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2007年1月31日 (水)

平凡をナメたらいけません!

電車の中で、立ったまま熟睡できるのが特技。

ウトウトしはじめたそのとき、睡魔が吹っ飛ぶ声が。

女子高生の会話。

某40代の女優が素敵だという話。

憧れは誰にでもあるもので、いいと思います。問題はその後。

「うちのお母さんなんて超普通。キャリアウーマンでもなんでもなくって、

 うちにいるただの主婦だし、超つまんない平凡なうちだし」

もうひとりも「うちも~」

!!! ???

なんの問題があるの? 最高じゃない! わかってないなぁ。

その女子高生が、家事をあれこれやっているなら話は変わりますが。

家に帰って見てみなさいよ、と。

お母さんが家にいるということは、寒い中を帰ったら、部屋が暖かいんじゃない?

家中じっくり見直してみたら?

心地よく生活できるように、お母さんのしていることがたくさん溢れているはず。

平凡な家で、つまらないということは、大きな問題がないということ。

ただそこに存在しているだけでは、その空間は成り立たない。

維持するため、守るために親は努めているのではないだろうか。

いちばん身近な年上の女性のなかにある美しさも見つけられない女の子は、

素敵なレディーにはなれません!

いいえ、憧れる大人の女性になれないだけじゃない。

平凡だとバカにしている、その子のお母さんが持つ美しさにも、手が届かないでしょう。

そのことに気づいてほしいな、気づくといいな。

女優やモデル、セレブに憧れるのは、

尊い平凡を理解してからでも遅くないのだから。

と、余計なお世話なことを、目が冴えてしまった頭で考えました。

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2007年1月30日 (火)

おお、かっこいい!

電車内の席の譲り合い。

「子供は空いていなければ座らない」

「子供は立っているのが基本」

と言われて育ったので、座れなければ座れないでいいや、と思います。

電車の座席は年配の方、身体の不自由な方、体調を悪くされている方、

妊婦さんが、優先席だろうとなかろうと優先されるべき。

そのはずですが、多いですね、とっても元気そうな10代や20代前半のひと。

驚くのは、座っているとき、目の前の席が空いたとき、

もしくは空いている席を発見したときに、妊婦さんなどに譲ろうとしても、

見事なスピードで瞬く間に座る人影。

若いです。10代やハタチそこそこ。

どういう了見だ? と思うものの、最近物騒ですから注意できない。

モヤモヤした気分。

そんな話を友達としていたら、いました、ツワモノ。

友達の会社の同僚君。

年配の方に席を譲ろうと空けた席に、サッと10代の女の子が座ってしまった。

みると元気そうで、ヘッドフォンをして音楽を聴きながら、

手にした携帯でメールをしている。

頭にきた同僚君。グイッと女の子を引っ張って立たせ、

「おまえじゃない!!」と叱ったそう。

やり方は乱暴ですが、毅然とした同僚君の姿勢に、

「かっこいい~、やるね!」と拍手。

もうひとつ、ハッとした話。

知人の50代の女性の話。

彼女は夜遅くに電車に乗り、空いている座席に座っていた。

そこへとても疲れているように見える、50代とおぼしき会社員の男性が乗ってきた。

彼女はとくに疲れていなかったので、男性に声をかけ、席を譲ろうとしたらしいのです。

男性はびっくりして辞退。

男性の降車駅を聞くと彼女の降車駅より遠い。

自分が疲れていないこと、自分のほうが早く降りることなどを説明して、

「少しでも休んでください」と話したそう。

男性はそれならと安心して座り、やはり相当疲れていたようで、

すぐにウトウトしはじめたとのこと。

これまた、かっこいい感覚。

なるほどなぁと考えさせられました。

元気な50代もいれば、具合が悪くて倒れそうな10代がいることもある。

ケースバイケースの譲り合いが大切なのだと、2つの話でしみじみ思いました。

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2007年1月29日 (月)

変えたいスイッチ

髪型を変えたい。

去年の7月に縮毛矯正して、憧れのストレートロングを堪能。

かれこれ半年以上経つので、若干もとのゆる~い天然パーマが出始めました。

サラサラストレートは約半年の夢かぁとしみじみ。……。半年?

そういえば半年以上髪型を変えていないのだと気づく。

飽きっぽいので、よく髪型を変えます。

「髪は女の命」とよく聞きますが、「私の顔には絶対黒髪!」

という以外はこだわらないので、コロコロ変えます。

胸が隠れるくらいの長さにしていても、朝、「あ、髪型変えたいな」と思えば、

夜には美容室で「ベリーショートにしてください」と言っていることも。

美容師さんに「え、ショートにしちゃっていいんですか」と尋ねられますが、

「? ええ、バッサリいっちゃってください」と。

思いついてボブ、思いついてスパイラル、思いついて姫カット(?)などなど。

天然パーマな上に、美容師さん曰く、前髪の根元に強力なくせがあり、

まっすぐに前髪を下ろすのは無理! らしいので、万年おでこ全開。

また、顔に髪がかからないよう、いろんな形で結い上げていることが多い。

ということで、ここ数年は、あまり極端には変えず、切ったり伸ばしたり程度の、

おとなしいものでした。

が、そろそろドカッと変えたい気分。久々にバッサリ切りたい気もします。

でも、どこまで切りたくなるのを我慢して伸ばせるかに挑戦中なので、

まだ伸ばし続けたい気持ちも。

とにかく髪型を変えたいスイッチが入ったので、どんな風に変えるか、

まだもう少し、ただ伸ばすか、思案中です。

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2007年1月26日 (金)

現実的で、ストレートにスパーン…ノンポエジー

しばらく詩を書いていない。

詩と言っても「ポエジーがない」と指摘されてしまうくらい、叙情性がありません。

指摘されたのが確か22のとき。

言われて自分の書き溜めたものを読み返すと、見事なくらい叙情性がない。

ひとの意見が聞きたくて、ある編集者に読んでいただいたところ、

「硬派ですね」「女性が書く感じではないですね」とのお言葉。

私、女性ですから。どう捉えたらいいのか、考えました。

私が書く詩には乙女チックな感じがない。

載せてはいませんが、恋愛の詩もあります。

間違いなく恋する女の子の、かわいらしい詩、ではないです。

北原白秋や室生犀星のような素晴らしい叙情詩は書けない。

夢のようなかわいらしい世界も書けない。なら、

私はどんなものが書きたい?

考えて考えて出した答え。

「ひと」「人生」「生きる」ということを軸にしたものが書きたい。

女ですから、「女らしい」と感じてもらえるような女性になりたい。

よく聴く女性アーティストたちが歌うような、

「優しく、やわらかく、しなやかで、芯のある凛とした女性」が目標。

文章もそうありたい、と心がけています。

ただ、詩に関しては、

現実的で、ストレートにスパーンと言い切る自分の形が好きなので、

このまま「ノンポエジー」で書こうと思っています。

最近書いていないので、載せるものがない。

ということで、好きな詩を。

井伏鱒二さんが訳詩された漢詩。

『勧酒』

コノサカヅキヲ受ケテクレ

ドウゾナミナミツガシテオクレ

ハナニアラシノタトエモアルゾ

「サヨナラ」ダケガ人生ダ

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2007年1月25日 (木)

かぎっ子日記?

子供の頃、かぎっ子でした。

「ただいま~」と言っても誰もいない。

し~んとした家の中。

音楽をかけて歌ったり、テレビを見ながら突っ込みを入れたり。

よく笑っていた気がするし、思い出してみると、独りの状態で、

なんやかんやと陽気でした。

それでも、お母さん子だったので、夜、母が仕事から帰ってくれば、話がしたい。

小学生のときのこと。

帰宅後、休む間もなく、すぐに夕飯の支度にかかる母の後ろで、おしゃべりを始める。

多少は聞いてくれますが、途中

「うん、今ご飯作ってるから、後で聞く」と当然なります。

晩御飯のときに話をしますが、時間が足りない。でも食後も、大人はやることが多い。

また、母はよく人の相談に乗ったり頼られたりと、いつでも忙しい。

そこで、チビッ子の私が考えたのは、手紙。

といっても大学ノートに話したいことを書くだけ。

毎日ではないですが、夜、手紙を書いたノートを母の枕元に置いておきます。

すると翌朝、私の枕元に返事を書いたノートが置いてあります。

ノートのやりとりなので、手紙というより交換日記。

返事が書かれていると嬉しくて、また書きます。

小学生のときは、そのやりとりが何年も続きました。

かぎっ子ならではの母娘コミュニケーション。

自分が思っていることや考えたことを、文字にして伝える「おもしろさ」の原点は、

ここかなぁという気がします。

何年か前に母が「お母さんの宝物なのよ」とノートを出してきました。

うわっ恥ずかしい!

「なんでそんなものとっとくのよ~」と言うと、

「いいじゃない。お母さんがもらったんだから、お母さんの自由でしょう」と言う。

もらった? 自分がとっておいだだけでは?

「読む?」と聞くので「読まないよ」とお断り。

学生時代の文集や卒論も、読み返すと書き直したくてしょうがないのに、

小学生のときの文は、勘弁して!!

母は他にも、私がプレゼントしたものはみんなとってあるらしい。

みんなって、子供の頃から母の日と誕生日と、クリスマスとを毎年ですよ。

・・・・・・・・・・・・。

嬉しいといえば嬉しいですが、服などは、着なくなったら捨ててもいいのに。

親ってそういうものなのでしょうか。

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2007年1月24日 (水)

ケンカは、断る!

もう、いいです。

私が悪者でいいよ。だから、

ケンカは、断る!

嫌です、ケンカ。意味がないから。

テレビを見ていて、あるタレントさんが、ケンカはとことんする。

身のまわりのひとで、大切であればあるほど、とことんする。

相手をわかりたいし、わかってもらいたいから。

そう言っているのを聞いて、怖いと思いました。

「大切だから」という言葉を使えば、何を言ってもいいと思うことが怖い。

大切だからこそ、言えないこと、言わないこともある。

年齢が上るほど、見極めて距離感を持たないと怖い。

良識、常識のほかに、しっかり相手のバックボーンをふまえて発言する責任がある。

話し合いは、相手を尊重しつつ、自分の意見を述べること。

この人とは、○○は同じだけれど、△△は考え方が違うのだと受け入れること。

それでもうまくやっていける道を持てるように、考えあうことではないでしょうか。

良識の範囲であれば、ひとつの物事に対して、

意見が、考え方が違っても構わないと考えます。

すべて同じなんて不可能ですし。

重要な部分が相容れないならば、ケンカしなくても、いずれ袂を分かつことになるのでは。

ケンカは感情的なもの。違う意見を認めず、自分と同じ意見にしようとするもの。

エゴの押し付けな気がします。ある種の支配欲?

あくまで私の経験上ですが、嫌な思いをするだけで、いいことは何ひとつないのがケンカ。

そのときは、痛いところをつかれても、反省材料になり、自分を、磨くきかっけにもなり、

ありがたいものが話し合い。

感情論ではない冷静な目で話してくれるほうが、愛情を感じます。

ということで、最初に書いたように、ケンカ主義のひとには、

「ケンカは、断る!」という意思表示に、貝になります。

乗る気はない! と。

白状しますと、10代の頃はすごく短気だったのです。

カチン! ときやすかった。自分で言うのもなんですが、口も達者でしたし。

でも、段々意味のない、よくないことだと気づき、ケンカは断る主義に変わりました。

知り合いの中に、「勝つか負けるか」が生き甲斐で、人生のすべてという人がいまして。

ケンカがこの上なく好きで、言葉の攻撃がすごい。

それが苦手で違和感があり、その人を反面教師に「人の振りみて~」ということで、

ケンカ拒否へ。

徹底的に、「ケンカは、断る!」

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2007年1月23日 (火)

見すぎちゃったら、ごめんなさい

一瞬、驚きました。

昨晩、ココログの急なメンテナンスで、アクセスできず。

自分が操作を間違えたのか、パソコンの不具合かと焦りました。

今日の話ですが、無自覚の悪いくせを。

人と話をするときは、相手の目を見て話す。

これは普通。

目や顔の表情を見ていれば、何を考えているか、話の内容が伝わっているか、

疑問はあるか、など感覚がつかめる。

コミュニケーションに大切ですよね。

また、相手の話を聞いているときに、下を向いていたり、余所見をしていたり、

つまらなそうな顔をするのは、思いやりのないマナー違反。

ただし、いくらコミュニケーションといっても、見すぎはいけない。

ときに、圧迫感を与えて、キツイ印象になることもある。

ということで、要所要所で相手の目を見て、相手の反応を確認するくらいが、マナー。

そのことは認識していたつもりなのに。

「目、悪いの?」と知り合いに聞かれたことがあります。

???

目? 両目1.5ですけど?

100m近く離れた駅のホームで、電車に乗り込んだ友達を発見して、

ブンブン手を振って、気づいてもらえず、恥ずかしい思いをするくらい、目いいですけど?

「相手によっては、いらぬ誤解を招くよ」

なんのことやら話を聞くと、どうやら私、

話している相手の目を見すぎているらしいのです。

よくないですね。

指摘を受け、人と話をしているときの自分を客観的に観察(?)してみると、

見ています、じっと。

見知った人でも、初対面でも関係なく。

入ったお店の店員さんと話すときでも。

注意されたのが去年の春頃。

以来、「見すぎ注意」を心がけ、直してきました。

時々、話に熱中して忘れ、じっと見てしまうこともあるかもしれません。

そのときは、ごめんなさい、ということで。

しかし、誰だろうと、話す相手をじっと見てしまう悪いくせがあるくせに。

素敵な男性だと、恥ずかしくて、じっと見れない…。

持ち主(私)思いじゃない目だなぁ。

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2007年1月19日 (金)

からすの勝手でしょ~?

昨日、真剣に「教養」について思うことを書いたのに。

なんだかふざけたタイトル。

おぼろげな記憶ですが、小さい頃、テレビで志村けんさんが、

「か~ら~すぅ~、なぜ鳴くの~、からすの勝手でしょ~」と歌っているのを

聴いたことがあり、「うん、確かにからすの勝手だよなぁ」と納得した覚えが。

チビッ子の私は、本当にそういう歌があるのだと思っていました。

小学生時分のある日、母が『七つの子』を歌っているのを聴いて、

別バージョンの歌があるのか。あるいは、よく即興で歌を作って歌ってくれていたので、

その類かと思い、尋ねてみました。

母は衝撃のようでした。

この子は童謡を知らないの?! と。

『赤とんぼ』『しゃぼん玉』『小さい秋見つけた』『春の小川』などなど、

スタンダードなものは学校で教わった気がする。

でも、それほど数は多くない。

なんて悲しい時代なの! と嘆く母。

童謡は詩が、メロディが素晴らしい。叙情的で情緒があって。

美しさがあって、と力説。

それからは、私に童謡を覚えさせようと思ってか、いや、

他にもシャンソンやビートルズも歌っていたので、たぶん、

単に自分が童謡を好きだからなのでしょう。

家でよく童謡や小学唱歌を歌っていました。

おかげでかなり多くの歌を覚えました。

今まであまり考えたことありませんでしたが、童謡の詩を思い浮かべてみると、

確かに叙情的で情緒に溢れ、言葉が美しい。

母や伯母、叔父の会話から考えると、私が子供の頃は、

すでに童謡を聴く機会も、知っている曲も少ない。

今の小学生はどうなのだろう。

童謡の詩が書かれた時代の美しい風景が減ってきている今、

それが歌われたものまで聴く機会をもてないのは、さみしいかも。

そういえば、東京で育った友達は、家の周りが自然だらけの所で育った私を、

うらやましがっていました。

「いいな~、私、田舎暮らしに憧れてるの~!!」

そう語る表情や口調は、かなり自然に飢えているんだ、と感じるものでした。

童謡の詩。世界。もっと知りたいな、探ってみたいなと思うこの頃。

まずはCDを買って聴いてみようかなぁ。

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2007年1月18日 (木)

教養を考える

愛用の辞書・大辞林によると、

教養

①おしえそだてること。

②社会人として必要な広い知識。またそれによって養われた品位。

③単なる知識ではなく、人間がその素質を精神的・全人的に開化発展

    させるために学び養われる学問や芸術など。

文化。やはりひとによって重要なものなのですね。

辞書の説明の通りに受け取って考えてみると、教養のあるひととは、

文化に関心があり、知った知識で自分を磨き、品格を身につけたひと。

社会人としてということは、社会を見つめる目を、意識をもっているということ。

必要以上のお金至上主義。あっさり起きすぎる殺人。政治・環境問題への無関心。

比較・勝ち負け(優劣)シンドローム。

企業最優先でひとが軽んじられる構造。

世相、ニュースや社会問題を見て考えると、「教養」が見えない。

学問で考えれば、大学まで出ているひとは多いし、現代は小さいうちから

「英才教育」花盛り。「教育」水準は決して低くない。

なのに、教養や品位は…。

大昔の日本は、諸外国から憧れられる文化的で教養のある国だった、

ときいたことがあります。

口で品格とか美とか言うだけでなく、大仰なことではなく、日本全体で、

教養というものを見つめるべきでは、と思います。

自然を愛し、芸術を愛し、文化を育む。

殺戮を拒絶し、平和を願い、日常を慈しむ。

社会、地域でみんなが「思いやり」を持ち合って生きる。

そうなっていけたら、と思います。

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2007年1月17日 (水)

ま、まぶしい場所

身近な素敵な大人紹介。

たびたび登場する「幼なじみ~ズ」のひとり、Cちゃんのご両親。

おふたりは、今でも仲良くディズニーランドでデートするらしい。

おじさんは、Cちゃん姉妹のベッド、勉強机、犬小屋を日曜大工で作り、

リビングに飾られている絵もおじさん作。

中学生のとき、遊びに行ったときに、リビングの前を通過しようとすると、

ドアが開いており、中でフォークギターを弾いているおじさんと目が合った。

「おじゃまします」と挨拶すると、ガバッと立ち上がり、正しい姿勢で

「いつも娘がお世話になっています」とお辞儀。

びっくりです。中学生の私に、なんて丁寧な挨拶!

おばさんは、Cちゃんと私がリビングでお茶を飲んでいると、

買い物から帰ってきて、「あ、おばさんも一緒にお茶飲も~♪」と、

ちょこんと座る。なんともチャーミングなひとです。

いつお会いしてもいわゆる「おかあさん」という感じで、

それゆえのかわいらしさを失わずに放っていらっしゃる。

以前、家族でキャンプに行くというCちゃん一家。

一緒に来ないかと誘われました。「お父さんがおいでっていってるよ~」

「一緒に行こうよ~」と。

絵に描いたようなアットホームな家族。

ま、まぶしい! まぶしすぎてつい、

「ありがとう。でも家族水入らずで行ってきなよ~」と断ってしまいました。

私、キャンプって行ったことがないので、いけばよかったと、後々後悔。

もったいないことしたな~!

Cちゃんのご両親は現在、第二の人生で、高齢者のための仕事をしています。

きれいごとだけではできないことです。

あたたかい方たちだと思っていましたが、本当に頭が下がります。

尊敬するウェルカムエイジングな美人さんご夫婦です。

あたたかいご両親の愛情を受けて育ったCちゃん。

私と逆で、とっても丈夫な健康優良人。パワフルに生きています。

いつ会っても、「久しぶり」の前に「大丈夫?」と聞いてきて、気遣ってくれます。

握力のない私は蓋や袋を開けるのに、時間が掛かります。

そんなとき、何も言わずにサッと開けてくれます。

人ごみを一緒に歩いていると、つい遅れてしまう私をさりげなくフォローしてくれます。

Cちゃんの繊細さとひとのよさは、ご両親の愛情あってのことだとしみじみ思います。

まさに、相田みつを氏言うところの「育てたように子は育つ」。

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2007年1月16日 (火)

備えなくて、アタフタ

喪服。

学生の間は、制服で参列するから特に揃えておかなくても、問題はない。

けれど、卒業して社会に出たら、必需品。

19の秋、祖母が他界したときは困りました。

まだ成人していなくて、祖母も元気で亡くなると思っていなかった。

喪服のことなど全然頭になかったので、持っていませんでした。

亡くなったと知らせを受けて、アタフタと駆けつける身支度。

当面の着替えと、母の喪服。数珠。黒のストッキングにパンプスなどなど。

あれ? 私は何を着ればいいの?

その頃、好んで明るい色目のものばかり着ていました。

地味な平服がない!

なんとか地味な平服になりそうなものは、黒のニット上下。

ニットかぁ、でも他にないからしょうがないか。後で考えよう。

(本来、ニットはカジュアル過ぎるので、平服といってもふわしくありません)

結局、駆けつけてから考える時間などなく、そのままニットで通夜、葬儀。

親戚はみんな「いいよ。大丈夫だよ」「まだ子供なんだから」

と言ってくれるものの、ばつ悪かったです。

19って「いいよ」の範囲の年齢かしら? と。

葬儀後、これからも必要なものだからということで、買いに行きました。

作法、ルール、しきたり。

いろいろあります。意味があります。大切なことだと思います。

が、何もかもきっちりかっちり、完璧にしなければならないことだとは思いません。

マナーでいちばん大切なのは「思いやり」ですから。

ひとを不快にさせない、相手を思う姿勢。

それを示すために、かちっと完璧でなくても、知っておくべきは身につけ、

用意できるものは、用意しておく必要はある。

それをしみじみ実感する失敗談でした。

知り合いのお通夜で、トレーナーにジーパン姿でお焼香にきた人を見たことがあります。

通夜は訃報を知り、駆けつけるものですから、

喪服がすぐに用意できなければ、地味な平服でかまわないのですが。

平服ならなんでもいいわけではない。

そのひとは、よほど慌てて動揺していたのかしれませんが。

最低限の備えは、大切です。

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2007年1月15日 (月)

忘れていた初詣にて

お正月、三が日は家でひたすらのんびり。

軽い運動やストレッチはしましたが、後はたら~ん、のほ~ん。

そんなお正月でした。

忘れている。なにか忘れている。

初詣に行っていない!

三が日は逃しましたが、松の内の間に行ってきました。

住んでいるところの近くにある神社やお寺にお参りするべき、

と聞いたことがありますが、好きなところへ行きたい。

ということで、浅草寺でお参り。

お清めをして、参拝。去年買ったお守りをお返しして、新しいお守りを購入。

そして、おみくじ。

数年前に初詣で凶を引き、去年は、ほうずき市で凶を引きました。

2度あることは3度…。おみくじの入った筒を、いつもはあまり振らないのですが、

恐怖でじゃらじゃら振ってから、いざ!

吉。

ホッとして、思わずガッツポーズ。

安心して久しぶりに、観光客でごったがえす仲見世を堪能。

ちょくちょく来ているのに、仲見世はめったにのぞかないことに気づき、

じっくり見て回りました。これからきっとよく来るだろうな、

というお気に入りのお店を2軒ほど発見。

ほしかった文香、懐紙、便箋を購入。

ささやかな金額でも、買い物をすると嬉しくなるのはなぜなんでしょう。

買った後、袋から取り出して眺め、もう1度嬉しくなり、ニコニコ。

その後、両国へ移動し、江戸東京博物館で、江戸城展を見て帰宅。

遅い初詣は、歴史を学んで終了。

とにもかくにも、おみくじが吉でホッとしました。

志を胸に、懸命に励め、とのことなので、励まねば!

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2007年1月12日 (金)

魔法はないけれど

時間は凄い。

時間は、ひとを美しくすることができる。

時間は、哀しみを消し去る魔法はないけれど、寄り添ってくれる。

哀しみを受けとめることができるまで、哀しみを自分の一部にできるまで、

黙って時を刻みながら、じっと静かに、寄り添っていてくれる。

決して過去へは戻してくれない頑固さが、凄い。

ただ戻してくれないだけではない。

代わりに、どんな出来事もやわらかく包み、過ぎたことは「思い出」、

笑ってそう思えるようにしてくれる。

そんなやさしさを持っている。

『空と海の境目 朝が映すように

 胸の闇に 陽がさすまで 時がたつのを待ちたい』

薬師丸ひろ子さんのアルバム『LOVER’S CONCERTO』に収められている、

大好きな曲『さみしい人にならないで』の歌詩の一部です。

時間の持つ凄さ、やさしさが、情緒たっぷりに表現されている。

この曲を聴くと、詩に描かれているような女性になりたいと思うと同時に、

先述の歌詩を聴いて、元気になります。

自分の状況が良かろうが悪かろうが、時間は進む。

どっちだろうと、過ぎれば思い出。

ま、とりあえず、お天道様浴びて笑っときますか、もったいないから。

くらいの気分になれます。

時間が脅威になることもありますが、それもひっくるめて、

うまく時間と付き合い、味わって生きたいな、と思います。

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2007年1月11日 (木)

悲惨なモチーフ…

学ぶことは楽しい。今は。

子供の頃は嫌いでした。特に理数系は苦手で。

先日観たドラマで、主人公の少年が勉強しているシーンを見て、

ふと思い出したこと。

小学生のとき、算数の宿題がわからなくて、母に教えてと言うと、

「ご飯をつくってるから、お兄ちゃんに教えてもらいなさい」と。

しぶしぶ教えてくれる兄。

説明されども、説明されども、わからない私。

たぶん、観たいテレビがあったのだと思います。

イラッとし始める兄。

おもむろに私からシャーペンを取り上げ、一気に解きます。

あっという間に宿題終了。

「これ、出しちゃいな」と渡され一件落着、と思った瞬間、鋭い視線。

運悪く(?)母が台所からやってきていたのです。

「お兄ちゃんが解いてどうするの!!」

答えはすべて消され、1からやり直し。

「たとえ0点でも、自分で頑張ったならえらい。けど、

人にやってもらっていい成績とるのはダメ! なら0点取りなさい!」

と、きつ~いお説教を受けました。

宣言どおり、成績が悪くても叱られたことは1度もありません。

自分でやるべきことを自分でやりさえすれば、ダメでもいいんだ(?)と、

都合よく解釈して、インプットされた頭。

中学生のとき、家庭科で編み物の授業がありました。

料理には自信がありますが、恥ずかしながら、編み物、できません。

10センチ程度の正方形のモチーフを編む課題にパニック。

とっても編み物が得意な友達に教えてもらうも、できずにイライラ。

できていくモチーフは惨憺たるもの。

見かねた友達がパパッと作り上げ、

「これあげる。もう十分がんばったよ。これ出しな」と渡してくれましたが辞退。

自分でやらなきゃと悲しい姿のモチーフを提出。

悲しい採点でした。

そんな苦い思い出を、以前、地元の友達に話したら、

「あ~、あんなのお母さんに作ってもらって出したよ」

みんなウンウン頷く。

あれ~? みんな?

チラッと、友達が作ってくれたモチーフだせばよかったなぁ、なんて思ってしまいました。

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2007年1月10日 (水)

2007年、初美人

「すごく、いい話だよ」「素敵だよ」

本を読んだ人にそう聞いていて「へえ~」とは思っていたものの、

読んでいなかった本。

『佐賀のがばいばあちゃん』。

読まないうちに1月4日、ドラマを観ました。

今年最初のウェルカムエイジングな美人は、がばいばあちゃんです。

彼女には虚栄心がない。ひとが卑屈になってしまうようなことも、

小気味よく、鮮やかに、プラスに捉える。

愛情深く、ユーモアがあり、生きていくたくましさに溢れている。

母親の代わりに、孫の昭広に対して、どんな教師も太刀打ちできない、

宝石より輝くことをたくさん教える。

ばあちゃんは、次々にかっこよすぎる名言連発。

衝撃でした。

とにかく描かれているエピソードがどれも素敵。

なんて美人なばあちゃん! すごい! 目からウロコ満載。

そういうばあちゃんに育てられた昭広(島田洋七さん)も美人。

学校の先生も、お母さんも、お豆腐屋さんも。

2時間半のドラマの中で、出てくるひとが美人さん大集合で、目からウロコだらけ。

新年早々、すばらしい授業を受けた気がします。

早速本を購入。といってもまだ読んでいませんが。

これからじっくり、噛みしめながら読んで、素敵な教えにあやかり、

ゆっくり時間をかけて、ドラマで観た美人さんたちのように、なってゆけたらと思います。

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2007年1月 9日 (火)

正座のしびれをどうするか

欧米か!

が冗談ではなく、正座が苦手な人は多い。

現代の住宅は和室が少ないようですし、習慣がなくなっているのでしょう。

着物姿の人は正座が平気だと思っていました。

しかし、しびれに苦しむ人、意外と多い。

仕事で着ている人は慣れていると思いますが、趣味で着ている人は、

必ずしも慣れているわけではないようです。

「大丈夫ですか」と声をかけると、無理と言いたげに首を振るのが、

精一杯の人もいらっしゃいました。

苦手な理由は「しびれるから」「疲れるから」が多いでしょう。

旅先で出会ったブラジルの方は、和食は素晴らしい。大好き。

でも、正座が…。痛い。

そう言って肩をすくめていらしゃいました。

私は自室が和室で、子供の頃から食事もリビングで椅子に座ってではなく、

ローテーブルに正座。

長時間だったり、体調が悪いと多少しびれることもありますが、

基本的には苦痛がない。

「なんで? コツは?」と聞かれても、「たぶん、慣れ」としか答えようがない。

で、推測なのですが、正月に時間があったので実験してみました。

①姿勢を正す。身体を丹田(おへその少し下あたり)で支えるよう意識する。

 肩の力を抜く。両足の親指を軽く重ね、上下を時々交代する。

②猫背。

③猫背でさらに、疲れないよう、足にかける重心を、

 左右交代交代にする(身体が左右どちらかにやや傾く)。

①、②、③を20分ずつ試しました。

①より、②、③の方が疲れる。そして、若干しびれました。肩もこりました。

①は丹田で身体を支えるのに対して、②、③のように猫背でいると、

丹田には力が入らないので、身体を支える負担はすべて足にいく。

だから足がしびれるし、血が滞って、肩がこるのではないかと。

正座が苦にならない方法は、慣れだと思いますが、習慣がない人。

それでも法事などの必要に迫られるときは。

そう長時間ではないと思うので、①の姿勢での正座をお勧めします。

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2007年1月 8日 (月)

駅での人びと

少し前、用があり表参道へ行ったときのことです。

駅で、切符の自動販売機の前に立っている女の人が、

くるっと振り返り、私を発見。

私に向かってニコッと微笑みます。

笑顔を向けられたので、パブロフの犬よろしく、

条件反射でニコッと微笑み返しました。

すると、「厚木に行きたいんです」と仰る。

はい? 厚木? 神奈川県の?

その方は自販機の画面を指差し、「値段が出ないんです」と訴える。

最近の自販機ってややこしいですよね。

~線、~経由と、あれこれ表示されていて。

料金表で厚木を確認。値段は忘れましたが、

画面には厚木より手前までの値段しか表示されていない。

画面の一番下に、小さく出ている「次へ」を押し、

厚木までの料金を示して差し上げました。

お礼を言われ、笑顔でお別れ。

ひとと笑顔を交わすのは気分がいい。お役にも立てたし。

しかし、気をつけないと危険もありますね。

勧誘とか、ナンパとか、怪しい団体とか。

毅然とした態度で自己防衛しないと。

「手相を見せてもらえませんか」は、時々遭遇します。

立ち止まらず、返事をせずに手を振って嫌だと意思表示。

1度、「手相を~」と言われて「NO」を示した2分後くらいに、

別の人に「手相を~」と言われ、カチン。

あからさまに不快な顔で、声を低くして、「嫌です」と少々きつめに言い放ちました。

すると、ビクッと怯えて立ち去っていきました。

ちょっときつすぎたかな、と思いましたが、

このくらいの自己防衛が必要なこともあるんですよね。悲しいけれど。

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2007年1月 5日 (金)

あけましておめでとうございます

ひたすらのんびり。

三が日は、徹底してのんびりしていました。

今回、親戚と都合が合わず、新年の挨拶は、2月に行くことに。

ということで、従姉のところのチビちゃんズには会えず。

用意していたポチ袋は出番なし。ちょっと寂しい…。

日頃あまり睡眠時間が多くないので、元日はひたすら睡眠睡眠。

2日は本を読んだり、音楽を聴きながらぼんやり。

3日は貧血のため、「安静に」箱根駅伝を見ていたのですが、

気づくと立ち上がっていて、1校ゴールするたびに拍手していました。

3日の夕方、大晦日の夜に書いた、2007年の目標を読み直し。

気合を入れて真剣勝負でがんばらないと、達成できないことから、

些細なことまで結構多く書きました。

「キレイな字が書けるようになる」なんてことも、書いていました。

いくつ、成し遂げられるかわかりませんが、新たな1年、がんばっていきます!

今年もなにとぞよろしくお願い致します。

皆様にとって、良き1年になりますよう、お祈り申し上げます!

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