2011年3月16日 (水)

震災

東日本大震災により被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

報道で、物資を望む方々の声を聞き、見ているのに、実際に個人では届けることができないことに申し訳なく、無力感を持ちました。

が、そんなことを言っていてはいけない。

今、直接届けることができなくても、個人でできることはある。

募金をする。節電をするなど。

まだまだこの先、一人ひとりができること、やれることがはっきり見え、増えると思います。

世界中から支援の手が集まっています。心強いことです。

被災地の方々と共にがんばりたい。

日本中の「一人ひとり」の力が集まって、この災害を乗りきることができる! そう思います。

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2011年1月11日 (火)

ご挨拶

年が明けて2週間近く経ってしまいましたので、

明けましておめでとうごさいます、というより、明けすぎまして…になってしまいました。

非常にスローペースな状態ではありますが、今年もどうぞよろしくお願い致します。

年の初めに少々体調を崩しておりましたが、無事回復sign01

今年は年女でもありますnote 

兎年なわりに、カメの歩みの私ですが、1歩1歩焦らず確実に、

しかし、うさぎのように元気にピョンと跳ねることができるよう、努めたいと思います。

皆様にとって良い1年となりますよう、お祈り申し上げます。

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2010年12月14日 (火)

夢の話~域育編~

今回は、ウェルカムエイジングの話をお休みして、夢の話をしたいと思います。

テーマは教育です。

そして、夢とは、地域の大人みんなで町の子どもたちを育む「域育」。

江戸時代の江戸の町では、

考え方、生きる姿勢、仕事ぶり、暮らしぶり、人との付き合い方、品格まで、

大人のあらゆる面が、子どもたちの手本となるようにしたそうです。

そのため、江戸の大人たちは手本となる「おとな」でなければならない。

町のどこにいても、いつ子どもが自分を目にしても、恥ずかしくない大人であることが大事。だから、常に自分を律し続ける。

これは、親だけではなく、寺子屋の師匠も隣近所の人も、町中の大人みんなが該当する。

子どもたちは、そういう大人たちのあり方を見て感じて、手本として学び取り、成長していくようになっていたらしい。

こういうシステムは現代にこそ必要であり、大いに活躍するものではないでしょうか。

核家族化といわれて久しい。

また、アパートやマンションで一人暮らしの単身者、独居老人が多く、

様々な社会問題に「孤独」というキーワードが出てきます。

ここには、人づき合いが希薄になり、うまく周囲とコミュニケーションがとれていないことが

見て取れます。

あまりにも孤独が蔓延しきってしまう前に、適度な人づき合いの距離感の勘所を取り戻せれば。

急には無理でしょうが、域育はそのあたりにも一役買う可能性を持っていると考えます。

もちろん、それはラッキーなオマケのようなもので、主たる目的は、日本中の子どもたち

(と、その親たち)のためですが。

オマケついでに、地域の治安を守るためにも一役買うはず! と思っています。

長くなったので、続きは次回に。 

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2010年11月30日 (火)

まずは心に栄養を

ネガティブな言葉をポジティブな言葉に。

使う言葉ひとつが心に与える影響はバカにならない。

少し前にお話しましたが、アンチエイジングを否定し、

対極としてのウェルカムエイジングではないです。

対決的な意識はありません。

ひとの魅力の選択肢を増やすために、毎年積み重ねる歳を「ウェルカム」するのも、

ひとつのあり方だと思うのです。

歳月により失うものがいくつもある裏側には、

歳月により生まれ育まれるものがいくつもある。

それを活用しないのは、もったいない。

歳月がもたらしてくれるものを活かすために、

進歩し続けるエイジングケアで、健康を大切にする。

それと共に、身体へのエイジングケアと並行して、心にも栄養を注ぎたい。

そのひとつとして、言葉を使いたい。

どうするのか→エイジングケアを楽しい表現にしてみる。

しなやかに軽やかに身体を動かすためには、柔軟な身体のほうがいい。

身体は冷えていると動きが硬くなるので、身体を温めてやわらかくする。

心も同じでは。

そう思い、エイジングケアに関しても、身構える言い方で硬くせず、

楽しい表現で心を温め、やわらかくしたい。

そうすれば、エイジングケアにもよい効果が出やすいのではないかと。

心に栄養を注いで行なうエイジングケアは、

日々の暮らし、ひいては人生を豊かなものにできる力があると考えます。

ならば、エイジングケアも、歳を積み重ねていくことも、歓迎したい!

ということで、ウェルカムエイジングと呼ぶようになりました。

次回は、ウェルカムエイジングとした意味を、もう少し具体的にお話します。

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2010年11月22日 (月)

たかが言葉、されど言葉

歳をとる→歳を重ねる、歳を纏う

もう○○歳→やっと○○歳

など、ネガティブな言葉はポジティブな表現にしてみる。

マナーでも、人を傷つけない表現をすることが大切。

背が低い人→小柄な人

ケチ→倹約家

太っている人→恰幅のよい人

などの言い方が印象を和らげます。

たかが言葉、されど言葉。

あれやこれやと言い方を変えてみる。

ただそれだけのことが心に与える影響は、意外に強いように思います。

ひとは言語を使って生きている。

たかが言葉ひとつで、気力を削ぐこともあれば、やる気にもなる。

悲しくもなれば、明るくもなる。

怒りを覚えることもあれば、嬉しいこともある。

心がすり減ることもあれば、心が満たされることもある。

使う言葉によって、ひとを致命的に追い込むこともあれば、救うこともある。

せっかくなら、活力ある言葉を使うほうがいい。

例えば10キロ先まで歩くとき、「まだ5キロもある」と言うか、

「もう5キロ歩いてきた」と言うかで、心への影響は違うと思います。

まだ5キロもあると考えるのと、もう5キロは歩いた(5キロは終了している)と考えるかで、

足取りの軽やかさに違いが出るのでは。

心に効果的な表現のほうが絶対にいい!

活力を生む言葉を使って自分を活かしたい。そして、

ひとは人と人の間で生きている以上、コミュニケーションは重要。

ひとに対して、思いやりを持ち、活力ある言葉、あたたかい表現が出来れば。

みんなが実行すれば、よいコミュニケーションの輪が広がるのではないでしょうか。

思いやりやコミュニケーションなど、話がマナーとfor you楽のほうへ流れました。

次回、ウェルカムエイジングでの言葉に話を戻します。

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2010年11月14日 (日)

アンチエイジングが極まって、さて

女性たちはアンチエイジングを選んだ。

ひと昔前くらいまで、ある程度の年齢になると、

「おばさん」という呼び方で、女性の魅力は切られていました。

しかし、アンチエイジングの登場で、女性は立ち上がった。

年齢で自分を切らず、磨いていく。

その努力の賜物でしょう。

おばさんと言われる呼称を脱ぎ捨て、キラキラ輝く女性が増えている。

その在り方はエイジレスなひととされ、実年齢より若く見えるひとが多い。

長きに渡る、若さ至上主義に閉じ込められていた、

「女は灰になるまで女」であるという真実。それを取り戻した。

取り戻し始めてから、しばらく経ちますが、若さに軸を置いた美しさは、

ある程度円熟し、極めたのではないでしょうか。

そろそろ、別角度にも目を向けていい頃合のような気がします。

若さ至上主義が長すぎて、「若さ」が呪縛になっているような。

女性の魅力を狭めてしまっているような。

若い(若く見える)だけが、美しさをつくるなら、本当に若い人だけが、

真にキレイだということになる。

・・・・・・・・・・・・・・・。

そうかなぁ。どうしても、そう思わないんです。

女性の魅力・美しさを、円グラフで考えてみると、

これまで言われてきた部分は、円のすべてではない。

まだまだ他の要素があるはずです。

アンチエイジングを選び、年齢で自分を切るのをやめた。

アンチエイジングによって、若さに軸を置いた輝きは円熟期を迎えた。

その自信を胸に、円グラフの残りの部分を磨いていく。

そうすれば、女性が女性であることをより楽しめるし、誇れると思うのです。

そういう時期にきているのではないでしょうか。

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2010年11月11日 (木)

若さ至上主義が女性に選ばせたもの

前回お話した、困った風潮とは、若さ至上主義

私が~おばさんにな~っても♪ と歌う曲がありました。

歳を重ねた女性より、若い女の子の方がキレイでよいものだとする、

若さ至上主義が象徴的に表れている気がします。

私がおばさんになっても、ホントに変わらない?(変わらずに愛してくれる?)

という問いには、ずっと愛されたいという願いのほかに、

何年・何十年後のおばさんの私より、

若い今の私の方がキレイだという考えが感じ取れる。

なぜそう考えるのか。

ある程度、歳を重ねたひとよりも、若いひとのほうが美しい。

若い=キレイという、若さ至上主義ともいえる価値観が、長きに渡り定着しているから。

世の中全体に、このような感覚が漂っていることが、

「若くなくなると女性として終わる」ような強迫観念を、

女性たちに植え付けているのではないでしょうか。

歳を重ねても、輝いていたい。キレイを保ちたい。

年齢で自分を切りたくない。諦めたくない。

その対処というか、解決策として女性たちが選んだのが、

アンチエイジングなのだと思います。

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2010年10月31日 (日)

アンチエイジングをアンチするものではなく

ウェルカムエイジング。

別にアンチエイジングをアンチしてウェルカム、ではありません。

アンチエイジング→「抗老化」「抗加齢」。

さまざまなエイジングケアで、「いつまでも若く」というキーワードが出てくる。

この場合、「若い」というのは、「イキイキ生きたい」、つまり、健康に元気でいたい、

ということを指していると考えます。

誰だって、生きている間は元気でいたい。

日々を充実させるためには、自分を活かすためには、健康は大切。

元気に動ける。健康で活発に過ごせる。そうありたいと願う。

月日を重ねれば、若い頃より瞬発力がなくなったり、疲れがとれにくくなったり、

体の調子が悪くなったり等など、健康上の問題が起こりやすくなる。

エイジングケアが発達して、健康問題の助けとなることは素晴らしい。

エイジングケアをおおいに活用することで、心も明るくなる。

積み重ねてきた自分を活かしたライフスタイルを満喫できる。

大大大賛成です。

私がアンチエイジング?と、違和感を感じたのは別角度のこと。

「美」に関係した部分です。

女性が美しくありたいと思うのは当然。

できる限りキレイでいたいし、自分なりのキレイをいつまでも保ちたい。

最大限よくありたいと“自分なりの美の追求”は、私も大切にしたい。

女は灰になるまで女。女性のブラッシュアップは生涯続くこと。

続けるべきだと思うし、私は続けます。

「違和感」というのは、女性の大切な願いを邪魔する、脅かす困った風潮、

あるいは現象というか、それに対してです。    続く……。

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2010年10月24日 (日)

いつまで経っても、いつもゼロ

「物事、簡単にわかった気になっちゃいけない」

「何かを極めるのは大変。時間がかかるもの」

母だったか、知人だったか、誰に言われたかはっきり覚えていないのですが、

ハタチそこそこの頃に言われた記憶があります。

若さゆえ、ちょっと何かを学んだり、知ると、なんでもわかった気になってしまう。

そこを調子に乗って思い上がることのないよう、

ガツンと厳しく言ってくれたのだと思います。

小娘の私は、せっかく頑張っているのに、そんな風に言わなくても、と面白くない。

フン、意地悪! くらいの気持ちだった気がします。

やがて時間の経過と共に“ガツン”の意味を噛みしめるようになります。

ちょっと何かがわかってもそれがすべてではない。

何かを学んでも、これだけ修めたら終り、ではない。

何かを学んである程度詳しくなっても、上には上がいる。

この世のすべてなんて知ることはできない。

だから、何かを知っても知っても、終わりがない。

そんなことを幾度となく、痛感。

マナーや、江戸しぐさでも大事な考え「謙虚」。

謙虚でいたい。謙虚であるためには、思い上がってはダメ。

知った気にもならないようにしたい。

ということで、これまでは座右の銘をとくに持っていなかったつもりですが、

ここ数年、時々思い出して自分に言い聞かせていること。

私にとって座右の銘と言えるかなぁ。

そう思ったので、ブログを再開したことですし、改めて自分への戒めとして

最後に記しておきたいと思います。

何を学んでも、いくつ歳を積み重ねても、

知ったことより知らないことの数のほうが多い。

だから、

私の現在地は、いつでもゼロ地点。

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2010年10月17日 (日)

学んで、心得て、好いコミュニケーション希望

これからお話していくなかで、「心得」という言葉をたびたび使用します。

心得→辞書によると、

☆技術・技芸などを習い修得していること。たしなみ。

☆何か事に当たる場合に、わきまえておくべき事柄。

☆気持ち、考え方。

また、心得るは、

☆ある物事について、こうであると理解する。わかる。

☆事情を十分知った上で、引き受ける。承知する。

☆すっかり身についている。

☆気をつける。用心する。

とあります。

もちろん、これらの意味で使うのですが、

「心得」という漢字から私が感じたことを含めての使用です。

ということで、心得という言葉について私が感じ、考えたことは。

以前、「ルールはこころ!」という記事で書いたのですが、改めて。

何かを学ぶ、身につけることは“心得る”という。

心を得る。

何かを教えてくれた人の心を得る。関わった人の心を得る。

学んだ物事に対しての、自分の新たな心を得る。

それが生きていく上で、すべてにおいての意義であり、要なのではと書きました。

理解する、身につけるなど学び修めることの裏側に、

心という字を使っている理由があるように思うのです。

自分の心。関わる人の心。

知る物事・自分に起こる物事など現象の心(意味)。

それらの心を得ることの大事。

また、人の心は、相手をよく見て気持ちや状況を察し考えなければ得られない。

相手のことを考え、察する努力をする。

これは辞書にあるとおり、理解すること、わきまえることを示しており、

コミュニケーションにおいて大事な基本。人間関係のたしなみ。

つまり、心得には、

①コミュニケーションにおいて“察する”ことの大事。

②どんなことにも“心”があり、それを得ていく面白さ、味わい。

という意味があるのでは、と解釈。

ということで、このブログで使う心得という言葉は、

通常の意味に、「察すること」「心を得ること」の2つの意味を含みます。

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