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2006年3月31日 (金)

強さと弱さのとらえ方

人に助けを求めるのも強さ

『セントラル・ステーション』という映画の中で、母を亡くした少年ジョズエに、

代筆屋の女性ドーラが言ったセリフです。

すごく新鮮な驚きでした。そういう考え方もあるのか、と。

私にはとても苦手なことで、SOSはできないし、弱音を吐くこともできない。

ましてや泣いたりしたら、その人の負担になりはしないかと思うと、絶対できない。

だから、ドーラの言葉を聞いたとき、ドキッ!

ハタチのとき、母に

「お母さんにくらい泣きごと言いなさい。辛いときはつらいって言って!」

そう言われたことが頭をよぎる。

私のあり方はガッチガチなのかな。

時には弱さなのかも知れないと考えさせられ、逆の場合ならどうか、

という簡単なことを忘れていたと気づきました。

人に助けを求められたら、できることはするし、何ができるか考える。

弱音だって聞く。それは負担ではない。

それなら、相手もそう思ってくれるかも知れない。

頼りすぎてはいけないけれど、

「お互いさまでいいんだな」「少し肩の力を抜かないと」

そう思って楽になりました。

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2006年3月30日 (木)

モットー実行、食編

「食」という字は「人」を「良く」すると書く。

この間、テレビを見ていたら、誰だったか、こう言っている方がいて、

「ああ、なるほど!」と納得。

人間、食べないと生きていけないし、楽しく食事をすることは心にもいい。

となると、「人」を「良く」する「事」が「食事」なんだなぁ、

とテレビを見ながらさらに納得。

私は食べることが大好きです(食いしん坊とも言いますが)。

どんなことがあっても「食事がのどを通らない」ということがない。

むしろ、食事をすることでグワーッと体に力が戻り、

「まあ、がんばりますか!」と思えます。

とにかく食べること、楽しく食べることに対する思い入れが強い。

なるべくあれこれと食べたいので、メイン料理のほかに、

小鉢3,4個はつくって、ちょこちょこ食べると落ち着きます。

モットーが「お金をかけず、手間をかけ、心豊かな生活を送ろう」なので、

お金をかけずにたくさんつくる工夫に精を出しています。

たとえばダシをとった昆布や鰹節の再利用。

昆布はラップに包んで冷凍しておいて、何枚かたまると、大豆と一緒に佃煮に。

鰹節もラップに包んで、ある程度の量になったら常温で戻してみじん切りにし、

カラ炒り。カラッとしたら、塩とゴマをまぶしてふりかけにします。

友人が遊びに来るときにも、リサイクル品を出します。

特別なものはつくらず、いつもどおりの料理。

ただ、器はお気に入りのものを出して、自分なりに楽しい食事を演出します。

人と食事をすると、嬉しくて食が進みますよね。

まあ、体のためには、品数は多くとも、量は…考えないといけませんね。

なるべく腹八分と思いつつ、ガッツリ食べたら、体操したり、柔軟したり、

時間をつくって散歩セラピーをしながらウォーキングで体重、体形を維持しています。

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2006年3月29日 (水)

理想としては

女の強さのかたちは円(まる)だと思っています。

円の中心に1本、決して折れない芯がある。

芯の周りに円を描き、芯は表に出さない。見せない。

どれだけ丸くあることができるか。

どれだけ温かくあることができるか。

どれだけ柔らかくあることができるか。

そのために、

どれだけ芯がしっかりしていられるか。

芯をいかに円で包むことができるか。

それが強さ。

いつ尽きるのかわからないけど、死ぬまで歳を重ね続ける。

歳をとるのではなく、

歳をまとう女性になりたい。

これまで様々な場面で出逢えた素敵な淑女たちのように。

理想は

円く、気高く、思慮深く、

青い炎を放ち、それでいてどこかキュートでチャーミング。

そういう女性になりたい!

今のところ、遠い…。まだまだきれいな円が描けない。

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2006年3月28日 (火)

一期一会を味わう

人との出会いは楽しい。

知り合いになって交流するのがいちばんいいけれど、数が限られる。

そこで、大事だな、と思うのが一期一会

たとえば喫茶店に入ったとき、外食するとき、

会計でレジの人と笑顔を交わすのが好きです。

おつりを受け取るときに「ごちそうさまでした」とか、

すごくおいしかったな、と思えば「おいしかったです」と言うと、

気持ちのいい笑顔が返ってくる。

また、電車でお母さんに連れられた赤ちゃんに出会う。

赤ちゃんと目が合うと、かわいいので笑ってコミュニケーションをはかると、

その子も笑ったり、キョトンとこちらを見たりする。

赤ちゃんの視線をたどったお母さんと会釈を交わすのも楽しい。

こういうささやかなことが、日常に変化をくれて

一日を味わってる」という気持ちにさせてくれる。

歳を重ねていると避けられない、時々襲ってくる孤独感から、

ヒョイッと救い上げてくれたりします。

今日は、新橋にある蕎麦屋の店員さんとのコミュニケーションを楽しみました。

道を尋ねると、どこにかけていたのか、わざわざ電話で確認して教えてくださり、

いい人だ~!」と感謝感激のよい日でした。

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2006年3月27日 (月)

「安心できる特大毛布」マリアの毛布その3

空を見ると落ち着きます。

昼夜問わず、とにかく視界に入っていると安心できる。

いつでも見上げればあるけれど、ただそこにあるだけではなく、

天気や時間帯によって模様が違う。

風で雲が動けば違う顔を見せるし、四季別に、

夏なら雄大で、冬ならピーンと張り詰めた空気の中で見ると、

少し切ない感じがあったり。

同じときがまったくないのに、いつでもそこにいてくれる感じが、

安心感なんでしょうか。

以前住んでいた町にある高架橋から、夕暮れ時に空を見ると、

西は夕日でやわらかいピンク色なのに、東はまだ青空がある、という

1粒で2度のおいしさで、いい癒しスポットでした。

今住んでいるところでは、まだそこまでの場所が見つかっていないので、

時間があるときに、散歩しながらキョロキョロと、癒しスポット探索中。

星野さんの写真」「音楽」「」が私のマリアの毛布、三種の神器。

そのほかにも、オルゴール、東山魁夷の絵、お気に入りの映画のDVD、

ラファエル・アマルゴの舞台、お笑い(特に次長課長)などにも癒されています。

本当はもうひとつ、犬が大好きなので、犬と暮らしたいのですが、

今は飼う余裕がなくて。

いたら毛布でしょうに…。

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2006年3月25日 (土)

「いつもそばに」マリアの毛布その2

音楽が生活に欠かせません。

ということで、数ある好きなアーティストの中で、「マリアの毛布」な方がたについて

書いていきたいと思います。

ウルフルズ

あったかい。パワフル。ポジティブ。トータス松本さんが持つ、

男の人特有の色気ある歌声に力、もらっています。

両手放しで大好きです!

今井美樹

美樹さんが新しい楽曲を発表するたびに、宝物が増えます。

女性としても、年々やわらかさを増して輝いていく姿は憧れ。

まさにウェルカムエイジングな人。

槇原敬之

あったかい人に違いない。絶対そうだ。

そう思わずにはいられないメロディーと詞、そして声。

ほんわかした気持ちになります。

薬師丸ひろ子

透明感のある声に癒されています。それになんといっても女優さん。

表現力の凄さ。詞の世界をググッと聴かせてくれます。

1枚アルバムを聴くと何本もドラマを見たような満足感。

BETTE MIDLER

特に『THE ROSE』『WIND BENEATH MY WINGS』は、

めげているときに聴くと心に沁みます。

STING

聴くと落ち着きます。とにかく好きです。

社会活動をしているところも尊敬しています。

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2006年3月24日 (金)

「ちっぽけで、幸せ」マリアの毛布その1

星野道夫さんの写真が宝物です。

きっかけは8年前。母の強い勧めで、銀座の「松屋」で行われていた

写真展を見に行ったこと。

星野さんが好きだったというエンヤの曲が流れる会場を歩く。

鮮やかに写される野生動物たちの姿。アラスカの大地。エスキモーの人びと。

その一枚一枚が、知らない世界を教えてくれる。

歩を進めるたびに、自分の鼓動がドン、ドンと大きくなっていくのをハッキリ自覚。

躍動感、厳しさ、美しさ、切なさ、雄大さ、かわいらしさ、あたたかさ、

ぬくもり、気高さを見せてもらい、心が浄化される感じがしました。

そして思ったこと。私ってちっぽけだな。

ネガティブな意味ではありません。だから幸せだと思ったんです

地球は広い、大きい。さらに宇宙なんてなると、理解がおよばぬくらいのスケール。

そのほんの一角にいるに過ぎない。

なんだか、悩んでいることも、ゴチャゴチャ考えていることも、

たいしたことないよ。

そう思えて、グワーッと体に力がみなぎり、おおらかな気持ちになったんです。

今もグダグダと悩み虫が頭をもたげてくると、写真集を開いて、

心を浄化しなおしています

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2006年3月23日 (木)

マリアの毛布

悩みがない…ように見えるらしい。

「いつも楽しそうだよね。悩みなんかないでしょう。うらやましい」

「あなたは本当に傷ついたことないでしょう」

人に言われた言葉。いや、悩みも傷もそれなりにありますよ。

まあ、のんきな性格なので、明るく見えるならいいかな、と。

それでも、生きていると、疲れることが多い。

考えることが多いほど、深いほど、疲れますよね。

それでも、歩いていかなければならない。

どうせ生きるなら、疲れていても、何かに幸せを感じながら生きたい

そのためには、疲れを癒す何か、活力をくれる何かが必要。

どんなに辛くても、がんばろうと思え、未来を信じられるような何か。

そういう、自分に必要な宝物を私は「マリアの毛布」と呼んでいます。

なぜか。

ストレスがたまり、ヘトヘトになって帰ってきた一日の終わり。

お風呂に入り、バタン とベッドに倒れ込む。

自分のすべてをやわらかい布団に委ねる脱力感の心地よさ。

「無」になれる安心感。

特に冬は体だけでなく、心も温めてくれる毛布に包まれて眠ると、

ストレスの入った心のタンクに余裕が生まれる。

朝、目覚めたとき、「ストレスめ、来るなら来い!」と思える。

人を包むなんて、菩薩様やマリア様みたいだな、と思い、

自分にとって毛布のようなものを、「マリアの毛布」と。

明日から何日か、私のマリアの毛布について書いていきたいと思います。

お読みになって、わかるなぁと感じるものがあれば、教えていただきたいです。

「あなたのマリアの毛布はなんですか?」

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2006年3月22日 (水)

散歩セラピー

子供の頃、自転車に乗れるようになるのが遅かった。

その影響か、歩き好きになり、時間があれば、ヒョイッと散歩に繰り出す。

近所はもちろん、出先でプラプラすることもあるし、電車に乗っていて、

不意に途中下車して歩くこともある。

住んでいる町では、あちこち歩き回っているうちに、自分の中で

四季別、花観賞マップ」が出来上がりました。

春は、この家のミモザ、あの家の白木蓮、川沿いの桜並木。

夏は、公園の紫陽花、駅までの道なりで家々に咲く日日草、ご近所の夾竹桃。

秋は、野原にそよぐススキ、川沿いの桜の紅葉、銀杏並木。

冬は、町中で見かけるポインセチアやシクラメン。手入れの行き届いた梅の木。

花が好きな人は多い。いたるところで、人それぞれにガーデニングを楽しんでいる。

同じ花でも、各家庭で違った雰囲気があり、興味深いものです。

人との出会いも楽しみのひとつ

人様のお庭のお花を眺めていると、家人がでていらして、お会いすることがあります。

「お花が素敵で、勝手に覗いてしまって」と詫びると、どの方も笑顔をかえしてくださる。

知らない花の名前をたずねたり、肥料のやり方のコツを教えていただくこともあります。

去年は、キウイが木になっているのを初めてみて、感動していると、

農家のおじさんに「そんなものが珍しいの?」と笑われてしまったり。

こういうコミュニケーションに幸せを感じます。

人だけでなく、動物とも出会える。

近所に野良猫が集まる駐車場があります。

遊びたいと思っても、飼い猫と違い、なかなか心を開いてくれない。

頻繁に顔を見せることで覚えてもらい、無理せず少しずつ、

間合いを詰めて仲良くなろうと挑戦中。

もう2ヶ月もすれば、ツバメが訪れる季節。

毎年、巣を探して彼らを眺めるのは欠かせない癒しの時間

そして、いよいよ桜の開花宣言が出されました!

桜を愛でに繰り出さなくては!!

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2006年3月21日 (火)

目指すは、微笑みのひと

今井美樹さんの『微笑みのひと』という曲をご存知でしょうか。

微笑みの持つ素敵さが歌われた曲です。

詞と彼女のやわらかな歌声が合わさって、聴いていると、

やさしい気持ちになり、笑顔になります。

苦手な人と会うときや、気持ちが沈んでいるときも、

それを顔に出すわけにはいかないこと、ありますよね。

そういうとき、「営業スマイル」というか、とりあえず笑っておこう。

そんな気持ちで笑顔をつくる。

営業スマイルをするたびに、なんとなく自分の中に、気持ち悪さがある。

それが、4年前、この曲に出合って、感覚が変化。

気づいたんです。

気持ち悪さの正体と、笑顔の意味に。

なぜ嫌だったのか。

とりあえず笑うから。

そうしておけばいいだろう、という誤魔化しだったから。

笑顔は、「北風と太陽」の太陽。

歌詞の通り『喜びも そして悲しみも 笑顔で包んで抱きしめる』

と、いい波動が漂う。

せかっくなら、気持ちよく生きたい。人も自分も。

微笑むことが、それを可能にする。

どんな状況でも、心から微笑むひとになりたい。

まずは習慣にするために、一時、毎日出かけるときに、

この曲を聴いて「笑顔、笑顔」と呪文のように唱えていました。

その成果か、あいかわらず営業スマイルはしていますが、

とりあえずではなく、「良くあれ」という気持ちで笑えるようになってきました。

まだまだ未熟で、道のりは長いですが、淑女への修行。

磨きに磨いて、微笑みのひとになれますように。

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2006年3月20日 (月)

絶妙な距離感

「友達」って不思議な存在

家族ではない。恋人でもない。知人というほど距離もない。

絶妙な距離感でいてほしい存在と、捉えています。

学生時代は、日常の中で当たり前に一緒に過ごしても、

大人になると変わってくる。

それぞれに道があって、頻繁に会うこともない。

そういう中で、続いていける関係は、ありがたいし、励みになる。

友達に恥じない自分でいたいとも思えるし。

以前、「ほっとくと、一生連絡来ないんじゃないの!?」

と、友達に叱られたので、今日はこの場を借りて、

幼なじみたちへの感謝の詩を。

「気楽な関係」

振り返れば私の歴史の中

たくさんの場面にいる人たち

初対面など記憶にないほど

幼い頃に出逢った

無愛想でマイペースな私

見捨てず 付かず離れず そばにいてくれた

不思議な偶然 

テレパシーでもあるのかと思う

がんばる力 消えそうになると

「久しぶり、元気?」なんて電話に救われる

別に何があったのか言わない

何も聞かないでいてくれる

いつも通り 他愛ないこと話して笑い合う

くつろいだ時間を過ごせる

慰めの言葉など必要ない

何が起きても決して変わらぬ関係

気の抜ける場所さえあるなら

半年以上会わなくても 連絡なくても

大人になってそれぞれ道がある

たまに会うだけでいい そう思えるのは

長い月日 重ねてきたから

会うと照れて言えないけれど 感謝してる

会えてよかった 友達になれてよかった

これからもずっとよろしく

気楽でいようね

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2006年3月18日 (土)

ティータイム

子供の頃からの習慣。

どんなに忙しいときでも、1日、最低2回はティータイムを持つ。

そのときの気分で、紅茶、日本茶、ハーブティーを選んで。

好きなティーカップや湯のみ。

お気に入りのお皿に、ちょっとしたお茶菓子をのせる。

ポットへお湯を注ぐ音。カップに注ぐときに漂う香りが非日常へ誘う。

お茶に様々な効能があって、いいのはもちろん、

ティータイムを持つこと自体、リラックス効果があるように思う。

嫌なことがあっても、辛いときでも、ほんのつかの間でいい

お茶を飲みながら、のほほんとする時間に身を置く。

不思議と気持ちをリセットできる。

「まあ、がんばりますか」とか「なんとかやってみますか」と。

最近は、毎日の習慣に加えて週に1日くらい、

お茶を点てる日を持ちたいと思い、お稽古を始めようかと計画中。

これで、リラックス、リセットの他に、優雅さも、と期待しつつ。

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2006年3月17日 (金)

まだまだ未熟で

もう何年も前のこと。頭がガッチガチに固くなっていた。

あらゆることに対して、きちんとしなきゃ、がんばらなきゃと焦る。

自分にダメ出しばかりして、余裕がなく、精神的にひどくまいっていた。

そんなとき、知り合いの女性が話してくれた言葉が、ありがたかった。

心配りと気配りは違うのよ

「一生懸命なのも、やさしさも、いいこと。

 でも、あなたのしているのは、気配り」

彼女が言うには

気配りは、ああしなきゃ、こうしなきゃ。

こうすべき、こうした方がいいはずという、自分の気持ち。

それは少し、傲慢な心。

一方、心配りは、相手の気持ちや立場、自分のことも考えた上で、

最善のことは何かを判断して行動すること。

だから、できないことはきちんと、できないと伝え、割り切ることも大切だと。

「せっかくがんばるなら、心配りでいきましょう」

スーッと肩の力が抜ける気がした。

やわらかい、大きな考え方。

心配りと気配り。

辞書を引くと、同じ意味。

しかし、彼女の言うように、紙一重なんだと思う。

ゆとりというか、大人というか。

このときから少しずつ、頭をやわらかくしていけるようになった、たぶん…。

「せっかくなら、心配りで」

と思っているけれど、まだまだ未熟で。

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2006年3月16日 (木)

コンプレックスと向き合う

大丈夫。慎重に、丁寧に書けば上手くいく。

そう思って臨むのに、人前で字を書くと、手がぶれる。

ただでさえ、字が上手くないのに、さらに哀しい文字が並ぶ。

字に対して、ひどくコンプレックスがあった。

正確には、現在進行形。しかし、このままではいけない!

ということで、ペン字練習帳を購入し、独学で改造中。

理由は、手紙

書くときには、相手に合う便箋を選ぶ。書いたものを読み直し、

どんな風に感じてくれるか、ドキドキしながらポストへ入れるのが楽しい。

いただくときは、送られてくるのがわかっているなら、

待っている間、ワクワクできる。

不意に届いたときは、その日の嬉しいハプニングになる。

便箋を見るのも楽しい。

きれいな文字で書かれた手紙をいただくたびに、

たしなみとして必要だと思うが、

手紙は書くことに意味がある。心をこめて書けばそれでいい。

思いが伝わればいい。と、わが身可愛さから、目を背けていました。

しかし、心をこめるなら、読みやすい文字で書くたしなみは、外せない。

コンプレックスなんて逃げていられない。

桜の開花宣言も間近。

春めいた便箋で、花便りといきたいものです。

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2006年3月15日 (水)

清々しく反省

横断歩道で、やってしまいました。

車がまったく来ていない。急いでいたので、いいや、と。

赤信号を渡ってしまいました。

横断歩道を渡り終え、スタスタと歩いていると、

トントン、と腰の辺りを誰かが叩く。

振り返ると、制服姿の小学生の男の子。

私を見上げながら一言。

「赤渡りはダメです!」

胸の前で、腕全体を使い、バツのジェスチャー付き。

そして、その顔は、正しいことを主張する正義感と、誇らしさにあふれています。

あまりの可愛らしさに、一瞬笑みが出てしまいました。

しかし、ここで笑ってしまっては、正しい、彼の誇りをけがします。

きちんと彼の正面に立ち、

「ごめんなさい」と、お辞儀。

すると、「うん!」そう言って納得し、

これまた、誇らしげな足取りで去っていきます。

大人が小学生に叱られる。恥ずかしい…。

仕方がありませんね。私が悪いのですから。

自分の行動を、どこでちいさな子が見ているかわからない。

反面教師じゃなくお手本になれるよう、しっかり自分を磨かなきゃ。

ちいさな紳士の後姿を見送りながら、清々しい気持ちで反省しました。

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2006年3月14日 (火)

人生ノート

メモ帳とシャーペン。

いつも持ち歩く必需品です。

「あっ」と、心に感じるものがあったとき、その言葉をメモするため。

本の中の言葉。映画やドラマのセリフ。歌詞。

身近な人との会話の中にもあるし、街なかで、出合うこともある。

10代の頃からの習慣で、書きとめた言葉のアルバム

人生ノート」と名づけ、今も分厚さを増殖中

なんとなくはじめたけれど、読み返すとおもしろい。

効能がいくつもあるんです。

・その歳々で、何を考えていたか。思い出すことができる。

・読み返す年齢で、解釈、感じることに変化があるのがわかる。

・悩んだとき、迷ったとき、ヒントになったり、元気になれる。

日曜日に、久しぶりに読んで、嬉しい言葉に再会。

中学の卒業文集で、国語の先生が書かれていた一言。

この世に生まれてきてよかったと、心から思える人生を送って下さい

こういう、人のやさしさって、沁みますね。

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2006年3月13日 (月)

マナーの心

先週、「オーラの泉」を観ていて、背筋がピシーンとなった。

美輪明宏さんの「どれだけお経を唱えても、心がこもっていなければ、鼻歌と同じ」

という言葉を聴いてのこと。

「心をこめる」ことが大切!

マナーアドバイザーの資格を取ったときに学んではいたが、

改めて、どんなことにも絶対に必要なことだと実感。

マナー礼儀作法ということで、堅苦しいイメージがあるようですが、

その意味は実にシンプル。核になっているのは2つ。

1.人が思い合いながら、快く生活する。そのために身につける術・知恵

2.美しさの表現

ということは、人も自分も大切にするためのものであり、

マナーと心は一対、切り離しては成り立たないということですね。

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2006年3月11日 (土)

適齢期

歳を重ねていくことは、素敵になっていくことです。

ウェルカム、ウェルカムなんです。

女は一生、花盛りなんです。

だから、曲がり角なんてないんです。

そんな気持ちで書いた詩を今日は載せようと思います。

「曲がり角」

そういう年頃ってなんですか

どういう年頃なんですか

適齢期ってなんですか

曲がり角とはなんですか

ここで曲がれと勝手に決める

そんな角では曲がりません

無視して生きます

程よい時期は自分で決めます

まだまだ曲がる気ございません

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2006年3月10日 (金)

黒を着る資格

服を選ぶとき、黒をなるべく避ける。

全身を黒にするのは、喪服を着る必要があるときと、年に1日。

祖母の命日だけ、喪に服するつもりで黒のワンピースを着る。

カラーセラピーがあるように、色が人の心理に与える影響は大きい。

黒って色はキツイ。ドギツイ。

だからピシッとしなければいけないときに、

上下どちらかに黒を使う。また、パンプスを黒にするなど

グッと自分に気合を入れるのに、身に着けることはある。

そうでないときは、まだ未熟な私が着ると、なんだか険が出る。

そんな気がして、全身が黒は、避けてしまう。

以前、テレビで岸恵子さんが、

黒のドレスに、黒のストールを羽織っているのを見て、ビックリ。

全身が黒なのに、なんてしなやかで、やわらかい雰囲気を放っていることか!

ドギツさがどこかへ吹っ飛び、黒を纏った岸さんの笑顔は

人を包み込むような女性特有の強くもあたたかいものだった。

ああ、やっぱり黒は洗練された大人の色だ。

私はまだ、ダメだ。黒は纏いこなせない。

まだ、自分に合格点はあげられない。

淑女への道のりは長いな。

微笑む岸さんを見ながら、しみじみ思ったのでした。

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2006年3月 9日 (木)

唯一です

「いったい自分は何者?」「自分の価値は?」

よく雑誌の特集で見かける言葉。

じゃあ、私にはどういう価値があるのかな? と考えたことがある。

何者かと言われても、親が生んでくれて、名前をもらったひとりの女。

それ以上でも以下でもない。

価値と言っても、ささいなことから、少し大きいことまで、

いろんなを持つ。社会に目を向ける。自分にできることを考え行動する

それで十分。

それ以上でも以下でもない。

人の評価にはグラグラ揺れます。

ダメ出しされれば、ガーンと落ち込みます。

でも、それで価値が決められるわけではないんですよね。

誰も誰かの価値を決めたりなんて、できないのだから。

何をしている何者でも、私はこの世に、私ただひとり。

何か特殊な秀でた人間ではなく、普通の人。

だけどただひとり。

それってすごいなぁ、嬉しいことだなぁ。

すべての人がそうですよね。この世でただひとりの人。

そう思って、何者かも、価値も、考えるのをやめました。

自信勝手ということで。

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2006年3月 8日 (水)

未完成

中島みゆきさんの書く詞が大好き。

ちょっと恐いものもあるけど、カッコイイ女像も多い。

初めて出会った歌詞は、薬師丸ひろ子さんに提供した『未完成』という曲。

哀しい失恋の歌。内容もさることながら、ガッと心をつかまれたのはタイトル。

未完成って、言葉の通りだと、「まだ完成していないこと」だけど、

建築物が未完成、作品が未完成というのと、人生の中で使うのとは

少しニュアンスが違う。完成していないという他に、なにか

もどかしい、切ない感じがしませんか?

子供なりに、そんなことを感じて「未完成」という言葉に惹かれ、

時々、不意に思い出す。

「なんでこんなに気になるんだろう」と。

そこで考えてみて、気づいたこと。

子供の頃は、ドラマの途中の回を飛ばしても、最終回だけは見ないと

気がすまない。本を読めば、結末が待ちきれずに最後のページを読んでしまう。

そんな子でした。

それがいつしか、ドラマも本も、日常も生きること自体も、

プロセスがいちばん大切で楽しいと知りました。

そう思い出して出た結論。

「未完成」って人生そのものだから、惹かれのではないか、と。

先々のことは、考える必要があるし、大事なこと。

だからといって生き急ぐことはないし、結果ばかり求めて焦ったり

生きる意味を探しすぎると、かえって何も見えないもの。

そのとき、そのとき、自分にできること、すべきことをする。

たくさん考えて、悩む。そして

日々感じることを大切にして、しっかり味わう。

ただそれでいいんだな、と。

人生が完成するのは、きっと死ぬとき。

それまでは、いくつになろうと未完のまま。

だから生きるのはオモシロイということでしょうね。

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2006年3月 7日 (火)

離す愛

5年くらい前のこと。

テレビで不思議な光景が。

「これがいまどきの恋愛事情」というような特集で、

10代のカップルが、互いを手錠でつないでいる。

理由は、仲がよい証拠。束縛し合いたいから。

ただ、実際には見たことがないので、浸透したわけではないのでしょう。

私が人間関係で大切に思うのは「程よく距離がとれること」。

どんなに親しい、好きな人でもベッタリ付き合うのは苦手。

人と予定が合わなければ、どこへでもさっさとひとりで出かけるし

まして束縛など恐ろしい。

そういう人間なので、手錠という発想に、ビックリ。

さて、番組では「こういう若者を大人はどう思うのでしょう」との流れ。

街で年配の女性たちにインタビュー。

大方は、かわいいと思う。しょうがない。仕方がない、のどれか。

そんな中、あるひとりの女性に目がとまった。

70歳前後と思われる彼女は

「うーん…幼稚ね。離す愛を覚えたほうがいいわね」と仰る。

それは、バカにした言い方でも、嘆くようでもなく、ただ静かな言い方。

楚々とした佇まい。

自分をよく知っている、さらりと品のいいオシャレ。

マイクを向けられてあがったり、つい笑ってしまうということがない。

問いかけられたので、ただ淡々と自分の意見を述べている。

そのさらりとした感じがスマート

質問に答え終わると、それまでの凛とした涼やかな表情

フッとやわらかな笑顔に。

しなやかな物腰で、お辞儀をして立ち去られた。

1分にも満たない時間だったが、思わず見入ってしまった。

これぞ淑女!

その日は1日気分がよかった。

街中や、知り合いや、映画やドラマの中で

男女問わず、素敵な大人に出会う

そういうとき、なんだか幸せに抱きしめてもらった気分になる。

またひとり、お手本に出会い、その貫禄に触れ、

しかも言葉のプレゼント付き。

「離す愛」。カッコイイ! 理想的!

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2006年3月 6日 (月)

意味を変える魔法

たかが文字。されど文字。

去年、箱根へ旅行に行ったときのこと。

強羅公園のゴミ箱を見てハッ!

新鮮な驚きでした。

「ごみ箱」でも「ゴミ箱」でもなく、

「護美箱」と書かれている。

いらなくなった物を捨てる、汚い物を捨てる、ごみを集める箱。

それが、美を護るための箱、と捉えると、ステキなものに見えませんか?

世の中、あまりいい印象をもてない言葉がたくさんありますよね。

あの護美箱のように、ガラリと雰囲気を変えてしまうような

ポジティブな表現が、街に溢れていたらいいのに。

そう思いませんか。

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2006年3月 4日 (土)

お見事!

女優は華だ。

夕べ、テレビで日本アカデミー賞を見て、しみじみ思った。

10代から60代まで、幅広い年代の女優が、

ドレスアップして会場を彩る。

その中で、特に輝いている女優がふたり。

吉永小百合さんと薬師丸ひろ子さん。

しなやかな立ち居振る舞い、美しい日本語、やわらかな微笑み。

大ベテランのふたりは、偉ぶったところがなく、それどころか

スピーチでは、亡くなった関係者に思いをはせ、

デビュー当時から見守り、支えてくれた人たちへの感謝を述べるなど、

じつに細やかな心が伝わるすばらしいものだった。

その姿勢は、彼女たちが受賞したときだけではなく、

共演者の受賞のときにも見られた。

2時間の間、カメラは何度も彼女たちを映す。

いつ映っても、微笑を絶やさず、周りにあたたかい空気が流れて見えた。

女優として、女として、しっかりと自分を積み重ねてきた時間が

あれだけの優雅な貫禄と、艶やかな華を醸し出すのだということを

やさしく、しかしガツンと見せ付けられた時間でした。

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2006年3月 3日 (金)

歩き方の恐怖!

目の前を歩く女子高生を見ていて、気がついたこと。

歩き姿は危険です。

彼女たちを見ていて、何かに似ている、と考えました。

そう、淑女とは言いがたい人たち。

共通しているのは、気を抜いていて、油断していること。

重心がやや後ろにあり、足が外股に開いているので、

ふんぞり返っているように見える。

もったいない!

シャンと背筋を伸ばして、一本線を歩くように歩くだけで、

グッとキレイな雰囲気になるのに。

ふんぞり返って見えるくらいなら、モデルを意識して

気取って歩く方がカッコイイんじゃないだろうか。

まあ、そういう私も、ひどい内股を友人に

「遠くからでも分かるくらい変だよ」と言われて以来、

歩き姿がしなやかでカッコイイ女性を見かけると、

参考にして、歩き方を改善中です。

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2006年3月 2日 (木)

化粧の心

若い子の化粧と大人の化粧は違う。

何が違うか。

「化粧の心」が違う。

ハタチの頃、なぜか化粧が嫌になり、

かたくなに拒絶しているところがあった。

そんな私を知人の40代の女性の言葉が変えてくれた。

「化粧ってね、ただ自分を飾ることでも、オシャレするだけのもの

でもないのよ。心遣いであり、真心なの」

「誰かに会うとき、あなたに会うために、それにふさわしく

自分を整えてきました。装うだけでなく、心も『シャン』としてきました」

それを表すものだと彼女は教えてくれました。

若いときは、自分をよくみせようとすることに重点を置いていてかまわない。

テクニックを身につけ、アレコレ試みて、TPOや自分に似合う形を、

肌に感覚を覚えさせることが大切だと思う。

そうして大人になった女の化粧は、身につけたものを使いこなす貫禄がある。

ツヤや弾力が減っても、シワがあっても、自分の形をもっている人は

堂々とした輝きを魅せる。

ただキレイなだけではなく、余裕が感じられる。

それは大人の化粧の心には、装う以外に、人を包み込む菩薩力があるから。

まだ、自分の形を見つけられていないが、化粧の心を胸に

菩薩力にたどり着きたいものです。

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2006年3月 1日 (水)

大人時間

「若い」「女の子」と言われることにさよならする。

次に始まるのは何か。

大人時間。

人生は圧倒的にこちらが長い。

若いときは大切だが、大人の人生も大切。

よく「女は灰になるまで女」という。

そう、一生現役なんだから。とどまることなんてない。

期限なんてもうけず、進化を楽しみたい。

大人時間をいとおしみ、充実させたい。

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