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2007年7月11日 (水)

ちゃぶ台でもテーブルでも

ホームドラマは献立が作れるとうまくいく

6月24日、

朝日新聞に掲載された向田邦子さんについての記事に書かれていた言葉です。

台本に「夕べの残りのカレー」と書かれていたというエピソードが紹介され、

「小さな人生が込められていた」

「家族のささやかな日常から“人生の真実”がくみ出されていた」と書かれていました。

食卓にはその家が見える。

献立。ちゃぶ台なのかテーブルなのか。

使う食器。席次。食事をする姿。やりとり、会話。

その全体から感じる雰囲気は家庭によって違う。

家族が揃っていても、ひとり暮らしでも、

食卓はひとを映し出すのだと思います。

ひとは食べずに生きることはできない。食べる事は大切。

ひとは心で生きるから、心の潤いや豊かさのために、食べる空間も大切。

中学生の頃、塾から帰ってきてご飯を食べるとき、

母は食べ終わっていても、食事をする私のそばにいました。

家族がいるのに、ひとりきりでご飯は寂しい。

食事は楽しく! がモットーの家なので。

今でもそうです。

私が遅かったり、母が遅かったりしても、なるべく一緒にご飯を食べる。

先に食べた場合も、家族が帰ってきたとき、

食卓でお茶を飲んだりして、ひとりで食事にならないようにしています。

忙しくて慌しく食事というときも、お茶の受け渡しや、一言二言の会話で、

一瞬ホッとひと呼吸おける。

一緒にご飯を食べていると、「元気がないな」 「何か良いことがあったのかな」

と感じることができる。

「何か悩んでいるのかな、今は話してくるまで待った方がいいな」と思うこともある。

家族のテレパシーではないけれど、流れる空気で、やりとりで、

“今の自分(の状態)”が伝わりあう。

食卓がそれにいちばん適している気がします。

ひとりの食卓でも、好きな音楽をかけたり、楽しいテレビを見たり、

自分なりの心地好い空間をつくって食べる。

手に馴染んだ愛着のあるお茶碗も、時々ふと柄に目をやると、

なんだかホッとする。

日常、食事時(特に朝など)が慌しくても、ゆっくり時間があるときは、

いつもと違う小鉢を出そうか。

お客様用の箸置きを自分のために使おうか。

と、変化を持たせるのもおもしろい。

食事を楽しめていないと気づくと、ストレスがたまっているとか、

気が重くなっているかな、と自分の危うさのバロメーターにすることができる。

家族の食卓。ひととの食事。ひとりでの食事。

どれであっても、“いとしい小さな人生”が込められた空間。時間。

大切にしたいです。

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コメント

最近は家族そろってご飯を食べる事がなくなりました。我が家だけでなく、日本の家庭の多くがこういう状態なのでしょうね。
食育が重視されるようになってきたので、少しは変わってくるかもしれません。食べる事は生きる事の基本だから、楽しく食卓を囲んでおいしくご飯を食べたいものですね。

投稿: グッピーちゃん | 2007年7月11日 (水) 21時28分

蓮さん、こんばんは☆
食事の時間も「癒しの空間」のひとつなんでしょうね♪食事は、味覚でも視覚でも楽しむことができます☆でも何より、家族と食事が出来るってこれほど幸せなことはないですね!普通のことがすごく幸せに感じます。仕事していた時、ほぼ毎日残業で家族揃って食事が少なかったですが、私が退職してからは父だけが仕事で帰宅が遅いので、母と毎日一緒に食事をしています。
日本は家族で食卓を囲むってことが少ないのでしょう。
昔、祖父も言ってました、「戦後食べ物が十分なくても、家族揃って囲める食卓が一番のご馳走だと」
そう言った祖父の言葉の重みを、今でも時々思い出します。
そんな家庭を私も作りたいです☆

投稿: れい | 2007年7月11日 (水) 22時05分

グッピーちゃん、こんばんは☆
以前テレビのニュースで、母親が夕食を作ったら、子どもたちはテーブルで食べさせ、
自分はキッチンでテレビを見ながら食事をしている。ふたりの子どもは黙って食べ、
子供同士でも、母親とも一切会話をしない。
という光景を見て、悲しい気持ちになりました。
その母親の理由は確か「自分の時間を奪われたくない、大事にしたい」というようなものだったと思います。それもショックでした。
家族が皆大人となると、仕事や予定などで一緒に食事といかないことも多々あります。
でも、子どものうちは。
諸事情で一緒に食事がしたくてもなかなかできない親御さんは胸を痛めていると思うので、切ない。
食べる事は生きる事の基本、ですよね!
一緒に食事ができるのなら、一緒に食卓を囲んで楽しく食事をすることが子どもの心を育むはず。
お茶の間って言葉も死語にはしたくないなって思います。


れいさん、こんばんは☆
おじい様のお言葉、素晴らしいですね!
感動しました。胸に刻みたいと思います☆
家族で食卓を囲むということ、現代、もう少し大事にされたらいいな。
もう少し大事にしたら、ひとりひとりの心に明かりが増えて楽しいんじゃないかなって思います。
「ルールはこころ!」でれいさんにいただいたコメントの親から子、また次世代へ伝えていくこと。
“家族で食卓”がもつ素晴らしさもその1つですね!

投稿: 蓮 | 2007年7月12日 (木) 21時00分

こんばんは☆

「食事」は‘食べる事’。当たり前ですが
仕事や勉強と同じく真剣に(あ、もちろん楽しく
美味しくもね。)する事だと思っています。

作ってる方も、一生懸命ですから(^^)

そのために器、盛り付けにこだわるの大賛成!!

食事の時に誰かいてくれる。話を聞いてくれる。

最高です♪

投稿: 寝起きのパンダ | 2007年7月14日 (土) 22時01分

寝起きのパンダさん、こんにちは☆
真剣に楽しく美味しくって最高♪
大切ですよね☆
ただ食べるだけでなく、気持ちよく食べるのに、器や盛り付け重要ですよね!
パンダさんがブログで紹介されていた木のスプーンやフォーク。
ずっと気になっていて。銀製が多いのですが、少しずつ集めようと思ってます♪

投稿: 蓮 | 2007年7月15日 (日) 14時53分

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