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2007年6月29日 (金)

言葉と意識と目

書いても話しても、使う言葉はきれいなものがいい。

まったく無自覚でしたが、もう何年も前、

「うっとうしい」という言葉をよく使っていたらしい。

あるとき、人に、

「うっとうしいってよく使っているけど、聞いていて気分がよくない。使わないほうがいい」

と注意されました。

確かに。いい言葉ではない。いえ、いい感覚ではない。

反省して、使わないよう心がける。

すると、“うっとうしい”とあまり思わなくなる。

使う言葉は意識に影響することを実感。

乱暴な言葉を使っていると、感覚、動作も雑なものになる。

省略言葉も、同じく動作が雑になることが多いので、省略しない。

語尾をのばすのは、だらしのない印象になる。

よく使われる「ヤバイ」。

いろいろな意味で使われるようですが。

美しい、素晴らしい、素敵、美味しい、かっこいいなど、

いいものを表現する言葉はたくさんある。

使うにも聞くにも、響きのいい、印象のいいもののほうが気持ちがいい。

“言葉には意識がつきまとう”と言いますが、

プラス“言葉は意識をつくる”でもあるように思います。

人の欠点をつついたり、けなしてばかりいたら、

人の素敵部分が見えなくなり、攻撃的な人相になった人。

好んでひとと争う人がいました。

相手と違う意見を述べるとき、言葉を選ぶ。

○○はよくないと言うときも、

○○より、△△というのはどうか。☆☆という考えもあると思う。

というように、単に否定せず、その先を提案する人がいました。

前者は、批判的な言葉を使い続けていたら、攻撃的な意識を強くした。

後者は、お会いするたび、キリッとしたなかにもやわらかさがあり、

聡明さを増していらした。

使う言葉が自分を紡ぐ。良くないものでも紡いでしまう。

怖いです。

気持ちに余裕がないとき、頭にきたとき、つい言葉が批判的になったり、

攻撃的になったり。

そういう自分にハッと気づいて、自己嫌悪。

確認できる状況なら鏡を見てみる。

目がよくない。険が出ている。

目はすごい。

怒りや驕り、偽り、思いやりの欠如など、人の負の部分を、

隠しようもなく証明してしまう。どんなに言葉巧みな人も、物事の対処の上手な人も、

どこかで出てしまう。決して取り繕えない。

これも怖い。

言葉と意識。そして心が映し出される目。

考えるほど、怖いなと感じます。

だからこそ、大切にしたい。大切につき合って生きたい。

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2007年6月27日 (水)

熱い、メモ?

過去の自分に発破をかけられました。

先日、調べたいことがあり、本棚からクリアファイルを収めているケースを取り出し整理。

メモを確認して戻そうとしたとき、なんとなく他のクリアファイルを出してみました。

3つほど取り出したファイルには、3~7年前のメモがびっしり。

どんなことを書いていたのかと読み出したら……。

熱く燃えている。やたらと気合のはいった文。

気が強い、熱い、はっきりしている、アグレッシブ、と10代の頃よく言われた私。

メモを見て20代になってもそのままだったとわかる。

やわらかさがなくて、いっぱいいっぱい。

けれど、読んで元気になれました。

自分を見つめなおせたと言いますか。再確認したと言いますか。

自分の考えに迷い、少し弱気になって、臆病になっていましたが、

過去の自分に発破をかけられ、置いてくるべきじゃなかった“らしさ”を取り戻せそう。

昔の自分に戻るのではなく、今の自分にプラスして、また熱くがんばりたい!

真夏、太陽がいちばん高いときに生まれた。

火の星座。誕生石も火の石。

ズバリ言う方の占いでは火星人…。

熱いわけです。火の女。

余談ですが、メモのなかに、熱~い言葉が綴られたあと、

1行あけて、「なんちゃって」と書いてある。

なんちゃって、って。

どうしてピシッときめられないのだろう。

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2007年6月25日 (月)

正座でラジオ

ラジオはあまり聞かないのですが。

土曜日の午前中。

永六輔さんの番組に三木睦子さんが出演なさると知り、

久しぶりにラジオを聞きました。

聞けてよかった!

メールで教えてくれた友人に感謝!

三木睦子さん。

第一声「ごきげんよう」から始まるトーク。

故・三木元首相のお話、ご自身のお話。非常に興味深く拝聴。

お話がためになるだけではなく、三木さんから発せられるさまざまなこと。

学びが多かったです。

言葉。話し方。落ち着いた発声。

姿が見えなくても、きっと姿勢も美しいのだろうと想像できるほど、

電波を伝って届く気品。

ノンキにストレッチをしながら聞いていましたが、きちんと聴かねば! と正座。

学生時代、日本人が日本の音楽をよく知らないことへの違和感があったこと。

そんなとき、三味線に触れる機会を得たというお話もされていました。

日本の音楽。

私はどうかなぁと考えてみると。

祭囃子。

なんとなく耳にしてきた童謡。

和太鼓は大好きで、演奏会に足を運んだことも。

あ、細川たかしさんの『望郷じょんがら』はいいなぁと思います。

三味線。鼓。尺八。民謡。

詩吟。長唄。浪曲。雅楽など。

興味は尽きない。

ひとつずつ、じっくりゆっくり触れていこう、と感じました。

三木さんがお話をされたのは10分くらいでしたが、

実り多い時間を得られました。

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2007年6月22日 (金)

達人のおかげで

玄関開けたら、真っ青。

決して事件が起こっているわけではありません。

具合が悪くて倒れそうなわけでもありません。

下駄箱の横に大きなバケツ。

なかにたくさんの紫陽花。数えていませんが、かなりの本数。

なぜこんなにいっぱいの紫陽花が玄関に?

「見て! すごいでしょう。きれいでしょう!」と母、登場。

散歩中、とあるお宅の庭先に見事な紫陽花を発見し、感動。

普通なら、素敵だなぁとしばし眺めて終了のところ、フレンドリーの達人は違います。

出ていらした家人とおしゃべり。

見事な紫陽花に感動したことを伝えたらしい。

なんとなく想像がつく。

おそらく私に遺伝してしまった、身振り手振りがよくはいる、

動きのあるトークをしたのでしょう。

紫陽花のお宅の方は、

「好きなだけ持って帰っていいよ」と仰り、パチンパチンと切ってくださったとか。

相当な数です。太っ腹な方。

梅雨らしい日にピッタリの紫陽花。

鮮やかな青い紫陽花。

全部が同じではなく、一枝一枝微妙に色が違う。

少し枯れかけたものも、それなりに趣がある。

たくさんの紫陽花。

抱えて持ち帰ったようですが、おそらく前から見ると、

紫陽花が歩いてくるような状態。

そんな風に両手いっぱいの紫陽花を抱えて歩いてみたかった。

うらやましいな、達人。

両手いっぱいの花と言えば、抱えきれないほどのかすみ草の花束。

抱えてみたい! 高いよなぁ。

話が逸れました。

大の花好きな達人のおかげで、梅雨らしい時間を感じられそうです。

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2007年6月20日 (水)

弱点、少し克服?

高所恐怖症です。

高いところから下を見ると、足が震える。

螺旋階段や1段ずつの隙間が開いている階段は、クラッとする。

吊り橋は友達にしがみつき、渡りきるまで生きた心地がしない。

観覧車は怖くて乗れない。

「絶対、変!」と言われますが、絶叫マシンは平気です。

中学生の頃、よく友達と豊島園へ行って、絶叫マシンに乗っていました。

1日中乗っていても平気。むしろ好き。

そんな例外ありの高所恐怖症。

先日の旅行を思い返してみると…あれ?

松本城のなかを見て回ったとき、かなり急な階段を何度も上り下り。

いつもなら足がすくむはず。

すくまなかった。

荷物があるので転ばないよう、慎重ではあったけれど、さほど怖くなかった。

城の上から身を乗り出して外を眺めても平気。

車山高原の山頂へ向かうリフトもあまり怖くなかった。

いつもならロープウェーやリフトは、降りるまで生きた心地がしないのに。

高所、大丈夫になったかも。

そう思って高層ビルの上階から下を覗いてみる。

クラッ。

あれ?

大丈夫になってない?

いえ、急にすべてが平気になるのではなく、ちいさな前進だと考えよう。

次は、人にしがみつかずに吊り橋に挑戦したいと思っています。

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2007年6月18日 (月)

旅の一期一会

旅のよさの1つ。  ひと。

母とふたり旅だったのですが、母娘そろって方向オンチ。

1日目の終り、上諏訪駅前の観光案内所で道を尋ねました。

そのとき、翌日の観光の話になり、霧が峰を存分に散策するつもりだと言うと、

その先の車山高原まで是非行ったほうがいい! と勧められました。

天気がよければ360度大パノラマで山が見られるからと。

山好きの母。嬉しい情報です。これは是が非でも行かねば!

案内所の方に道を尋ねていなかったら、大パノラマを体感することはなかった。

旅の一期一会に感謝です。

2日目。いざ大パノラマ♪

駅前のバスに乗って車山高原へ。

ここで事件発生!

そそっかしい母娘。窓から景色を眺めることに集中しすぎて、

たくさん人が降りたときに到着したと思い込み、下車。

バスが去った後、目に入ったバス停のポストには、

「車山肩」。

!!!!

1つ手前で降りてしまいました…。次のバスは2時間後。

歩き魔母娘。歩くのは問題ないですが、時間がない。

どうしようとふたりで大慌て。

そばにいた、別の方向へ行かれる女性たちが声をかけてくださいます。

「ヒッチハイクしなさいよ」。

ヒッチハイク…。

今、物騒だし、大丈夫? と考える猶予はない。

自然と身体は道路へ向かい、無意識に手を上げて車を止めました。

ヒッチハイクと提案されて1分後に、止まってもらえた車。

乗っているのは30代とおぼしきカップル。

事情を説明し、方角が同じなら次のバス停まで乗せていただけないか交渉。

とてもいい方々で、快く承諾してくださいます。

アドバイスをくださった女性たちに、両腕で大きく○をつくり、

「乗せてもらえることになりました」を示し、一礼。

ヒッチハイクさせていただいたおふたりは、落ち着いたおとなのカップル。素敵でした。

降りるとき、恐縮しきりの私たちに、

「よい1日を」と言ってくださった笑顔は後光がさして見えたくらい。

ここでも旅の一期一会に感謝。

他にも、宿泊したホテルで客室を担当してくださった女性。

諏訪湖遊覧船乗り場、受付の男性。

北澤美術館で、作品の解説をしてくださった学芸員の女性。

巡った先々で言葉を交わした方々、旅人。

日常のなかでの人づき合いとは別のふれあい。

旅の一期一会。今回もたっぷり出逢えた。

しっかり心に刻みたいです。

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空に近い週末

長野で小さな旅をしてきました。

1日目は松本。松本城を堪能し、町を歩き回って諏訪へ移動。

ホテルのすぐ目の前が諏訪湖! 

“水好き”には、なんともいい眺め。

夜は星空の下、翌朝は諏訪湖を眺めながらの露天風呂。

朝早くて誰もいない。貸し切り状態。

絶景独り占めの上、朝一の良く晴れた空に1羽の鳶。

悠然と飛ぶ姿は雄雄しく美しく、至福のお風呂タイムでした。

そんな幸先のいい2日目。

早々にホテルを出発して車山高原へ。

山頂で出逢った景色は…。

360度大パノラマで山、山、山!!!

北アルプス、中央アルプス、富士山、南アルプス、八ヶ岳連峰。

梅雨入りで天気が心配でしたが、とてもいいお天気で、

心ゆくまで雄大な山々を感じることができました。

そして、空。

空はどこまでも続いて宇宙があり、果てしないので、

正確な表現ではないかもしれませんが、

空が近い!

手を伸ばしたら触れられるのではないかと錯覚するくらい、近い。

山頂に吹く風がバシバシと身体を叩く。

それがベールとなり、たくさんの人がいるなかで“空と私”だけの空間を与えてくれる。

風に包まれて見上げていると、空の青のなかに吸い込まれそうな感覚。

近さと心地好さと安堵感で、倒れそうなくらい。

幼い頃から、何かというと空を見ます。

大地、木々や花などの植物、山…たくさんの自然。それぞれ大好きです。

特に海や滝や川をはじめとした“水”はピカイチに好きで、

わずかに水が流れているだけでも「水~♪」と走っていくくらい。

空は好きという次元に留まらない。別格。キングです。

青空と夕景がベストですが、曇り空も雨降りでも、嵐の空も、どんな姿でも愛しい。

癒される。和む。ホッとする。元気が出る。楽しい。ワクワクする。落ち着くなどなど。

どれもみな、その通りなのに、言葉にしてしまうと足りない。

自分のなかの見つけられていない深いところに、答えはあるのだと思います。

ただ、それはわからなくていいのかなぁという気がしています。

言葉にできないくらい、かけがえのない空。

存分に見つめ、目だけでなく、五感をフル回転で私の隅々まで、

体感して沁みこませてきました。

今井美樹さんのアルバムに『空に近い週末』という曲がありますが、

本当に空に近づけた素敵な週末でした。

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2007年6月13日 (水)

音楽の原風景

曲が生活の一部だったから…。

ZARDの坂井泉水さんがお亡くなりになったときのニュースで、

ファンの方が仰った言葉。

ああ、わかるなぁと感じました。

小さい頃から、自分の傍らに自然と音楽がある。

毎日、音楽は欠かせない。

考えるとき、楽しいとき、悩むとき、落ち込んだとき、

リラックスするとき、決断するとき、意味なく陽気にも。

そこに音楽がある。

音楽と生活。遡って考えてみると。

3才4才の頃、「ちいさいモモちゃん」という絵本が大好きで、

よく母に読んでもらいました。

本の中で、モモちゃんがお母さんの足の甲に乗って、

お母さんはモモちゃんを乗っけたまま歩いてキッチンへ。

ふたりでおやつを探しに行きます。

お母さんが「モモちゃんのおやつはどこじゃいな」と言いながら。

母が同じことを私にしてくれて、本の中のお母さんの言葉にメロディーをつけ、

モモちゃんの名前を私の名前に変えて歌ってくれました。

呼びかけたときやモノをたずねたとき、返事にメロディーをつけたりしていた母。

絵本の言葉や日常を即興で歌います。

日常の中にある歌。

歌の楽しさを最初に知ったのはその辺り。

もうひとつ。

たぶん5才くらいのときに聴いた、

フルートとバイオリンとピアノの音から始まるオーケストラの曲。

アニメ映画の中で主人公とヒロインの再会と、ラストの別れのシーンで流れていた曲。

そういうドラマ性も手伝って、なんとも切なく、涙が出るほど心を奪われました。

三つ子の魂百までなのか。

その映画をビデオで何度も見返すうちに、映画で描かれたことの数々が、

自分の価値観、人生観、幸せ観に多大な影響を与えました。

(子供向けのわりに、テーマが深くて。今も年に1,2回くらい観ますが、心にきます)

ストーリーだけでも大好きな作品ですが、

価値観などの原風景になるほど影響力をもったのは、

全編に流れる数々の音楽の力も大きい。

「歌は世に連れ、世は歌に連れ」のように、

母が教えてくれた日常の中でのメロディー。

文化が伝えてくれた音楽の素晴らしさ。

生きていく傍らに音楽。

音楽とともに。

これからも鼻唄を歌い、素晴らしい音楽に出逢い続けたい。

そう思います。

次回、金曜日はお休みして、日曜日に更新します。

大自然の中を存分に歩き回ってきます!!

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2007年6月11日 (月)

恋、に思うことの1つ

高め合う恋。

よく耳にします。恋で成長、も耳にします。

恋をして結果として成長することはある。

ただ少し違和感を持つことも。

以前、どなただったか、恋愛について

「ひとりでいると影響し合わないから成長が遅れる」

と雑誌のインタビュー記事を読んだとき、心の中で3つのツッコミが浮かんで。

「なら切れ目なく恋愛するの?」

「影響って恋じゃなくても山ほどあると思う」

「孤独がひとを鍛えることもあるのに、言い切るってすごいな」

身内で殺し合い。自己本位な事件の数々。コミュニケーションに悩むひとが多い時代。

大切にすべき人より自分のしたいこと優先の蔓延。

日本の成熟度の低下と反比例して「高め合う・成長する恋」を口にする人は多い。

崇高なことを思えない私は「高める」とはなんぞや? と知りたい。

“成長”を取り上げるなら、生きていく上で360度、

あらゆる角度に成長する要素はある。

生きていく日常の厳しさ、うまくいかないこと・ままならないこと。

それに向き合い、あがいて悩んでもがいて。

打たれ鍛えられて歩くと、成長、では。

成長。

それは自分の問題。自分のためのもの。

相手の幸せを願い大切にするのとは別のことでは。

「高める・成長」を恋に持ち込むのは、

何のための恋? ホントに恋? と思ってしまう。

ケチをつけるみたいで聞けないけれど、1度聞いてみたい。

高めるってどの辺りを。恋でどう高まったの?

非常に可愛げない感覚ではありますが、本音。

ひとの角度の中で、恋は否応なしにエゴが出るもの、自分のエゴを思い知るもの。

だからこそ、恋→恋愛では、愛を持って相手の人生を、生きていく道を大切にしたい。

そこまでがままならないですが。

冷たいかもしれないけれど、高校生や大学生ではなく、おとなの場合は、

成長は自分が決めて歩いていく道で、自分でもがいてするもの。

薬師丸ひろ子さんの『さみしい人にならないで』という曲。

10代の頃に聴いてから、最も大切にしているラブソング。

詩の中の女性はおとなで、しなやかで、あたたくて、

エゴを出さず(内包していて時には出てしまうとしても、極力出さない!)、

恋人を大切にしている。

そういう女性になりたくて、ずっと指針にしています。

私が未熟なだけかもしれないけれど、大切な男性が自分との恋で高まるとか、

何かをしてあげられるのだとは思えない。

理屈抜きに大切な人は、その人がもがいて悩んで決断することを大切にする。

その道を見守る。それ以外できるとは思えない。

なんでもかんでも受け入れるわけではなく、

言う必要があることは話し合う。良きようにと。

それが=成長や高め合うとは違う気がします。

恋愛で自分を高めるのではなく、腹をくくった女になって、

出逢う男性(の人生)を大切にしたい。

ひとりのさみしさがあっても、それを理由には恋愛できない。

……なかなか切ないですけれど。

まあ、ヒョコッと「あっ、素敵」とか「かっこいいな」とか、ときめくくらいは楽しいですが。

出逢いは突然くるものですから、今はジタバタしながら日々を大事にするだけ。

……少し切ないですけれど。

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2007年6月 8日 (金)

生きていく呼吸

別に猫かぶっているわけではないのですが。

「すごく明るいんだ」 「おとなしい人かと思ってた」と言われることがあります。

いえ、おとなしい面もありますよ! 場合によりけりで。人見知りなだけで。

あまり覚えていないのですが、チビッ子の私はひとが大好きで、

とても人懐っこかったらしいです。

その後のプロセスでは、諸事情でそういう自分は封印。

信頼している人以外には、極力おとなしくしていました。

※決して猫かぶりではない!

最近、「もうよかろう」という感じで、カタコトッと音を立て、

封印が解けかけています(ウォーミング・アップ中?)。

となると、ぼんやり幼い頃の自分の感覚を思い出す。

すると考えます。「アレ」いいなぁ。

日本人は、って私も日本人ですが、ハグの習慣がないですよね。

ハグ…。素敵な習慣だと思うのです。

親しい人に会ったときに、「元気だった?」の意味でハグ。

別れ際に「元気でね。幸せでいてね」の意味でハグ。

喜びや悲しみを分け合うハグ。

ポンポン、と。

家族、友達、仕事仲間、スポーツ観戦で隣り合わせた人、恋人と。

時には、100の言葉より、1つのハグが強い力になることもあるのでは。

生きていくのに、ひととのコミュニケーションは欠かせない。

やはり人はひととの関わり・つながりのあたたかさで、活力をもてるから。

自分の中から幸せをつくりだせると思うから。

ハグ以外にも、肩をポンとたたかれてリラックスしたり、

「よっ」の一言でホッとしたり。

だれかの笑顔が自分の中に素敵を流し込んでくれる。

おかげでそのあと、活き活きした時間を過ごせたり。

頭でわかっているつもりでも、どんな言葉を使っても、うらはらに現代人は、

全体的に刹那的で生き急いでいるように思えてならない。

以前、お世話になった東洋医学の先生が、

「深呼吸、深呼吸」

「呼吸は健康」

と教えてくださいました。

ひととのささやかな呼応は、自分の足で歩いていくために、

自分を守ってくれる大切な呼吸ではないでしょうか。

習慣がない中で、始める勇気がまだないですが、素敵だと思うんですよね、ハグ。

いいなぁ。

ウォーミング・アップが満ちたら、思い切って始めたいな。

楽しいことの伝染。

……、ちょっとまだ思案中。

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2007年6月 6日 (水)

堂々と輝いて!

男性もウェルカムエイジング。

と、時々その辺りも書きたいと思っています。

ヨーロッパの“おとな”な国では、年輪を重ねた女性たちを尊重します。

日本は、女性の年齢が上がっていくことに対して、非常に幼稚なスタンス。

男性には、ロマンスグレーという表現があり、女性ほどは年齢による呪縛や、

よくないイメージはない気がしていました。

しかし、そうでもないことを発見。

3,4年前、渋谷の交差点で信号待ちをしているときのこと。

通りの向こうのビルボードに某俳優さんのポスター。

友達と一緒だったので、その方が出演されていたドラマの話に。

出演者を思い出しながら話していたので、

「かっこよかったな~、児玉清♪」と、児玉さんのシーンを思い浮かべて言いました。

すると、友達の横に立っているサラリーマン風のお兄さん(推定年齢25,6歳)が、

グイッと勢いよくこちらを向きます。「えっ!?」という顔で私を見ます。

ビックリしたのとムッとしたのとで、「え? 何か?」という顔をしてしまいました。

(きっとお兄さんは、かっこいいというのが某俳優さんだと思ったから

意外だったのでしょうが)

そのとき、男性もある程度の年齢になると、どんなに素敵なひとも、

若い男性に比べ、男としての魅力がなくなるとされてしまうのか、と知りました。

文化も低年齢化していて、映画、ドラマ、小説、歌など、圧倒的に若者主体。

“おとな”をしっかり描いたものが少ないこと、スポットがあたっていないことも、

好ましくない風潮をつくっていると思います。

歳を重ねた素敵な男性、たくさんらっしゃるのに。

驚き顔をしたサラリーマン風のお兄さんも、必ず年齢は上がっていくのに。

そのときどうする気なのか。

知人が興味深い話を聞かせてくれました。

50代の女性が会社で同僚の男性に、「おい、おばさん」と呼ばれたので、

「なんだい、おじさん」と返したら、烈火のごとく怒り出し、

「俺はおじさんじゃない!」と怒鳴ったそう。

男性は男性で、若さの焦りや背伸びとは、

違う焦燥感や切なさを抱えていらっしゃるのですね。

もうそろそろ日本も、成熟へ向かうことを考え始めてもいいのではないでしょうか。

男女ともに、若さとは別の素晴らしい魅力がたくさんあるのでは。

貶めあったりしないで、お互いの紡いできた時間、

それゆえにある“今の姿(内外ともに)”を愛しみあう。

そういう素敵な方々が増えて、美しさを魅せつけてほしい!

示してほしい! 目標とさせてほしい!

魅力的なおとなの男性・女性は、自分が歩いていく道を照らしてくれる

ありがたい道しるべです。

堂々と輝いていてほしい!!

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2007年6月 4日 (月)

コインの匙加減

物事の良いところ、悪いところ。

コインの表裏のように、1つのことには、良い面と悪い面がある。

私は大雑把なところがあります。

物事によってはそれでは困る、きちっとしなければいけない。

反面、精神的にはいいことも。

考え込みやすく、悩むと、ど~んと落ち込む。

落ち込みすぎると大雑把が顔を出す。

問題が解決していなくても、一旦、考え悩むのをやめます。

「知らな~い!」と言って自分を解放します。

※投げ出すわけではない。

風邪を引いて弱った身体は、休めて免疫力をあげるが如く、

考え込んでいることから気持ちを離し、休ませる。

これがなかなか難しいですが、考え込んでいる内容より、

悩んで弱気な自分でいることが嫌だと感じる。

で、ビバ! 大雑把。

「も~知らな~い!」と言って、違うことに気持ちをもっていく。

そうして時間をあけると、気持ちの免疫力が上がり、

かえって考えるべきことと、しっかり向き合うパワーがもてる。

元気になったところで、どうにかできるわけではないことであっても、

切なさを受けとめたうえで、ポジティブに進んでいく力をもてる。

それからポーカーフェイス。

何を考えているかわからない。

表現によっては、ずるいイメージがありがちですが、

素直に顔(態度)に表わすことがいいとは限らない。

時には正直であることで、ひとを傷つけたり、追い込むこともある。

ポーカーフェイスであることが強さであり、最も優しいこともある。

そのほかにも、「合理的」、「自然体」、「純粋」、「フットワークのよさ」など、

まだまだいろいろ。

良いところ悪いところの表裏。

その場に応じてどちらであるべきか。

その匙加減をうまくできるようになりたい。

そう思うこの頃です。

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2007年6月 1日 (金)

あめのち元気で、気合と根性!

お気に入りの言葉が増えそうです。

あめのち 元気や

先週の日曜日、テレビを見ていて聞いた言葉。

小学3年生の男の子の発言。

いい言葉だなぁと思ったので、思わず載せました。

「止まない雨はない」、「雨はいつかあがる」、

「いつかは晴れる」などはよく聞きますが、

「あめのち 元気」。

いい!

シンプルで好き。なんだか優しい感じがして好き。

キュートな小学生から素敵なパワーをもらいました。

落ち込みそうになったら、声に出して言ってみたいと思います。

番組で長く、その男の子を取り上げていましたが、

先日の放送で番組を卒業とのこと。

優しくあたたかい気持ちにしてくれる彼のコーナーが大好きだったので、ちょっと残念。

と、視聴者は勝手に思ってしまいますが、幸せでいてね、なおちゃん。

もうひとつ。

「気合と根性!」。

名子役・神木隆之介くんが、何年か前に出ていたドラマで言ったセリフです。

小さな神木くんがグッとこぶしを握り、

肘をわき腹にちょこっと当てる感じでクッと膝を曲げながら、

子どもらしく、かわいい声で言った「気合と根性!」。

それが気に入って、真似てみると、元気が出る。

無理無理に肩肘張って、悲壮感をもってとか、

自分を追い込んでのスポ根なものではなく、

深呼吸してポジティブに考えたいとき、気持ちを切り替えたいとき、

ちょっとテンションを上げたいときに言ってみます。

かわいい声を真似ながら言います。ポーズもつけて言います。

はたから見ると、ちょっと怪しい人になってしまうので、

誰もいないところで。

自分の部屋で。朝早くに。夜遅くに。

外では声を出さずにポーズだけ小さくやってみたり。

こうやって書くと、誰も見ていなくても怪しいですが、楽しいです。

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