在している。仕事も生活も娯楽も、基本の型、

スタンダードなものはとっくに出来上がっている。

新しいファッションデザインは、服飾の歴史をヒントに生み出されるように、

確立した定番を軸に、いろいろなものが創作される。

大抵のことはそこにあてはまり、ヒントなし、

まったくの無から有の完全オリジナルは少ないのではないでしょうか。

オリジナルとしてはっきりしているのは、自分という人間は唯一無二であること。

自分が存在しているということは、既に“自分にとって”特別なこと。それ以上はない。

だから、大勢の中で平凡であることは、つまらないことでもなんでもない。

個性がなきゃと言われても、個人の性質はちゃんと持っています。

それで充分ですと、生意気なことを20代前半から考え出し、現在進行形。

価値観の問題かもしれませんが、個性的より、

様々なことのスタンダードをしっかり身につけたい。

平凡でも、いいものはいい。上質な平凡にしたらいい。

それに、真似るといっても、例えばお料理。

レシピが同じでも作る人によって微妙に味が違うもの。

お手本を見ながらお習字をしても、やはり人によって違う。

伝統芸能の歌舞伎。

市川海老蔵、中村勘三郎、市川染五郎など、歌舞伎役者は江戸の昔から、

何代目~と受け継がれている。

演目は同じでも、先代、先々代と現在の市川団十郎は違う。

そういうものだと思うのです。

自分というフィルターを通せば、真似てやってみたことでも、

手本にした人(こと)とは違うものなのだと思うのです。

完全に無から有のオリジナルではないけれど、“自分なり”。

“らしさ”って何だろうと、わからずにいましたが、

お手本を「自分」が真似てみて成った形が答えなのかもしれない。

成った形が私らしさ。

学ぶことは、らしさを知ることだと考えていたら、

学生時代もちゃんと勉強したかもしれない、惜しい。

……やっぱりしなかっただろうなぁ。

まあ、これからということで。

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コメント

学ぶ=まねる、と言うのは、職人さんの技みたいですね。良く、技は見て盗めではないですが、見て覚えろと言われているのをドラマでやっていますが、本当にそうだと思います。
料理は苦手な私。なかなか母の真似が出来ません…。

投稿: グッピーちゃん | 2007年12月 4日 (火) 12時52分

グッピーちゃん、こんばんは☆
くり返しくり返し見て、まねて、感覚で掴んでいくのが、一番身につくのだろうなぁと思います。
ちなみに、私が母をまねて身につけたいのは、初対面の人とあっという間に打ち解けるところです。
私は人見知りなので。

投稿: 蓮 | 2007年12月 4日 (火) 22時06分

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