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2006年7月28日 (金)

曖昧 あいまい アイマイ

年齢によるものでしょうか。

それとも単に、もともとの性質が出てきたのか。

今年に入ってからとても気持ちが軽い。

日々が楽しい。

何か、特別いいことがあるわけではない。

何もかもがうまくいっているわけではない。

むしろうまく回転していないことの方が多い。

シビアな壁が続々登場。

それでも楽しめているような気がする。

原因は何か。

突き詰める必要はないのですが、なんとなくこれかしら、と思ったことを書きました。

「確信犯」

何にでも答えが欲しかった

答えがないと気がすまない

いつの頃からだろう

驚くほどたくさん 答えのないことがある

答えの出せないことがある

なんとなくそれがわかってきた

「白黒はっきり」と考えていた頃 とても焦っていた

モヤモヤ 消化不良が溜まっていく気持ち悪さ 持て余していた

溜まりに溜まって溢れたとき 

フッとおもしろいと感じた

「曖昧」を楽しめるようになってきた

白 黒 の間に山ほど色がある

曖昧 あいまい アイマイ

確信犯で迷子になり

モヤモヤは フワフワに

消化不良は 引き出しに

気持ち悪さは 切なくも不思議な「充実」に変わる

イライラ悩んだご褒美

このまましばらく迷子を続けたら

もっと しなやかに生きていけるかしら?

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2006年7月27日 (木)

こんなにたくさんあるじゃない!

だだっ広い関東平野で、生まれ育ったので。

自然はあり放題。

おもちゃの広告を見て、お盆に従姉のところのチビちゃんズに

何かあるかなと眺める。

最近のおもちゃは華やかですね。

子供の頃どんなもので遊んでいたかしら。

……。

おもちゃを買ってもらった記憶があまりない。

ねだったこともない。

なぜ?

うまく母に誘導されていたからだと気づく。

田んぼが続く畦道を散歩。

道々、草花を見つけては「これかわいいね~」

「ほら、見て、おもしろいよ」とオジギ草を触ると葉が閉じる。

おお~っと感動してオジギ草連打。

哀れオジギ草。全員ぐったりうなだれる。

土手に着く。

「何もないよ? どうやって遊ぶの?」と聞くと、

バーンと両手を広げて「こんなにたくさんあるじゃない!」

??

まず、四葉のクローバー探し。ムキになりますね。なかなかない。

それからシロツメクサで冠やらブレスレットやらを作る。

雲の名前も子供の頃に覚えました。

ウロコ雲、入道雲、ひつじ雲、おぼろ雲、わた雲、うす雲。

クローバーを探すのに夢中になっていて、不意に空を見ると、

さっき見たのと全然違う姿になっている。

見るたび違う。

はまっていきました。

お正月には凧を作って凧揚げ。

もはや趣味というより散歩シンドロームといえる歩きまわりぐせは、

完全に母の影響。

母と歩いていると、どこを歩いていても発見するものがてんこもり。

気づくと隣町まで歩いていることもしばしば。

「うちはあまりおもちゃなかったよね」と言うと、

「いやだった?」と母。

そんなことはなかったと答えると、

「外に出ればいたるところに遊びがある。壊れることも失くすこともない。

自然はいいね~」

母は強し。

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2006年7月26日 (水)

ちょっと分解

聡明。

辞書で引くと、

「理解力、判断力がすぐれていること(さま)。かしこいこと(さま)」

とある。

理知的で、背筋がピンと伸びた頭のキレるクールなひと。

そういうイメージを持っていました。

じーっと、じーっと「聡明」という字を見る。

ちょっと分解。

「聡」→公の下にある心に、耳が寄り添う。

「明」→日(太陽)と月、の明かり。

辞書をもう一度見ると、はじめに

「耳がよく聞こえ、目がよく見える意」とある。

噂が当てにならないように、自分でよく聞いて、よく見て、

感じたことをよく考える。

それを幾年もくり返しながら、理解力や判断力が身につく。

積み重ねた時間が表に出ない部分を汲み取って、光を照らす能力になる

ということでは。

もっとよく聞け、もっとよく見ろ、よく考えろ、と。

段々、クールではなく、スポコンな文字に見えてくる。

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2006年7月25日 (火)

出会いの6秒

「第一印象は永遠に続く印象」

という言葉があり、初対面は重要。

初対面の人の印象を形成する大部分は「表情・しぐさ・服装」

などの目から入る情報。

次いで「声の響きやトーン」などの耳からの情報。

さらに「出会いの6秒」といって、3秒で目からの情報を入れ、

3秒が判断時間と言います。

第一印象は大事

それなりに心得ているつもり、ではありますが。

「おとなしい人かと思ってた」

「静かな人かと…」

「意外とよくしゃべるんだ」

など、打ち解けたのちに言われることがあります。

緊張するたちなので、「笑顔」と思いつつ、表情が硬くなりがちなのが課題。

たった6秒で自分のことを決められるのは不本意ですが、

出だしがスムーズなのに越したことはない。

初対面でくだけ過ぎる態度は考えもの。

かといって、つくり込んだり、取り繕うのも違う。

相手に不快感を与えない良識を踏まえていれば、あとはその場の出たとこ勝負。

そのとき感じるままで対応すれば、いいコミュニケーションになると信じています。

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2006年7月24日 (月)

日記のなぞ

思いついたことをメモしておく。

何かに出合ったときに感じたことをメモしておく。

メモをするときは、急いで書くのでひどい文字が並ぶ。

まあ、人に見せるわけではないし、自分が読めればいいかな、と。

しかし時々、それにしてもお粗末。

何が書いてあるかわからない、ということがあります。

メモしたその日のうちや、数日以内に確認した場合、なんとか考えて

内容にたどり着く。

急ぎでなく、しばらく見ていないと、もうダメです。

解読不可能なので、「本当に必要ないことならまた思いつくだろう」

と割り切ってしまいます。

日記。究極のメモ

子供の頃から続いたためしがありません。

年の初めや誕生日に「今年こそは」と、書き始めるものの、

今日は疲れたから、今日の分は明日書こう、が続き、フェイドアウト。

数年前、手帳のカレンダーにプチ日記をつけていた年だけは続きました。

スケジュールを書き込むページとは別に、日付ごとに区切られた2行くらいの

スペースに、その日、誰に会ったか、何があったか。

また、感じたことなどを簡単にメモしてある。

年末に見直すと、その日その日のことが思い出しやすい。

これはいいな~とページをめくっていると、ある日の日記がおかしい。

○月○日

「あ~そうですか。はい、わかりました」とだけ書いてある。

何があったの? 怒ってる?

その日に何があったのか。誰に会ったのか。

考えてみるものの、思い出せませんでした。

いまだに謎です。

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2006年7月21日 (金)

生きる甲斐

先週、「スイッチを押すとき」という舞台を観ました。

「だれか」が生きていくために、「だれか」が自ら命を絶たされる。

生を、人生を奪われる。

という、ディープな設定の舞台です。

ググッと舞台の中に自分の感覚をもっていかれ、苦しい。

苦しいけれど、セリフから、役者の方がたの「言葉にしない部分」から

気づかされたものがたくさんありました。

感じたことを言葉にしたいと思うのに、気持ちがうまくまとまらない。

困った。困ったときのいつもの方法。

時間をおく。友達と会ってテンションを上げる。お助けMDを聴く。

そうして考えて1週間。

舞台の少年少女の立場には立てない。同じ状況に置かれたことがないのに

「わかる」「かわいそう」などとは言えない。

以前「リベンジのすすめ」という詩を載せましたが、あれは

「死なないでほしい」願いで書きました。

また、好きな歌詞にちなんで「未完成」の回で生きる意味に

ついて書きました。

今回、舞台を観て「受けとったもの」を元に、「リベンジ&未完成」的な

ものを書きました。

やわらかさが足りず、スポコンのようですが。

「生きる甲斐」

「何か」を望む

強く 望む

手を伸ばす 懸命に伸ばす

その手を叩き落とされる

がんばるほど 強く叩き落とされる

もがいても もがいても 

扉は開かない

どうしたらいいのか

次第にわからなくなる

いつから?

自分のために泣いていない

苦しい今を受けとめている

当たり前として

慄然とする

同時に

かすかな 自分の中の力にも気づく

「何か」を願う心

「生きたい」「活きたい」という欲求

不意に耳にした ことば

「なんのために生きるのか? 笑って死ぬためだろ」

今のままでは自嘲になる

諦めの笑いは嫌だ

ならどうする?

「生きる意味」

本当のところは

「いつか」死ぬときまでわからない

今 わかるのは

「幸せになりたい」という願い

「幸せになるんだ!」という決意

心の真ん中に

「いつか死ぬときは笑って」を据え

手を伸ばし続ける

また叩き落されるかもしれないが

生き抜いていく

生きて活きて 生き抜けば

伸ばした手がボロボロでも

心から笑える確信がある

生きる甲斐 あるなぁ

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2006年7月20日 (木)

フレンドリーの達人に

最近はそうでもないですが、人見知りです。

猫の警戒心が強いように。

友だちいわく

「初対面とか、馴れてない人に見えるよ」

「なんかね、私を放っておいて。近寄らないで、ってオーラを放ってる」

放ってないよ~、思ってないよ!?

と言っても、身近な人が傍で見てそう思うなら、善処しよう。

ということで、考えてみる。

子供の頃、母と出かけて誰かに会うと、仲よさそうに話し出す。

「じゃあ、どうも…」と別れる。

見たことない人。近所の人じゃない。絵画教室の人、でもない。

「今の人、だれ?」

「ん? 知らない」

なんですと?

そんなことが日常茶飯事。

ふと思い出したので母に、なぜそんなにフレンドリーになれるの? 

と尋ねてみると、

「あなたもそういう子だったわよ」

「ニコニコ笑って、誰にでもすぐなついて」

「小さいときは、知らない人が『私がママよ』って言ったら、

信じてついていくんじゃないかって、みんな心配するくらい」

記憶にございません。

「じゃあ、なんで今、人見知りなの?」

(聞いてどうする)

案の定、

「さあ…、成長していく過程で警戒心を持つようになったんでしょう。

いいじゃない。用心深いほうが」

用心深すぎも、どうかと。

「大丈夫よ、元が元だし。何かの拍子に変わると思うよ」

元が元…。何かの拍子。

何か? それはどこ?

考えるのが面倒なので、自然に任せることにしました。

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2006年7月19日 (水)

人づき合いのおまじない

あなたの知らないところに

いろいろな人生がある

あなたの人生が

かけがえないように

あなたの知らない人生も

また

かけがえない

人を愛するということは

知らない人生を知るということだ

座右の銘にしている大好きな3つの詩のうちのひとつ。

大好きな灰谷健次郎さんの本で出合った詩。

確か灰谷さんご自身が書いたものではなく、別の方が書いたものを

紹介されていたと記憶しています。

はじめて目にしたときは「懐の深い、あったかい詩だなぁ」とほんわりした

気持ちで受け取り、漠然とおっきな人になりたいと思いました。

今でもこの詩は指針ですが、最近は加えて、人づき合いのおまじない

しています。

どうしてもかみ合わない人。苦手な人に会う。

この詩を思い出す。

私の人生がたったひとつなように、その人の人生はその人のもの。

その人が主役。私は脇役。

そう思うと、一歩ひいたところから、「苦手!」と思うより、

少しやさしい気持ちで向き合うことができます。

できれば、おまじないなしでも、しなやかにあれたらいいのですが、

まだまだ懐、浅っ!

グラグラ揺れながら、掘っています。

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1から出直しです

月曜日の朝日新聞に若槻千夏さんのインタビュー記事。

「知らないことはきちんと学びたい。

専門用語のバリケードをつくらず、理解できるように教えてほしい。

笑われたっていい。空っぽの知識を埋めたい。わかったらうれしい。

責任を担いたい。仲間に入れて!」

というようなことが書かれている。

率直に語られる記事を読んでカッコイイと思いました。

そして、わが身を省みる。

「これは何?」

「どういう意味?」

「なんで?」

「どうやるの?」

いつからあっさり聞くことをしなくなったのだろう。

なんとなくやり過ごし、自分で調べ、先回りして恥をかかないようにしたり。

これはプライドではなく弱さ。

無自覚にバリケードをつくっていたと思い知る。

まっすぐな人は強い。

本物のプライドは尊い。

1から出直します。

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2006年7月17日 (月)

因果応報は嫌だけれど

嬉しいことが循環するなら大歓迎

じゃんじゃん廻ってほしいもの。

例えば、お店に入ってドアを開けようとしたとき、後ろから人が来るのが見える。

開けて待っていると急かしているようになってしまう。

ゆっくり歩いてタイミングを合わせて開ければ、後から来た人が気兼ねなく入れる。

お店のドアは結構重い。ご年配の方には辛いこともあるのでは。

祖母の生前、誰かが祖母のために、ドアを開けてくれたかもしれない。

待っていてくれたかもしれない。

そう考えると、私がドアを開けて待った誰かは、祖母のためにドアを開けて

くれた人やその縁の人かもしれない。

いえ、全然縁のない人だとしても、「誰かが誰かのために」を繋げていけば

循環するのではないでしょうか。

誰かに席を譲ったら、どこかで母が席を譲ってもらっているかもしれない。

これから譲ってもらえるかもしれない。

私は方向オンチなので、よく見知らぬ人に道を教えていただきます。

なんらかの形で恩返ししているかもしれない。

これからするのかもしれない。

嬉しいことの循環はきっとある!

そう信じています。

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2006年7月14日 (金)

ピタッ、カチッ

なんとなく、なんですが。

会いたい人、惹かれる人、好むもの、行きたくなる場所、

趣味嗜好、選択する進路などなど。

なんとなく選んだのに、手に馴染んでいく感じがする。

衝動…じゃないですが、磁石に飛びつく砂鉄のように、

ギューンと「何か」に吸引される。

見つけた瞬間に鍵と鍵穴みたいにピタッと心にしっくりくる。

そういう感覚がくると、不思議だなぁと思いつつ、根拠はないけれど

納得している気持ちもあったり。

これってなんだろう? 

と考えて、なんとなく、書きました。

「探し物」

人はひとつの箱を

抱えて生まれてくる

生れ落ちるとき

箱も落ちて消える

中身は散り散りに

すべてどこかへ飛んでいく

長い時間をかけて

ひとつひとつ探して歩く

「心」という箱に

もう一度収めるために

それが「人生」なのかもしれない

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お茶! お茶♪

祖母から受け継がれている習慣。

毎朝の儀式のようなもの。

「縁起ものだから」と言われ、必ず食卓にお茶が出ました。

うっかり飲み忘れると、母が玄関の外まで追ってくる。

湯飲みを持って。

というわけで、宿題を忘れることはあってもお茶を飲まない朝はない。

きっと物心ついてから1日も飲まない日はないです。

考えてみると、母の実家へ行くと日に何度でもお茶を飲む。

親戚中、皆お茶好きかもしれません。

環境は感覚をつくりますね。

どっぷりお茶人間の出来上がり。

日本茶に限らず、紅茶、ハーブティー、中国茶。

それぞれ数え切れないほどの種類があって、気分で選ぶのも楽しい。

今や便利な時代で、ペットボトルというものがある。

長時間、外を歩き回るときや、映画館などではお世話になるときも

あるけれど、心の収まりがどうも…。しっくりこない。

イラッとしていても、嫌なことがあっても、

お湯を沸かして、茶葉を選んで、カップや湯飲みに湯を注ぐ。

という工程で、いつの間にか気持ちが落ち着いてくる。

「お茶の時間」は、ペットボトルのキャップを「プシュッ」では味わえない、

ヒーリング効果が得られる気がします。

これからもなにかにつけて「お茶、お茶♪」と毎日飲み続けるでしょう。

昔、祖母の家の縁側で、日向ぼっこしながらお茶を楽しんだ。

そんな生活が夢なので。

ところで、なんとなく受け入れていますが、「縁起もの」って、

お茶は何の縁起ものなんでしょう。

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2006年7月12日 (水)

用心の問題?

天才かも!

間の悪さの。

そう思うくらい昔は間の悪さのオンパレード。

多いのは落下物。

1秒違えばセーフなのに。

鳥がポトッと…肩や制服のブレザーにやってくれたり。

自転車を漕いでいて、頭にチクッと痛みが。

振り返るとイガグリがコロコロ。

栗の木の下を通るのは危険。

あれは痛いです。皆さん、ご注意ください!

極めつけは蛍光灯。

学校の外灯がパカッと外れてキレイに落下。

見事に私の頭の上で割れました。

幸い無傷。痛みもなし。

普通、蛍光灯落ちないよ~、すごい体験した~と笑えましたが、先生は真っ青。

その他、何か楽しみにしているイベントが近くなると体調を崩して諦めなければ

ならなくなったり、部活中にコントのようにボールが目にパコッと当たって円形に

赤くなったり。

近年は自分の間の悪さを自覚しているので、最大限に気を配り用心。

鳥のとまっている電線の下は歩かない。

工事中のビルの下はすばやく通過する。

なにか楽しみにしていることがあっても、子供の頃のようにそればかりに

気をとられてはいられない。

これが幸い。

体調を崩して断念、ということはなくなりました。でも、なんとなく調子が

悪くなることはあるので、普段以上に健康管理は慎重。

するとかなりアクシデントに遭うことが減っている。

ここ数年では、この前、電車に手が挟まったことと、

自転車ごと電柱にぶつかったくらい。

あれっ?

もしかして、間の悪いだけではなく、注意力が足りなかった?

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2006年7月11日 (火)

残念です

知り合いの誕生日プレゼントを探しにデパートへ。

だいたい何を買うかは決めていたので、すんなり終了。

贈り物を選び終わり、しばしウィンドーショッピングを楽しむことに。

デパートは手も出ないし、出すお金もない。ため息しか出ないので

某駅ビルへ移動。

プラプラしていると、2軒先の店にいる5歳くらいの男の子と母親が目に留まる。

その子は、手にしたお菓子を落とし、中身が散らばりました。

拾おうとしゃがみかけると、母親がグイッと腕を引き上げひと言。

「汚いじゃない、触んないの~!」さらに

「いいのよ、どうせ店員が片付けるんだから!」

!!

お菓子が散らばるとすぐ店員さんが駆けつけ、サッと片付けだす。

その途端に「どうせ店員が~」発言。

少し距離があるので確かではないですが、店員さんの顔が一瞬

曇ったように見えました。

悔しいでしょうに、グッとこらえながら「大丈夫ですよ」と親子に向かい

声をかけていますが、件の母親はそれに無反応。

!!!

答えないの? あなたは拾わないの? 謝らないの?

店員さんは手早く片付けて他のお客さんに詫びる。

その間、わずか1分にも満たない。

目撃してしまった私は「ハトが豆鉄砲」状態。

その男の子のために自分が片付ける姿勢を見せてほしかった。

店員さんに対してひと言「ごめんなさい」と言ってほしかった。

残念でならないです。

なんだか愚痴っぽくなりました。失礼しました。

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2006年7月10日 (月)

だわ

痛恨のミス。

今年の初めに憧れの岸恵子さんが岡本健一さんとフランスを巡り、

案内する番組が放映されました。

その日、朝から忙しくしており、見はぐりました。

ビデオに撮ることも忘れるという失態。

その番組がありがたいことに昨夜、BS朝日にて再放送!

岸さん素敵!

洗練されていて、オシャレで知的でしなやかな貫禄。

それでいて、キュートでチャーミングさも感じられる。

ホォーとため息をつきながら見入り、あっという間の1時間半。

フランスの歴史や街のひとコマ、人びと。岸さんの思い出。

みな興味深くおもしろい。

その中で、とても印象に残るのは岸さんの立ち居振る舞い。

美しい。

背筋が伸びていて優雅で力強く、かろやか。

もうひとつは言葉。

正しい日本語とか、丁寧に話す日本語というだけではなく、

声の表情、トーン、テンポ、間、速度などを含めトータルに美しい言葉。

岡本さんと森の中をサイクリングしている場面での

「あら、ここ坂になってるんだわ」のひと言。

「~だわ」

最近あまり聞かない語尾。

私も使いませんが、響きがきれいで聞き心地がいい。

また、岡本さんがフランス語を覚えるコツは? と問うと、

日本語を学ぶこと、美しく話すこと、母国語を愛することに尽きるそう。

言葉の世界は奥が深いですね。

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2006年7月 7日 (金)

愛って

なんでしょう。

恋愛 博愛 家族愛 親子愛 きょうだい愛

人類愛 師弟愛 友愛 慈愛 自愛

愛情 愛憎 愛嬌 愛着 愛想 などなど

高校生の頃、先生が「君たちは簡単に愛って言うけれど、簡単にわかるものでは

ありません。大人だって本当にわかるのは時間がかかります」と言っていました。

当時は先生の意図しているところがわからず「何を言っているのかしら」と

受け流していました。

その意味が年々わかってきました。

愛のつく言葉がたくさんあり、いろいろな愛がある。

「愛」にはたくさんの意味と答えがある。

あまりいっぺんに考えると頭痛がしてきそうなので、「そのとき」どきで

ゆっくり知っていけばいいかなと思っています。

次の詩はその中のひとつ。何愛ということになるかわかっていませんが。

「Love  is  …」

それは強い砦 とてもちいさな光

人を救う

理想かもしれない

笑われてしまうようなキレイごと

そうだとしたって望みは消えない

消しはしない 信じ続ける

人は皆 孤独を恐れ

包むような温もり求めてる

だから必要 いつの時代も

だれにもある

それは「あたたかい心」

幾度も傷ついて希望が打ち砕かれ

絶望した

それでも何度でも

誇りを握りしめ生きてきた

そう可能性はゼロじゃないんだと

決して未来 諦めないと

人は皆 泣きながら知る

やさしさを 思いやる深さを

そして育む

明日を見つめ感じる想い

それは「確かな真実」 

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2006年7月 6日 (木)

誰だろ、誰だろ

この人の名前、どこかで見た。

この人、ここにも参加してる。活躍してるんだ。

CDアルバムのクレジットで、アルバム制作に携わった人の名前や感謝を

示す人の名前を見るのが好きです。

好きだと思う曲はコーラスが素敵なことが多く、誰が歌ってるのかしらと

確かめたことがきっかけ。

ミュージシャン、エンジニア、アーティストのマネージャー。

スタイリスト、ヘアメイク、フォトグラファーなどなど。

全員読みます。

すると、知り合いでもないのに、この人、前回のアルバムにも参加してた。

今回はカメラマン違うんだ。ベーシスト、○○のアルバムにも参加してた。

と、親近感がもてる。

大量生産されている商品でも、人の手が通っていると感じられて好きです。

Special thanks もアーティストによって個性が出ておもしろい。

映画を観たときのエンドロールも最後まで観ないと動けない。

すべてが流れてスクリーンが白くなり、カーテンがかかりだすと、

「あ~、観た~」と充実感がきます。

エンディングテーマが流れ出した途端、席を立ってしまう人がいますが、

最後までみようよ~。帰るの? エンドロール流れてますよ! と思ってしまう。

予定があるのかもしれない。急いでいるのかもしれない。

大きなお世話ですが、時間があるなら客電がついてから立ってもいいのでは。

ちなみに、みなさん。

パンフレットは映画が始まる前と終わった後、どちらに見ますか?

私は、帰宅してからじっくり反芻しつつ読むのが好きです。

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2006年7月 5日 (水)

気持ちよく伝えたい

ドラマを見ていて気になることがあります。

家に宅配便が来る。

家人はハンコを押して荷を受け取る。そして、ひと言。

「ごくろうさま」

子供の頃、ドラマの印象でそれを当たり前だと思っていました。

ある日、家に宅配便が来て、母が応対。配達員の人を送り出すとき、

笑顔で「お世話様でございます」と言う。

また別の日に宅配便が来たときは「お世話様、雨の中お疲れ様です」

??

「ねえ、ご苦労様じゃないの? ドラマでそう言ってるよ?」と尋ねると母は、

「ご苦労様よりお世話様のほうが気持ちいいじゃない。感謝の気持ち

気持ちよく伝えた方がいいでしょう」。

それから来る宅配便のお兄さん、来るお兄さんを観察。

なるほど、母が「お世話様…」と言うと笑みがこぼれる。

決して「ご苦労様」が間違いではないけれど、感謝は気持ちよく伝わるほうが

いいなと考えるようになりました。

立場に関係なく、いちばん気持ちよく感じるように伝えたい。

職場、友人、知人、家族などだけではなく、例えば食事に入ったお店から

出るときに笑顔で「ごちそうさまでした」「美味しかったです」と言う。

買い物をしたときは会計の後「お世話様です」という意味でお辞儀をして出るなど、

自分なりに伝えていたつもりでした。

反省です。

塩月弥栄子さんの著書に記されていました。

買い物をしたとき、「ありがとう」のひと言を、と。

「ありがとう」。

いちばん美しく、気持ちのいい言葉ですものね。

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2006年7月 4日 (火)

マイブーム、ラジオ体操

毎日「ゆる体操」を始めて8ヶ月。

すごい効果です。

極度の血行不良、冷え性は年中無休

真夏でも手足が冷たくて周りに「そんなにひどいの?」と聞かれるたび、

手を触れると「死んでるみたい」と言われる始末。

冬場はこれでもかっ! というくらい防寒してもガタガタ震えて過ごす日々。

それが!

今年の冬は特別防寒しなくても全然冷えない。

35.0度くらいの低体温が36.0度超え。人間らしい温度を体感。

なぜ!?

ゆる体操のようです。

これまでお灸に行けば、一向に改善しない血行にベテランの先生を悩ませて

しまった。

薬膳酒を飲んだら酔っ払う。

ちなみに下戸ではなく、お付き合いで飲まなければならないときには、

たしなみますが、日本酒は合わないらしいです。

この一件で酔うと笑い上戸になると判明。

強固なまでの血行不良がかなり改善。もっともっと改善したい。

ゆる体操、柔軟に加え、ここで新たなアイテムを投入。

ラジオ体操。

これなら気持ちよく、無理なく体を動かし、ほぐせそう。

子供の頃の記憶を辿り、チャンチャンチャチャンチャンチャンチャン~♪と

イントロから口ずさみ、かつ舌のいいおじさんの声を思い浮かべつつ、

イチ、ニ、サン、シ…と思いだせるだけやってみる。

おおっ、気持ちいい。わっ、楽しい。

ラスト、深呼吸を終えると頭もスッキリ。

侮り難し、ラジオ体操。

じわじわヤミツキになりかけています。

子供の頃、夏休みのラジオ体操はあまりきちんと参加していませんでした。

まあ、子供の頃はやらなくても、暇さえあれば野原を駆け回って運動していたから。

言い訳ですが。

ゆる体操にしろ、ラジオ体操にしろ、ヨガにしろ、ピラティスにしろ、

意識的に運動することは、大人にこそ必要!

そんな気がします。

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2006年7月 3日 (月)

禍転じて 福戻る?

まずい! 乗り遅れる!

必死に走ってバッと手を伸ばし乗り込みました。

手だけ。

電車のドアに挟まっています。

「うわっ、どうしよう」と焦っていると、中からサラリーマンのおじさんが引っ張って

くれます。しかし、とても乗り込めそうにない。

ここは諦めようと中の方に「ありがとうございます。次にします」とお礼を言い、

手を引っ込めて電車を見送りました。

久々に自分が運動オンチであることを痛感。

人並みにこなせるのは根性でなんとかなるマラソンと部活でやっていたテニスだけ。

体育の成績は5段階でいつも2。苦い思い出。

嬉しいことも思い出しました。

中学のときのこと。体育の授業でマット運動。

前転、後転、開脚前転などなど。その中の「後転」がうまくできない。

後転は回転すると正面に戻るはずなのに、なぜか着地が真横。

それを見た先生が「おまえ、特訓!」と言い出し、先生の補助で20回はまわった

でしょうか。真横がやや斜めくらいまで改善。

私はフラフラ。先生は私の鈍さにクラクラ。

ひと言「うん、おまえはそれでいい」。

テスト本番。

やっぱり体は斜め向き。「ごめんなさい」という気持ちで先生を見ると、

大きくウンと頷いてくれていました。

その学期の通知表、なんと体育が2ではなく3になっている!

先生はテストの結果ではなく、なんとかできるようになろうとした私を

認めてくれたのだと思います。

苦手なことでも、うまくできなくても、がんばれば認めてもられることもある。

このことはその後の人生にも励ましになっていったのです。

とはいえ、大人はそうはいかない。「結果」が出ないとダメ!! なことがたくさん。

ただそれ以外のプライベートな領域は、おおらかであってもいいのではないかと

思います。

「オンとオフ」 「おおらかさ」

身につけたいと、しみじみ思う日々です。

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