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2007年4月30日 (月)

最後にドカンと

根が陽気者。5月病には無縁(フテブテシク大雑把だからという説も)。

鬼門は4月。毎年、体調を崩します。

気をつけているつもりなのに、なぜか。

あまり出さない熱を出したり、貧血を起こしたり。

4月は冬の寒さが去り、可愛らしい花が次々と咲き、

装いも変わり、パステルカラーの楽しいとき。

秋同様、過ごしやすくて散歩にも最適、堪能。気持ちも弾む。

にもかかわらず、なぜか毎年、1年でいちばん調子がよくない。

今年も不安ではありましたが、絶対体調崩さないぞ!

と3月の終りに自分に気合を入れて、肩の力を抜いて、4月スタート。

気合がきいたのか、なんとなく調子がよくないなぁ程度ですみました。

と思っていたら、最後の最後に。先週の土曜日。

久々に貧血と頭痛がダブルで。

く~っ、詰めが甘かった? 気を緩めたかしら?

う~フラフラする、ということで、土日はおとなしく横になりながら、

読みたいものがたまっていたので読みふけったり、DVDを観たりと、

ゆっくりの~んびり過ごしました。

そんなこんなで少々不安な4月が終了。

明日から5月。風薫る5月。

充実した月になるようにがんばります。

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2007年4月27日 (金)

使いどころ、安心どころ

別に貧乏披露をするわけではないですが。

子どもの頃、家に車はなく、バスは贅沢品(?)で、常に自分の足頼り。

真夏は扇風機がないので、自然の風と家族全員マイうちわ。

家族旅行という言葉も知らなかった、……ここらへんでやめときます。

それはかまわないのですが、唯一の不満は、服。

従姉や母のお友達の娘さんのおさがり。

私は小型な子だったので、スカートは詰め直さないとはけないし、

可愛い服でも全体的にブカブカしていました。

自分で選んだフィットした服が着たかった。

ありがたかったのは祖母の家。

孫のために、とテレビゲームが揃えられており、行ったときだけテレビゲームができる。

普段は飲めないジュースもダース買いで完備。飲み放題。お菓子食べ放題。

真夏・お盆直前。寿司ネタの鮮度を気にしつつも、誕生日だからと、

私の大好きなお寿司を特上でとってくれる。

叔父が遊園地へ連れて行ってくれたり目一杯可愛がってくれたので、

チビッ子の私には天国でした。

さて、バブルには一切縁のない我が家。子どもの頃の贅沢どころ(?)は。

どこかへ遊びに出かけると、少々高めのランチを食べたり羽振りがよくなる母。

お金は大丈夫なの? と心配する私に、子どもはそんなこと心配するなと笑い、さらに、

「な~に、明日から1週間、めざし食べて生きればいいのよ」

「中途半端はしない。楽しむときは徹底的に楽しむ! 今日は楽しく遊ぶ!」

「1度きりの人生よ。楽しまずして何のための人生ぞ?」

と言ってケセラ・セラを歌いだします。

母曰く、お金には“使いどころ”があると。

自分にとって価値があると思ったところに使う。他は切り詰める!

思い返してみると、見たいもの、素敵なものはみなくっちゃ! と、

舞台や美術館・映画館へ連れて行ってくれたり、かなり早い段階で結構無理して、

「好きな音楽を聴きなさい」とステレオを買い与えてくれました。

素敵なものに触れておくと、心に潤いをもたらし、辛いことがあっても、

その向こうに希望はあると信じられる力になる! が理由。

母のその考えは、祖母からきているらしい。

祖母は贅沢をしない人だったけれど、母が若い頃、友達と出かけるときには、

多めにお金を持っていくように促したそうで。

必要ないという母に、

「使え、ということではなくて、ギリギリのお金しか持っていないと思うと、

どこか心からは楽しめない。お財布に余裕を持たせておけば安心して楽しめる」

と言ったそう。

また、何着かは多少値の張る服、それにあわせた小物を持っておく。

普段は安いものを身につけていても、私は素敵なものを持っていると思えば安心。

それなりのところへ行くときにも、みじめにならずにすむから。

心にみじめさをもたなければいけないことほど、苦しく辛いことはないという考え。

“誇り”をとても大切にしていた祖母らしい話だなぁ、と思いながら聞きました。

使いどころ、安心どころの法則のおかげで、

お金に余裕がないことでみじめになることなく、生きてこられました。

今でも、人に「そのワンピースかわいいね」といわれると、

「うん、セールで見つけたの。1980(イチキュッパ)よ♪」と答えます。

すると、聞いた人が「あっ、安物…」って顔をしても全然へっちゃら。

好きで買ったものですから、アントワネットのドレス並みの気持ちで愛して着ます。

ということで、観たかった舞台のS席のチケット購入予定(とれればですが)。

近々、目をつけておいた靴とバッグのショッピング予定♪♪

これで当分、他はひたすら切り詰めです。はぁ。

いえいえ、ケセラ・セラで楽しく!

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2007年4月25日 (水)

風ことば

時々、気分転換に酔ってみる。言葉に。

風ことば。

風流・風情・風味・風雅・風格・風懐・風鑑・風姿

風薫る・風光る・風林火山・花鳥風月・風光明媚・風姿花伝

などなど。

風は、感覚でいろいろなものをもたらす。

暖かさや寒さを肌に伝える。

花の香り、磯の香り、新緑の中の独特の香りを乗せてくる。

波を起こし、葉を揺らし、自らを鳴らし、音を作り出す。

雲を動かし、花や木々を揺らし、水を揺らし、動きを見せる。

けれど、風自体には姿がない。

不思議な存在。

風鑑とは物事を見分ける力を指し、

風姿とは“うるわしい姿”という意味だと辞書にある。

実体のないうるわしいもの。

この辺りに風ことばが伝える“粋”のヒントがありそう。

和歌や俳句、詩はすべてを述べない。

行間にある深い心を自分の感覚で汲みとり、

そこにあるものにそっと心を添わせる。

そういう行間・曖昧を愛し楽しむ日本文化が、風ことばを生んだのでしょうか。

とすると、そういうことばの生まれた時代のひとは“粋なおとな”!

話好きでついつい多弁になる私は、まだまだ野暮で子どもだな、

と痛感しつつ、未熟ついでに。

能に興味を持ち出して、風姿花伝に行き当たりました。

なんとなく耳にしたことはありましたが、

世阿弥が書いた能楽論だとは知りませんでした。

風姿花伝。

風の姿、花の言伝。

うるわしい花のこころ?

風に乗せた花の伝言?

キャァ~素敵!! と能楽論に関係なく、勝手に考えて大喜び。

完全に酔いきりました……失礼いたしました。

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2007年4月23日 (月)

プラスのマインドコントロール

「そういう服着てみたかったなぁ」

10代の頃、パステルカラーの服を着た私に、母が言った言葉。

「着たらいいじゃない」と言うと、

「今更、着られないわよ」

はい、でました。私の嫌いな言葉。しかも続けて

「お母さんは明るいやさしい色は似合わないから」

なんですと?

似合わないもなにも、そういう色をほとんど着ていないじゃない。

納得できず話を聞いてみると、昔、服を買いに行ったときに原因が。

素敵なやわらかい雰囲気の服を一目で気に入った母。さっそく試着。

試着室から出てきた母を見て、一緒に来ていた祖母と店員さんの表情が、

似合わないと言っているような気がしたのだとか。

そのまま別の服を勧められ、自分には地味な色があっていると思ったのだとか。

NO!!!!! 

「そうかな。パステルカラーもやさしいデザインも似合うと思うよ」と言っても、

自分には似合わないと信じきっています。

地味な色を勧めた店員さんが正しいと信じきる。素直にもほどがある。

でも、ということは、逆にそんなことはないと信じさせればいいわけです。

ということで、以来、母の日・誕生日・クリスマスに、

“着たかったけれど着られなかった”であろう感じの服をプレゼントし続けています。

「無理。似合わない」という母に、「せっかく買ってきたのに」

「絶対似合うから着てみてよ」と促します。

着てみて、恐る恐る登場。

「似合わないでしょ?」と不安そう。

似合っているので、「似合ってるよ」と言います。

私がお世辞を言わない人間だと知っている母は、

きっぱり言い切る私の言葉に、少し顔が明るくなります。

鏡の自分を見てみます。似合わなくもないのかなぁ~という表情。

トラウマと思い込みは手強い。プレゼントするたびに、

「これは無理よ~」「着る勇気がないわ」と消極的な発言。

そのたびに、「似合わないと思った時点で服が逃げるよ!」

「着たいなら似合う!」「服にのまれなきゃ着こなせる!」

まるでボクサーとトレーナーのよう。

「立て、立つんだジョー!」

そんな気分で自信をもたせようと促し続けます。

すると、徐々に人に服装を褒められることが増えるらしく、

そのたびに嬉しそうに話してきます。

2年前の冬には、

「1度でいいから、やさしいピンクのコートを着てみたかった」とポツリ。

ちょっと、何エンディングに向かうようなことを! 縁起でもない。

ネガティブ禁止! と、“やさしいピンク”というキーワードで探してプレゼント。

コートを見て、はじめは「どうしよう」と言っていた母。

纏ってみて、ついに! 何年もかけて、ついに!

自信をもった言葉がでました。

「ね、ね。結構似合ってない?」

うんうん、似合ってる。

夢を叶えて、コートを着て街を闊歩してくださいな、母上。

先日も「いつもおしゃれに気を配っていて素敵ね」

と、お友達に褒められたと嬉しそうに話していました。

いいなと思う服なら、ダメだな、合わないなと決めてしまうのはもったいない。

思い込んでいるだけで合うかもしれない。

もし、なんとなく合わないかもと思っても、

工夫次第でとても似合うアイテムになることだってある。

好きなものを纏わなきゃ!

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2007年4月20日 (金)

10代から得る無駄のない美、その方法

前回、歳を重ねた人の「無駄のない美」について書きました。

ならば、「年輪をつくりあげるまでは、美しくあることはできないのか」

というと、そんなことはない! と思います。

時を積み重ねても、美しさを感じない人もいるし、

若くても、洗練されて感じる人もいる。

ただその場合、それ相応、否応なしに凝縮された人生なのではないかと思います。

普通はじっくり、急がなくていい。

それに、刻んだ“時”がもたらす「洗練された無駄のない美」とは別に、

若さがもつ美というのもある。

美は年齢によって違う。

また非常に多角的で深いのでは。

それを歳だけで考えたり、年代によって違うものを一緒くたに考えるから、

話がおかしな方向へ進み、「若くなければキレイじゃない」と強迫観念が生まれるのでは。

と、この辺りの話はまた追々。本日の本題から逸れました。

さて、年齢とは関係なしに、10代から「無駄のない美」を得る方法。

「かたち」。これを身につけること。

このかたちとは、立ち居振る舞い。

歩く。立つ。座る。

椅子にかける。椅子から立ち上がる。

襖の開け閉め。座敷へのあがり方。

坐礼・立礼のお辞儀。

儀礼的な歩き方。

儀礼的な方向の変え方のあれこれ。

和室で必要となってくる、跪坐(きざ)という膝まづいた状態を基点とした各種動作。

みな無駄のない動作。

覚えるまでは力が入ってしまうかもしれませんが、

身につけば気持ちがいいと思います。

最小限の動作。静かな動作なので、余分な力はいらない。

礼儀作法として、立ち居振る舞いを身につけるのは大切。

そのために「覚えなきゃ!」と思うと力が入りがち。

力んでしまったら、せっかくの最小限の動作でも疲れてしまう。

疲れると思うと身につきにくくなってしまう。

なら、「美しくなりたいから」「美しくありたいから」。

そういう動機で、リラックスして覚えていくというのも、

楽しいのではないでしょうか。

学校の勉強より、興味を持ったことを楽しく学ぶほうが、自分の中に残るように。

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2007年4月18日 (水)

能と美人

男女ともに、「わぁ、素敵!」「あっ、美人さんだ」

と感じる人がいる。

50代、60代、70代の方。

20代、30代、40代の素敵な人もいる。でも少し違う。

何が違うのかしら。

50代以上の方の何が憧れを抱かせるのかしら。

・・・・・・・・・・・・・・・・。

これまで美人だと感じた紳士淑女を思い浮かべて、考える。

頭の中で動く紳士淑女。分析、分析。

無駄がない。

仕草・動作・言葉・語り。そして佇まい。

シンプルなのです。

「合理的」とは違います。シンプルは、単純とも違う。

そして、しなやか。

その人の積み重ねてきた思考や、

育んでいらした心が無駄をそぎ落としている。

その人の歴史からエッセンスを抽出し凝縮され、

内に沁み込んだ感性が、洗練された姿を持たせているのだという気がします。

と、ここまで考えて思い出したこと。

何かの本で読んだ話です。

能。

能は動作を最小限に抑え、演者の内で凝縮された力となる。

能の舞の美しさは、それゆえらしいのです。

時を積み重ね、洗練された人のあり方は、能と通ずるものなのかもしれない。

能。

まだ観にいったことがないので、劇場へ行って観たい。

芸術を味わうとともに、能の世界の美、じっくり勉強したい!

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2007年4月16日 (月)

レオナルドといえば

何が浮かびます?

今、東京国立博物館で催されているダ・ヴィンチの特別展。

行きたいと考えながら蘇った質問。

『タイタニック』が大ヒットした翌年あたりだったでしょうか。

友達数人と見ていた雑誌に、「レオナルド」といえば?

という質問がありました(考えてみればよく意味のわからない質問)。

ダ・ヴィンチとディカプリオに意見がわれました。

私は、ダ・ヴィンチ。

今ならディカプリオと答えるかもしれない。

わりと好きです。

社会問題への関心の高さ。環境問題への取り組みは尊敬です。

『タイタニック』のジャックもキュンとなって好きです。

でも、『タイタニック』の公開当時、スティーブ・マックィーンに夢中だった私。

ディカプリオ。年上に対してこういうのもなんですが、甘いベビーフェイスが苦手で。

観賞したのは何年も経ってからでした。

ここのところ、ほどよく甘さがとれてきたディカプリオの新作も公開しているし、

ふたりのレオナルドを楽しみたいな、と思う今日この頃です。

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2007年4月13日 (金)

それで、ええねん

関西の方がご覧になっていたら、関東の人間が関西弁。

不快だったらごめんなさい。

人間関係に欠かせないもの。

言葉。

TPO、話す相手で言葉遣いや話し方を使い分ける。

近年は敬語を使えない人が多いと言われ、本がたくさん出ている。

敬語は苦手、という人が敬語を使うとき、力が入っているような気がします。

あってるかな? きちんと話さないと。

そう思うから力が入るのではないかと思います。

私も時々、「あっ、しまった」と思うような失敗をします。

しっかりとした言葉・話し方の基礎を身につけるのは大切。

ある程度の土台作りは必要。

その後のテクニックは「門前の小僧習わぬ経を読む」の感じで、

自分の中に沁みこませていくのが一番!

私は小さい頃に耳にした、

人を攻撃する言葉・汚い言葉・傷つける言葉に対する嫌悪感から、

キレイな言葉、美しい話し方に憧れを持つようになりました。

小学生になった頃から、母の電話での話し方を真似てみたり、

大人の話し方を興味津々に聞き耳を立て、使ってみました。

使い方を間違えたり、緊張しておかしな言い回しをしたり、

慌てて話して雑になったりをくり返し続けました。

挨拶や言葉遣い。

人には心があり、理屈よりまず、心で生きている生きもの。

人と人の関わりは「心を込める」ことが最大のマナー。

敬語を「難しい!」と思ってしまうのも、

まず、ああしましょう、こうしましょう。

と理論を見て、ノウハウを考えるところからスタートするから、

ややこしくなるのではないでしょうか。

伝えたいことがあるから話をする。なら、伝わるように話す。

素敵な話し方をしたい、という気持ちで話す。

向き合う相手に思いやりをもって話す。

この3つので門前の小僧を続けていく。

失敗しても「ええねん」。

緊張して、たどたどしくなっても「ええねん」。

素敵になろうと励めば「ええねん」。

真心あれば「ええねん」。

以上、不安なとき、自信が揺らぐとき、励ましがほしいときに聴く、

ウルフルズの『ええねん』方式の、

「身構えずに、敬語は楽しむのがいい」という小話でした。

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2007年4月11日 (水)

ジェネレーションギャップを越えた6文字

道ですれ違った小さな男の子。

満面の笑みで三輪車を漕いでいてかわいい。

後ろ姿を見送りながら思い出したこと。

去年のお盆、横浜にて。

従姉のところのチビちゃん(以下Kくん)と母のやりとり。

Kくんの手にウルトラマンの人形を発見した母。

「あっ、ウルトラマンだ!」となぜかテンションが上る。

対してKくん。嬉しそうに「うん、メビウス」。

へぇ、今のウルトラマンはメビウスって言うのかと思っていると、

「おばちゃんもウルトラマン知ってるよ」と母。

Kくん、お友達発見。母を見る目が輝きます。

次の瞬間、

母がウルトラマンセブンのうたを歌いだします。

今、Kくんメビウスって言ったのに、なぜセブン?

数あるウルトラマンの中から、なぜセブン?

と心の中でツッコミ。

案の定、Kくんは一瞬「はい?」と眉間にシワを寄せて不思議顔。

しかし、母が歌うセブンのうたをノッテ聴く。

その後、Kくんがメビウスについて何か言います。

母、気づかずにセブンだ、太郎だとウルトラマン一族の話をします。

ウルトラマン世界のことをほとんど知らない私でも、話がかみ合っていないとわかる。

が、なぜか盛り上がっています。

たった6文字だけの共通言語「ウルトラマン」だけで、コミュニケーションがとれている。

見ていておかしくて、笑ってしまいました。

コミュニケーション。

人間関係にはいろいろな間柄がある。

コミュニケーションをとるとき、よくあるために、わかりあうために、

最良の方法を考える。手探りで掴もうとする。

試行錯誤して、年齢が上るにつれ選択肢を増やし、

それプラス・失敗を恐れ、ときに必要以上に言葉が多くなったり。

これを否定しません。大切にしたいです。

ただ、その一方で、

理屈じゃない。頭で考えすぎるな。まず感じる! 感覚で掴め!!

ということも大切な気がします。

五感で受けて、よりよくするために考える。

違う国の人同士が互いの言葉がわからなくても、例えばそこに音楽があれば、

ハミングで一緒に歌う。フィーリングで繋がる。

THE BOOMの『島唄』がはるかアルゼンチンで日本語のまま歌われてヒットしたのは、

アルゼンチンの人たちが、島唄を「感覚」で好み、欲したのではないでしょうか。

思考は大切。おおらかにフィーリングで繋がることも大切。

人間関係だけではなく、いろいろなことに対して、

ゴチャゴチャと考えるぎるかと思えば、大雑把が顔を出し、フィーリングで行動。

はたまた、散々考えておいて思考を裏切り、直感最優先に生きてきました。

これからは、コミュニケーションも含め、2つのバランスをしっかりとり、活かしていきたい。

余談ですが、帰宅後、母に、

「メビウスとセブンでよくあれだけ盛り上がったね」と言うと、

「? メビウスって何?」

え~っ!?

フィーリングにもほどがあります…。

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2007年4月 9日 (月)

毎日ロードショー

夢って毎日見る?

と知り合いに聞かれたので、

「ほぼ毎日ロードショーです」と答えました。

いつも覚えているわけではありませんが、

目が覚めても記憶しているものは多々あります。

9割は、数日以内にあった出来事や見たことがヒントになったもの、

怖いもの、意味不明なもの。

残りの1割で、極たま~に嬉しい夢。

夢の中の私はすごいです。

現実にほしい身体能力。

どんな恐ろしい相手からもすばらしい速さで走り・飛び、逃げる。

マトリックスばりに敵の攻撃をかわす。

先日は、夢の中の私が金縛りに遭いました。

メリークリスマスの後、明けましておめでとうと浮かれ、

教会を見かけると「素敵♪」と建物に見惚れ、

お寺に行っては落ち着くわぁ、とほのぼの。

そんな、なんの信仰心もない人間。

危険な霊が近づいていると察知する夢の中の私。

なぜか流暢にお経を唱えます(100%デタラメなお経)。

すると起こる、ポルターガイスト現象。

そして掛け布団がひとりでにめくれ、出ました!

ジェイソンより、フレディより、エクソシストの悪霊より、

一番怖い! と全身鳥肌が立ったキャラクター。

映画『ポルターガイスト』に出てきたおじいさんの悪霊にそっくりな霊。

現実の私なら、くらっとなって身動きが取れないところですが、

夢の中の私、がんばります。ひるまず立ち向かいます。

すると悪霊、ありえない怖い形相で飛びかかってきます。

絶対絶命!!

カチッ、ピピッ。

そこで目覚ましが鳴って助かりました。

たかが夢、されど夢。

昔、同じ時期に同じ夢を見た友達と同時にケガをしたことがあります。

その原因は若干、夢に関連したものでした。

以来、夢、侮れないという気がしています。

ほとんどは意味のない夢。悪霊対決もしかり。

1000個見たうちの1個くらいは意味があるものかも。

ヒントになるものがあって見た夢や、追われる夢など精神状態で見るとかではなく、

見て何日経っても覚えているものは、何か暗示かなぁと考えることがあります。

しかし、素敵な夢は滅多に見ない。

昨日起きたとき、見た夢を覚えていましたが…。

内容は、ご飯を食べに入ったお店で、あき竹城さんがきりたんぽを食べていました。

100%意味のない夢。

朝ごはんを食べながら気づきました。

きりたんぽ=秋田。

あきたけじょう。あきた、けじょう。

ダジャレだ。お粗末すぎる。

素敵な男性が登場する、ロマンティックな夢をお願いしたいものです。

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2007年4月 6日 (金)

女心の花談議

以前ブログで、女性は誰もが花だと書きました。

どのような花かは一人ひとり違うけれど、

歳を重ねて美しくなるあり方は、花樹でしょう、とも書きました。

地に根を張り、さまざまな季節を乗り切って咲く姿は、苗木の頃より美しい。

という話を先日、友達にしていて、素敵に咲いていかないとね。

咲いていこうね! と話が収まりました。

そのとき、何気なく「私って花に例えると何?」と尋ねてみました。

友達は私を見て少し考えます。

どんな花だと言ってくれるのか、ワクワクして言葉を待ちます。

出てきた答えは「スズラン」。

私「何で?」

友達「えっ、何、不満?」

いや、不満ではないよ。スズランは好きよ。

友達「なんか“ちょこん”って感じかな、と思って」

私「159センチって“ちょこん”って感じの範囲?」

友達「背じゃなくて、なんとなく…小さいでしょ」

私「えっ、人間が?」

友達「そうじゃなくて。雰囲気というか、顔とか中のパーツとか、全体的に。イメージ?」

さらに、

友達「だって、ヒマワリとかダリアとか“西洋”ではないじゃない」

うん、和顔です。薔薇とか芍薬とかカサブランカとか、華やかどころ、の花ではない。

それは自分でわかっています。

「でも10代っぽいものじゃなくて、ねえ、あるでしょう」と言うと、

「じゃあ何て言ってほしかったの?」と返ってくる。

和のイメージ…、桔梗とか睡蓮とか。

すると、「自分でそんな風にしっとりしてると思う?」ときます。

はい、ごめんなさい。思わないです。

でも桔梗、大好きな花だし、本で誕生日の花だと読んだから。

ほんの少しでもそれらしいところあるかと思って。

悔しいので、「お世辞ってあるじゃない?」と促すと、

「よく言う。お世辞言わないくせに」と言われて終了。

小さい花が駄目だということではありません。

小さい花、野の花。大好きです。

ただ、女と生まれたからには、花樹の年輪には憧れます。

女性は一人ひとり、自分が思い描く花のあり方があるのでは。

今年のテーマが1つ増えました。

桔梗のような雰囲気を目指そう。

そしてずっと先。天寿をまっとうする頃には、白木蓮のようになりたい。

なれるかな。道は長いな。

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2007年4月 4日 (水)

沁みる、いたわり

お見舞いのマナー。

ざっと挙げると、

☆面会時間の確認(これ大切!)

☆お見舞金の袋に、熨斗はつけない。表書きは「御見舞い」「お見舞い」

☆花は、鉢植え・首から落ちる椿・血を連想する赤い花・シクラメン(死・苦)

 香りの強い花・色褪せる紫陽花・葬式を連想する菊などはNG。

☆本人が床に臥せっている姿を見られたくなかったり、応対がしんどいこともあるので、

 ご家族に連絡をとって、伺っても大丈夫かどうか、事前に確認する配慮を。

☆病状についてあれこれ聞かない。「大丈夫、すぐよくなるわよ」など気軽に言わない。

 病気はデリケートでナーバスな問題。心情をくみとり会話を。

☆化粧や香水など、匂いに注意を払う。服装も、黒一色は避ける。

☆大人数で押しかけない。長居をしない。親しい人が入院している場合、

 長期入院なら長い時間1、2回より、わずかでも度々訪れるなどの工夫を。

☆帰るときは、同室の患者さんにも一言挨拶を。

 (ただし、寝ているなど、声をかけるべきかは状況で判断)

などがあります。

それから、見落とさないでもちたいこと。

患者の家族へのいたわり。

数年前、母が病気で入院したときのことです。

急な入院だったので、母の代わりに仕事関係者や友人に連絡を差し上げました。

母の「弱った姿を見られたくない!」という願いから、

面会をご遠慮願いたい旨を伝え、元気になったら会ってやってくださいませ、

とお願いしました。そのとき、皆さま一様に、

「あなたは大丈夫?」

「いつでも連絡くれれば、できることするから」

「自分の身体、大事にしてね」

と気遣ってくださいました。

何気ないことですが、ものすごくありがたかったです。

今は風邪ひとつひけない。私がダウンするわけにはいかない!

と気を張っていると、身体は大丈夫なのですが、情けないかな、気持ちが。

誰かに頼りたいとか甘えたいとかではなく、わずかでもホッと気を抜きたい。

そう心が願います。

でも、なかなか…。出来ない。

友達と会う時間はとれないし。

そういうときに、気遣った言葉をかけていただけるのは、嬉しい。

皆さまに心から感謝です。

特に、私の幼なじみのRちゃんのお母さん。母の友人でもあります。

私が幼稚園児の頃からの友人で、「娘みたいなものだから」と仰って、

私の幸せを願ってくださるありがたい方。

Rちゃんのお母さんが気にかけて電話をくださり、気遣ってくださったこと、

他愛ない会話をしたことで、ホッとできました。今でも感謝です。

人の心って、力をくれますね。

看護を元気に乗り切れたのも、いろんな人のお心をいただいてこそだったと思います。

「心に沁みる」の沁みるは、さんずいにこころ。

人の心が水のように流れ込み、潤すということでしょうか。

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2007年4月 2日 (月)

わかっちゃいるけど、とめられない

どうしたら直るのでしょう。

よくない癖というか、性格というか。

笑い出したら止まらない。笑いを止められない。

ものすごく笑い上戸。

涙は「泣きたくない!」と止めますが、笑いは止まってくれない。

笑っちゃいけないと思えば思うほど、余計に笑いが止まらない。

そうは言っても、ここで笑えば「笑いが止まりません、ごめんなさい」

で済まない状況は、全力で必死に堪えます。

それ以外は、もっとちゃんとしなければと思うも、つい気を抜くと笑いが襲ってくる。

昔から基本的に、1日のうちによく笑います。

思い切り笑うわけにはいかないときは、声を出さずに微笑んだり、

たしなみとして「ニコッ」で抑えますが、許される状況では「すごい腹式」と言われるくらい

思い切り笑うことも。

電車の中で読んでいる本がおもしろくて笑いそうになると、せきをしてごまかします。

が、時々、堪えきれずに吹き出してしまう。

隣の人に怪訝な顔をされてしまう。まずい…。

恥ずかしいので本を読むのをやめて寝たふりします。

1度、次の駅で車両を移ったこともあります。

先日、『アンフェア』を観にいったとき、

『舞妓Haaaan!!!』の予告編がなぜか笑いのツボにハマッてしまいました。

はじめはちょっとおもしろいなぁと思う程度でしたが、

ある場面がおかしくて吹き出してしまってからは、もう何を見てもおかしくて。

声を殺して笑います。震える肩は止まりません。

次の予告に移っても笑いが止まらない。

多分シリアスなものだったと思うのですが、笑い続けます。不謹慎……。

さすがに本編がはじまったら、すぐに映画に集中して笑いと別れました。

が、映画を観終わって入った喫茶店で、

再び『舞妓Haaaan!!!』の阿部サダヲさんが思い出され、吹き出しそうになる。

タイミングよく? 映画を観る前に買った雑誌の表紙は、

なんと阿部サダヲさん(プラス宮藤官九郎さんと荒川良々さん)。

バッグからチラッと顔が覗く。笑いが襲ってきます。

恐るべし、阿部サダヲ地獄。

きっと今『舞妓haaaan!!!』の予告を見ても、あの日ほど笑わないと思いますが、

あの日はスコーンとハマッてしまいました。

箸が転がってもおかしい年頃でもあるまいし。

笑う角には福来たるって言うけれど、笑い過ぎは幸せの神様が引いちゃうかも。

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