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2006年10月19日 (木)

許せないことと、ひとの可能性

今日は、少々表現がきつくなります。お許しくださいませ。

朝も夜も、ニュースを見れば、殺人事件。

新聞も暴力、殺人。

しかも、ビックリするような動機。

もちろん、どのような動機でも、絶対してはならないことですが。

「ムシャクシャしてたから」 「頭にきたから」

「カッとなって、つい」 「気に入らないから」

というような、わけのわからない動機群。

もはや異常事態。

あまりに殺人が起こりすぎている。

世界では、今尚、「戦争」という決してあってはならないことが、絶えることなく続いている。

日常を破壊されているひとがいる。命を奪われているひとがいる。

罪なき子供たちが、劣化ウラン弾や地雷によって、どんな状態を背負わされているか、

苦しみ続けているか。

映像はニュースで流されている。さまざまな媒体で、情報は得られる。

意識を持てば、知ることは出来る。

「死ね」と言うひとがいる。たくさんいる。

当たり前のように、たやすく使う。

怒りを覚えます。

「死ぬ」ということがどういうことか、いっさいわかっていないとしか思えない。

裏を返せば、「生きる」ということもわかっていないのでは。

「いきる」は、生きると書く他に、「活きる」とも書きます。

自分を、人生の時間を活かして生きたい。

誰もが願うことですよね。

ひとの命を、人生を奪うひと。「死ね」って吐くひとたちは、

世の流れに乗っていれば、なんとなくそれなりに楽しく過ごせる。

特にあれこれ考えなくても、うまくやっていければいいや。

そんな感覚なのではないでしょうか。

病気や貧困に苦しむ。自分の時間を活かして生きることが出来ないことの痛みを、

知らないのでは。

自身のことでも、周りのひとのことでも、絶望というものを感じたことが、

ないのではないでしょうか。

少しでも感じたことがあるなら、「死ね」なんて言えないはず。

しかし、ならば、病気なり貧困なり、その立場にならないと、理解出来ないのか。

そんなことはないはず。

ひとには想像力があります。あとはそれを使おうと思うかどうか。

想像力を使えば、相手の立場に思いを馳せ、考え、理解しようとする。

一人ひとりが少し、ひとに、「命」というものに想像力を使えば、

安易に「死ね」と言えなくなるのでは。

そういう環境を作り出すことが出来るのでは。

暴力や殺人を、減らすことが出来るのでは。

可能性はある。そう信じたいです。

そういう私も、まだまだ未熟な発展途上人。

腹が立つこともあります。思いやりのない、あたたかさのないひとに出くわすと、

「ひっぱたいてやりたい!」と思ってしまうこともあります。

「力という、そんな方法しか見つからない程、幼くありたくない」

なにかの本で読んだ言葉です。

もっとたくさん思考しよう。想像力を磨いて、おとなでありたい。

そう思う日々です。

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コメント

はじめまして。グッピーと言います。ユリコさんのブログからやってきました。
ユリコさんに観葉植物を送られた方、どんな方か?と興味心身でやってきたのですが、すみません、この記事にこのコメントでという感じでした・・・お許し下さい。またお邪魔します。

投稿: グッピーちゃん | 2006年10月20日 (金) 21時31分

グッピーちゃんさん、こんばんは。
遊びに来てくださって、ありがとうございます。
ユリコさんのブログを拝見して、自分のことが書いてあったので、ビックリしてしまいました。恐縮しきりで。
来ていただけて、お気遣いいただいて、嬉しいです。
今回の記事は少々きつく書いておりますが、いろいろと書いているので、よろしければ、またお越しくださいませ。

投稿: 蓮 | 2006年10月20日 (金) 23時32分

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