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2006年12月30日 (土)

遠い道のり、自分のペースで

言うべきは言う。

その上で、あたたかく、やわらかく。

そんな風に話がしたい。文を書きたい。それが理想。

でも、未熟ゆえ、「怖い」「言い方がキツイ」と言われてしまうことも。

伝えたいことがあり、熱が入ると、ついきっぱり言いすぎてしまう。

伝えることを、やわらかく、しかも凛と表現できたら。

中尊寺で拝見した仏像の数々(すみません、また例えが趣味)。

たおやかで、慈愛に満ちていて。包み込むようなあたたかさを放っていらした。

お美しい。

少しでもそんな風に話ができたら、文が書けたら、と思います。

女性としても、大好きな白いバラや、白木蓮のように、いつかなれたら。

「基本、熱い女だからね」と、まわりに言われるような人間。

道のりは遠いですが、来年もカメの歩みで、自分のペースで、

揺れたり迷ったり、悩みながら、もがきながら成長できるよう、がんばりたい。

年明けの更新は、5日。もしくは8日から、の予定です。

来年もご覧いただけたら、嬉しいです。

皆様、よいお年をお迎えくださいませ!

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2006年12月28日 (木)

あっ、お母さん、飛んだ

思い出は。

家でのんびり過ごすお正月、が多い。

子供の頃のお正月は、母親と凧揚げや、カルタ遊びなどをしました。

1度、小学校の校庭に凧揚げをしにいったら、何人かの子供たちが凧揚げに来ている。

大の子供好きの母。

気づくとその子供たちの中心にいて、凧揚げのコツを伝授している。

グングン、グングン。

凧、乗りすぎ。

母、一瞬浮きました。グイッと凧にひっぱられて、ピョンと飛んだのです。

「あっ、お母さん、飛んだ」

そのままコテンと転倒。

「おばちゃん、大丈夫?」とみんな駆け寄ります。

「大丈夫、大丈夫。揚げすぎるとこうなるから、ほどほどにね」

と、笑います。

いや、お母さんがほどほどにね。

普段から、ノリのいいひとですが、何も風に乗らなくても。

毎年、思い出して、「お母さん、風に乗ってたね。メリーポピンズだね」

と、からかうと、「もう、それは言わないで!」と苦笑い。

そういえば、いつから凧揚げってしなくなったのかしら。

ちょっとやってみたい気がします。

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2006年12月27日 (水)

大晦日の矢吹ジョー

来る年をよい形で迎えたい。しっかり1年を締めくくりたい。

ということで、年末は何かと気ぜわしい。

バタバタ、バタバタ。

さて、お正月と言えば、おせち。

子供の頃、母が大忙しで動き回りながら、おせちを作っているのを見て、

大変だなぁと思っていました。

ハタチのお正月、ふいに思い立ち、

「ハタチになったし、おせち、来年からは私が作るよ」と宣言。

以来、毎年作っています。

料理は習慣ですから、面倒だと思ったことはないですが、

おせちは疲れますね。

傘の上に枡を乗せて「いつもより多く回っております」ではないですが、

きっと「いつもより(無駄に)力が入っております」状態だと思います。

29日にどっさり買出しをして、下準備。30日はおせち作り。

31日の午前中に黒豆の仕上げをして終了。

お昼には、明日のジョーの如く、ぐったり燃え尽きます。

煮物系はいいのですが、栗きんとんに使うさつまいもの裏ごしに、

主に力を奪われます。

筋肉、つけたい。

日常で取り立てて困るわけではないので、後まわしにしていて、こういうときに後悔。

そして、よし、筋トレするぞ! と決意するのですが…。

来年はするぞ! たぶん。

話が脱線しましたが、別にいまどき、おせちなんて作らなくてもいいんじゃない?

という人もいます。

時々、そうだよな。今はお正月もスーパー開いてるし、と思います。

今年は作らなくてもいいかな、と考えることもあります。

でも、おせち料理には、それぞれ、「まめに暮らせる」「先を見通す」「喜ぶ」

など意味がある。

次の年を良い年にしたいな。

そう思うとやはり作ろうと。

今年も31日のお昼に燃え尽きて、2時間くらいゆっくりして、

それから来年の目標をまとめる、予定です。

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2006年12月26日 (火)

言いたいことは、本人に

人前では泣きたくない!

でも、本来、涙腺が弱く、泣き虫。

人前で泣きたくない。自分のことで泣きたくない。

と、頑なになったルーツは、中学生のときにありました。

中学3年間、テニス部。

テニスが好き。部に友達も多い。楽しくて休まず励んでいました。

うまくないので、レギュラーにはなれませんでしたが、部活は楽しい。

ダブルスのペアは、うまい人から先生が決めます。

私がペアを組んでいた人は、部活が嫌いでほとんど出てきません。

先生は彼女が苦手らしく、注意もしませんでした。

3年生の夏、大会が終われば引退。

レギュラーではない私は、大会前、隣の中学との練習試合が締めくくり。

危惧していたとおり、ペアの人はまったく動いてくれません。

1セットと2セットの間に先生のところへ戻るのですが。

先生、いきなり私に怒り出します。

「やる気あるのか!」「相手に失礼だ!」「最低だ!」

下手なのは自覚しています。いいです。しかし腑に落ちない。

試合は負けて終了。

これが3年間の締めくくり。やるせない気持ち。

何より、部のみんなの「気の毒」「かわいそう」という視線がきつい。

幼なじみのCちゃんもテニス部。そばに来て、そっとポンポンと肩をたたく。

もうダメです。

ドバーッと涙が出てとまらない。

それを見た別の友達の声が聞こえます。

「ひどいよね」「許せない。先生呼んできなよ!」

友達が私に対する先生の態度に抗議してくれたようで、

大慌てで先生が飛んでくる。そして、

「ごめんな! 違うんだよ!」

「先生、おまえに怒ってたんじゃないんだよ」

「○○(私のペア)を見たくなかったから、おまえの方を向いてただけなんだよ」

「先生、おまえが3年間、毎日休まず、一生懸命練習してたの知ってる!」

「おまえの3年間をこんな形で終わらせたくない」

と、言います。

何それ、先生。大人気ないよ。そんな理由で私は泣いてるの?

最低だって…八つ当たり? 身代わり?

そう思ったら悔しくて、涙、パワーアップです。

先生、どうしたらいいのかわからなくなっています。そこへ。

これまたテニス部在籍、幼なじみのYちゃん。

プラプラと歩き回っていたのが、ご帰還。私を見つけて、

「あれ? 何? 泣いてんの? なんだ? どうした?」

先生にとって、助け舟です。私を指差し、

「Y。おまえ一緒に試合に出てこい!」

本当はレギュラーの調整のためにとっておいた練習試合のラスト1を、使います。

事情をなんとなく察したYちゃん。私を励ましながら試合。

先生が「Yは本気を出したら伸びるのに…」と言ったことがありますが、

本当はうまいのに、楽しければいい、といつも手抜きをして、

私と笑いながら練習していたYちゃん。

そのときばかりは本気でやってくれたので、初勝利を得ました!

先生の行動により、号泣しましたが、結果的にはいい思い出。

しかし、後々、人前で号泣したことが恥ずかしくなり、

もう2度と人前で泣きたくない! と頑なになったのでした。

言いたいこと、聞きたいこと、伝えたいことは、本人に言わないと。

誤解が生じたり、無駄な争いが起こったり、信用を失うことだってあると思います。

当事者以外に聞いたりすると、噂好きと思われるかも。

悪口にとられることだって。

そのことを、先生が反面教師になって(?)示してくれたと思っています。

以来、「言うべきは、本人に言わないと危険!」と心にとめています。

しかし、対戦相手だった、隣の中学の子は、不気味だったでしょう。

試合中、私は、涙をとめることができなくて、ずっと泣き続けていましたから。

なぜ、あの子は泣いているの? と。

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2006年12月25日 (月)

ありえな~い!

土日に友達が集まって、クリスマスパーティ。

全員が揃うのは1年ぶりでしたが、3歳、4歳、6歳からの付き合い。

時間による違和感はまったくありませんでした。

ひとづき合いっておもしろいですね。

相手のことを知っているつもりでも、時が流れればひとは変わる。

意外な面を知ったり、新たな発見があったり、変化を感じたり。

ここまで知ったら完成ということがないから、飽きない。

友達に限ったことではなく、さまざまな関わりで、そう思います。

あれこれ話をしていて、具体的には言わなくても、聞かなくても、

それぞれにいろいろあり、今、とても揺れる時期にいるんだな、と実感。

全員の共通点として、シリアスにしているのが苦手。

大変だよね~、とまとめてしまうのも、なんだか…。

ということで、私の発言に、Yちゃんがつっこんで、笑って他愛ない話へ移行。

趣味嗜好、生き方などが、バラバラな4人。

何気なくつけたテレビに細木数子さんが出ていたことから、

「何星人?」という話に。

やはり全員バラバラでした。

私は、今年あれこれ学んだことを元に、来年頑張れば、答えが出るらしいので、

「がんばらなきゃ」と言うと、「具体的には?」とYちゃん。

考えてはいますが、年越しそばを食べるまでに、

しっかり来年の計画をまとめようと思っており、まだまとまっていない状態。

俄かに言うのも、適当に言うのも、どうかと思い、面倒なので、

「ノープラン」と返すと、「…ダメじゃん(笑)」と。

その後、プレゼント交換。

過去に、プレゼントに笑いを足したことがあるので、Yちゃんが、

「プレゼントに、笑いはいらないよ」と警戒。

大丈夫です。まじめに選びました。もうしません。

交換の方法は、あみだくじ。

去年、Cちゃんが書いたあみだで、CちゃんのプレゼントがCちゃんへ、

になってしまい、やり直しました。

そのことを思い出して、あみだの準備をしながら笑っていると、

Cちゃんが「出来た!」と言うので、場所を決めて開始。

なんと、今年、YちゃんのプレゼントがYちゃんに。

「ありえな~い!」と笑って、Mちゃんが、あみだ書き直し。

すると、今度は、MちゃんのプレゼントがMちゃんに。

ええ~!

今度は、Yちゃんが書き直し。

なんと。

CちゃんのプレゼントがCちゃんに。

「なんなの、もう~」と全員爆笑。

次に私が書いたあみだでは、なんとか自分行きを回避。

無事、全員に行き渡りました。

あみだくじが、こんなにハードで、難しいとは。

まあ、3連続ミラクルのおかげで、かなり楽しめました。

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2006年12月22日 (金)

恐怖のシンキングタイム

昨日の夜、23時過ぎに更新しようと思ったら、なんだか画面がおかしい。

また、パソコンの故障かと怯えたら、ココログのメンテナンスの問題だったようで。

遅くに直ったようですが、睡魔に従って、更新を今日にまわし、眠りました。

強面のひと。怒鳴り声をあげるひと。

特に怖くないです。ムッとするだけ。

(あ、怒鳴った。怒鳴ったら怖くて思い通りになると思ってるんだ)

と、スーッと気持ちが引く。威嚇されても、納得できなければ、

「うん」とも「はい」とも言いません。

むしろ怖いのは、静かなひと。

後ろめたいことがなくても、なんとなく、ミスをしないようにしなきゃとか、

私、おかしなところはないかしら? と自分の内外を頭の中で点検したりと、

オタオタしてしまう。

なぜかしら? と考えてみると、子供の頃の環境にありました。

怒鳴り声、は置いておいて、静かなひとが怖いわけは。

母の叱り方にありました。

普段はノリがよくて、おもしろい人ですが、私がよくないことをしたときには…。

まず、低く、静かな声で名前を呼ばれます。(叱られる合図)

「お母さんが、何を言いたいか、わかる?」

原因をわかっているときは、「~~だから」と、自分が叱られている理由を言うと、

「わかっているのに、なぜやるの?」ときます。

答えられるわけないですが、話をしなければなりません。

わかっていないときは、「わからない」と答えると、

「考えてごらん」と、私自身に行動を振り返らせます。

シンキングタイム、スタートです。

その間、母はこちらの答えをじっと静かに待っています。

3つ、4つの頃からです。

まずは自分で考える。出した答えに補足が必要なら、母が説く。

こら! バチン!

で、痛い! ムカッ! なら、駄々もこねられたのですが、

今まで、母に手をあげられたのは、すごく聞きわけがないときや、

ここはきっちりわからせておくべきと、母が判断したときだけ。

しかもほんの数回だけ。

ある程度の年からは、叱られても、うまく自己主張する術を身につけ、

反論するようになる。そうすると、我が出て、ムッとすることもある。

でも、小さい頃は、その余裕がないので、低い声で呼ばれたときの、

シンキングタイムは恐怖でした。

もうひとり、兄。

怒鳴り声を聞いたことがない。怒られたことがない。

私が10代の頃。頭にきたことがあって、母にバーッと話して聞いてもらっていると、

静かな口調で、「そんなに怒ると身体によくないよ」。

少々キツイ口調で冷たいことを言うと、「ダメだよ、そんなこと言っちゃ」

「なんでそんなこと考えるの」と、静かに悲しそうに言う。

カリカリしていた心がしぼみます。とっても悪いことをした気分になり、

自分を省みるシンキングタイムに入ります。

それを見て母が「あはは、猛獣使いとライオンみたい」と笑う。

ライオンって、私? 女の子に失敬な! 確かにしし座だけど、と思いました。

こんな環境だったので、静かなひとには敵わない、と思う。

静かなひとに出会うと、コソーッと襟を正すように、

なで肩のなよっちいライオンは、調教されました。

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2006年12月20日 (水)

変わり続けることは、いいことだ

極自然なことだと思うのです。

心や身体が変わっていくこと。

ひとそれぞれ、自分の中の基本軸はあると思うので、そこは持ち続けて変わらない。

もしくは、変われない部分だとしても。

望む望まないにかかわらず、ひとは変わっていく、そう思います。

内面では、環境、出会う人との関わり、起こる出来事などで、

いろいろなことを感じ、知り、思考して、変わっていく(成長していく)。

10代の私が、今の私の考えを聞いたら、おそらく「え~」とブーイングする部分も

多々あると思います。

時を経ての自然な変化ですし、今の自分のほうが好きなので、

昔の私に返すのは、「まあまあ。いいんじゃない。今はブーイングで」

と、余裕の笑みです。

身体も、歳ごとに変化する。

現代人は、自然体という言葉が好きなのに、なぜ心身、

特に身体の自然な変化は拒絶するのか。悪しきものとするのか。

例えば、20歳と40歳で、変化がなかったら、怖いです。ホラーチックで。

元々、若さ=美しさと考えていなかったので、ハタチくらいときも、

同年代のひとより、年配の女性が脅威でした。

横に並びたくない。絶対見劣りする。

女として、まだまだ未熟だと思い知らされる、そう思って。

今もそうです。自分より若い女の子より、自分の倍の年齢の女性のほうが怖い。

変化にのまれず、変化を楽しんで血肉にしていった、魅力を放つひと。

太刀打ちできるはずないですから。

最近、鼻の頭にうっすらソバカスができているのを発見。

ハタチのときにはなかった。

以前は疲れても、目の下にクマができることはなかった。

今は、体調が悪いと出るようになったと気づく。

10歳くらいから、いつも目の前の問題にアップアップだったのが、

そういう変化を楽しめる状態が愛おしくて、自分が嬉しくて。

鏡のソバカスを見てニコニコ。

あ~、私、それだけ歩いてきたんだな、がんばったんだな、と。

(すみません、自分好きで)

さて、これからも歳を重ねていく。まず、目指せ、素敵な充実した30代。

そして、この先、以前私が感じたように、私が40代、50代になったとき、

ハタチの女の子が、気後れするくらいの女になりたい!

というのは、夢の1つです。

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2006年12月19日 (火)

マナー失敗談

過去にやってしまった日常のマナーの失敗。

1.携帯電話

友達と遊ぶ約束をした前日。

「明日、○時に△駅改札だよ」とメールが届く。

納得して、あれこれと雑事を済ませ、翌日の支度をして就寝。

・・・・・・・・・・。

大事なことを忘れているのです、私。

待ち合わせ場所で、怒られます。

「なんで返事がないの?」

???

返事? 「はい」とか「うん」とかのこと?

「え?」

「メール! 返事がないと、届いているのかいないのか、

都合がいいのか悪いのか、わからない!」

ごもっとも。やってしまいました。気が抜けすぎです。

返事は大切ですよね。

2.別れ際の余韻

今は、大切にしていますが、ハタチそこそこの頃は、余韻のない子でした。

ひとと会ったとき、「じゃあ」とか「バイバイ」と言ったらそこまで。

見送る側のときは、何度か振り返る相手に、よく振り返る人だな。

寂しがりなのかな、なんてピント外れなことを思ったり。

あるとき、ドラマを見ていて、ひととの別れ際の自分を振り返ってみて、気づく。

とても失礼なのではないか。情緒がないのではないか。

「余韻」というものがあるでしょう! と。

慌てました。焦りました。これまでの自分が恥ずかしくなります。

恐る恐る、周りに聞いてみる。

「ああ、確かに。ちょっと寂しいよね」

「あっさりしてるよね」などの答えが返ってきた。

可愛げがない。余韻の情緒がない。人を大切にできていない。

と、ズーンと落ち込んで、ひとり大反省会をしました。

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2006年12月18日 (月)

女の友情

一般的によく聞くこと。

女の友情は薄い。

友情っていうと堅苦しいですが。

どうあれば濃いのか、どういうことが薄いのか。

嫉妬や競争意識など「業」を、互いに相手に対して持つならば、

感じるならば、薄いのかもしれません。

仲のいい幼なじみが3人います。

集まるのは年に何回か。めったに会いません。

今、仕事は何をしているのか、彼氏はいるのかなど、知らないときもあります。

なかの1人が、長いことを付き合っている彼がいると聞いたとき、

なぜ教えてくれなかったか尋ねたら、

「そういうこと、聞かないでいてくれるから…言うきかっけがなくて。わざわざ言うのもね」

と返ってくる。

誰であっても、相手が言ってこない限り、相手のこをは一切聞きません。

それを感じてくれていたことが嬉しかったです。

また、4人とも、いろいろなことがバラバラ。

好きな音楽。行動パターン。価値観が微妙に違う。

人生で、重要視するところが違う。好きな男性のタイプも違う。

でも、一緒にいれば楽しい。それぞれに幸せでいてほしいと思う。

例えば、誰かがうんと離れた外国へお嫁に行って、何年も会えなくなっても、

極端に言って、もう会うことができなくなったとしても、それはそれでいいと思います。

幸せならば。

あたたかなご両親の元で、心優しく育ち、働き者で、人生を謳歌しているCちゃん。

辛いこと、悩むこともたくさんあると思うのに、1度も辛いと言わない、

とても大人で、頑張り屋で、家族思いのMちゃん。

私が自分でダメだなぁ、と思っているところをきちんと拾って、叱ってくれる。

リアリストで、ぶっきらぼうな発言が、冷たいと誤解されたり、クールに見えても、

実は人のいいYちゃん。

みんな尊敬していますし、感謝することでいっぱいです。

前に、電車で70代くらいの、お友達同士とおぼしき女性3人が、

楽しそうにお話されていらしゃる姿を見て、Yちゃん。

「うちらも、何十年かしたら、あんなふうにしてるんだろうね」と言ったのが、

なんとなく嬉しかった覚えがあります。

余談ですが、毎年12月に、私の家か、Cちゃんの家で、

「クリパ」と称したパーティをやります。

毎年、クリスマス当日ではなく、中旬の週末ですが、今年は、23、24日、Cちゃん宅。

誰も、ロマンティックな予定はないようで。

そのとき、プレゼント交換をするのですが、雑貨屋で300円で売っていた、

「女の子!」という感じの、可愛いナイトドレスをジョークで足したら、

全員にドン引きされました…。

当たったYちゃん、「キャラじゃない!」と本気で嫌がり、置いて帰るので、

結局、私が着ました…。

以来、ジョークは入れず、まじめに考えて買っています。

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2006年12月15日 (金)

改めまして

昨日、「当たり前」ということについて、書きました。

が、自分の経験を元に綴ったものの、うまく言えなかったので、

今、感じることをコンパクトにまとめてみました。

「当たり前」

誰かが持っている当たり前は

私には当たり前ではないことがある

私が持っている当たり前が

誰かには当たり前ではないこともある

持っているものを大切にしよう

考えて 迷って 悩みながら

これから もっともっと

たくさんのこと知っていく 感じていく

グラグラ揺れていい

グラグラ揺れながらでも

受け入れていきたい

抱きしめていきたい

人生を愛するために

色々なことを愛するために

誰かを愛するために

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2006年12月14日 (木)

当たり前、ではない

最近、つくづく思うことです。

当たり前はない。

映画『暗いところで待ち合わせ』の主人公・ミチルは、事故で視力を失う。

そのことで怖い思いをする。傷つく。

家でひっそり暮らし、外の世界と自分を遮断している。

周囲に迷惑をかけることを恐れている。1歩が出せないでいる。

映画を観ていて、共感する部分がありました。

今は、人並みに元気ですが、これまであまり身体が丈夫ではありませんでした。

無理がきかない。

元々はやんちゃで、じっとしていることがない子でした。

15歳までは、部活で毎日テニスもしていました。が、

高校生になって、段々身体が弱っていくのを感じる。

すごく焦りを感じる毎日でした。

やろうと思うことがある。やりたいことがある。もう溢れんばかりに山ほど。

身体がブレーキ。無理がきかない。

友達と同じことをしても、友達は平気なのに、私は帰宅してから、

頭痛に七転八倒、洗面器抱えてぜぇぜぇ。

うんざりして、1度、ブチッと切れたことがありました(「そのとき何してた?」参照)。

また、母や兄をはじめ、周りに心配をかけていること、

負担をかけ、迷惑をかけていることが申し訳なくて、苦しくて。

比較はいけませんが、「つまらない」「おもしろくない」「やりたいことがない」という若者。

10代、ハタチくらいのころは、腹立たしく思っていました。

じゃあ、代わって、身体。

私はやりたいことたくさんあるの!

丈夫に動き回れるなら、どんな辛いことでもやる。

がむしゃらにやりたいの! と何十回も思いました。

今は、失礼なこと、決して考えてはいけないことだとわかりますが、

まだハタチくらいのころは、

「もし今すぐ丈夫な身体になれるなら、寿命が40歳くらいまででいい。

その間にがむしゃらにがんばって生きる! このまま死んだように長く生きてたって

意味がない!」なんて発言をしました。とんでもない不届き者ですね、私。

しかも、他に当たる人がいないから、母に向かって言いました。

娘にそんなことを言われた母がどんな気持ちだったか考えると、

もう愚か者過ぎて、謝っても謝りきれない。

その後、悪くなるだけなったら、ゆるやか~に、健康を取り戻していき、

少しずつ丈夫になってきました。

今は、「人生に『もう遅い』はない!」をモットーに、1歩ずつ、1つずつ、

自分のペースでいろいろなことをやっていこう。人生を味わっていこう。

そして、元気に夢見る70歳を目指そう、と思っています。

自分の持っている、感じている「当たり前」は、絶対ではない。

というより、当たり前ってないのでは。

映画を観た後でそんなことを考え、母に幼き非礼を詫びたら、言われました。

うん。確かに当たり前はないかもしれないね。

例えば、あなたはダイエットをしたことがないけれど、やせたいひとには嫌味だし、

童顔でハタチくらいに間違われるのが嫌って言うけれど、

少しでも若くいようとしているひとが多いんだから、感じ悪いだろうね。

と。

なるほど。反省です。

悩みはひとそれぞれで、みんな一生懸命なのだと。

ひとつ学びました。

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2006年12月13日 (水)

暗いところで待ち合わせ

好きな映画、大切に感じる映画が、また1本増えました。

『暗いところで待ち合わせ』

こういう映画が観たかった!

とても好みの映画。

エンターテイメント作品、テンポのいいリズミカルな映画も楽しくて大好きですが、

静かな作品も、大好き。

台詞、が多くないところも魅力でした。芝居には、余白がほしいと思うので。

芝居を観るとき、言葉が大好きだからこそ、台詞以外の部分への期待が強い。

行間の芝居が五感へダイレクトに、いろいろな感覚を伝えてくれる役者・作品は、

くり返し観ても飽きない。というより、何度も何度も観たくなる。

この作品は、映画を観に行く前に、シナリオを10…20回くらい読み込んでいたため、

内容はラストまで把握している。台詞も頭に入っている。

1回目でも、ゆとりを持って、細かいところまで気を配りながら観ることができました。

とても細やかに、丁寧につくられていて、携わっているたくさんの人たちの、

作品に対する愛情を感じました。

物語は、切なくて、あたたかくて。あたたかいから…切なくて。

殺人が起こっているので、楽しいものではありませんが、愛おしく感じる作品。

人生のどうにもならない部分、厳しさ、葛藤、やるせなさ、エグさ、業、

あたたかさ、弱さ、強さ、愛、切なさなどが、静かに描かれている。

2時間強の間に、観ているひとの中に、じんわり沁み込むような映画、

だと感じました。

余談ですが、佐藤浩市さん、やってくれました。

彼が演じる役。シナリオを読んでいる段階で、嫌! 腹立つ! と思っていました。

映画を観ると。

もう、ものすごく嫌な人。

それはそれは見事に、スクリーンを睨んでしまうくらい嫌な人!

完全に、好きな役者・佐藤浩市だということを忘れ、

役名の松永という「ひどい人」として嫌がって観ていました。

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2006年12月12日 (火)

美術館のルール

別にルールが決まっているわけではないですが。

美術館に行くとき、気をつけていることがあります。

1.カップル(10代~20代半ばくらい)の近く

2.年配の女性の集団の近く

では、なるべく鑑賞しない。

全員がそうではありませんが、確率が高い。

何が。

おしゃべり率。

しかも、たいがい声が大きい。

カップルの場合、男性が「ここのタッチが~~」からはじまり、

批評、ダメ出し、真新しくない情報などを女性に披露。

いえ、がんばって勉強してきて、語りたいのかもしれない。

美術の勉強をしているのかもしれない。

でも、お願い、出てから喫茶店かどこかで演説してください。

鑑賞しようとしている横で、批評をされると、一瞬、感覚を遮断されてしまうので。

年配の女性の集団の場合、まったく関係のない話が繰り広げられることが多い。

何をしに来ているのか、お尋ねしたくなります。

映画館でもあります。

上映前はいいとして、館内が暗くなり、予告編が始まっても、ペラペラ、ペラペラ。

さすがに、本編が始まればやむだろうと思うも、時々、まだ続ける人がいる。

同じ空間にいて、これから2時間映画を観るのに、雰囲気を悪くしたくない。

いつもは自然に納まるのを祈り、待ちますが、1度、

「○○さんがねぇ~」と新たに始めたとき、ブチッときて、

「はじまってますよ!」と注意しました。

以前、年配の、第2の人生かな、

という感じのご夫婦の近くで絵画を鑑賞したときのこと。

旦那さんが、奥さんにだけ聞こえるくらいのちいさな声で、静かに、

画家のこぼれ話や、ためになるミニ知識をお話されている。

短くエッセンスだけをパッと。

批評ではなく、穏やかに、画家や「絵」に対する愛情が感じられる表現。

思わず、聞き入って、心のなかで「へぇ~」と思い、ウンウンうなずいてしまいました。

おふたかたがそれに気づき、ニコッと微笑まれたので、恥ずかしくて苦笑い。

いい機会を得たなと、とても気分のいい絵画鑑賞になりました。

芸術を鑑賞する場で、言葉を発するなら、

あの紳士くらい、洗練されていないといけないな。

芸術や、他の鑑賞者へのマナーだなと、今でも教訓にしています。

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2006年12月11日 (月)

『バトンです(・・)』

今日は、ご自分の時間を大切に充実させていらして、

とても素敵なお母さんでもある「寝起きのパンダさん」から、

バトンを受け取りましたので、チャレンジしたいと思います。

その前に、ブログを始めたころ、ユリコさんからバトンをお受けしたのですが、

タイミングを逃してしまい、結果的にスルーした形になってしまいました。

ユリコさん、ごめんなさい!!

ルールがあるそうで、

1.回ってきた質問の最後に「自分の考えた質問」を足してください。

2.終わったら必ず誰かにバトンタッチしてください。

3.エンドレスなバトンなので、「どんな質問を加えてもOK」です。

4.バトンのタイトルを変えないこと。

5.答えるのが面倒な質問は消しても良い。

6.ルールは必ず掲載しておいてください。

では。

最近ショックだったこと

楽しみにしていた仏像展を観に、ウキウキ上野へ。なんと3日に終了!!

10日までだと勘違いしていました。

トボトボ歩いていると、目の端に映った「ZOO」の文字につられて、行きました。

周りが家族連れとカップルだらけの中、女ひとり。ちょっと寂しかったですが、

動物たちがかわいくて、すぐどうてもよくなりました。

テンション上って、2時間近く寒空の下でウロウロ。防寒不足で風邪ひきました。

これもショック。

身長、何センチ?

158.6センチ。

中途半端なので、人に話すときは、159センチと言っています。

今、食べたいものは何?

8時過ぎに食べたばかりなので。特には。

今、何時?

21時53分

あなたの弱点は?

寒さ。

血の巡りが悪いので、冷えは大敵です。

あと、器械が苦手です。

最後にしゃべった言葉は?

えーっと…

昨日の晩御飯は?

ご飯、味噌汁、じゃがいもと豚肉の味噌煮、きんぴらごぼう、

春菊のおひたし、しめじとわかめの酢の物。

ブラインドタッチは出来る?

一応できる、つもり。

今、どんな気分?

答えを考えているのが楽しいです。

どんなものを着ている?

グレーのあったかいロングワンピースに、長年愛用の黒いガウン。

どの季節が好き?

秋。過ごしやすいので。暑くも寒くもなく、散歩に適しているので。

住んでみたい県は?

ずっと憧れているのは、神奈川県、鎌倉市。なんとなく惹かれて。

人類最強の格闘家は?

兄の影響で小さい頃から格闘技はよく観ていますが、アバウトな見方なので。

誰が最強かわかりません。柔術とか好きです。

あなたの今の携帯の待ちうけは?

器械オンチなので、買ったときのまま、白い画面に時計だけ。

あなたの好きな(もしくはよく行く)映画館は?

単館上映でなければ、大概、有楽町界隈の映画館で観ます。

あなたが今後公開される映画で見たい映画トップ3は?

「パイレーツ・オブ・カリビアン―ワールド・エンド―」

「アンフェア」

「ディパーテッド」

あなたの得意技は?

災い転じて福となす。よくないことがあったとき、意味を考え、

よいことへと繋げていくのは結構得意です。

退屈、という感覚がないことも得意技かもしれません。

「つまらない」とか「退屈!」って思わないので。

何もないときでも、なんやかんやと過ごせます!

あなたの一番好きな俳優は?

男優だと、ジョニー・デップ、陣内孝則、岸谷五朗、真田広之、佐藤浩市、

香川照之、古田新太、堤真一、上川隆也、伊藤英明

女優だと、和久井映見、鈴木京香、薬師丸ひろ子、吹雪ジュン、小林聡美、

財前直見、ジュリア・ロバーツ、木村多江、深津絵里、篠原涼子

好きな俳優がいっぱいいて、悩みましたが、しぼって10人ずつ挙げちゃいました。

何をしている時が一番楽しい?

日常のなかにいろいろありますが、どっぷり言葉と向き合っているときや、

何かを学んでいるとき。

現実度外視で、飼えるなら飼いたい動物は?

質問足しました。

ライオン。

先日、動物園でガラスを挟んで、くっつかんばかりの距離で見て、

愛くるしく、かわいかったので。

おとなひとりで、長いこと釘付けになって見入っていました。

たてがみ、触りたい!ギュッとしてみたい! と。

次に回す方

えーっと、好きな俳優に続いてルール違反ですね。(一番って決められなかったので)

どなたか、「やってみたい!」と思われた方、もっていっていただけたら。

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2006年12月 8日 (金)

フテブテシク、しぶとく

自分なりのスポットライト。

愛、夢、真心、信じる、思いやり。

などなど、誰もが素敵だと感じる言葉。

私も好きです。

でも、一般的に、あまり良い使われ方をしていない言葉にも、

結構いいのでは? と思う言葉があります。

捉える角度で、大事だなと感じたりします。

「足掻く」

悪足掻き、と「わる」がついて使われることが多い。

おおきなお世話でしょう。いいじゃない。素敵でしょう。

何かを必死にがんばるって。

「しぶとい」

大辞林によると、我慢強くへこたれない。ねばりづよくがんばる。

とあります。

またまた素敵。しぶといことはガッツなこと。

それだけ自分を、人生を大切に捉えていると言えるのでは。

「ふてぶてしい」

またまた大辞林によると、平然と図太く構えている。憎らしいほど、ずうずうしい。

ずうずうしいって、そんな…と思いますが、いいじゃない、図太く構えて、と。

そのほか、「したたかに」で書きましたが、したたか、も好き。

良いしたたかと、悪いしたたかがあると思うので。

良いしたたかは大切。

まあ、人に対してずうずうしくてはいけないけれど、自分と向き合うとき、

人生においては、必要で大切なこともあるのでは。

というわけで、フテブテシク、しぶとく、ジタバタと足掻いて生きていきたいと思っています。

と、言い訳したり。

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2006年12月 7日 (木)

生きた自然の体感

市販のトマトジュースが飲めません。

塩が入っていたり、添加物が入っていたり。

味覚が拒絶します。

子供の頃、家の隣に農家のお宅の、ビニールハウスがありました。

ちいさな納屋もあり、わらとか鍬とか、家では目にしないものがおもしろくて、

よく眺めていました。

かわいがっていただいていたので、納屋にもハウスにも出入り自由。

夏はおやつ代わりに、ハウスに入ってトマトをもいで、サッと水で洗ってガブッ。

今日もリコピン摂取、明日もリコピン摂取、明後日も~、

と毎日リコピン摂り放題。

それとは別に、かごいっぱいのトマトをいただくと、母がジュースにしてくれたのが、

我が家の夏の風物詩でした。

天然のトマト食べ放題だったので、どうしても市販のトマトジュースが飲めません。

今も、スパゲッティのミートソースを作るときも、ホールトマトは使いません。

ピューレも使いません。

生トマトから作ります。(なので、トマトの値段の高さはため息)

さて、ニュースで、子供たちへの、死に関する意識調査で、12歳くらいでも、

死んでも生き返ると思っている子が多いとか。

怖い結果です。

それを考えると、今の子、特に都会の子達は、野菜や果物は、

スーパーでうまれると思っている子がいるかもしれない。

お肉もお魚も、切り身の認識しかないのかも。

ちょっと由々しきこと、と感じます。

そういえば、知り合いに、夕べ何を食べたか聞かれて、

「鰯の磯辺上げ作ったよ」と言うと、「えっ? さばいたの?」と言われたことがあります。

「そりゃ、さばくよ」と言うと、「ええ、怖い、信じられない」と返ってました。

なぜ怖いのかよくわかりませんが、おとなでも、魚をさばくだけで驚く時代。

教育現場を変えようという動きが、あれこれありますが、

生きた自然を、世の子供たちが体感できる方法、あれこれあると思うのです。

そちらを考えてほしい。

五感を磨ける場所、機会を持たせてあげること。そのことで脳を活性化して、

思考力を身につけることが「生きる」ということが、

心と身体に沁み込むように思うのですが。

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2006年12月 6日 (水)

おまけ♪&接客美人

思いがけずもらって嬉しいもの。

おまけ。

先月、祖母の13回忌法要で、本堂にお供えする花を買ってくるよう言付かり、

近くの花屋へ。

花束を作ってもらっている間、ブーケ作り中のフローリストの方とおしゃべり。

お忙しいのに、あれこれ質問してしまいましたが、

ノッてあれこれ教えてくださり、盛り上がる。

花束を作っている方は、途中電話が入ったり、他の注文に追われたりで、

受け取るまで少々時間がかかりました。

お詫びに、と花束にお花をちょこっと上乗せしてくださる。

お世話様でしたと店を出たところで、「お姉さん、待って」と呼び止められる。

振り返ると、サッと手にちいさな鉢を渡されました。

「待たせちゃったから」と笑い、手渡れてた鉢には、サボテン。

こういうサプライズは嬉しい。もし、家の近くの花屋だったら、

お花を買うときは、そのお店を使う頻度が高くなる。

残念ながら、母の実家近くのお店なので、買っても年に何度か。

でも、チャキチャキ動いて、元気な声で接客する店員さん。

地元のお客さんで、私が感じたように、気働きのよさに、好感を持ち、

お花はそのお店、というひとがいるような気がします。

押し付けるようなおまけだったりすると、またこなきゃいけないのではないか、

と気持ちの負担になることがある。

それでなんとなく、足が遠のくこともあります。

以前、よく行っていたパン屋の店員さんはおまけ上手でした。

レジでサッと袋にサンドイッチを入れて、「残り物だから」と仰る。

それでも、毎回なので、「いつももらって悪いから」と気にすると、

私にもわからないように、菓子パンを入れておいてくれたり。

接客上手はおまけ上手。

そこには、人柄も含まれるので、接客美人とも言える。

もうひとつのおまけ。

以前住んでいたところの近くのお豆腐屋さん。

さすがに、お豆腐一丁おまけ、ということはありませんが、

春には「もうすぐあったかくなるねぇ、桜が楽しみだぁ」。

夏には「あっついねぇ、クラクラくるよぉ」。

さらに冬には「寒いねぇ」と言うので、「寒くなりましたね」と返すと、

「お譲ちゃんは若いからいいよ。オイちゃんみたいなおじいちゃんには、こたえるよぉ」

と笑います。

黙々と仕事をして、明るい感じはしないオイちゃん。

でも、豆腐を受け取るときに交わす短い会話では、

穏やかでやさしい気持ちにしてくれる。

揚げ出し豆腐の美味しい、オイちゃん。

繊細でなめらかな絹ごし豆腐を作る、オイちゃん。

来る日も来る日も、豆腐を作り続けてきたその手は、

ゴツゴツしていて、厳しくも、あたたかい感じがしました。

品物以上に、オイちゃんと交わす言葉が、極上のおまけでした。

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2006年12月 5日 (火)

委ね話法

意見を述べても、強要せず。

で、ありたいと思っています。

どうしても通さなければいけない事柄もある。

意見が対立したとき、曲げられない信念は通す。

親しい人には、全員一致で、頑固と言われます。

それでも、ガーンときつく言い通さないようにしたい。

難しいですけどね、感情的になってしまったり。

相手がちいさな子だったり、自分なりの考え・感覚がつかめていない、

10代くらいまでのひとだと、少々あり方も変わってきますが、今は置いておいて。

対、おとなの場合、「意見を述べても、強要せず」がマナーだと考えます。

どのような間柄でも、踏み込み禁止の距離感がある。

それぞれのプロセスがあり、培ってきた感覚で生きている。

自分の考えだって、今日と明日では、違うかもしれない。

年齢で刻々と変わる部分もある。

なのに、ひとに自分と同じで! と強要はできない。

ということで、きっちり意見を述べたら、あとは相手の決断に委ねる。

そう心がけています。

余談ですが、逆に強要される場合。

差しさわりのないところで、店員さんと私の例。

ローズ系の口紅を買おうと選んでいると、

「あ、ダメ、違う」と止められる。

え? ダメ? 違う? 

じいっと私の顔を見て、

「お客さま、もともと唇の色素が濃いでしょう。でも顔は色白でしょう。

ローズ系だと派手になるから」

と言いながら、ベージュ系の口紅を取り出し、

「こっちだといい感じになりますよ」と差し出す。

・・・・・・・・・・。

さらに、ベージュ系をいくつか取り出し、さあ、どれにする?とばかり並べる。

店員さんのなかでは、私にベージュ系の口紅で決定しているようです。

・・・・・・・・・。

いつも最低限の化粧しかしません。

チークもアイシャドウもしません。

唇は、薬用リップに時々透明のグロスだけです。

でも、キレイなローズ系の口紅1本くらい、たまにはつけようと思ったのに。

店員さんの言っていることは、理にかなっていますが、ダメとか違うと言われると。

ベージュはほしくない。

ということで、

「う~ん、もう1度、手持ちの服や小物と相談してから来ます」

と濁して撤収しました。

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2006年12月 2日 (土)

それでいいじゃん

「武士武士とがみがみいわンすな。耳が鳴るわい」

「されば、おンしゃ、何じゃい」

「坂本竜馬じゃ」ケロリとしている。

これが坂本竜馬の一生を通じての思想だった。

武士であるとか町人であるとか、そういうものはこの世の借り着で

正真正銘なのは人間いっぴきの坂本竜馬だけである。

司馬遼太郎氏の『竜馬がゆく』のなかの1節です。

竜馬はそれで充分なのだそうです。

坂本竜馬は『竜馬がゆく』を読んで興味を持ち、大好きになりました。

描かれている彼が、魅力的で素晴らしくて惹かれるのですが、

特にこの1節は、ズドーンと打ち抜かれました。

強い。器がデカイ。かっこいい。

地位とか、肩書きとか云々かんぬんはいらん。

名前ひとつ、身ひとつで充分だと。

読んでいて、うん、それでいいじゃん、と感じました。

地位、肩書き、お金、勝ち組負け組み、ブランド、学歴など。

比較のしがらみ、決まりごとを挙げだしたら枚挙に暇がない。

なんだか、自分たちの首を絞めることを作り出しすぎて、自分たちで悲鳴をあげている。

みんなでそんなものやめたらいいのに。

なかなか簡単ではないと思いますが。

ちいさな例えですが、私はブランド品を持ちません。興味もない。

高価なものも持っていません。

場所によっては、会う人が明らかに優位に立った目をしてるのがわかります。

どうぞお好きに思って頂戴、と思います。

相手を「ああ、そういう価値基準のなのね」と思うこちらの感覚も、いいとは言えない。

どっこいですね。

こちらも「品定め返し」をしてしまっているので。

でも、楽です。竜馬の教訓があるので。

司馬さんの描いた竜馬に感化されて書いた詩です。

「この身ひとつ 名前ひとつ」

嬉しい記憶

幼い日 母が何度も話してくれた

私は望まれて生まれたんだよ

みんな待っていたんだよ

大好きなんだよ

ただそれだけのことが

この身ひとつ

名前ひとつで

生きていける力になる

確かに私を守ってくれる

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