« 2007年2月 | トップページ | 2007年4月 »

2007年3月30日 (金)

自然体に匹敵。すてき

素敵、という言葉。よく使います。

使いながら気になったこと。

すてき。漢字では素敵。素・敵。

敵?

素が敵? 素の敵?

あっ、素に匹敵!

赤ちゃんの姿。ありのままの存在、美しいですよね。

“自然体”賛歌をするなら、赤ちゃん以上はない気がします。

従姉の家の赤ちゃんに初めて会ったとき、

そこにそのまま存在しているだけで力強い命。その輝き、尊さに感動しました。

街中で見かける赤ちゃんにも同じことを感じます。

赤ちゃんが自然体の最高峰なら、あとは下がっていくのか。

そうではなく、そこから人として素敵への道がスタートするのでは。

誰もが、我良くあらんとして頑張る。

混沌と切なさを伴いながら考え悩み模索し、

たくさんの感情と出来事を重ね紡いでいく。

そのジタバタ感がいい。

誰もが自分のプロデューサーで、輝くために考えて演出する。

その姿、その人だけがつくりあげていくものが、

素に匹敵する美しさであり、尊いのではないか。

人を賞賛するとき、あまり自然体という形容はピンとこない。

一見さらりと自然体に見えても、その人なりのさまざまな気持ち、

出来事を練って練って汗をかいているはず。

人が時を重ね、歳を纏いながら生み出していくもの。

素に匹敵する美しいもの、素敵。

これからもたくさんの素敵を見つけたい。

自分でも素敵になっていきたい、と思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年3月28日 (水)

お箸の国のひと、その作法

すっかり忘れていた。

いつの間にやら忘れていた。

あら、いやだ。

ということで、再開。

お箸の持ち歩き。

高校生の頃だったでしょうか。

今井美樹さんのインタビュー記事を読んだら、

お箸を持ち歩いていると仰っており、

「小さなことでも自分にできることからやろうと思う」というようなことが書かれていました。

憧れの人の言葉は、目や耳だけではなく、心にくる。

今井美樹かっこいい!

美樹さんに倣ってお箸、持ち歩こう!!

ということでバッグには箸箱が必需品となりました。

一人くらいそうしたからって……

と言われたことがありますが、ひとり割り箸を使わなければ、1本割り箸が必要なくなる。

100人なら100本。1万人なら1万本の割り箸を作らなくてすむ。

1万人が10回使うところを0回にしたら……ねえ。生産が減る。

お箸については、いろいろなマナーがあります。大切です。

でも、うっかり「嫌い箸」というマナー違反をしてしまうのは、

「大丈夫、ご愛嬌よ」と笑えても、エンドレスに箸を使い捨てにするのは笑えない。

お箸の国のひとだもの

というCMのキャッチコピーが、昔ありましたが、

毎日使うものだもの 自分のお箸、持ちましょう

は、「お箸の国のひととしてのマナーなんだ」と美樹さんに教えていただきました。

にもかかわらず、ここ2年くらい、いつの間にか持ち歩きの習慣がなくなっていた。

先日思い出したので、持ち歩きを再開しました。

今度はやめないように、がんばります!

| | コメント (3) | トラックバック (1)

2007年3月26日 (月)

“女の子”に戻る時間

マンガ、好きです。

今も読みます。

兄の影響で、少年マンガは幼稚園の頃から愛読。

少女マンガは、小学生になって近所のお姉さんたちがもっているものを読ませてもらい、

読むようになりました。

「温かく、しなやかな女」になるのが夢。

ですが、ついつい余裕がなく、気を張ってしまう。

自分でそれがわかるので焦る。

するとさらに無駄な力が働いて険が出る。ますます焦る。

私はこれを「ハムスタータイム」と呼びます。

ハムスターが遊ぶ、円の中に入ってカラカラと走るおもちゃのようなもの。

運動する道具? すみません、詳しくないのですが。

ハムスターちゃんは楽しいのでしょうが、見ると必死に思えて。

ひたすらカラカラカラカラ回る中を全力で走る。

いつどうやって終わるのか。若干気になる。

話が逸れました。

自分勝手につんのめりそうに焦り、

カラカラカラカラと同じようなことを何度も考える。

考えるといっても自分の中に答えはあり、単に未熟な自分が嫌なだけ。

で、ぐったり。

そんなときに気持ちを切り替えるのに必要なのが、これ。

「“女の子”に戻る時間」と称してマンガを読む。

建前は、

どうせまだまだ未熟なら 子どもに戻ってみりゃいいさ

本音は、

あってもいいと思うのよ いくつになっても子どもな部分!

子どもの頃に読んだものは、不思議と同じ場面で同じようなことを思う、笑う、泣く。

最近の本は先入観をもったり、あれこれ余計なことを考えることもなく、

10代の女の子のように素直にキュンとなる。

マンガ・マジック?

単純にマンガを読む自体が楽しい。

その上、初心に戻るではないけれど、

過去の自分の感覚が、新鮮に今の自分に良いように作用する(気がする…)。

好きなものは何回読んでも、いつ読んでもおもしろい。

ストレスも解消できて、やる気も起こる。

これからも「“女の子”に戻る時間」は持ち続けます。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年3月23日 (金)

まずは小さな1歩、はじめます

何か違う気がする。

小学生のとき、道徳の時間に対して感じていたこと。

教科書を生徒に読ませ、マニュアルにある答えを導き出して、道徳。

マニュアルで道徳心?

空虚に思え、違う方法があるような気がしました。

高校3年の卒業論文。

小学生のときの疑問と、灰谷健次郎さんの本を読んで学んだことをもとに、

教育についてレポートすることにしました。

日本と世界の教育水準、現在の教育のあり方、重要視されている部分、

教育環境などを調査。

また、欧米でのボランティア精神の育まれ方、あり方。

ドイツでは、ゴミに対する意識を小さいうちから持つような教育が徹底している、

などを調べました。

習慣と環境が大切。

幼いうちは大人より先入観が入らない。吸収力・適応性がある。

例えば月に1日でも養護学校と交流を持つ。

課外授業で老人ホームを訪れる機会をつくる。

道徳の時間では、ゴミを含め環境問題を議論しあうなどをしてはどうか。

家庭で教えるべきもあるけれど、これらは学校だからこそできるのではないか。

集団生活でしかできないのではないか。

そうすれば自然に福祉の認識が身につくのではないか、というようなことを書きました。

これはうろ覚えですが、

主要科目の時間を削るわけにはいかないという意見がでるだろうが、

別の時間を持ち、気持ちを切り替えるほうが吸収率がいいとか、

頭がやわらかくなる(不確かです!)など、調べて書いた気がします。

現在の教育制度を批判するような形になってしまったので、

返ってきたレポートには先生から一言だけでした。

「確かに福祉は必要ですね。でも誰もがやる必要はないと思います」

アメリカでは社会的成功を収め余裕のある人ほど、社会に還元するのが当然らしい。

大企業の会長が休日にボランティアのイベントで、集まった人たちのために、

駐車場の誘導をずっと立ち通しでやったりするのだとか。

幼いときからボランティアは身近なもので、親しんでいるから、

習慣として自然にしみこんでいるからゆえでは。

私はボランティアは強制するものだと考えません。

特別なことをするのではなく、日常の中で自分にできることをする。

ただそれだけのこと。それがなかなか。

そこで習慣が大切なのではないかと。

強制ではなく、幼いときから慣れ親しめる環境をつくるのは、

大人の責任だと思うのです。

習慣を得た後、どうするかは個人の問題。

青臭いかもしれないけれど、とても大切なことだという気持ちは、

18の頃と変わっていません。

ハタチの1年間はボランティアをしていましたが、以来していません。

「日常でできることを」ということも久しく考えていない。

『ニワトリはハダシだ』を観て、10代の頃に考えたことを思い出したのはいい機会。

先月だったか、新聞でベルマークについて書かれていたのが気になっていました。

まず小さな1歩として、ベルマーク、集めようと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年3月21日 (水)

「ホッ」で三度思う

先週、『ニワトリはハダシだ』(2004年公開)という映画を観ました。

各キャストが好演していて、好きだと感じた作品。

感想で書きたいことはたくさんありますが、

養護学校の教師・直子が子供たちと向き合う姿勢。

全力で仕事と付き合っている姿にホッとしたのは、観てよかったことの1つ。

「ホッとした」とはおかしな言い方ですが。

ハタチのとき、1年ほど福祉のボランティアをしていました。

障害者施設の遠足の1日付き添いボランティアに参加したとき、

施設の職員に言われた言葉が衝撃だったので。

「ハタチだっけ? 若いのによくやるよね。なんでこんなことやろうと思ったの?

普通遊ぶでしょ? その時間使ってわざわざ……。僕はさ、給料もらってるからねえ。

タダでしょ? 普通遊ぶよ~!」

ハタチの私はあっけにとられて声も出ませんでした。

ただ、彼以外の職員の方々は、

映画の教師・直子同様、真摯に働いていらっしゃいました。

今回、映画を観て先の職員の発言を思い出し、三度思ったこと。

習慣と環境は大切だ。

職員の男性の発言は、本人の人柄からくるものも多分にある(おそらく)。

それだけではなく、福祉に対する日本のあり方、認識によるところも大きいのでは。

遠足の付き添いボランティアのときも、ボランティア講座の実習で訪れた施設でも、

恥ずかしながら、接した子と意思の疎通がうまく図れず、

どうしたらいいのか固まってしまうことがいくつもありました。

自分のいたらなさ、未熟さを情けなく思うと同時に、習慣と環境の大切さを実感。

これが2度目。

ボランティアに参加したことで、

福祉と社会全体・大多数の人々(自分も含め)との間に距離があること。

福祉・ボランティアが「特別」で、一部の人が考えるものになっていると感じました。

最初に考え出したのは、高校3年のとき。

社会科の卒業論文を書いたとき。

テーマは自由。

政治、環境問題、その当時新聞で扱われていた時事問題。

それらをテーマにしている人が多い。

私も、何にしようか考え、環境問題に関心を持ち出していたので、

それにしようと決めかけていました。

当時、灰谷健次郎さんの本を夢中で読んでいたので、

教育についても関心を持ち出していました。

そして小学生の頃から疑問に思っていたこととリンクして、気持ちが動きます。

教育についてレポートしよう、に決定。

長くなってしまうので、続きは次回。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年3月19日 (月)

砂時計でハムレット

もう少しがんばって!

そう思いながら使っている砂時計。

毎日、紅茶を淹れるときに必ず使う必需品。

今、ピンチです。

砂が流れるガラス部分は無事ですが、木の部分にうっすらヒビ発見。

これ以上、ヒビが広がらないように祈るしかない。

砂時計大好き!

静かにサラサラと流れ落ちるのを、じ~っと眺める時間が好き。

3分計なので3分計りますが、その間、1分、2分、2分40秒などはわからない。

正確なのに、間が曖昧でルーズなところが好き。やさしい感じがして好き。

これ! という砂時計がほしいと、ピンとくるまで買わずにいたのですが、

去年の初夏、紅茶の勉強を始めたときにどうしても必要で、

とりあえず購入した百均の砂時計。

未だにこれ! に出逢えず使い続けていたらヒビ。

いろいろお店を見て回っているけれど、しっくりくるものがない。

ほしいのは、

プラスチックでも陶器でもなく、木製。

ブラウン系ではなく、ナチュラルなやさしい色。

ガラス部分は細いとダメ。大きめで丸いフォルム。

砂はカラフルはダメ。真っ白でもなく、アイボリー。

これらの条件でしっくりくるもの、探し中。

できれば3分計と5分計の2つがほしい。

近々運命の砂時計に逢えると信じ、もう少しヒビ割れくんにがんばってもらうか、

もう休ませてあげて百均2号をとりあえず買うか。

それが問題だ。

といったら、シェイクスピアに怒られそうですが、悩むところです。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007年3月16日 (金)

ああ、身の程

「人は身の程を知らなければダメだ。身の程を知ってナンボ」

という知り合いの発言を耳にして、違和感。

違う気がする。なんかもっとこう……、違う。

そもそも身の程って、なんだ?

武家社会、公家社会、士農工商時代じゃあるまいし。

人が人を「身の程~」って考えるのがバカバカしい。

やんごとなき家のお方なんて今の時代、そうそういない。

貧富の差はある。しかし現代、能力は各ジャンル、うなるようなプロは少ないのでは。

みんなどっこいどっこいなら、身の程がしっくりあてはまる事柄は少ないのでは。

「自分をわきまえる」ということだとすると、知るべき・知っておくべきは、

「身の程」ではなく自分の「性質」ではないかと。

自分の中の善悪、誇る部分、恥じる部分、守る部分、直すべき部分、そして業。

自分の性質から目を逸らさず、時々じっくり向き合い続けること。

必要なのはそれではないか。

それが違和感の正体でした。

そして思い出しました。6年か7年前に書いた詩。笑いました。

もっとずっと先。天寿をまっとうするときに、

「はい、よく生きました。これで完成」

そう思って笑いたい。

という目標があるので、書いたときの自分の気持ち、わかります。

書いてあること、今でもそう思います。

ただ、キツイ。言い方にやわらかさがなくてノン・ポエジー。

そんな過去の自分に共感したので。

「身の程は知りません」

身の程は知るべき? 知ったらつまらない

人間なんて皆 ちっぽけ それでも

どの命もかけがいのない たったひとつ

結構大切じゃないかしら

「プライド」「つまらない意地」

いくつになっても結局

わからないことだらけ

「確かなもの」なんてそんなにない

てのひらに乗るくらいあればいい方

割り切れないなら  割り切らない

譲れないことは 譲らない

「ダメな人」 そう ダメでしょう

いたらないこと 失敗の数々

これまでのすべて なかったことにはできない

だから 自信勝手といこう

雑誌の占いに書いてあった

「物事こだわり過ぎずにおおらかに」

「直感と好奇心を大切に」

「あなたは自分を曲げない人です」

そうですか ではそうしましょう

立派な人生じゃなくてもいい

褒めてもらうために生きるわけじゃない

そう言ってられないことが

これからたくさんあるでしょう

でも 身の程なんて知りません

いつかくるエンディング

きっと叶う

納得してると信じてる

きっと笑って死ねるって

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年3月14日 (水)

辞書は友達?

「ボールは友達」

昔、アニメのセリフにありましたが。

今でこそ辞書、好きです。

疑問を解決してくれる。便利で頼りになる。

しかし、子供の頃は友達どころか、姿を見るのも嫌でした。

幼稚園ぐらいから大人の輪の中で、じっと話を聞いているのが好き。

“じっと”がポイントです。

話を聞いていて思ったことを言うと、「大人の話に口を挟むな」を意味する母の睨み。

無言の威嚇がくるので、黙って聞く。

そうしていろいろな言葉、いいまわしを知っていく。

すると、使ってみたい。

で、使い方を間違えると、登場します。辞書。

言葉に対する認識を曖昧にしているのが嫌な母は、小さなことでも逃さない。

小さいうちは引いて読んで聞かせ、ある程度からは辞書を差し出し、

引いて読めと促される。

他愛のない話をしているときに、ちょくちょく辞書を出されると、うっとうしい。

別に軽口をたたいているだけなのに、いちいち辞書を出さなくてもと不満を述べると、

「間違ったときこそ、覚えられる」と返される。

正しいですけどね……、度々失敗を指摘されるとおもしろくなくて…。

本棚の一番下で、ド~ンと構えている姿が憎たらしく見える。

幼稚なことに、「嫌い!」とバコッ。蹴ってみる。

分厚くて固くて、痛い思いをしただけでした。

やがて成長過程で辞書の必要性が増え、調べた言葉のページで、

他の言葉も読んでみる。

へぇという発見や、知らないことを知る楽しさがあり、バコッとしたけれど、

「辞書、いい奴だ!」と考えが変わる。

分厚い大辞林、漢和辞典、(あまり活動しない)和英・英和辞書。

今は電子辞書も。

「友達」ではなく、ブレーン? 先生?

シャーペン・メモ帳と同じく、日々に欠かせない存在となっています。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2007年3月12日 (月)

大人限定の美しさ

先週末、素敵な女性にお会いしました。

ここ数ヶ月、吉田拓郎さん、アリス、沢田研二さんなど、

しっかりと聴いたことのない時代のミュージシャンがマイブーム。

母がお友達からお誘いいただいた、そのまたお友達の自宅・アトリエで開かれたライブ。

私が音楽が好きだということで「よかったら」と仰ってくださり、聴きに行きました。

歌手・小林啓子さんのライブ。

60年代後半から活躍され、活動を休止されていたのを、

02年から30年ぶりに再開されたそうで。

まさに今、関心を持ち出した時代から活躍されている方。

ツイテます。

初めて聴くのがいきなり生歌。

アコースティックギター1本。マイクなし。

究極の生歌。

素敵!

オリジナル曲やジョーン・バエズ、ボブ・ディラン、

坂本九さんのカバーなどを歌われました。

素人があまりあれこれ言えませんが、緩急自在。全身で歌われているけれど、

「どうだ! これだけ全身全霊だ!」という力んだ感じではなく、歌声もご本人もしなやか。

いくらがんばっても20代、30代では無理。

成熟した大人限定の美しさ。

「アメージング・グレース」を歌われたときは、

文化に感動したときに発揮される腕センサーが反応。

鳥肌が立ちました。

ライブ終了後、帰り支度にモタついているうちに打ち上げとなり、

ずうずうしくも参加させていただきました。

その場にいらした方はみなさん、団塊の世代。

私ひとり若輩者が混ざって、いいのかなぁとも思いましたが。

プロのマジシャンがいらして、マジックを見せていただき、

大学教授の方は、耳と音の研究をなさっているそうで、

そのお話をいろいろ伺いました。

そのほか、私の知らない時代の話や温暖化の話などなど、興味津々。

小娘が混ざっていいのか…という気持はあっという間にどこへやら。

素敵な大人の中で、楽しく時間が過ぎました。

小林啓子さん。歌声もご本人も、しなやかでかっこいい大人の女性でした。

お手本となる女性、また1人増えました。

私が小林さんの年齢になるとき、

彼女のようにかっこいいおんなっぷりが醸し出せるようになりたい、という張り合い。

自分次第で可能性はあるはず! という希望、いただきました。

お誘いくださった母のお友達に、心から感謝です!

| | コメント (3) | トラックバック (2)

2007年3月 9日 (金)

流浪の民

慣れし故郷を放たれて~、夢に楽土求めたり~♪

『流浪の民』という曲の歌詞。

先日、母が口ずさんでいるのを聴いてから、ここ数日、

ふとした拍子に頭の中で『流浪の民』が流れます。

気を抜くと、電車内や道で口ずさみそうになります。

中学の合唱コンクールで自分のクラスが歌った歌。

とても好きな歌でした。

実際の流浪の民の生活、歴史をきっちり知らないので、うかつなことは言えない。

ですが、「慣れし故郷を放たれて、夢に楽土求めたり」

という言葉に憧れを覚えたことがあります。

もし、あのときこうだったら…、あのときこうしていたら…。

もし~と考えてもキリがないので、まず考えません。

が、1度考えたことがありました。

もし、ものすごく丈夫で、風邪ひとつひかず、

学校は皆勤賞というような健康優良児だったら。

最低限の語学を身につけ、お金を貯め、世界中を旅して生きたい。

観光地を回るのではなく現地の人と触れ合い、生活を知り、文化を学ぶ。

生半可ではなく大変であっても、その土地で仕事を探して働いて、

別の土地へ移動して。

自分の細胞すべてで、たくさんのことを感じていくために、時間を活かして生きていく。

不安定ではあっても、そんな人生があってもいいのではないか。

という、かなり現実味のない夢物語を想像してみました。

そんな無鉄砲をしないために、屈強な健康優良児ではなかったのかもしれない。

今の私であることに意味があるはず。

きっと一生飽きることがなく、もっともっと考え、

学び続けたい、自分と切り離せない大好きなことがある。

それをまっとうしたい。

しばしば揺れて迷走しますが。

「楽土」は自分の中にある。どこにいても、どんな人生でも。

以上、ちょっとした空想話でした。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2007年3月 7日 (水)

菩薩様フレーズのように

Give me your loneliness

and I'll give you my tenderness

伊藤由奈ちゃんの『Truth』という曲の歌詞の一部です。

彼女の曲は、歌詞や歌声が自分の気持ちや耳と相性が好く、

女性アーティストでは(私の中で)不動の地位・今井美樹さんと並びました。

と、それは置いておいて、先に挙げた歌詞。

この菩薩様のようなフレーズが大好きです。

“Give you”は「与える」という上から目線ではなく、

何かを「してあげる」ということでもない。

“tenderness”は「真心」の中に「愛」があってこそ。

俳優のインタビュー記事で、友達が「癒されたいから恋愛したい」と言うので、

「アホ、おまえが癒されたいなら、相手も癒されたいだろう。まずおまえが癒せ!」

と言った。

という話を読んだとき、「なるほどね~」とうなりました。

これって、すべてに言えること。

みんなが少しずつでも“give you”の気持ちで生活すれば、

もっと“tenderness”が溢れる世の中になるのでは。

何事においても「愛がなきゃ」と聴きながら思いました。

『Truth』はラブソング。大切な男性の人生を大切に捉え、

幸せを願う想いが歌われているもの。

この先、大切に想う男性に出逢えたら、歌詞のように大切にしたい。

そのためにも、もっとしっかりした自分になりたい。

いま現れても困るなぁ、もう少し先で逢えたらいいなぁ。

そう思う私。

「別にもう少し先、じゃなくてもいいじゃない。困ることないじゃない」と、

友達にはため息をつかれてしまいましたが。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年3月 5日 (月)

女心、春の色

女は灰になるまで女

もう春。

春物の服、どんな感じがいいか考えると、やや浮き足立つ。

立ち寄ったショップでかわいい靴下を見ながら、

小物もいくつかほしいアイテムがあるな~、とさらに浮く足。

店内をキョロキョロしていたら、かわいいスカート発見。

お値段はリーズナブル。

手にとって見ていると、背後から「あら、かわいい」という声。

振り返ると70代らしき女性。

スカートを手に取り、自分に合わせてみる。

白地にやわらかい配色の模様が散りばめられたスカート。

茶系でまとめられた服をお召しになっているところに、春を告げるスカート。

ぱあっと明るい雰囲気に変わり素敵なので、「あ、素敵」と申し上げたら、

はにかみながら「そう? でも若い人のものだから…」。

お店は10代~20代半ばくらい向けの雑貨屋。

スカートの中にはピンクやペパーミントグリーンのミニスカートや、

ロングでも「若い!」というものが多い。

でも、彼女が手に取ったスカートのように、

大人が着れば違った雰囲気がでるものもある。

60代、70代の女性が、パステルカラーを纏う。

足し引きが身に備わっているから、甘すぎずなんともエレガントで素敵。

とてもよくお似合いなので、

「そんなことないです。お似合いですもの…素敵ですよ!」と、

まるで店員のように、おススメ。

最初に手にとったときは、かわいいけれど着られないわね、という感じでしたが、

何度もスカートを眺め、次第に目が輝きだす。

その後、電車の時間がせまっていたので私は店を出ましたが、

振り返るとじっとスカートを眺めていらっしゃいました。

やさしい色合いのスカートで、春を満喫されるといいなぁ。

祖母も最後までおしゃれへの関心が高く、

ファッションへのアンテナを持ち続けていました。

亡くなる少し前、高校を卒業したばかりの私に、薔薇の形のネックレスをくれました。

「いつか身につけてね」と。

18の私には不似合いでしたが、今なら気負わずに合わせられる。

春色の装いに合わせて自分なりの春、おしゃれを満喫したい。

とまたまた浮き足立つこの頃です。

| | コメント (8) | トラックバック (1)

2007年3月 2日 (金)

縁の神様

根拠はありませんが、信じていること。

授業をあまりまじめに聞かない学生だった私。

中2のとき、国語の教科書に載っていた話がおもしろくて、

その授業は夢中になって聞きました。

しかしその後、作者の名前を忘れ、授業のことも忘れました。

7年後、

古本屋の店先のワゴン内を何気なく覗くと、何十冊ある中の1冊が目にとまる。

瞬間的に「これを読まないと!」と思い即購入。

読んでみてどっぷりハマリました。

この人の本をもっと読んでみたい!

翌日、本屋で作者の本を何冊か購入。

その中の1冊『夜中の薔薇』を読んで「あっ」と声を上げました。

中学のとき授業で読んだ「時計なんか恐くない」が載っている。

14歳の私がワクワクして読んだ話を書いたのは、向田邦子さんだったのです。

以来、今でも尊敬する憧れの人。

何かを欲しているとする。

しかしそのときは、どれだけ探しても望んでも出逢えない、掴めない。

悔しかったり、寂しかったり。

月日が流れ、あるとき不意に目の前に現れる。

そういう「縁」ってあると思います。

人・物・事柄。

人生の中を通り過ぎるだけのものがある。

道ですれ違った人。

入ったお店で目にとまったもの。

お店の店員とお客。

そんなわずかの接触、かすっただけの短い間に、

わずかでも何かを感じたなら、忘れたころに何らかの形で関わる日が来るかもしれない。

また、目の前に現れたのに、別のところを見ていてニアミスってことも。

でも、自分の人生に必要なら、意味があるなら、必ずまた現れる。

出逢って時間をあけない縁もある。

それはその「縁」に対して自分の準備が出来ていたから。

「そのとき」必要だったから。

向田邦子という作家の本を読み出すのが14歳のときではなく、

21歳の私だったのも、21歳の私が読む意味があったと思う。

縁の神様が向田邦子という作家の本に出逢わせてくれた。

向田さんからたくさんの私淑を得られた。それは計り知れない。

必要なものとは必ず「縁」があり、出逢える。

ただし、適したときに巡ってきても、気づかずに縁が去ってしまうと哀しい。

キャッチできるよう、五感のアンテナはしっかり働かせていたい。

そうすれば、時々顔を出す不安や寂しさ、

空を掴むような切なさ・もどかしさは、恐くなんかない。

大切で必要なもの。

これが「時計なんか恐くない」との縁への、今の私の答え。

……都合のいい考えかしら?

| | コメント (2) | トラックバック (1)

« 2007年2月 | トップページ | 2007年4月 »