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2007年7月30日 (月)

百日紅と砂浜

そこここのお宅のお庭で百日紅が咲き始めると、

「あ、そろそろお墓参りだ」と思います。

10年位前、親戚宅から従兄の車でお墓参りへ行く途中、

数本の木々に咲く鮮やかな花が目にとまりました。

伯母になんという花か尋ね、その花が百日紅だと知りました。

以来、百日紅が咲き出すと、「おばあちゃんい会いに行く季節がきたなぁ」と思います。

おばあちゃんに、と言いましたが、祖父母が眠るお墓ですから、

おじいちゃんにも会いに行きます。

ただ、祖父は私が2歳のときに他界しているので、「おじいちゃん」を知りません。

どうしても「おばあちゃんに」となってしまう。

ああ、おじいちゃん、ごねんね。

写真でしか知らない祖父ですが、母が話してくれる祖父が大好きで尊敬しています。

郷里が伊豆だという祖父。白浜がテレビで映るたび、

「おじいちゃんのふるさとよ」と言うので、いつの間にか白浜に限らず、

砂浜を見ると祖父を思い出すようになりました。

真夏はよくニュースなどでも砂浜が映るので、「お墓参りだ」と思うアイテム。

写真のみの祖父。

1度でいいから「おじいちゃん」と呼んでみたかった。

私は電話でお話したのみですが、祖父の弟、

私にとっては大叔父ということになるでしょうか。

健在で伊豆に暮らしています。母は何度か会いに行っています。

ふと気になったので祖父に似ているか、母に尋ねてみると、

割と似ているらしい。

出来れば今年、会いに行こうと話しているので、楽しみ。

大叔父さまがよければ、1度「おじいちゃん」と呼んでみたいと密かに思っています。

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2007年7月27日 (金)

知らない世代だから

戦争のことは怖いから見ずにすませようとしてきた。

でも、私たちが知らなければ、下の世代に伝える人がいなくなる。

そのことの方がずっと怖くないですか

7月20日、朝日新聞の夕刊に掲載された、

女優・麻生久美子さんのインタビュー中の言葉です。

何が怖いか。私も同感です。

戦争を知らない世代です。

それは日本が「戦争を永久にしない」としっかり定めているから、

自国の戦争を知らないということ。

世界では絶えず戦争がある。小さい頃からニュースで見聞きしている。

4歳、5歳でも、間違ったこと、あってはいけないことだとわかる。

以前、10代の若者に、8月15日は何の日か尋ねているテレビを見ました。

満面の笑みで「誰かの誕生日?」と答える少女をみて、「怖い」と感じました。

子どもの頃、8月6日は必ず登校日で、

原爆投下で亡くなった広島の人たちに黙祷を捧げました。

15日の終戦記念日も、家で必ず黙祷。

毎年、夏には戦時中の人々を描いたスペシャルドラマが放送されていた。

ドラマも、ニュースで流れる世界の戦禍を見るのも、

正直、恐ろしいので嫌です。

でも、子ども心に2度とあってはいけないことだから、知らなければいけない。

知らないと、おとなになったとき、戦争をNOだというバトンを受け取れない、

と思って見続けてきました。

麻生さんが仰るように、今、自分の世代はしっかり考えなければいけない。

“NOバトン”をしっかり受け、下の世代へ伝えなければいけない。

という思いを強くするきかっけは、2年前、

TBSで放送された『広島・昭和20年8月6日』というドラマ。

昭和20年7月16日から8月6日に、原爆が投下されるまでを描いたドラマ。

小さいときより、歳月の分、いろいろな角度に思いを馳せながら見ました。

より具体的に感じるからこそ、ショックと憤りが強くなっている。

実際の被爆者の写真が流れるエンドロールを見届けた後、

顔を泣き腫らしながら、しばし呆然。

いつもはグッとのめり込んで見た作品も、

役柄のイメージを引きずって役者を見ることはありません。

が、あのドラマは、松たか子さんと玉山鉄二さんが特に印象に残り、

しばらく引きずりました。

それぞれ別の作品に出ていらしても、ドラマの場面が思い出されてしまう。

洗剤の香りにウットリしているおもしろCMを見てさえ、

涙が出そうになって困りました。

役者の演じたものを引きずる、というはじめての経験。

それだけ、考えるべき年齢なのだと自覚したゆえ、と思います。

大きなターニングポイントになりました。

戦争を知らない世代の弱さは多々あれど、だからこその強さもある。

知らない世代だから。

あってはいけないこと、命が失われることだということ。

想像を絶する悲しみがたくさんあること。

世界中では今尚、続いていることを知ろうとしなければ。

戦争は絶対NOだということを、一人ひとりが思い続けるべきではないかと。

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2007年7月25日 (水)

心はいつも本当で

ピアス。

たくさんの人がしています。

20年以上前は、今ほど見かけなかったと記憶しています。

もう25年くらい前からピアスを素敵に身につけていた人。

樋口可南子さんばりのベリーショートに、シンプルなオシャレをしていた人。

いつ会っても、「あら~、元気?」と聞き心地の好いきれいな声と笑顔を向けてくれる。

喜怒哀楽がはっきりしていて、ダメなものはダメ。

感情を前面に出すのではなく、生き様と話の端々にポリシーとして、

喜怒哀楽がある人。

詳しくは知りませんが、いろいろと波乱万丈の人生だったらしい。

そこから逃げず、スックと立ち、来る嵐来る嵐を受けとめて生きていたようです。

約ふた周り年上のお姉さんのような存在だった人の話。

“自分らしさ”ってなんだろう。

このひと月ほど考えています。

答えはまだ出ない。

何が私らしいのだろう。ぼんやり掴めそうでまだ見えない。

そんな中で、ふと彼女のことを思い出しました。

面倒見がよくて、ひとのためにサッと動ける人。

働き者で寂しがり。

余計なことは聞かず、踏み込まず。ひとにも踏み込ませず。

愛想はいいけれど、媚びずおもねらず、心はいつも本当だけ。

チビッ子の頃から3年前に亡くなるまでの彼女の印象。

改めて書くと、かっこいいなぁ。

“らしさ”の答えがまだ掴めない中、ひとつだけわかったこと。

グラグラ揺れたり、迷ったり、あっちにゴツン、こっちにゴツン。

時に間違ったりしても、心はいつも本当だけ、でいたい。

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2007年7月23日 (月)

夏がくれば

“はるかな尾瀬”を思い出す、わけではない。

日曜日の夕方。笑点の大喜利を見ていたら。

かゆい! 右足の甲がかゆい!

どうやら蚊に食われたらしい。蚊取り線香をたかねば。

笑点を見終わったらたこう。

なんて悠長なことを思っていたら、1分後。

かゆい! 左ふくらはぎがかゆい!

あまりにかゆくて、パッとふくらはぎを見てみると。

ヒィ、フゥ、ミィ…4箇所も刺されている!

足の甲と合わせて計5箇所。たった数分で。

犯人の蚊。どれだけお腹がすいていたのかしら。

A型の人が刺されやすいと聞いたことはありますが、刺されすぎ。

そもそも血行不良で血の巡りが悪い。貧血もある。

絶対、私の血、美味しくないのではないかと思うのです。

しかし、

とっても丈夫で健康な友達と歩いていても、私の方が刺される。

人間の感覚で言えば、サラサラ血液健康体! な人の血の方が、

美味しいのではないかと思うけれど、蚊の世界は違うのでしょうか。

ウトウトはじめた頃にプ~ンと耳元に蚊がくるのは、イラッとしてストレス。

蚊取りの欠かせない季節です。

そして、サラサラ血液にならないと!

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2007年7月20日 (金)

しぐさも口ほどにものを言う

またまた江戸しぐさからの話。

読めば読むほど、素晴らしい世界で、

この文化を失くしてはいけない! 今、取り戻さなければ!

という思いが強くなります。

江戸しぐさの「しぐさ」は、「思草」と書くそうです。

越川禮子さん、林田明大さん著『「江戸しぐさ」完全理解』に、

「思草」とは、その人が培ってきた考え方や思いが、その場、その時に、

反射的に形になって外に出たものです。

(略)考え方や思いが、そのまましぐさに出てしまうのです。

とあります。

心と身体は影響し合う。

心が沈み、ストレスが強ければ身体に影響して体調を崩すように、

攻撃的な言葉を用いたり攻撃的な話し方をしていると、心に険が出る。

イライラが動作に影響して雑になる。

乱暴な言葉を使えば気持ちが荒れ、行動に連鎖する。

マナーは形だけ学んでもまだ半分。

思想が、思考がマナーとリンクしなければ身につかない。

特別なことではなく習慣ですから、咄嗟に出る行動が答え。

口ほどにものを言うのは、目だけではないのですね。

日常の大切さを改めて思いました。

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2007年7月18日 (水)

匠の誇りと心

“職人”・“プロ”とお会いできるのは嬉しい。

お世話になっている方への贈り物を買いに、デパートへ行ったときのこと。

ギフトコーナーを後にして、大好きな食器を眺めて歩いていると、

籐の家具スペースを発見。

椅子、カゴ、ベッドなどが並ぶなかで、職人さんが椅子を作っていらっしゃる。

なかなか籐の家具作りを見る機会はない。

じっと見入っていると、「おもしろい?」と職人さんに声をかけられました。

「おもしろいです!……気、散りますか?」と尋ねると、

「いやぁ、問題ないですよ」と答えてくださる。

10代の頃から修行を始め、今は同じ道を選んだ息子さんと、

工房を切り盛りしていらっしゃるらしい。

親方曰く、籐ならいいものだろうと考える人がいるけれど、

相性や縁があるから、じっくり選んでほしいと。

いくつも並ぶ椅子を指し、「お嬢さん、座ってごらんなさい」と促します。

1つ目の椅子に腰掛け、背もたれまで深く座り込んでみる。

なんとも心地好い。

2つ目、3つ目と4つまで座ってみる。

みな丁寧にしっかり作られているので座りやすい。

けれど、どれも微妙に座ったときに感じるものが違う。

1つ目に戻って座る。

「これが1番しっくりくる!」と言うと、

親方は「そういうことなんですよ」と微笑みます。

もっとしっくりくるものも、あるかもしれない。

それぐらいよく吟味して自分の1点に巡り合ってほしい、と。

ベッドは、正確な値段は高すぎて忘れてしまいましたが、

何十万もして「手が出ない~!」とため息。

しかし、良いものを選んだら、一生モノ、孫の代まで継げるものだとか。

ベッドだけではなく椅子さえ、手も足も出ない。

あまり長くお話を伺って邪魔をしてはいけないと、お暇することに。

と、その前にもう1度しっくりきた椅子に座り、

「いいなぁ……いいなぁ、いつかほしい!」と心からの叫び。

親方は微笑んで、

「そのときは妥協せずに、馴染むものを手にしてくださいね」

「一生モノですから。そういうご縁、巡り合ってくださいね」と見送ってくださいました。

籐の家具とひとの縁をたくさんつくり上げてきた親方。

お話してくださったとき、家具作りの誇りを感じました。

そして謙虚。

静かに語る瞳は光りが溢れ美しい。

話しながらも、しっかりカゴを編む手もまた、心が映し出されているようで、

あたたかい感じがして美しい。

15分ほどの時間でしたが、素敵な出会いができました。

しまった! 握手してもらえばよかった。

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2007年7月16日 (月)

コロッケ論

コロッケに関するこだわり。

クリームコロッケは自分ではつくらない。

小さい頃、肉屋の奥さんに可愛がられていました。

ピョコッと店を覗くと見つけてくれて、

「あら、いらっしゃい。なか入んな~」と手招き。

決まって「お腹すいたでしょ。何か好きなもの食べな」と言ってくれる。

コロッケ、メンチ、鶏のから揚げ、串カツなど揚げ物がズラリと並ぶなか、

選ぶのはいつもコロッケ。

野菜コロッケ、カレーコロッケ、牛肉コロッケには目もくれず、

必ずクリームコロッケ。

我が家は和食が多く、好物はぶりの照り焼き。

ハンバーグ、オムライス、スパゲティなど子供向けのものはあまり食べず、

関心もさほどなかった。

といっても5つ6つですから、「クリームコロッケ」という言葉が、

なんだか子供向け感たっぷりに思え、家では味わえない世界を迷わずチョイス。

揚げたてのクリームコロッケをソースもなにもつけずに、パクッ。

パクッとした瞬間、コロモがサクッとする感触。コロモ独特の味。

口のなかでクリームがトロッとするのを感じる楽しみ。

まろやかな味わい。

理想的な食べ方を知ってしまいました。

以降、クリームコロッケは「できたて」 「肉屋のもの」 「ソースなし」と心に決めています。

タレはソースではなく、からし醤油

つくるコロッケは2種類。

☆ジャガイモと豚挽き肉と、みじん切りした野菜たっぷりのもの。

☆さといものコロッケ。

どちらもコロモはパン粉ではなく、油あげ。

油あげを真ん中で切り、裏返して具をつめ、

楊枝でとじて揚げます。

パン粉のコロッケには、ソースがベストマッチ。

油あげのコロッケには、からし醤油がベストマッチ!

もう10年以上、我が家はからし醤油ですが、

和風ハンバーグにならって、おろし醤油で食べてみようかと思案中。

以上、食いしん坊のコロッケ論でした。

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2007年7月13日 (金)

例えば体験ストーリー

あ、やめてほしいなと思うこと。

人と話をしているときなどに、指差しされること。

意味があってもするべきではないと考えます。

会話のなかで、笑いながらなんとはなしに指す。NG。

少し離れたところにいる人を指すのもNG。

4つくらいのとき、少し離れたところにいる人を指差したら、

グッと指をつかまれて、「指をささない!」と叱られました。

指をつかまれて下ろされた後、顔の前に母の指。

私を指しています。目の前なのですごい圧迫感。

「どんな気分?」と母。

モヤッ、イラッとしたので、「嫌…」と答える。

「あなたが指差した人も、同じ気分になるんじゃない?」と母。

なるほど。

モヤッ、イラッとしている最中に言われたので、

実感として理解しやすかったです。

例えば少し離れたところから、自分のほうをチラッと見ながら人が話をしている。

自分のことを何か言われているのだろうかと考えてしまう。

例えば話している最中に話を遮られたり横取りされると不快。

ひとに対するタブーは、される側を体験することで覚える。

というようなことを、幼稚園から小学校低学年くらいまでくり返しされました。

汚い言葉を吐かない。ののしらない。横柄な態度をとらない。

意地の悪いことを言わない、しない。上からものを言わない。

ディベートは大切で自分の考えは話せなければいけない。

でも、決してぐうの音も出ないほど言い負かしてはいけない。

指をささない。

鼻で笑う、ニヤリと笑うのは品性がなく、ひとを不快にする最低なこと。

ひとをバカにするような言葉を言ったり、態度をとるのも、醜い。

など、不快さを実感すること、もしくは、

機会を捉えてビジョンが浮かぶように、例え話で教えられました。

特にしつけの厳しい家ではないのですが、ひとに対してだけは、

“絶対”見逃してもらえませんでした。

小さいときに指差しのタブーを感じたので、

指されると、やめたほうがいいと促せるときは促します。

そういうわけにはいかないときは、我慢するしかない。

時々、指をさされると、嫌な顔はしませんが、

思わず軽く小さく指をよけてしまったり、指先を見てしまったりすることも。

ああ、まだまだね、私。

と反省です。

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2007年7月11日 (水)

ちゃぶ台でもテーブルでも

ホームドラマは献立が作れるとうまくいく

6月24日、

朝日新聞に掲載された向田邦子さんについての記事に書かれていた言葉です。

台本に「夕べの残りのカレー」と書かれていたというエピソードが紹介され、

「小さな人生が込められていた」

「家族のささやかな日常から“人生の真実”がくみ出されていた」と書かれていました。

食卓にはその家が見える。

献立。ちゃぶ台なのかテーブルなのか。

使う食器。席次。食事をする姿。やりとり、会話。

その全体から感じる雰囲気は家庭によって違う。

家族が揃っていても、ひとり暮らしでも、

食卓はひとを映し出すのだと思います。

ひとは食べずに生きることはできない。食べる事は大切。

ひとは心で生きるから、心の潤いや豊かさのために、食べる空間も大切。

中学生の頃、塾から帰ってきてご飯を食べるとき、

母は食べ終わっていても、食事をする私のそばにいました。

家族がいるのに、ひとりきりでご飯は寂しい。

食事は楽しく! がモットーの家なので。

今でもそうです。

私が遅かったり、母が遅かったりしても、なるべく一緒にご飯を食べる。

先に食べた場合も、家族が帰ってきたとき、

食卓でお茶を飲んだりして、ひとりで食事にならないようにしています。

忙しくて慌しく食事というときも、お茶の受け渡しや、一言二言の会話で、

一瞬ホッとひと呼吸おける。

一緒にご飯を食べていると、「元気がないな」 「何か良いことがあったのかな」

と感じることができる。

「何か悩んでいるのかな、今は話してくるまで待った方がいいな」と思うこともある。

家族のテレパシーではないけれど、流れる空気で、やりとりで、

“今の自分(の状態)”が伝わりあう。

食卓がそれにいちばん適している気がします。

ひとりの食卓でも、好きな音楽をかけたり、楽しいテレビを見たり、

自分なりの心地好い空間をつくって食べる。

手に馴染んだ愛着のあるお茶碗も、時々ふと柄に目をやると、

なんだかホッとする。

日常、食事時(特に朝など)が慌しくても、ゆっくり時間があるときは、

いつもと違う小鉢を出そうか。

お客様用の箸置きを自分のために使おうか。

と、変化を持たせるのもおもしろい。

食事を楽しめていないと気づくと、ストレスがたまっているとか、

気が重くなっているかな、と自分の危うさのバロメーターにすることができる。

家族の食卓。ひととの食事。ひとりでの食事。

どれであっても、“いとしい小さな人生”が込められた空間。時間。

大切にしたいです。

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2007年7月 9日 (月)

役者の美

詳細は存じませんが。

千葉真一さんが俳優引退宣言をされたとのこと。

大河ドラマ『風林火山』。

武田信玄の家臣・板垣を熱演されているお姿、

素敵で毎回楽しませていただいています。

昨日の放送。

引退されるのだろうか? と思いながら拝見したことも多少は手伝っているにしても、

惹きつけられました。目が離せなかった。

戦の負けを知らない晴信(信玄)は負けを恐れる。

そこからくる狂気。演じる市川亀治郎さんがお見事すぎて、

ここ2週はテレビの前で何度もゾクッと身震い。

晴信に対する恐怖の身震いとは別の意味で、

昨日は千葉さん演じる板垣に震えました。

美しかった!!

千葉さんの若い頃は存じ上げません。

初めて拝見したのは、子供の頃に観た映画『里見八犬伝』の八犬士。

八犬士の千葉さん。渋くてかっこよかった。

約20年を経て、板垣を演じる千葉さんは、もっと輝いていると感じます。

今、若い俳優が主流で、“おとな”の、

“役者”の見せてくれる世界を楽しめる機会が少ない。

年輪を重ね紡ぎ上げてきた役者のお芝居は、惹きこまれます。

もっともっと味わいたい。

もう少しおとなの映画・ドラマが増えてもいいのではないでしょうか。

役者が見せるおとなの味わいが持つ意味は、大きいのではないでしょうか。

魂を込めた千葉さんの板垣。次回が最後。

花道を心して拝見し、役者の美を胸に刻みたいと思います。

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2007年7月 6日 (金)

ルールはこころ!

マナーにはいろいろあります。

ビジネスマナー。冠婚葬祭のマナー。

テーブルマナー。国際マナー。

人づき合いにおけるマナーあれこれ。

日常の立ち居振る舞いをはじめとした、各個人をつくるマナー。

儀礼的なかしこまったもの、非日常的なもの、

そして、日々の生活に沿ったもの。

特にごく日常の生活・暮らしに沿ったマナー。

これを大切にしたい。

それにはやはり、イチにもニにも心!

どのマナーも、心と切り離しては成り立たない。

心を伴って紡いでいかなければ、身につかない。

マナーの根幹は“真心”。だから、

マナーは人の魅力をつくる。人を素敵にする。そう信じています。

“江戸しぐさ”についての本が好きです。

とても素敵です。

“江戸しぐさ”の本には、ひとを第一に考える、

最優先すべきは人であるという“心”が溢れています。

越川禮子さん著『身につけよう! 江戸しぐさ』のなかに、

江戸しぐさは、「人にして気持ちいい、してもらって気持ちいい、

はたの目に気持ちいい」もので、人みな気持ち良く笑顔で暮らせる

社会環境をつくるための基盤となるものです。

とあります。

また、本のなかに、

守りあうルール(こころ)

と書かれている。

ルールは窮屈なものでも、面倒なことでもなく、心!

何かを学ぶ、身につけることは、“心得る”という。

心を得る。

教えてくれた人の心を得る。関わった人の心を得る。

学んだ物事の心を得る。

そして、

学んだ物事に対しての、人に対しての新たな心を得る。

それが生きていく上ですべての意義であり、要なのだと、しみじみ感じます。

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2007年7月 4日 (水)

突然、さよなら

指輪を失くしました。

先日、ウィンドーショッピングの最中に気づきました。

7年身につけていたピンキーリング。

小指から消えています。

探せるだけ探してみましたが、如何せんどこで落としたのかわからない。

見つかりませんでした。

もともとサイズが合っていなかったので、

何度かスポッと抜けるピンチはありましたが、手元にあり続けた。

身につけていると安心するというか、お守りのような存在。

小さなブルームーン・ストーン(きっとイミテーション)がついた指輪。

一期一会で買いました。

0号は取り寄せになると言われ、一瞬悩む。

お店は苦手な渋谷。後日来るのも嫌だな…。

1号をはめてみると、少々ゆるいものの、振ってみても落ちない。

大丈夫だと言い聞かせて購入。

それから7年。

突然、消えてしまった指輪。

悲しいというか、寂しいというか、切ない。

でも。

擬人的ではありますが、失くしたのではなく、去っていったのではないか。

ブルームーン・ストーン。月の石。

誕生石は火の、太陽の石。

先週“火の女”だと書きました。

お守りのように身につけていたピンキーリング。

喜怒哀楽、悲喜交々。いろいろな私を見守ってくれていた。

太陽の下に戻りなさい。もうお守りはいらない。

大丈夫なはず。じゃあな、がんばれよ。

と、去っていったような気がしています。

今度ピンキーリングをするときは、お守りにせず、

単純に好きで楽しめるものにしようと思います。

役目は終わったと離れていった指輪の判断。

それが間違いにならないよう、しっかりがんばりたい。

ヒョイッと一期一会が訪れるまで、小指は空席。

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2007年7月 2日 (月)

海賊たちと騎士

小さな頃、童話に出てくる白馬の王子様を好まなかった。

王様の子供に生まれただけよね。

王子様が何かしたわけじゃないよね。

描かれる姿は、フリルの不思議な服にカボチャパンツ。

……惹かれない。

王様の家来の騎士。黒馬に乗ったナイトの方が好きでした。

価値観に多大な影響を与えられた映画『さよなら銀河鉄道999』。

観たのは5歳ぐらいのとき。

そのなかに出てきたキャプテン・ハーロック。

チビッ子の私は、渋い海賊に撃ち抜かれました。

男が惚れる男。不言実行の寡黙さ。

涙は流さず、どんな哀しみも背中が抱える強さ。

でも、とてもこまやかで深そうな内なる世界。

(当時はそこまで考えられていませんが)

海賊という言葉に“ロマン”を感じた5歳から時が流れる。

おとなになり、しばし忘れていた。そこに、

まったくイメージを覆し、なおかつ心を撃ち抜く海賊登場。

キャプテン・ジャック・スパロウ。

ちゃっかりしていて、煮ても焼いても食えない。

自分勝手なところもあるけれど、頭の回転が速く、

ここぞというとき、見事な活躍をしてみせる。

小賢しさはあれど、依存心がなく、自身で道を探って生きていく。

そのあたりがやはり“キャプテン”なのでしょうか。

先日観てきた3作目でも、おちゃめで“強い”海賊健在。

ひとを惹きつける憎めない男を、大好きなジョニー・デップが存分に魅せてくれました。

1作目、2作目より、ジャック以外の海賊たちも楽しめました。

各キャプテンの下に集うクルーの海賊たち。

“大人”で人間くさい海賊バルボッサ。令嬢も見事に海賊。

わずかに出てきたキース・リチャーズの海賊ぶりは、

かっこよくて劇場でのけぞりました。

アジアの海賊として出てきたチョウ・ユンファ。

悪役なので仕方がないけれど、見せ場がなかったことは心残り(もっと見たかった!)。

最後に、

“海賊祭り”のなか、ひとり、海賊として見ることができなかった人。

オーランド・ブルーム演じるウィル。

1~3作を通して、

純粋な青年が逞しい男に成長していくプロセスを見たような気がしています。

青年が成ったのは、海賊ではなく、いろいろなものを守る騎士に思えました。

エンターテイメントとしては海賊たちに堪能させてもらい、

人間ドラマとしては、ウィルを軸に観賞。

ウィルの幸せを願っていたので、彼が得た切なさを伴った幸せ。

その結末はずっと心に残りそうです。

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