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2006年10月16日 (月)

無数の手

一生、縁が切れることのないひと。

自分自身。

ハタチを過ぎた頃から、自分を律して、自分で立って、

と「じりつ」の意味を考えるようになりました。

次第に見えてくる。

服、野菜、お肉、お魚、日用品の数々。

自転車、道路、電車、街のあらゆるもの。

みんな誰かが携わって出来ている。動いている。

自分自身を「生きている」けれど、無数の存在と関わり、「生かされている」と。

「じりつ」には、たくさんの答えがあると思います。

そのうちの1つは、自分は一生自分と関わって生きる。

それは、無数の手に囲まれ生かされながらだと、認識しておくこと。

そんな気がします。

「無数の手」

どんなときも

数え切れないひとの手を通したものに

囲まれ 生きている

すべてのものに 生かされている

たとえ ひとりで生きていても

この世に独りで生きているわけではない

でも

私を生きるのは 私しかいない

「疲れたから、誰か明日私になって」

なんてことはできない

私を決して捨てられない

一生

私自身と付き合い 生きていく

せっかく生まれてきて

目には見えない無数の手に触れて

生かされているから

いつか終りが来るまでは

クタクタでも 目いっぱい生きてやろう

ココログフリーが、明日からメンテナンスで2日間、

更新できないようなので、また木曜日に。

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コメント

私たちの身の回りにあるものは
すべて誰かの手を通している
ものなのですね。。
改めて、実感しました。
年を重ねるごとに‘自分’がいとおしく
感じられるようになってきました。
これって、いい傾向かな?(^^)

投稿: 寝起きのパンダ | 2006年10月20日 (金) 20時29分

寝起きのパンダさん、こんばんは。
自分がいとおしく感じられる。素敵!
自分で自分を大事にしよう、とは考えていますが、
「いとおしく」までは考えていませんでした。いとおしく感じられるよう、がんばります☆


投稿: 蓮 | 2006年10月20日 (金) 23時10分

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