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2006年11月30日 (木)

何のために走るのか

物で釣る。

よくないですよね。でも、最近、自分を物で釣ります。

目標を立てて、クリアしたらこの映画を観る。

これをクリアしたらこの服を買う、などなど。

時々、間に合いそうにないと、買ってしまい、

「買っちゃったからには絶対やり遂げる」とご褒美先払い、

という甘々さが顔を出す。ご都合主義です。

母上ごめんね、教育が崩れていますね。

子供の頃、マラソンが得意でした。

校内マラソン大会で入賞もしたり。運動オンチの唯一の自慢。

根気と根性には自信があったので、それのみで走りました。

家に帰って母に賞状を見せると褒めてくれる。

ふと、友達の話を思い出す。

「あ~あ、10位以内に入れば、ほしいもの買ってくれるっていってたのになぁ」

家に余裕がないのは知っていたので、1度もおねだりしたことありません。

誕生日もクリスマスも、負担のないよう、値段を見ながら選んでいました。

でも、上位入賞で調子に乗っています。あわよくばの気持ちが芽生えます。

「○○ちゃんのうち、10位以内だったら何か買ってもらえたんだって」

喜んで褒めてくれていた母の顔が変わります。

「何それ。物で子供を頑張らせるの? ○○ちゃんのためにならないでしょう。

あなたも何か欲しいわけ?」

と静かに言います。

調子乗りタイム終了。

「何かがほしくて走るなら、来年から走るのやめなさい」

!!!

賞状を私に見せて

「これ! あなたが頑張ったことを称えてくれてるでしょう。これ以上のご褒美ある?」

はい、ないです。二の句が継げません。

ごめんなさいと謝る。

言いたかったことを私が理解したかどうか、じっと顔を見て確かめる母。

理解したと判断したらニコッと顔が緩む。

そして私をハグ。「う~ん、よく頑張った!」と。

そして嬉しそうに賞状を見て、「飾っておこうね」と。

賞状は長いこと、居間に飾られていました。

何のために走るのか、きちんと子供の頃に教えられたんですけどね。

「いいの。今は何のためかがわかった上で、自分とご褒美ゲームしてるの!」

と自分に減らず口。

現在もいくつかあるのですが、なかでも、私が子供の頃から上演している舞台。

1度観たいと思いつつ、行ったことがありません。

来年は絶対観に行く! と決めているので、少々大きな目標を立てようと考え中。

チケット売り出しまで、頑張らないと。

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2006年11月29日 (水)

粋な女に

先日、久しぶりのお電話が。

去年、お稽古に通っていた着付け教室の先生からでした。

「どうしてるかなぁと思ってかけたのよ」と。

ご無沙汰していることをお詫びし、他愛ない話をしました。

お教室には、自分で着物が着られるようになりたくて通いました。

初歩の基本科だけにしようと思っていたのですが、おもしろくて。

どうせなら、もっと極めたい。

しかし、月謝が上る。金銭的余裕がない。

他にもいろいろ学びたいことがあり、図書館を利用したりして独学中。

次の科へ進むのは保留していましたが、1年経つ。休学は1年まで。

「今、余裕がなくって。もう、1年経つからダメですよね」とため息。

「それはなんとかなると思うのよ。始められるようになったら、相談しましょう。

気にしなくていいから、お教室に遊びにおいで」

そう言って笑ってくれました。

「実は、まだ通えそうにないから、なかなかお訪ねできなくて」と言ったら、

「いいの、いいの。お茶飲みにおいで~」とさらに笑う。

最後にお会いしたとき、落ち込んでいて、先生に、自分の中にある不安や弱音を、

吐露していました。

そのことを覚えていてなのか、

「あなた、電話の声も明るし、元気でやってるのね。良かったわ」とひと言。

あとは何も聞いてこない。

個人でやっているお教室ではなく、大手の教室だから、

次々先の科へ進ませるように言われているのではないか、と思います。

でも、先生は「押し付けは嫌」だから、一切なさらない。

ありがちな着物の売り込みも1度もされていません。

それはそれで、風当たりがあるのではないかと思います。

でも、いつもサバサバしている先生。

縁があって知り合えて、お教室であったひとたちと友達になっていく。

人と人とのつながりを大事にしたいの。輪を作りたいの。

そう仰っていました。

かっこいいなぁって思います。

先生くらいの年齢になったとき、ひとにさりげない気遣いとやさしさを注げる、

粋な女になりたい!

できれば、ピシッと着物が様になっていたい。改めて思いました。

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2006年11月28日 (火)

とか?

横浜帰り、東急東横線車内にて。

隣に座るハタチ前後とおぼしき青年。

携帯電話の着メロが鳴る。

「もしもしぃ? うん、うん」

話し始めるの?

聞くとはなしに、聞こえてくる会話。

「え?今?…自由が丘とか?」

自由が丘、とか。

とか?

急行との待ち合わせだったか、自由が丘に停車中。

明らかに自由が丘にいるわけです。

とかって、他にどこにいるわけ、と思ったらおかしくなって、

思わず笑いそうになる。失礼になるのでグッと堪えましたが。

日本語は、行間の素晴らしい言葉だと思います。

曖昧表現も好きです。

心豊かに生きるために、日常に文化は不可欠。

でも、きちっとはっきり言うべきものは、断定表現しないと。

メリハリがなくて、文化も活きない。

伝達事項も、曖昧をくせにすると、グダグダになる。

子供の頃、乱暴な言葉を使ったら、ものすごく怒られたので、

「大人で使っている人がいるじゃない」、と反抗したことがあります。

「土台ができていてシャレで使うのと、土台ができていなくて使うのとは意味が違う。

使い分けるって言うけど、土台がグダグダなら、使い分けてるつもりでも、

ごちゃ混ぜになるよ」

さらに、「そんなに使いたいなら、きれいな言葉を覚えることを諦めなさい。

恥をかきなさい」と一喝されました。

きれいな言葉は覚えたいなぁ、恥をかくのは嫌だなぁ。

ということで、土台作りをしようと反省しました。

今、オンとオフで言葉の切り替えをします。くだけた乱暴な言葉も使います。

たまにうっかり、きちんとしなければいけないときに、ポロッと雑な言葉になって、

「しまった!」と冷や汗をかくことも。

現代人が断定的にものを言わないのは、責任を負うことを恐れてのことだ、

と新聞か何かで読んだことがあります。

それが事実かどうかはわかりませんが、そこまで大きな話ではなく、

単純にくせではないかと。

もしくは、はじめからそういう言い方しか知らないのでは、という気がします。

「自由が丘、とか」のお兄さんも、場所くらい断定しようよ。

じゃないと、良い人かもしれないのに、見ず知らずの女に笑い堪えられちゃうよ。

なんて、大きなお世話なことを、車内で考えていました。

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2006年11月27日 (月)

三つ子の魂、恐怖編

犬、大好きです。

子供の頃に飼っていましたし、今も、環境が整えば飼いたい。

おかしな前置きをしましたが、先日、狂犬病のニュースを見て、

久しぶりに思い出した映画がありまして。

『クジョー』というスティーブン・キング原作の作品。

クジョーという名のセントバーナードが、狂犬病になって、人を襲う話。

子供の頃にテレビで見て、クジョーの暴走っぷりがリアルで恐ろしかった。

以来、セントバーナードだけは苦手になってしまいました。

知り合いの家で飼っていたのですが、怖い。

いいえ、あれはクジョーじゃない。そう、『アルプスの少女ハイジ』のヨーゼフよ!

と思い込んで近寄る。

ヨーゼフ、ヨーゼフ。

ヨーゼフ(本当は違う名前ですが)が振り向く。目が合う。

ヨーゼフ怖い~!

すでに、恐怖の対象がクジョーじゃなくなっています…。

グレートピレニーズ、バーニーズマウンテンドッグ、ゴールデンレトリバー。

大型犬が好きで、飼いたいなぁと思うのですが、

自分の体格、運動神経、握力を考えると。

突然ダッと走られたら、飛ぶな。

一瞬、空中散歩して、引きずられるのが目に浮かぶ。

大型犬ではなく、小型犬を飼う日を夢見ながら、街中の犬で癒されています。

ただ、セントバーナードだけは、出会うとビクッとします。

画面に突進してきたクジョーに見えて。

そのほか、親戚の家にある般若のお面。

私が怖がるので、叔父がおもしろがって脅かしたのです。

やはり、今でも般若のお面を見ると、一瞬ドキッとします。

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2006年11月24日 (金)

太陽の言葉

夕べ、ニュースを見てショックでした。

作家の灰谷健次郎さんがお亡くなりになった、と。

高校生の頃に灰谷さんの本に出合い、以来ずっと大好きな作家。

尊敬する向田邦子さんも、灰谷さんも、ひとを見つめる眼差し、視点が温かい。

著書を通し、たくさんの私淑を受けました。

ひとは、たくさんのひと、出来事に生かされている。

そう教えてくれたのも、灰谷さんでした。

『太陽の子』という本がありますが、自然を愛し、ひとを愛し、

すべての子供たちを深く愛した灰谷さん。

彼が書き綴った話・言葉の数々は、「北風と太陽」のようなあたたかさをくれました。

太陽の言葉は、私はやっぱりひとが好きだなぁ、と気づかせてくれました。

迷ったり、揺れたり、行き詰ったときに、活力をくれました。

そして、たくさんの課題を与えてくれました。

今尚、課題の答えを探しています。

クリアするため、ジタバタ足掻くのを楽しんでいます。

最後に、以前も載せましたが、灰谷さんの本で出合った大好きな詩を載せておきます。

(この詩は、灰谷さんが書かれたものではなく、灰谷さんが出合った詩だそうです。)

ご冥福をお祈りして。

あなたの知らないところに

いろいろな人生がある

あなたの人生が

かけがえのないように

あなたの知らない人生も

また

かけがえない

人を愛するということは

知らない人生を知るということだ

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2006年11月23日 (木)

あ・うん

趣味が若くない!

らしいです。

う~ん、いいや、いずれ若くなくなるものだもの。

歳を重ねていくの、楽しいもの。

変えない! と開き直る。

で、趣味のひとつ。お寺と仏像。

宗教に興味がなく、ご先祖様の眠るお寺の宗派も知らない、というあり様。

そういう世界の知識がなく、、困ったときだけ神頼み。

メリークリスマスの次は、明けましておめでとう、と初詣。

そんな私ですが、好きなのです。お寺と仏像。

なにがどうって、うまく言えないのですが、惹かれる。

この間の旅行でも、いくつもお寺へ行きました。

最終日にお会いした山形でお坊様をなさっている母の友人が、

お寺が好きなら、と予定にはなかった慈恩寺へ連れて行ってくださいました。

奈良時代に建てられたという歴史あるお寺、慈恩寺。

ひっそりとした佇まい。境内には柿の木があり、なんとも趣がある。

「一休さ~ん」と呼んだら、かわいい小坊主が出てきそうな雰囲気。

呼びたい衝動にかられましたが、母の友人とご一緒していたので、

恥をかかせてはいけない。

グッと我慢しました。

入口の仁王門には、左右に阿像・吽像。

像の存在を知っていても、意味を考えたことはなかった。

あ・うんの呼吸という言葉なら知っていましたが。

「あ」は宇宙の始まり。

「うん」は宇宙の終りを意味しているのだと、お坊様に教えていただきました。

母娘揃って、「ああ、なるほど」「へぇ~」。

帰り際、始まりである阿像の前に、お賽銭をチャリ~ンと落とし、

お願い事をしてきました。

他のお寺でも散々したのに。

壮大な宇宙の話を聞いた後なのに。

宇宙は置いておいて、俗世の自分をとりました。

神頼み(仏頼み?)じゃなく、「がんばります、がんばってひとつずつ叶えます」

って誓いだもの。と自分に言い訳しつつ。

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2006年11月22日 (水)

行間の心

『Dr.コトー診療所』

この秋、唯一ずっと見続けているドラマです。

まず、話が好き。

演出、監督、その他、大勢の制作者すべての力であることは、もちろんですが。

役者陣!

おとなの素敵な役者てんこ盛り。

ひとりひとりのお芝居が魅力的。

声のトーン。言い方。瞬間の息。

仕草やささいな動作で、演じている人物の人生が感じられる。

感じさせてくれる。

土台がしっかりあるので、安心してどっぷりストーリーに集中できる。

素敵な出演者が多くて、話すときりがないので、代表しておひとり。

泉谷しげるさん。大好き!

子供の頃は、荒っぽいしゃべり方と態度のひと、という印象しかありませんでした。

でも、よくよく耳を傾け、見つめていると、印象が変わっていく。

言い方は乱暴だけれど、なんてあったかいひとだろう、と。

シャイなひとだから、荒っぽい表現になっているんだろうな~、と。

かっこよく映るように、とか気取りが一切なく、

身体全体で演じている感じがするところも好きです。

毎回1シーンは必ず、「しげさん、キュンキュンタイム」があります。

他のドラマでも、よく泉谷さんのシーンには泣かされます。

『Dr.コトー診療所』の役者さんたちが、役の人生や心情などを様々見せてくれる。

歳を重ねてきているからこそ魅せられるのだろうと思います。

時の蓄積の素晴らしさを感じます。

そのことを書こうと思ったのですが、なんだか、泉谷さんが大好き、

ということばかりになってしまいました…。

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2006年11月21日 (火)

カルタ名人級で

冠婚葬祭の必要があって。

幼いとき、学校や社会に出て日常の中で、習慣として。

などが、マナーの覚え方、身につけ方にあります。

今日は、日常の中での思い出です。

小学生になった頃、友達の家の前で遊んでいたときのこと。

近所のおばあさまが、窓から顔を出しました。

友達に「うちへおいで」と手招き。

「友達と遊んでるから」と断ると、私を見て、

「じゃあ、一緒においで」と。

お菓子が出されたので、あっ、美味しそうと手を伸ばした瞬間。

おばあさまの目がキラ~ンと光り、同時に手に痛みが走りました。

手をはたかれたのです。

それはもう、スパ~ンと、カルタとり名人のように、華麗に。

子供だったので、ただただビックリ。

「人の家に招かれて、お菓子が出されても、すぐには手を出さない!」。

さらに、

「どうぞって言われてからいただくものよ!」と注意されました。

こう叱ってもらえて、人様のお宅へお邪魔したときのマナーを覚えたのです。

叩かれたときは、「怖いひとだな~」、と気分が悪かった記憶があります。

でも、後々、本当にありがたかったと感じました。

私が子供の頃には、既に少なくなってしまっていましたが、

知り合いでも、そうじゃなくても、おとなは子供に目を向けていた。

その子のために必要だと思えば、ためらいなく叱っていたような気がします。

何度か叱られたことがあります。

昔はもっと多かったと聞きます。

おとながそれを放棄してしまったところもある気がします。

知らない子供を叱り導いてやることを、

世の中が、なぜかNGにしてしまったように感じます。

叱ってやりたいのに、そうできないひと、多いのでは。

社会・地域全体で子供を守り、育む。

今、それが大事ではないでしょうか。

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2006年11月20日 (月)

センチメンタルジャーネー

すみません、ダジャレ…。

いえ、ダジャレになっていない、かな。

でも、今の気持ちなので。

大好きな人に永遠に会えなくなった日。

今日は祖母の命日なので、センチメンタルになりそうだったのですが。

今月初めの連休、13回忌のために、母の実家のある横浜で過ごしました。

ホッとできる場所です。

ただそこに、祖母がいない他は、何も変わらない。

どこにいても、時間の速度は変わらないはずなのに、日常と違う。

時がゆっくり流れている気がするのです。

親戚大好き!

今年はにぎやかでした。

従兄姉たちのところのチビちゃんたち、計4人。

もう、かわいくて、かわいくて。チビッ子天国!!

一緒に遊んだり、膝の上に乗っけたり。

別れ際にギューッとハグしたり。

ものすごくエネルギーをもらえました。

毎年、祖母の命日は、どうしても亡くなった日のことを思い出して、気持ちが沈みます。

亡くなった翌年から命日はずっと、黒いワンピース、ストッキング、靴と全身黒。

一応自分なりに喪に服しているつもりで。

でも、13回忌の今年でそれは最後にしようと。一区切りといいますか。

時が経ったということもあるのでしょうが、今年は例年と違いました。

亡くなった時のことより、祖母と過ごした時間の方を、多く思い出しました。

連休にもらったエネルギーのおかげかしら。

来年からは、祖母の命日を穏やかな気持ちで過ごせる気がします。

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2006年11月17日 (金)

幸せ貯金

最近のくせです。

日常の極ちいさなことですが、嫌なことがあると、気分がよくない。

そのとき思うのです。

はい、今1つ幸せ貯金♪

単に、1つ嫌なことがあったら、1つ良いことがあるはずだ。

なんて都合よく考えているだけなのですが。

このくせをつけてから、イラッとしかけても、

「いやいや、今貯金したから、良いことあるさ~」と思う。

嫌な気分をひきずらない→身体にいい。

身体にいいからなのか、心がぬくぬくすることが多くなった気がします。

心がぬくぬくすると、嬉しいことを発見することが多くなる。

ありがたいことに、この貯金、減らないのです。

使うと、預け先である私の資本(エネルギー)に変わります。

その資本を元手に日常が回る。また、チャリ~ンと貯まる。

場合によっては、ジャラジャラ貯まり、また、資本に変わります。

なんだか運気も上っているような、いないような。

さて、現実のお金は使えばなくなる…。

幸せ貯金のようにはいかない。

でも、節約、やりくりには自信あり。

私の財布の紐は、しっかり締まっています。

これからも「お金をかけず手間をかけ、心豊かな生活を送ろう」

のモットー通りにいきたいと思います。

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2006年11月16日 (木)

考え方が変わると、体質も変わる?

駅で、見事な千鳥足のサラリーマンを目撃。

酔った人はよく見かけるし、千鳥足も目にしている。

それでも、あまりに見事な千鳥っぷりに釘付け。

左右均等に揺れる。倒れそうで倒れない。

千鳥賞をあげたいと思うくらい。

芸人さんのお手本になりそうな千鳥足。

なんだかその姿がチャーミングで、階段を上っていくのを見送りました。

自分の周りでお酒を飲む人たちを見ていて、お酒好きなんだなぁ、

楽しそうだなぁと思います。でも、考えてみると千鳥っているのを見たことがない。

みんな強いということ?

実は10代の頃、お酒に対して、少々、拒絶がありました。

酔った人が苦手で、飲んでくだをまいている人を見ると、イライラ。

「飲まなきゃやってられない」という言葉にまた、イライラしていました。

泣くこともできないくらい辛くても、飲めない人だっているでしょう。

そういう人はどうするのよ! と相当、感情的になっていました。

母方の家系はあまりお酒に強くないのですが、父親の一族は皆、

恐ろしいほど酒豪。私も飲めるくちになるのかなぁ、と思っていました。

しかし、血の巡りをよくするために飲んだ、おちょこ1杯の養命酒で酔っ払うほど、

身体がお酒を受け付けない。完全に下戸だと認識していたのです。

ハタチを過ぎてから、お酒に対して、年々、少しずつ軟化。

それでも、お酒を飲んで攻撃的になったり、悪態をついたり、

絡んでこられるのはパスです。

しかし、友達など周りの人を見ていて、お酒が好きで飲むとか、楽しいお酒とか、

付き合いで飲むとか、いろいろあることを知っていく。

そうして接していくうちに、飲まなきゃやってられない人を、

非難する気持ちがなくなりました。

きっとそういう人は、お酒がストレス解消なんだ。そうして自分を保てるなら、

私が嫌!なんていう権利はない。尊重すべきことだと考え直しました。

私にだって、嫌なことがあったとき、ストレスを解消する方法がある。

気分転換を図る。同じこと。

自分の解消法はよくて、酔うのはダメなんておかしい。

そう気づいてからは、酔っている人を見ると、場合によってはキュートだなぁ、

愛しいなぁと感じるようになりました。

不思議なもので、お酒や酔うことに対して考え方、感覚が変わると、

体質も変わるのでしょうか。

ここ2年くらいでお酒、飲めるようになりました。

まあ、たまに付き合いで、食事のときに白ワインをいただくとか、ビールをちょこっと、

という程度ですが。

その程度でも、若干酔って、ずっとニコニコ、ヘラヘラ笑っている自覚があります。

私は、お見かけした方のような見事な千鳥足ができる自信はありません。

たま~にちょこっと飲むだけに、とどめていようと思います。

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2006年11月15日 (水)

遥か地球の反対側!

旅に出て、ブラジルのお友達ができました。

一期一会があるのが旅の良さ。

地球の反対側で暮らす人が、日本に旅行にいらしていて、たまたま旅先で出会う。

嬉しい偶然に感謝です。

日系2世だという女性のふたり連れで、最上川のライン下りへ向かう電車の中で、

出会いました。

ライン下りを終えて、最寄り駅で電車を待つ間と、新庄という駅でお別れするまで、

たくさんのお話をしました。

ブラジルに移住された方々のことを、これまであまり認識していませんでしたが、

今年の5月6月頃だったでしょうか。ドラマ『ハルとナツ』を見て、

初めて考えるようになったのです。

ご両親、何よりおじいさま・おばあさまがとても苦労されたのだと伺いました。

日本人として、もっと知らなければ、学ぼうと思いました。

ブラジルには地震がないこと。夏は暑いと思いきや、上っても28度くらいで、

日本の方がよっぽど暑いことなどを知りました。

おひと方は、ヒアリングはバッチリだけれど、日本語を話すことはできないそうで、

こちらの話にウンウン、ニコニコと相槌。

もうひと方は、とても日本語がキレイ。

ご本人は「全然ダメです」と謙遜されていましたが、

日本人でも乱暴な日本語が飛び交う中、丁寧にやわらかい日本語。

日本語を大切にしよう、と改めて感じました。

日本とブラジルの政治の話。おふたりが周られた日本各地の話、

アマゾンへ行かれたときの話など話すことが尽きない。

新庄駅へ着くと、おふたりが乗られる新幹線の時間が迫っている。

記念に写真を撮り、別れ際に、サッとサンパウロの連絡先を渡されました。

こちらの連絡先と思っていると、時間がないからメールをくれればわかる。

紙に名前だけ書いてくれと渡される。大慌てで名前を書いてお渡しし、

慌しくお別れしました。

まずメールを入れて、それからお手紙と思うのですが、ふと気づいた問題。

何語で書けばいいの? といっても英語は無理だけど。

ポルトガル語はもっとわからない。

いや、日本語をお話されていたから、日本語で大丈夫でしょう。

でも、漢字はどうなの?

日本のように核家族ではなく、3世代同居とかなら、ご両親は漢字問題ないよね。

でも、同居してると限らない…。

日本語でいいのよね、と考える今日この頃です。

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2006年11月14日 (火)

「どうぞ~」とお願い

余計なひと言は嫌だけれど。

人柄が表れた素敵なひと言は大歓迎。

わっ、ここでなぜ、こんな素敵なひと言が、気の利いたひと言が出せるの!

さらりと言えるの!

そういう嬉しいことに会えると、疲れていたり、イラッとしているときも、

嫌なことはどうでもよくなる。

ニコニコ口許が緩み、足が弾みます。

あまりに嬉しいと、人目がない場合、小躍りしちゃったり。

気づかないだけで人がいて、怪訝な顔をされて慌てたり。

先週行った中尊寺で、紅葉をバックに写真をと思い、

通りかかった方にシャッターを押してくださいとお願いしました。

撮り終えて、「ありがとうございました」とお礼を言い、カメラを受け取るとき、

撮ってくださった女性は手を合わせて「お願い」のポーズ。

ひと言「どうぞキレイに撮れていますように!」と仰ったのです。

「大丈夫かしら」「うまく撮れてるといいけど」

という言葉はよく聞きます。

私も、人にシャッターを押してと頼まれるたび、

上手に撮れたかな、大丈夫かなと思います。

「どうぞキレイに~」という真心。さらりと気持ちよく言える人柄。

たとえブレていたって構いません!

写真1枚より、キレイな気持ちに触れることができたことが嬉しい。

去っていく後ろ姿に、思わず手を合わせて

「素敵な出来事に出逢ってくださいね」と祈りました。

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2006年11月13日 (月)

親孝行、空振り

「母、紅葉狩り貯金」を、夏前からちょっとずつしていました。

10月に入って、なんとか2泊3日は出来るくらいになったので、プレゼント。

さっそくドッサリとパンフレットを調達してきた母。

どこへ行こうかと考え出します。

1週間くらい経って、「どこへ行くか決まった?」と尋ねると、

「旅って、ひとりより、ふたりのほうが楽しいよね」と言う。

誰か友達を誘っていくのかなと思い、「そうだね」と答えると、

「ひとり旅も楽しいけど、キレイな景色を一緒に感動するのっていいよね」と。

ん? こっちを見てますけど、何?

「何? 一緒って私のこと?」

うなずく母。

「ゴメン、無理。ふたり分のお金なんてないよ」

「じゃあ、お母さんが出す!!」

…………。

母上? それじゃプレゼントにならないよ。

実は母が3年前に大病して、危なかったのですが、いい先生に会い、

助けていただいたのです。

大変な手術を乗り切って、今、以前のように元気でいてくれること、

笑っていてくれることがありがたい。

今回の旅行は、ずっと元気でいてねという願いと、

手術から無事3年経ったお祝いでプレゼント、のつもりだったのです。

母がお金を出しては意味がない。

1度は、「何度もひとり旅してるじゃない。ちゃんとプレゼントさせてよ」と断りましたが、

一緒がいいと食い下がる母。

自分がプレゼントした、という形をとりたい私のエゴかなと考え直し、

結局、自分の旅費は自分持ち、で話が落ち着きました。

母が見たい場所や見ごろを調べ、それに合わせて先週8、9、10日に

東北紅葉狩りの母娘旅行をしてきました。

当日まで、どこへ行って、何を見て、と相談する時間がなかったのですが、

「お母さんが行きたい所をしっかり選んでよ」とだけ言って、

私は旅行プランにはノータッチ。母がすべてのプランと手配をしていました。

たっぷり紅葉と自然を満喫できる他、お寺と仏像が大好きな私のために、

平泉の中尊寺と毛越寺、山形の山寺がスケジュールに入っていました。

お祝いのつもりが、なんだか逆にプレゼントされた気分。

今回のことに限らず、全然親孝行できていない。

半人前を痛感しました。

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2006年11月10日 (金)

石橋の渡り方

なかなか行動しないかと思うと、いきなり大胆なことするよね。

こう友達に言われたことがあります。

う~ん。

考えて考えて、考えてから行動するので、スタートは遅いです。

ただ、大胆な行動はしていませんが。

慎重ではありますが、大雑把な性格が顔を出し、慎重さが持続しない。

石橋を叩いて渡るようで、そうでもない。

今までの自分を振り返ってみる。

石橋の渡り方、私はどっちかしらと考える。

そこで見えた自分を詩にしてみました。

今後の課題でもあります。

「しょうがないので」

石橋は叩いて渡りますか

それとも 即行動ですか

トントン トントン

悩みに悩んで 考えすぎて

叩きすぎて うっかり壊してしまいます

渡れない

仕様がないので

思いっきり助走をつけて

飛んでみます

失敗と成功 五分五分

さらりと橋を渡りたい

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2006年11月 7日 (火)

楽しい文化として

お作法の時間。

というのが、高校生のときにありました。

茶道の基礎知識、お茶のいただき方、点てかた、懐紙の使い方を教わりました。

残念なことにほとんど覚えていません。

あとは、和室での心得や、卒業前に東京・九段下にある九段会館で、

ディナーのいただき方・実践というようなことが催されました。

「ディナーって、庶民には関係ないな」というのが当時の感覚。

高校生の頃の私には、マナーが「学びどき」ではなかったようで、

もったいないことをしたと悔やまれます。

「素敵な大人、レディ」になりたいと、小さな頃から憧れがありました。

それは、言葉とか仕草が美しいとか、人との関わり方のエレガントさ、

サラッと自分にあったオシャレをしているとか、そういうことに対して。

マナーは、お金持ちでもそうじゃなくても関係なく、

人に必要なルール、美しさ、教養のこと。

それをまだ高校生の頃は、セレブリティな人たちの世界だと、

勝手に思い込んでいる節がありました。

家族揃って外食が当たり前な時代。うちはまったくしたことがなかったし、

車もなかった。家族旅行すら覚えがない。

小学生のとき、友達から家族旅行という言葉を、はじめて知ったくらいだったので。

そういうものがあるんだ~、と。

「文化、自然、人」が人生に幸せをくれるもの、と教えられて育ったので、

セレブへの憧れは一切なし。いえ、勝手なイメージなんですが。

セレブの世界は怖そうだと。

ところが大人になってから気づく。文化こそが幸せをくれるなら、

マナーは文化でしょう? 

普通の人こそ、大切にしなきゃ!

社会の秩序を保つため。共通のルール。

社会人として身につけていなければならないもの。

人づき合いの中で知っておくべきこと。

これが基本ですが、これだけで考えると、少々緊張しませんか?

知らないと恥をかくのではないか、など。

自分の内面を、磨ける、美しく出来る文化。

覚えていくと、知らないでいるより実りが増える。

そう捉えると楽しい気がします。

普通の暮らしに沿った「文化」として、マナーを考えていきたいと思っています。

明日、明後日はお休みします。また金曜日に。

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2006年11月 3日 (金)

再度、リベンジのすすめ

最近、ニュースを見るのが辛いです。

連日、取り上げられているいじめ問題。

命を絶ってしまった子達の遺書。いじめにあっている人、あっていた人から、

番組に寄せられるFAX。

「迷惑かけてごめんなさい」「お荷物はもういなくなるから」

「このまま生きていて、いいのかどうか…」など。

あってはならない理不尽な目に遭ってしまっている状態で、人を気遣う。

そういうやさしい人が、純粋な人がどうして死ななければならないのか。

どれほど辛く、苦しく、絶望していたかを考えると、息をするのも苦しいほど、

辛くて涙が出てきます。

人格は、昨日今日でつくられるものではなく、

長い時間の積み重ねで構成されていくもの。

残念ながら、いじめをする人は長い時間をかけて、

腐った性根をつくりあげてしまっているので、そういう人を100%更生させるのは手遅れ。

それが現実だと思います。だから難しい問題なのではないかと。

以前、『リベンジのすすめ』というものを書いたときに、お話しましたが、

15歳のとき、人生でただ1度だけ、死のうと思ったことがありました。

(詳しくは『リベンジのすすめ』をお読みいただければ。ただ、私の場合、

友達はいい人だらけで、友達にいじめらたりはしていないので、

少しケースが違いますが)

そのとき、私が死ななかったのは「フテブテシクテ自分好きだから」「母娘の絆」

何より大きかったのは、「プライド」と「幸せになりたい」という強い想いです。

小学生になった頃から、母を守れる強い人になりたい。早く大人になりたい、

というのが自分の土台にあり、母娘二人三脚で生きてきたので、

私が今死んだら、母は救えなかったことを一生、悔いながら生きていくことになる。

母の人生を台無しにする。それはでっかいブレーキでした。

(実際は大人になっても全然守れていなくて、心配かけたり、

未だ、守られてしまっていますが…)

そして、バンザイ、自分好き。バンザイ、高飛車なまでのプライド。

そういう性質が私に絶えず、未来を夢見させ、希望を持ち続けさせてくれました。

「絶対幸せになってやる!」と。

その後、15歳のときに私を追い込んだ性質の悪い人たちとは関係無しに、

自分の身のまわりに起こったこと、自分の身に起こったことで何度も絶望しました。

私なりに地獄はありました。

でも、振り返ると、ずっといい友達がいましたし、根が陽気で図太いので、

いっつも笑っていました。幸せな未来を信じきっていましたし。

今もそうです。特に何があるわけでもなく、まだ望んでいて叶っていないこと、たくさん。

年齢的には揺れるお年頃。

しかし、揺れてはいますが、夢いっぱい。希望いっぱい。やる気、溢れまくっています。

きっとこのまま70歳くらいになっても、同じように前だけ見る、

夢見るファンキーな70歳の自分が予想されます。

叶っていないことが多いと、生きる甲斐も多いので、楽しいから、いいかなぁ。

と、自分の実感として、絶望することが起きても、それは永遠じゃない。

もがいて脱出すれば、その先が待っている。

一生その辛い場所で生きなきゃならないなんてことはない。

それでも耐えられないなら、周りにSOSすればいい。その権利あるんです。

その場から逃げたっていい。世界は広いんだから。

死を選択しないで、どうぞ自分をとってほしい。

生きていくことが最優先!

どうぞ、どうぞ、そう思ってほしい、とニュースを見ながら思う日々です。

話が長くなりましたが、19の頃だったと思います。はっきりは覚えていないのですが、

たぶん、自殺のニュースを見て書いた詩です。

ちょっと拙いですが、そのまま載せます。

「あなたを捨てないで」

あなたのハートを捨てないで

何か辛いことがあって 耐えられないのなら

少しの間 やめたらいい 休めばいい

そうできればきっと また何かやろうと思えるでしょう

そこに道が見えてくる だから

あなたのハートを捨てないで

あなたの鼓動を止めないで

迷惑? そんなことない!

頼っていいじゃない 

周りの人 

あなたが消えてしまうより ずっといいと思うはず

感謝の気持ちは 元気になれたとき

できるなにかをすればいい

「ありがとう」と言えばいい

真心 きっと伝わるから

急がないで 焦らないで

笑顔の未来を信じて

自分を選んで

あなたを捨てないで

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2006年11月 2日 (木)

情緒かぁ

子供の頃のことです。

童話を読んで(??)。アニメを見て(!?)、ということが多かった。

「白雪姫」を読んで、森を彷徨う白雪姫が、

7人の小人の家を見つけたときの行動にビックリ。

勝手に人の家へ入って、ご飯を食べて、挙句ベッドで寝る。

たくましいな~白雪姫。城を追い出されても、生きていけそう。

「7匹の子ヤギ」を読んで、ラストまで、ハラハラ、ドキドキ。

しかし、1番衝撃だったのは、お母さんヤギが狼のお腹に石を詰めて縫うところ。

我が子を守るため母は強し、なのでしょうが、なにもそんなエグイ方法じゃなくても。

想像すると恐ろしくて恐ろしくて。

なんでそんなことするの~、と怯えた覚えが。

極めつけは「フランダースの犬」。

幼稚園の頃に見て、ずっと憤っていました。

確か何か(原因は忘れてしまいましたが)誤解が生じて、

村人たちがネロに対し、冷たい仕打ちをしたのだったと思います。

おじいさんが死んでしまって、ネロはたったひとりで頑張って生きているのに、

何があったか知らないけれど、そんな村の大人が、

よってたかって冷たくしなくてもいいのに。

なんてひどい人たち! と。

友達が集まったときにこの話をしたら、「かわいくない!」の大合唱。

「子供のときは、もっとこう、情緒を育まなきゃ」。

なるほど。でも、もう大人になっちゃったな。

情緒、これから育もうと思います。

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2006年11月 1日 (水)

味、でしょうか

色気ってなんだろう。

ユーミンが奥田民生さんを「色っぽい」、と言っているのを雑誌で読んでから、

考えるようになりました。

5、6年以上前に読んで、最初の2年くらいは、うっすら見えてきそう、

と思うものの、何でこんなこと考えているんだろうと思う。

気になり始めてから2年ほどで中断。

2年近く前に、はたと思い出し、感じたこと。

出会った人や街で見かけた人、役者やミュージシャンなど。

どのような形で存在を感じた人でも、色気があるな~と自然に思うことが増えている。

その人の何を色気と思ったのだろう。

その人の持つ性質。魅力を上手く出せる人。表現できる人。

意識的にでも無意識にでも、自分の持つ「味」を活かせている人。

そういうときに放つ輝きが「色気」なのではないかと。

自分の「味」。しかも活かす。

一朝一夕には習得できない。積み重ねて積み重ねて、

自分なりの艶をつくり出す。

数式のように、これっていう正確な答えはない。

人によっても、年齢によっても、生き方によっても違う。

人の数だけ色気がある。

誰にでもあるし、その人が自分を大切に活かそうとする限り、一生あるもの。

自分がこれからどのような色気を持つことが出来るか、ワクワク。

いろんな人の色っぽさを感じたい、発見したい、とウキウキ。

こんなことを言っておいて、3年くらい経ったら、

色っぽさの定義が自分の中で、違うものになっているかも知れません。

楽しみ。

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