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2007年2月28日 (水)

上げ、落とし

悪口はよくない。

同様に、いえ、場合によって以上にえげつないと思うこと。

上げて、落とす。

特に有名な方々はこの犠牲になる。

素敵、キレイ、かっこいい、オシャレ、才能がある。

あんな風になりたい、と憧れの眼差しをおくる。

そういう人が1人増え、2人増え、たくさんの人に持ち上げられる。

月日が流れ、気づくとバッシングが増えている。

しかも、なぜかその人の仕事ぶりと関係ないところをつつき、けなしてかかる。

ホントかウソか、大きなお世話ではないかと思うような話を探してきて、

(たぶん)大仰に書き立てる。

いやらしい。

特にファンではない人でも、あまりえげつなく上げて落とされていると、

「ここから! 頑張りなよ~、意地みせてやりなよ!」

と応援したくなる。

人の人生を狂わせたり、社会的影響の大きな事件を起こすとなると話は変わりますが、

そうでないなら、いいと思った人を応援し続けたい。本人が頑張り続ける限り。

これは有名人に限った話ではなく、すべての人にあてはまる。

人に欠点があるのは当たり前。それも1つや2つじゃない。

誰にだってゴロゴロ、ゴロゴロある。失敗もしかり。

私にもたくさんある。挙げていったら……落ち込んで1日2日笑えなくなるかも。

歳月を重ねれば重ねるだけ、人として美しい部分は増やすことができるけれど、

欠点や失敗も増える。

誰だってそう。なのに、誉めそやしてから、貶める部分を探して傷つける。

・・・・・・・・・・・・・・誇りを持たないと。

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2007年2月26日 (月)

過去の自分にハラハラ

学生は卒業シーズンなんですね。

昨日、そんなことを思いながら部屋でのんびり過ごしていました。

で、

学生時代を思い出しているうちに、怖いもの見たさが顔を出し、

押入れから取り出した中学の文集を読んでみる。

自分の作文にがっかり。かわいげのない物言い。

他の人の作文を読むと行事を1つ取り上げるか、部活の思い出を書いている。

私の作文には、

いろいろな行事も楽しかったけれど、いちばん大切だったのは、

「友達と過ごした時間・何気ない日々」ということが書かれており、

それは今読んでも納得。

ただ、

思い出ってもっと時が経ってから

「あんなことあったね」「懐かしいな、楽しかったな」と思うものであって、

今語れって言われても、しっかりうまくは言えない。

というようなことを書いています。

それはどうなの、私。

ミモフタモナイ。それじゃ文集にならないよ。

感じること、思うことがいっぱいあるのに、短い文集に収まらない。

ちゅうぶらりんになるくらいなら言わない! 

たぶんそんなところでしょう。

ちいさい頃から「頑固!!」と言われてきましたが、本当に生意気。

先生が好む作文のスタイルがあるらしいですが、

好かれる優等生な文はただの1度も書けませんでした。

読書感想文も「だって“感想”文でしょ? 思ったことしか書けない」と、

文豪の著書でも納得できなければ「私はこの主人公には共感できません!」

と納得できない理由をズバッと綴っていました。

書いたことをいくつかぼんやり思い出し、

頑固で生意気で、やわらかさのないバカ正直な過去の自分に、

ハラハラした日曜の午後でした。

今、少しはやわらかさを身につけたと思いますが、

頑固は一生変わらないだろうと思うと、それにも少しハラハラします。

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2007年2月23日 (金)

30年後も林檎の種子を

今日でブログを始めて丁度1年経つと、昨日気づきました。

人の誕生日やお祝い事は大好きで、お祝いするのが楽しい。

けれど、あまり自分のことは○○記念日とか考えない。

まあ、さすがに自分の誕生日は大事に考えます(自分好き)。

でも時々自分の歳、忘れます。

「あれ? 私いま、いくつ?」と人に聞いて「はい?」と言われてしまうくらい。

人は死ぬときまで未完成だと思うので、まだまだ若輩者。

素敵になりたいとジタバタ。かっこいい大人を探し、

お手本にしてキョロキョロしているうちに、フッと忘れてしまう。

で、「あれ? いま、いくつ?」になってしまう。一瞬ですけどね。

そんなノンキな自分のために目印(?)として、役者や芸人で同じ年の人、

何人か覚えています。活躍を目にすれば、「頑張ってるなぁ、私ももっと頑張ろう!」

と励みになりますし。

今日でブログを始めて1年ということで、初心に戻ってみました。

いくつになっても好奇心に溢れ、チャレンジ精神旺盛。

社会への関心と使命感は強くなるばかり。

毎年毎年いろいろなスタートラインを持つ。

自分の親や、たくさんの先輩たちのそういう姿を見ては、

まだまだ生きる甲斐が山ほどあるなぁ! と元気を貰っています。

どなたの言葉か忘れましたが、高校生の頃に読んだ寺山修司さんの、

『ポケットに名言を』に書かれていた言葉。

もし世界の終りが明日だとしても、私は今日、林檎の種子をまくだろう

スーパー・ポジティブ・シンキング!

20年後、30年後もいろいろな林檎の種子をまきながら、

自分を味わって笑っているよう、20年、30年と1歳1歳しっかり歳を纏っていかないと。

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2007年2月21日 (水)

マニキュアはマナー?

どうなのでしょう。考えてしまいました。

先日読んだ本に、

「目上の方にお目にかかるときには爪には、美しくマニキュアをして出かけるのが、

 マナーであり、女性のたしなみ」と書かれていました。

私はマニキュアをしません。

だからといって、手のお手入れをしないわけではありません。

手の皮が薄いので、ハンドケアには気を遣います。

ハンドクリームは常に持ち歩く必需品。

ストレッチや運動をするとき・くつろぐとき・掃除するときなどには、

薄い木綿の手袋をはめる。

炊事など水を使ったあとは、こまめにハンドクリームを塗る。

最近何かと重宝しているのは、綿の「指キャップ」。

指先のケアをしてくれます。

爪もマニキュアはしませんが、やすりで磨いたりして、

透明のマニキュアをしているような感じにピカピカにします。

最も自分の手がキレイに見えるよう、キレイであるよう、

自分なりに最善のケアをしているつもり。

でも、マニキュアがマナーでたしなみと言われると。

マニキュアをしているか・いないかではなく、

手先・指先に神経を行き届かせているか、

キレイであろうと手入れをしているか。

きっとそのことを言っているのだと解釈してみる。

それなら納得できる。

マニキュアをしていても・いなくてもいい。

キレイにお手入れをして、指先の仕草に気を配る。

それがたしなみ。

そう言ってほしかった。

マニキュアをしない女はNGだとダメ出しされた気がして、一瞬ズキンときました。

自分流にお手入れをして気を配ればそれでいい! そう思います。

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2007年2月19日 (月)

夢の世界に連れてって

新聞にアントニオ・ガデス舞踊団の公演の広告が載っていました。

観たいなと思いながら、一昨年の12月に観た舞台を反芻。

ず~っと観たかったスペインのダンサー「ラファエル・アマルゴ」のカンパニーの公演。

割といい席がとれ、アマルゴはもちろんのこと、ダンサー達のパフォーマンス、

カンパニーの歌姫の歌声が素晴らしくて大満足でした。

小学生のときに観たレビューに魅せられて以来、踊りに惹かれます。

アマルゴは、たまたまテレビで見て、フラメンコからスタートしていると知りました。

父方の叔母が若い頃、フラメンコダンサーだったと、以前母から聞いたことを思い出し、

「観てみたい」と興味がわく。

さっそくアマルゴを調べてみたら、ますます興味がわいた。

絶対観たい! と思い続けて1年。ようやく観るチャンスが!!

叔母の話を聞いていなければ、観ることに繋がらなかったので、

何が幸せをもたらしてくれるかわかない。

それほどたくさん観ているわけではないですが、舞台はいいですね。

芝居も踊りも大好きです。

その日・その公演でしかないものがあり、

リアルタイムに目の前で進行する話やパフォーマンス。

その臨場感・緊張感、舞台上・客席に流れる独特の空気。

映画館とはまた違う心地よさ。

年初めに観たいと思っていた舞台を1本観逃しましたが、なるべく多く観たい。

アントニオ・ガデスはちょっと行けそうにないけれど、何本観られるだろうか。

とりあえず、今年20周年の『レ・ミゼラブル』は観たい。

期間中に誕生日がありその日に観られたらと、ネットで調べたら、

当日ではなく、前日が観たいキャストの組み合わせだったので、

誕生日イブのチケットが無事取れるよう、自分に運があることを祈ります。

こんなときだけ、神頼み……。

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2007年2月16日 (金)

出世魚方式と言い訳して……

つげ櫛。

ほしいと思いながら買わずにいましたが、

先週末、浅草で買ってしまいました。

自分にある程度、合格点をあげられるときに買おう。

そう思ってきたはずが、全然合格点をあげられるような自分ではないのに、

買ってしまいました。

浅草寺でお参りをして仲見世を通過中、可愛らしいつげ櫛が目にとまる。

持ち手部分にすずらんが彫られているその櫛は、値段も2200円と手ごろ。

そこで、言い訳が頭に浮かぶ。

「一生モノ」として買いたいのは、1万円以上するもの。

「買ってよし」と思う自分ではないけれど、これはその第1歩。

まずは身の丈にあった櫛からスタートすればいいんだ。出世魚方式よ。

それに、磨いていくにもそれなりにアイテムは必要! と。

使ってみると気持ちがいい。

梳かすほど、櫛を入れるとスーッと通って楽しい。

つげ櫛を買ったし、春も近い。

なるべく週に1日は…と言いつつ、久しく着物に袖を通していない。

ただの言い訳に終わらないよう、艶髪目指して髪を梳いて、着物に馴染むようにしたい。

久しく袖を通していないと、着付けや帯結びに不安が…という弱気、

手にしたつげ櫛を見て「出世魚、出世魚」と発破をかけていきたいと思います。

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2007年2月14日 (水)

百利あって一害なし

前回の話に多少関係するのですが。

以前『ブランド』というドラマの中で、市川染五郎さんが演じた青年。

普段はジーンズやスーツ姿ですが、彼は茶道の家元の跡取り。

お茶会でお茶を点てる場面では、それまでのシーンの5割り増しくらいの美しさ。

テレビの前で固まってしまいました。

所作が優雅。和服がサマになっていて色気が漂う。

「撮影前に2週間ほど手ほどきを受けました」くらいでは出てこないものです。

先週、村上弘明さんが2時間ドラマに出ていました。

数々の時代劇で、存分に魅力を放っていらした村上さん。

現代劇なのですが、時代劇で培ってきた粋でしなやかな所作・雰囲気が

随所にみられました。

これまた一朝一夕にできるものではなく、染み付いた品のある在り方。

「現代劇に時代劇のようなものはいらない」という考えもあるかもしれませんが、

口調を時代劇風にすることはなくても、よい立ち居振る舞いなら、

村上さんのされているように、「今」にマッチするように存分に活かすのは素敵。

これは役者という一握りの人だけの話ではなく、誰にでも当てはまること。

マナーや所作など、冠婚葬祭で必要だから。就職試験で必要だから。

仕事で取引先と会うときに必要だから。

マナーが試されるときだけ、そういうときだけ気をつけても身につかない。

カバンに詰める荷物は、ありすぎると重い。

服を着込みすぎると暑い。

でも、マナーの知識を身につけ沁みこませるのは、いくらあっても重くはならない。

素敵な所作という服は、着込んでも暑くならず、

纏った自分を上質のブランドにしてくれる。

「百利あって一害なし」です。

パパッと覚えて「はい、終り」ではないし、終りはない。

増やしても重くならない荷物、最高だと思いませんか。

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2007年2月12日 (月)

おお、時代劇

長い間のフラストレーション、払拭。

今年の大河ドラマ『風林火山』は、「時代劇を見ている!」と感じられて好きです。

『功名が辻』や『新撰組!』も、ドラマとして楽しみましたが、

時代劇というより現代劇風。

どうした違いかしら?

それを考えながら昨夜の放送を観賞。

所作、発声、姿勢、作り出す雰囲気などが、ちゃんと時代劇仕様。

一朝一夕ではない土台がある役者陣が、時代劇ならではの渋みを持たせている。

時代劇は日本独特の文化。伝統芸能の1つと考えてもいいものだと思います。

歌舞伎、能、文楽、狂言、落語など長く長く修行を積み、

じっくりしっかり世界観や技術、味などを心身に染み渡らせて人を魅了する。

時代劇にもそれがほしい。

農民の役なら終日田んぼや畑仕事で猫背の所作、町人仕様、町娘、姫君、

武家、公家仕様と様々あるはず。

「武士は食わねど高楊枝」のように、武士たらんとしているはずの武士役の若手俳優が、

渋谷か青山を歩いているところを連れてこられた人かと思うほど、斜め立ちだったり、

慣れない和服で所在定まらない感じだと、ため息が。

近年、時代劇のサマになる俳優が減ったのがとても寂しい。

新たな人が出てきていないのが寂しい。

いいなぁと思う俳優さんを発見するとこの人、戦国物なら誰が似合うかな、

幕末なら…と空想するくせがあります。

実際いいなぁと思った人が時代劇に出ることはあまりないので、残念。

今年の大河、主役の内野聖陽さんは文句なしに魅せてくれます。

武田信玄役の市川亀治郎さんは美形という感じではないのに、お美しい!!

すでにテレビの前で「亀さま」呼び。

武田信虎役の仲代達矢さんは、不気味な信虎がお見事過ぎて、

出てくるたびに私の腕はゾッとする証の鳥肌全開です。

今年1年は、時代劇フラストレーションもなく、楽しめそうです。

それとは別に、今後の時代劇文化のために、

村上弘明さん、渡辺謙さん級の時代劇スターの出現、切望しています!

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2007年2月 9日 (金)

東大寺を建てたのは、大工さんです

タイトルの言葉は、水上勉さんの著書『女ごころ風景』の中の一文です。

詳しくは、

「東大寺は誰が建てましたか」という宿題が出て、「大工さんが建てました」

と答案用紙に書く子供を歓迎する。(略)大工や左官や木挽きが、延べ何万人

の労働者と共に狩りだされて、大きな大仏殿が建立された(以下略)

教育について述べられた話の一節。

この箇所が好きで、「うんうん」頷きながら読みました。また同書の別ページでは、

金閣寺の鳳凰堂を建てたのは誰かと尋ねられたら、「大工さんです」という答えが

好きだと語り、義満が手を汚して堂を建てたわけではない。無名の大工や左官や

瓦師の力で国宝級の建物が今尚残存している、というようなことが書かれています。

確かに子供の頃、教科書でピラミッドを見たとき、

いったいどれくらいの人で造ったのかな。昔は便利な機械もないよね、大変だな

と思いました。まあ、子供でしたから単純に、重いものを担いで必死にがんばって、

結局「ファラオが建てました」と片づけられるのは悲しいね、と思っただけですが。

水上さんの本を読んで、子供の頃感じたことの補足をもらった気がしました。

水上さんは、鳳凰堂の話を「そういう凡庸の智識を社会から学んだ」と述べています。

しっかりと「おとな」になるための、自分に即した「おとな」を磨いていくための、

ヒントを見つけたように思います。

物事を平面だけではなく、立体で見ることが、自分を人として躾け、成長させてくれる。

そういえば1年前の日本アカデミー賞のとき、

吉永小百合さんも、薬師丸ひろ子さんも受賞スピーチで、

一緒に映画をつくり上げたスタッフの人たちに思いを馳せていらっしゃいました。

私の映画、俺の番組というニュアンスの発言をする役者やタレントもいます。

「誰々の映画」とひとは捉える。すると、役者だけのもののようですが、

大勢のひとでつくっている。

吉永さんも、薬師丸さんもそのことを心から感じているからこそのスピーチだった、

そう思います。だからこそ、あんなに素敵なのだろうと思います。

「素敵なおとな」への道に、「謙虚」も不可欠な大切なものですね。

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2007年2月 7日 (水)

サマになりたい、贈り物

贈り物上手になりたい。

贈り物をするにも、いろいろな用途がある。

それなりのマナーがある。

相手、用途に合わせたマナーが必要なほかに、いくつかのエッセンス。

それがあると、洗練されて贈り物上手になれるのでは。

何年か前になりますが、幼なじみのYちゃんが家に遊びに来たときのこと。

玄関を入るなり、「はい、これ」と小さな袋を差し出します。

「いつもお世話になってるから」とひと言。

袋のなかには、淡い水色のガラスの一輪挿し(銀の天使の輪付き)。

水色は私の大好きな色。花も大好きで、天使グッズも集めているもの。

でも、特にそのことをいった覚えがない。

入った雑貨屋で目に付いたらしく、「そういうの、たぶん好きでしょう」

ということで買ってくれたらしい。

目に付いたから買った、というさりげなさ。

また、自分の好きなものを「なんとなく」ひとがわかってくれているって、嬉しいもの。

「お世話になってる」とは、ちょくちょく家に遊びに来ていることと、

そのときの料理のことらしい。

そんな何気ない理由でプレゼントをくれる。

恐縮してしまいそうですが、渡すタイミング、添える言葉があまりにサラッとしていて、

恐縮せずに小躍りしてしまいました(贈られる側のマナーも考えないと…)。

相手に負担をかけないプレゼント。

実は贈り物上手なの?Yちゃん。ありがたい友達です。

それまであまり考えたことはありませんでしたが、

「贈り物上手になりたい!」と思うようになりました。

仕事関係者、家族、友達、恋人などなど、どんな間柄での贈り物も、

相手の好みを考える、負担をかけないさりげなさ、タイミング、

そしてやはり、やさしさと真心が大切。

あとは、それがサマになるようになりたいものです。

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2007年2月 5日 (月)

とっておいた苺を食べていく

前回、よく歩くということを書きました。

何度かブログで書きましたが、以前はあまり丈夫ではありませんでした。

高校生の頃から長らく虚弱期間もありました。

ハタチを過ぎた一時は、足や腰に激痛が走り、起き上がれなかったこともあり、

自分はどうなるんだろうと不安でした。

また、この世の外に締め出されたような感じがして焦りました。

時間が「過ぎる」というより「消滅」していくようにさえ思えました。

イライラと卑屈になって、鬱屈した自分をもてあます。

そんな時、ありがたいことに年上のお友達が、

「今、周りの子と同じことが出来なくでも大丈夫。あなたは自分で決めて、

 自分で考えた今出来ることをしているでしょう。それが意味を持つ日が

 必ずくるから。今我慢していることはあとでやったっていいんじゃない?

 お楽しみをとっておくと思えば」と言ってくれたのです。

諦めたくないことがたくさんある。でもどうにも気持ちが塞いでしょうがない状態に、

望みをくれた言葉。

「お楽しみをとっておく」。

確かに好きなものは最後に食べるくせがある。

我慢していることを「ショートケーキの苺」と思うことにしました。

「いつかみんな食べる!」がモチベーション。

なかには間に合わなかった苺もあり、切ないですが縁がなかったと思って、

しょうがない、さようならです。

それにあまり欲深いことをいうと、食べられる苺まで失くしそう。

ウロウロと歩き回るのも、「ステイ」状態だった反動。

自分を取り戻すというか、動き回れることを体感し、味わうというか。

これも好きなことを元気にできるという意味で苺の1つ。

幸せを味わっています。

両手いっぱい、山盛りに苺だらけ。

私にとっては千○屋のものより極上。

1粒ずつ堪能していく予定です。

話が変わりますが、なるべく週5日ブログの更新をしようと思っていたのですが、

しばらくの間、月・水・金に更新します。

回数が減りますが、お読みいただけたら嬉しいです。

よろしくお願い致します。

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2007年2月 2日 (金)

役に立つときは?

昨日は重い話をしてしまったので、今日は軽めに。

なんだろう…。

運動オンチの私は学生時代、体育祭の100M走で大転倒して、

知らないおばあさまに「がんばれ~」と声援されてしまったり、大人になっても、

自転車を漕いでいて、空に見惚れ、電柱に突っ込んだりと、

ドジも三つ子の魂かなぁなんて思います。

が、ビバ! 庶民。

運動オンチの唯一の取柄。

車のない家で育ったので、頼りになるのは自分の足のみ。

雨が降れば親の車で送り迎えしてもらえるひとが多い中、

チビッ子の頃から、雨だろうが、少々雪が降って路面が延々凍っていようが、

台風だろうが雷だろうが自転車。バスはもったいなくて使いませんでした。

さらに我が家はみんな恐ろしいほど歩く一家。

私は通常プラプラ散歩するときは、徒歩なら5,6キロ。

自転車では、体調が絶好調なら15キロくらいウロウロします。

母も同じくらい歩きますし、兄はたぶんその倍。

これを話すと「感覚がずれてる」

「そんなに丈夫なほうじゃないのに、それは大丈夫なわけ?」と言われることも。

体の丈夫さと歩くことは、別問題ではないかと実感しています。

「まあ、趣味はいいけど、役に立つときはないね」と言われたことがありますが、

役に立ったことあるのです。

7つのときのこと。

友達の家に「チビ」というおっきな犬がいました。

放し飼いにされていますが、いつもは行くと懐いてくれていたのに、

ある日、虫の居所が悪かったのでしょうか。

目が合ったチビ、私をロック・オン。

鬼の形相で向かってきます。目が血走っている。

怖くて反射的に逃げます。

友達→チビ→私の追いかけっこ。

途中、遥か後ろから「チビ、やめなさい!」「逃げて~」と友達の声が聞こえました。

半泣きで「逃げてるよ! なんとかしてよ!」と思いながら全力疾走。

優勝は私。

1キロくらい走って逃げ切りました。

チビは追いかけるのが面倒になってくれたようです。

小学生が血走った犬から1キロ逃げ切る。

結構自慢で「ね? 役に立つでしょう」といったら友達、

「そんなのまずめったにないよ。しかも子供のときでしょう。

 役に立ったってほどでもないし、今は意味ないじゃん」

う~ん、確かに。ささやかな自慢だったのに。

いや、いつかきっと何かの役に立つはず!

何かはわからないけれど。

・・・・・・・・・・・・。

やっぱり、ないかもしれない。

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2007年2月 1日 (木)

忘れられない死と、慣れてはいけないこと

淡~い恋心を抱いていました。

小学生のとき、近所に住んでいた大好きなお兄さん(以下H兄ちゃん)。

H兄ちゃんは、子供好きで面倒見がよく、近所の子供たちが慕っていました。

家が工務店で、おじさんもおばさんも子供好きで面倒見がいい。

近所の子供たちはよく声をかけてもらったものです。

私は「おねだり」がうまくできません。親にもしたことがない。

でも、H兄ちゃんには1度だけ、思いきり「おねだり」した覚えがあります。

H兄ちゃんは、こよなくバイクを愛すバイク乗り。

そのバイクがかっこよくて、「危ないからダメ」というH兄ちゃんに、

せがんでせがんで、1度だけという約束で乗せてもらいました。

危険のないように、国道ではなく土手へ続く、

ほとんど人の通らないコースを乗せてくれました。

そんな慎重なH兄ちゃんが夏のある日、バイクの事故で亡くなりました。

飛び出してきた人を避けようとしてのことらしいです。

事故の翌日、友達からの電話で死を知らされたとき、

「そういう冗談嫌い!」と怒った記憶があります。

お葬式。

茫然自失で、じっと動けないおばさん。

棺にすがって号泣するおじさん。

子供ながらに、こんなに辛い光景があるだろうかと感じました。

そして、献花のときに見た、棺の中のH兄ちゃんの顔。

いまでも、今見たように鮮明に浮かびます。

生きて話をしていたときの、笑った顔を思い出したいのに、棺の中の顔が浮かぶ。

亡くなる前日だったか、当日だったか、記憶が定かではありませんが、

(たぶん当日)の午後、工務店の前を通りかかり、作業するH兄ちゃんと、

他愛ない言葉を交わしました。

そのときは、もう恋心を自覚していたので、おこちゃま扱いされたことで、

プイッとすねて悪態をつきました。

H兄ちゃんは「あはは」と笑っていました。

それが最後。

もう会えなくなるなんて思わなかったからの悪態。

悩んでもがいて反省しても、「悔やまない主義」ですが、あの日の自分は悔いです。

死があっけなく訪れることの残酷さと現実。

たった数時間前に話していた人がいなくなることの、痛さと怖さを知りました。

H兄ちゃんの死から、死生観を考え、持つようになりました。

命の重みを考えるようになりました。

現代、あまりに人の命が軽んじられているように思えてならない。

死に対する感覚が鈍っているように思えてならない。

身内で殺しあうギスギス感。

死んだ人は生き返ると思う現代っ子。

自分は大丈夫だと思い込み、後を絶たない飲酒運転。

「死ね」「殺す」と罪悪感皆無で吐く…困ったひとたち。

そんな現実を腹立たしく思っているのに、

先日、朝起きてつけたテレビから流れる殺人のニュースに、

「またか」と思った自分にゾッとしました。

恐ろしい状態に麻痺しているのだろうか。

以前、あまりに凄惨な殺傷事件のニュースがショックで、大泣きした私を、

「受け止めすぎないように」と友達が心配してくれましたが、

とんでもない事件や状況に、慣れたくない、慣れてはいけない。そう思います。

「またか」と思った自分、大いに反省しました。

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